完結
※原作32巻の時間軸(番外編「Vol.31」の続き)。まだ続きます。




 朝、エンデヴァーさんが事務所に顔を出した。ビルの玄関前に立つエンデヴァーさんは長居をするつもりはないようで、サイドキックへの説明は手短に済ませたようだ。
 丁度事務所に出勤したところだった私は、背を向けて事務所を離れようとするエンデヴァーさんに勢いで声を掛ける。

「エンデヴァーさん、お疲れ様です」

 私の声に振り返ったエンデヴァーさんは、少しだけ驚いたような顔をして「名字、まだ避難していなかったのか」と眉を寄せる。
 そういえば先日行われた会見で、少なくなったヒーローで出来る限り活動していくためにも、ヒーロー科のある学校に避難するよう求められていたことを思い出す。朝になれば当然のように事務所に出勤していたが、事務職員も避難の対象であったということをすっかり忘れていた。
 悪戯がバレて誤魔化す子どものようだと自分でも思うが「町の人の避難が終わったら行くつもりだったんです」と言えば、エンデヴァーさんは何もかもお見通しだというようにため息を吐いて「名字、今日のうちに雄英に避難しろ」と一言。あまり時間を取っていられないのだろう、後ろを向いてその場を後にしようとする。

「……エンデヴァーさん、私、ずっと、これからも見てますから!!」

 離れていくエンデヴァーさんの大きな背中を見ていたら何かを言わなくちゃいけない気がして、けれども何を言えばこの世界を守ろうとするヒーローに少しでも勇気を与えられるのかわからなくて、先日の会見でエンデヴァーさんが言った言葉を思い出す。
 ずっと憧れだったエンデヴァーさんの過去を知り、何も思わなかった訳ではない。それでも事務所を辞めようとは一度も思わなかった。受付のお姉さんが辞めても、家族に仕事を辞めて実家に戻るよう言われても、町の人に怖い目で見られても。
 ホークスに救いを求めていたのに、ホークスにヒーロー事務所を辞めた方がいいと言われたいとは一度も思わなかった。
 こんな時だからこそ気付く。私は一生ヒーローと関わって生きていくのだと。多分、ヒーローに憧れを抱いた時からきっとそういう運命にあるのだ。

「ああ、わかっている」

 勢いのままに口にした私の言葉を聞いたエンデヴァーさんは、顔周りの燃える炎を一瞬大きくさせて振り返った。私をじっと見ながら言ったエンデヴァーさんの返事に胸が熱くなる。
 危うく泣きそうになるのを堪えて顔を上げて気持ちを落ち着かせようとしたところ、風が吹いて頬を撫でるように何かが触れた。
 事務所の近くには桜の木が植わっている。少し前、荒れた世の中など知る由もない桜が満開となっていたのを見たので、そこの桜の花びらかもしれない。これが花びらでなく、ただの虫だったら嫌だなと思いながら頬に手を持っていくと、頬を撫でた何かがぴとっと手にくっついた。

「……ん!?」

 驚いてその手を見ると、赤い何かが離れずにくっついている。桜の花びらよりも大きいけれど、思っていたより小さい。それは虫ではなくて、ふっと息を吹けば今すぐにでもどこかへ行ってしまいそうで。
 未だに指にくっついたまま離れないそれを、私は何度か間近で見て正体を知っている。
 一気に滲んだ視界の中、溢れる涙を拭って見える限り辺りを確認しても探している姿は見つけられず、エンデヴァーさんの姿も既にない。

「……」

 エンデヴァーさんの様子からしても急いでいたのだろう。もう、いってしまったらしい。
 仕方ないか、と思いながら指にくっついた小さなそれを手の中に収め、どこにも飛んでいかないよう、そして傷付けないように両手で優しく包み込む。
 ぽろぽろ溢れる涙を拭ってくれる人はいない。けれども今の私には、何も問題はなかった。撫でるように触れたそれが、きっと心の支えになってくれる。手の中にあるのは、空を飛ぶ夢を叶えてくれたホークスの羽なのだから。

   〇

 涙を拭い、事務所に入る。ヒーローたちに話を聞き、私は暗くなる前にエンデヴァーさんの指示通り荷物をまとめて雄英に避難することになった。
 元々雄英はエンデヴァーさんの母校である。何かあった際はまずは雄英の校長に話はいくのだろうが、事務所の人間である私が雄英にいればエンデヴァーさんも指示がしやすいだろう。私の母校の士傑はここからだと少し遠いし、エンデヴァーさんが雄英に避難するよう言うのも納得である。

 エンデヴァーさんに会って、ホークスの羽がある今の私に怖いものなどなかった。心に余裕が出来て周りが見えるようになったようだ。
 出来る限りの手伝いを終わらせてからヒーローたちに声を掛け、事務所を出る。一度家に帰って避難の準備をしてから雄英に向かうつもりだ。天気予報によると今夜は雨が降るようだから、雨が降る前に雄英に行こう。

20211027

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