完結
 夜、久しぶりにホークスに会えることが決まった。
 相変わらず忙しいようなので今日も夜ご飯は一緒に食べることは出来ないらしい。時間と待ち合わせは前回と変わらず、暖かくしてねと付け加えられたメッセージには勿論と返事をした。

 ここ最近、私は事務所で仲の良い人にいろいろ聞いて、オススメのお店を紹介してもらってはご飯を食べに行っている。
 個室になっていて、料理の味は良くて……いろんな条件を頭に入れ、夜ご飯を食べて、そうしていつかホークスと共に夕食を食べられたらいいなと思っているのだ。
 職員オススメのお店を紹介してもらっただけあって、既にホークスに紹介したい候補のお店はいくつも出来た。クリスマスまでに、そのお店で食事をする機会はあるだろうか。
 ホークスがまたこちらに来て、それでいて時間があった時には行ってみないかと今日言えたらいいなと思いながらマンションの前でホークスを待つ。
 夜、空は既に暗く簡単にオリオン座を見つけることが出来た。耳が冷たくて、マフラーに口元を埋める。手袋をしようかと思ったけれど、少し考えてそれは止めた。暖かくしてねと言われていたのに、私はそれよりも自分の欲を優先させたのだ。

「名前ちゃん、お疲れ様」

 早く来ないかなと思っているとバサリと音が聞こえてきて、空から声が降ってきた。

「お、お疲れ様」

 前は歩いてやってきたけれど、今回は飛んできたらしいホークスに少し驚いていると「寒いねぇ」と笑うホークスがすぐ傍にやってくる。
 夜といっても、マンション前はロビーの明かりと電灯によって十分に明るい。今回も私服姿で現れたホークスの優しく細められた目や立派な羽をすぐ傍で見ると、ああホークスは本当に元気になったんだなぁと実感させられた。

「ホークスが元気そうで良かった」
「うん。名前ちゃんのおかげだよ」

 そんなことはないはずだけれど、ホークスに言われると照れてしまう。自然と口元が緩み、嬉しくて笑ってしまいそうになった。
 身軽なホークスは、いつものへらりとした笑顔ではなく、優しい笑みを浮かべて「じゃあ、早速行こうか」と一歩近付いてきた。屈んだホークスの首に腕を回そうとしたところで、そういえばこの間、会ったら抱きしめた方がいいのか冗談めかして言ったことを思い出す。

「……」
「……名前ちゃん?」

 なるようになれ、とホークスの首に腕を回して自分からホークスに体を寄せる。ぎゅっと、抱き着くようなその体制に驚いたのか、ホークスは体を強張らせた。
 ホークスの匂いが、冬の匂いに混じって香る。何も言われないとそれはそれで恥ずかしいのだなと知って、どうしようと口を開くも何と言えばわからなかった。

「……」

 無言のままのホークスにあっという間に抱き抱えられてしまった。
 怒っているわけじゃないよねと今更心配になって抱きしめる力を緩めてホークスを窺えば、耳が赤くなっている。
 寒いから、だろうか。まだ判断が出来ない。
 じゃあ――と、表情を窺おうとしたところでバサリと大きな音がしてホークスは羽を広げ、飛んだ。

 重力に反するその瞬間、再び私はホークスにぎゅっと抱き着いた。心臓がバクバクして、耳の辺りまで大きく音が聞こえるようだ。
 さっきまで冷たかった指先も、いつの間にか熱を感じている。興奮して、体が熱い。

 空を飛んでいる間、冷たい風が当たる。それなのに、ちっとも寒さは感じない。
 ドキドキして、胸が高鳴って、幸せだった。

「ホークス」

 空を飛んで少ししたところでホークスに話しかければ、ホークスは小さく「なに」と返事をしてくれた。顔を向ければ、ホークスは耳だけでなく、頬がほんのり赤く染まっている。
 自惚れじゃなきゃいい。そう思いながら夜景越しのホークスに「ありがとう」とお礼を言えば、ホークスは優しい声で「お礼なんて、言われるようなことはしてないよ」と囁くように言った。

 前回と同じコースを辿り、再び屋上にホークスは降り立った。
 屋上から見下ろすと、前回よりも街が輝いて見える。クリスマス仕様になったイルミネーションのせいだろうか。隣に立つホークスも無言で街を見下ろしている。
 元々人が夜景を見るための屋上ではないために、私たちが立っている場所は決して綺麗な場所とは言えない。商業施設のような夜景スポットとは大違いなのに、隣にいるのがホークスだからか、心臓の鼓動は速まったままで落ち着く様子はない。

「綺麗」

 前と同じ言葉を繰り返してしまうものの、綺麗なものは綺麗なのだ。嘘偽りのない言葉に、ホークスはくすりと笑った。


 夜景は綺麗で、でも頭はホークスのことでいっぱいで、計画していた夜ご飯のことを言おうと思っていたのに緊張で口が開かない。すると、ホークスが「名前ちゃん」と、私の名を呼んだ。
 顔を上げれば困ったように眉を下げたホークスが私を見ていて「話したいことがあって」なんて真面目な顔をして言う。

「次に会う時には、もしかしたら――」

 そういって話し始めたホークスの話を聞けば、ホークスがこちらにやってくる理由であった調べ事の話だった。
 潜入捜査の話はだいぶぼかされていたものの、ホークスの話はわかりやすかった。ホークスによると、次会う時のホークスは監視されている可能性があるのだとか。
 それが言いたかったのかと納得して、先ほどまで膨れ上がっていた気持ちは、一人浮かれていた自分が恥ずかしくなって徐々にしぼんでいくようだった。

「次会った時には『恋人ごっこ』の話はもう出来ない。勿論、メッセージのやり取りの時も」
「うん」
「それで、お願いがあるんだ。クリスマスの日にはさ、名前ちゃんの方から別れたいって言って」

 その言葉に、思わず「えっ?」と声が出た。困った顔のホークスの眉がさっきよりも困ったように下がっているように見える。

「遠距離は無理だったとか、本当はそこまで好きじゃなかったとか、そういうありきたりな理由でいいよ。俺から切り出したら、なんかあいつらは信用しないかもしれないなーって……」

 潜入先に信じさせるための話をしているのだということはわかっているのに、胸がどんどん苦しくなる。

「名前ちゃんには申し訳ないと思ってる」

 真面目な顔でホークスは言った。ごめんと言って、ホークスは頭を下げる。その姿を見て慌てる。ホークスが頭を下げる必要は一つもないのだから。

「ホークスが気にすることじゃないよ。うん。わかった。私が、言うから……」

 この話になってから、指先が再び冷たくなっていた。
 人差し指を握って、温度を戻すようにマッサージをする。胸はやっぱり痛いけど、ホークスの仕事のためならば仕方がない。最初からそのために恋人のフリをしているのだから、私は私の仕事を全うしなくてはいけないはずで。

「私は別れ話を切り出したことなんてないから、変に思っても笑わないでね」

 そう無理やりにでも笑って言えば、ホークスはごめんねとありがとうと言ってホッとしたような顔をした。


 マンションに帰るために再び空を飛んでいる最中、ホークスと嘘偽りなく話すことが出来るのは今日限りだということに気付く。
 今、本当の気持ちを言ってしまおうかと考えるも、それはホークスを困らせてしまうことになると十分にわかっていた。胸の辺りに占める気持ちがもやもやとしていてすっきりしない。自ら胸に手を突っ込んで、不安な気持ちを取れたらどんなに楽だろう。
 監視があるから会えないとは言わなかったホークスの気持ちは、優しさであるようで、苦しさを生む毒のようでもあった。

   〇

 マンションの前で帰ろうとするホークスの腕を掴んで「話したいことがあって」と言えば、ホークスは困った顔を作った。どこで、とは聞かれなかった。部屋で話がしたいことは、わかっているのだろう。

「ホークスは私の嫌がることをしないから、部屋に上げても問題ないでしょ」

 ホークスが口を開く前にそう言えば、しぶしぶといった風に彼は頷いた。


 習慣でいつものように「ただいま」と言って部屋に入る。後ろからついてくるホークスは「おじゃまします」と言って小さく息を吐いた。
 部屋に入ると気まずそうに立ちすくむホークスに好きなところ座ってねと言えば「はぁ」と、気まずそうにローテーブルの傍に腰を下ろす。
 コートを脱ぎ、マフラーを外して腕を捲ってホークスを振り返れば、彼はパチパチと瞬きを繰り返してこちらを見る。

「何かご希望の飲み物はありますか?」
「名前ちゃんと同じのでいいデス」

 名前ちゃん、機嫌がいいねと言われ「勿論」と返事をしておく。
 ホークスが私にお願いをしたのだから、私も彼にお願いをしたっていいのではないか。そう思ってしまえば恥も外聞もなかった。

 ホットミルクでいいか聞けば、お願いしますと言われ冷蔵庫から牛乳を取り出す。
 部屋の温度が丁度よくなり、温めたミルクをマグカップに注いでテーブルに置けば、ホークスは「ありがとう」と小さくお礼を言う。

 マグカップに口をつけて、ホッと息を吐く。ほどよい甘さに肩の力が抜けた。
 ホークスが「美味しいよ」と言うので「良かった」と返せば「それで、名前ちゃんは俺を部屋まで上げて何がしたいのかな」とマグカップをテーブルに置く。
 冗談めかした風に言うホークスは既に羽織っていたジャケットコートを脱いでいる。自分の部屋に私服のホークスがいる不思議な光景を見ながら意を決して「ホークスに」と、言葉にするもその後の言葉は続かない。

「俺に?」

 さっきまで気まずそうな態度をしていたホークスだが、今は言えるなら言ってみなよというような顔をして私を見ていた。
 私が言おうとしていることがわかっているのか、それともただただ私がそう見てしまっているのかはわからないけれど、ホークスは私から視線を外さない。

 それがなんだか悔しかった。
 ホークスのことが好きだという私の気持ちは、きっと敏いホークスにはバレている。それにも関わらず、優しい彼は私を想って、私の好意を受け取ろうとしないことを選んだのだろう。
 告白すらさせてくれないのだと、今日私は気付いてしまった。
 悔しくて、でも彼なりの優しさがわかるから、やっぱり好きなのだ。ずるいと思う。ひどいと思う。けど、それが彼の優しさで愛情なのだろう。

「キスさせて」

 悔しいと思った。告白をさせてもらえず、クリスマスには別れを切り出さなければいけない。じゃあもう、いいやと思った。
 正直何を言っているんだと思われるだろう。けれども私にとってこの我儘は、本音を言わせてくれないホークスへのちょっとした仕返しでありながら、最大の願いだった。

「今度は私のお願いを聞いてよ、ホークス。次いつ恋人が出来るか保証なんてないんだし。ホークスからしたらキスなんて減るもんじゃないんだから」
「……は!?」

 ホークスの肩を掴んで「ホークスは目を瞑ってくれるだけでいいよ」と言えば「いや、あの」とホークスは動揺を露わにする。予想外の言葉だったのだろうか。

「名前ちゃんは、ファーストキスとか、そういうのでは」
「そういうのです」
「じゃあ、こういう感じでするべきではないのでは」
「今後一生彼氏出来ないかもしれないから今しとく」
「名前ちゃんなら絶対良い彼氏できるよ」
「今まで出来なかったのに?」

 タイミングだとか縁だとか、そういうのがあれでそれでと、しどろもどろのホークスは私に何と言われると思っていたのだろう。
 顔を近付ければ「ちょっ」と、ホークスは顔を真っ赤にして慌てる。本来であれば私から逃れることは簡単だろうに、ホークスはそれをしなかった。

「私がホークスにしたいと思ったんだから、いいの」
「……」
「私がこんなことすると思わなかったんだね。恋人役に私を選んで、失敗だって思った?」
「思わない」

 その言葉は、意外にもはっきりとした口調でホークスは口にした。
 ベッドの側面に羽を押し付けるように体制を崩していたホークスは、先ほどとは異なり、しっかりとした視線をこちらに向けてくる。

「最初から、名前ちゃんで良かったって思ってるよ」

 嘘偽りのないといった表情をさせてホークスは言った。へらへらとそれとなく流せばいいのに、どうして真剣な顔をして今そんなことを言うんだろう。
 私を見上げていたホークスがゆっくりと体制を戻して私の頭を撫でた。横に垂れた髪を耳に掛け、優しく私の名を囁く。

「名前ちゃん」

 ホークスの指が、耳の淵を撫でるように動く。そのままの流れで顎に触れた指が、私の顎を軽く持ち上げた。

「名前ちゃんはさ、やっぱり俺のことを信用しすぎだよ」

 その言葉の割に、私に触れるホークスの手は優しかった。ホークスの熱を帯びた瞳が微かに揺れる。

「クリスマスまで付き合ってらんないって、振られると思ってたのに」

 ぼそりと呟いたホークスの言葉に、反応することが出来なかった。
 口に触れた優しい感触に心臓が跳ねる。体が石になってしまったように動かなくて、唇の感触が消えたと思ったらホークスは「目、閉じてよ」と口を尖らせる。

「一瞬すぎてわからなかった」

 驚いたような顔をして、けれどもホークスは笑った。

「名前ちゃんがいつか今日の日を後悔したらさ、俺のこと恨んでもいいよ」

 そう言って再び顔が近付いてくるホークスに気付いて、今度はちゃんと目を閉じることが出来た。

20210201

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