完結
「ホットミルク、ありがとう。久しぶりに飲んだよ。美味しかった」
「うん、それなら良かった」

 玄関でブーツを履きながら「外は寒いかなぁ」と呟くホークスに「カイロとかあるよ」と言うも、笑って平気だと返される。
 寒いだろうからここでいいよと言うホークスに頷いて、来てくれてありがとうとお礼を言えばホークスは少しだけ眉を下げるだけで何も言わなかった。

 ホークスとの二度目のキスは、一度目とは違って少し長かった。
 目を瞑ることは出来たけれど、ドキドキして呼吸をするのを忘れてしまったくらい。そもそもキスの時の呼吸の仕方がいまいちわかっていないところもあるけれど、全身が心臓になってしまったかのようで、キスが終わった後、ホークスは私の顔を見て真っ赤だと笑った。チクリと肌に触れたものがホークスの髭だったことに気付けば、彼の髭を見る度にキスのことを思い出してしまうんじゃないか、なんて考えてしまう。
 キスの後、ホークスは少し照れたようにへらりと笑ってホットミルクを飲んだ。いくつかの話をしながらマグカップの中身を空にしたら「そろそろ帰るね」と言われ、今に至る。

「おやすみ」
「おやすみなさい」

 玄関のドアノブに手を掛けたホークスの背中を、見事な羽は隠してしまう。
 帰ってしまうホークスに向かって手を挙げて、気を付けてと言おうとしたところでホークスは「あっ」と、踏み出そうとした右足を元に戻す。思い出したかのように「言い忘れた」と振り返ったホークスは、小さな玄関の中で私と向かい合わせになって「毎日何かしらメッセージ送るようにするけど、何もなかったら監視されたと思って」と言った。何でもないようにそういうことを言うので呆気にとられながら頷けば、彼は小さくごめんねと謝る。
 謝る必要はないよと言えばホークスは小さく「うん」と頷いた。向かい合っていると離れがたい気持ちになってしまって、中途半端に浮いている状態の手をホークスに伸ばしそうになって、止める。

「気を付けてね」

 帰路のことも、仕事のことも。そんな気持ちで言えば、ホークスはありがとうと笑った。
 表情を和らげたホークスが「名前ちゃん」と私の名を呼ぶも、少し頬を赤くして何かを考えるようなそぶりをした。何か言おうとしているのは明らかで、それでもホークスは次の言葉を言わないのでどうしたのか聞くも、口を開いては閉じ、困ったような顔をした。
 玄関の照明の光が私たちを静かに照らしている間、私たちは顔を見合わせていた。ホークスは口元に手をやり、迷っているようにこちらを見下ろしている。
 何かこちらから言った方がいいのだろうか。それともホークスが口を開くのを待っていた方がいいのだろうか。そんなことを考えている時間は多分、私が思っているよりもずっと短かったのかもしれない。

「……名前ちゃん、クリスマスプレゼント何がいい?」
「……?」

 ホークスが漸く口にした言葉は、仕事のことではなかった。全く予想もしていなかった言葉に驚いていれば、ホークスは「迷惑掛けちゃうから、お詫びみたいな」と顔を逸らす。

「特に欲しいものは……」
「えぇ〜」

 急に言われても、と言えば何でもいいんだよとホークスは言う。
 そうは言っても、困ってしまう。本当に彼に願うことは叶わないのだから口にすることは出来ない。好きになってしまったこと、ホークスに少しでも気持ちがあれば本当に付き合ってほしいこと――そんな言葉を彼に伝えることすら迷惑になるのだから、他に何かと言われても思い浮かばなかった。

「じゃあ、ホークスは何が欲しい?」

 質問された身でありながらそう言えば、ホークスはうーんと顎に手を当てて考え込む。「急に言われると難しいでしょ」とおどけてみせれば、ホークスは「一つに絞れないんだよ」と楽しそうに笑う。
 え、と私の口から漏れた声にホークスは目を細め、右手を伸ばして私の頬をそっと撫でた。

「名前ちゃんから欲しいもの、名前ちゃんにしてほしいこと、沢山あるから」
「例えば?」

 ドキドキしながら再度尋ねれば、ホークスは優しい顔で「言えないなぁ」と言う。表情も、声も、頬に触れる彼の手も、全てが優しい。

「……教えて」

 そう乞うも、やっぱりホークスは何も答えてくれなかった。思わず下唇を噛めば、頬に触れていたホークスの親指が私の唇の端に触れる。噛んじゃだめだよ、と言われているようだった。

「……今度ね」

 パッと手を離したホークスがいつものメディア向けのへらへらした笑みを作って「じゃあ、何か思いついたら連絡してよ。今度こそ本当におやすみ」と、ドアノブに手を掛けてガチャリとドアを開ける。
 ひんやりした空気が玄関に入ってきたので「風邪ひかないようにね」と言えば、ホークスはあっという間に行ってしまった。

   〇

 ホークスからのメッセージが、昨日からない。つまり、そういうことなのだろう。
 クリスマスまであと一週間と少しのカレンダーを見ながら、もう当日までホークスとは会えないことを察する。あっという間に時間が過ぎるのを感じながらカーテンを開けて朝日を浴びた。

 結局、ホークスから問われたクリスマスプレゼントは思い浮かばなかった。あの日以降、ホークスもクリスマスの話題には触れなかったし、私も彼に何を渡したらいいのか考え中である。

 伸びをしてガラス越しに太陽の位置を確認すれば、昨日ふと読み返したイカロスの本を思い出す。
 前にイカロスの話をした私のことを、ホークスはどう思ったのだろう。ずっと空を飛びたかったと口にした私をどう思っただろう。彼は速すぎる男と言われているけれど、高く飛ぶことには興味はないのだろうか。どこまで飛べるか試したことはあるんだろうか。そんな質問すら、もう出来ないのかもしれないなと気付いてしまった。もっと沢山話をしたかったなぁなんて思いながらゆっくりと深呼吸をする。
 眩しい光にホークスを想えば、ちくりと胸が痛んだ。

   〇

 気分転換にと事務所から少し離れた喫茶店でランチをした帰り道、ヴィランに遭遇した。
 午前授業だったのか、下校途中の小学生が事件に巻き込まれそうだったところを助けるも足がもたついた状態でヴィランの個性に遭い、転んでしまう。悲鳴に気付いたエンデヴァー事務所のヒーローの登場によりヴィランは確保され、被害は最小限に抑えられた。



「あの子は……」

 パトカーのサイレンの音が聞こえる。
 子どもの声も、先輩ヒーローであるバーニンさんの声も聞こえる。
 転んでしまったせいで擦りむいたのか、手のひらが熱く、痛い。体を起こして顔にかかる髪を払う。自分の呼吸が荒い。
 ランドセルを背負ったあの男の子は、怪我をしなかっただろうか。聞こえてくる我慢するような泣き声は、あの小学生のものだろうか。平気だよと、もう大丈夫だよと声を掛けたいのに、あの子がどこにいるのかがわからない。

「……見えない」

 自分の顔を手で確かめるように触る。痛みはない。大きな怪我を負ったようでもない。けど、さっきから何も見えない。
 目を開けているはずなのに辺りが真っ暗で、ちっとも見えないのだ。

「バ、バーニンさん……被害の、状態は……」

 先ほど聞こえた声の主を呼ぶように右手を宙に浮かべる。何か触らないかと動かせば「名前?」と暖かいものが手に触れた。

「名前、どうした?」

 私の名を呼ぶ時の一瞬焦るような声もすぐに平常時の声へと変わる。その声に、ああやっぱり先輩はすごいなぁと思った。

「見えなくて、何も。だから、あの子……小学生の子が……」
「見えない?」
「はい、何も見えなくて、あの、真っ暗で」

 個性か、と舌打ちをするように先輩は呟く。
 聞けば、あの小学生は驚いて転んでしまったものの大きな怪我をした様子はないようだった。バーニンさんと共に駆け付けた新人ヒーローが今、その子の対応をしているから心配しなくていいとバーニンさんが言う。

「良かった」

 あの子が、怖い思いをしていなければそれでいい。
 上手く走ることは出来なくてこの結果ではあるけれど、それでもなんとか間に合ってよかった。助けられなかったら、きっとずっと後悔をすることになる。そう思ってもう一度「良かった」と呟けば、バーニンさんが手をぎゅっときつく握ってきた。

「今はまず、自分の心配!!」
「あっ、はい!」

 痛みや違和感、視界以外の不調を尋ねられ、それに応えていくとサイレンの音が近付いてきて救急車が到着したようだった。
 事務所からさらに人がやってきたのか、多くのヒーローたちの声が聞こえてくる。耳のみでの判断にはなるも、ヴィランの個性に掛かったのは私のみのようだ。
 一度場を離れると言ったバーニンさんが周りのヒーローたちに的確に指示を出している声を聞いていると、二つの足音が近付いてくるのがわかった。

「あ、あの……ありがとう、ございました」

 地面に座ったままの私の少し上の方から、男の子の声が降ってくる。鼻水を啜りながら言うお礼の言葉が聞こえた。
 その言葉を聞いて、すぐ近くにいるのがあの小学生だと気付く。

「怪我はない?」
「ちょっと転んだだけ、です」
「そっか。手当てしてもらってね」
「はい」
「あなたが無事なら、それが一番だよ」

 ゆっくりと立ち上がろうとすれば「失礼します」という声と共に大人の腕がそっと私を支えてくれた。「平気ですか」と続けて言った声は聞き慣れたもので、バーニンさんが言った新人ヒーローのものだった。
 ヒーローにお礼を言って男の子がいるだろう方を向く。私も平気だよというように「怪我が治ったら、今度事務所に元気になった姿見せてね」と言って笑顔を作ってみせれば、泣き声交じりの「はい」という大きな声が辺りに響いた。


 その後すぐ戻ってきてくれたバーニンさんの指示により、新人ヒーローが私と男の子の付き添いで病院に行ってくれることになった。バーニンさんはひどく私のことを心配してくれているようだったけれど、報告とその後の処理があることは私にもわかる。平気ですよと笑って言えば、念入りに調べてもらうよう釘を刺された。
 病院で調べてもらった結果、ヴィランの個性により一時的に視力が失われている状態になっているらしいことがわかった。安静にしていれば一週間もしないうちに視力は元の状態に戻るという。転んだ際に出来た傷も跡が残ることはないだろうということで怪我の処置をしてもらえば、一緒に話を聞いてくれた新人ヒーローは安心したように息を吐いて「とりあえず事務所に報告してきます」とその場を離れた。

 検査をしてわかったけれど、視力が失われている状態だと個性を使っても意味がないらしい。
 駄目で元元、病院の待合室で新人ヒーローの足跡を個性で見つけられるかと個性を使うも、視界のどこにも足跡は浮かばない。本来は暗闇の中でも個性は使えるのだけれど、そう簡単なものではないのかとため息を吐いた。

 一週間で元に戻ると聞いて、一番に思い浮かべたのはホークスのことだった。
 もしクリスマスにこんな状態だったら、ホークスに会うことは出来ないだろうから。

「……」

 ホークスの顔を思い浮かべる。
 優しく目を細める顔、笑った顔、真面目な顔、テレビでよく見るへらへらした顔、キスした後のちょっと照れたような顔。いろんな表情を思い浮かべるほど、ホークスに会いたくなる。会いたくて、声を聞きたくて、抱きしめてほしくなる。今会っても見えないくせに、一緒に空を飛んでほしくなる。
 ホークスが監視されているとわかっているから、こちらから連絡をすることは出来ない。迷惑を掛けることは出来なくて、心配を掛けたくもない。そもそも何も見えないのだから連絡の手段がかなり限られていた。
 一週間もすれば元に戻るというのだから、クリスマスの日には何もなかったかのように会って、お別れをすることが出来る。今日のことは一切触れず、ホークスには何も心配を掛けないようにすることが、きっと正解なはずだ。


 様々な音が聞こえる中で、目が見えないせいで誰がどこにいて、自分の近くに何人の人がいるのかがわからない状態は初めてだった。個性を使えないからどこに行けばいいのかわからないのも初めてだ。
 物心つく前から個性が仕えたから、迷子になったことはない。例え初めて行った街でも、目的地に続く足跡がある限り私には迷いなんてものはなかった。知らない土地へ行く不安も、迷子になったかもしれないという焦りも、経験したことがなかった。
 けれども今、初めてそれを体験している。どこに行けばいいのかわからない。本当にここで待っていれば新人ヒーローがやってきてくれるのか、不安を感じ始めている。ヒーローの言葉を信じ切れていないような気がして申し訳なさを感じつつ、自分から探しに行った方がいいのではないかと思い始めている自分がいる。見えないのに、見えないから、わからないのだ。

 ホークスに迷惑を掛けたくない。
 そう思っているのに、今の私は無性に彼に会って抱きしめてほしかった。平気だよと頭を撫でて、子どもみたいな縋りたい気持ちで胸が張り裂けそうだった。

20210222

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