完結
 十二月に入り、エンデヴァー事務所のロビーにもクリスマスツリーが飾られた。
 エンデヴァーさんとほぼ同じ高さのツリーがロビーに出され、ヒーローたちがオーナメントを飾っていく。オーナメントは毎年同じものを使っているらしいけれど、照明に反射して光るオーナメントは何度も見ているもののはずなのに、毎年子どもの頃に戻るような気持ちにさせられる。

 事務所に入って最初のクリスマスの時は同期と一緒にツリーを飾り付けたことを思い出す。
 当時は、エンデヴァーさんはイベントなんか興味なさそうなのにと驚いたものだ。
 昨今、街を守り、街の人が幸せに暮らしていくためにはヒーロー及びヒーロー事務所がなくてはならない存在となっている。ならば、どうするか。エンデヴァーさんは、ヒーロー事務所が身近な存在にするべきだと考えたらしい。
 イベント絡みのインテリアをロビーに置くことを企画したのは勿論エンデヴァーさんではないのだが、企画を承諾したのはエンデヴァーさんである。それ以降、季節ごとに事務所のロビーにちょっとした飾りを施すことになっていた。
 助けを求める人がいた時に、気軽に入ることが出来る場所にしようと事務所の先輩は思ったらしい。しかし、人の出入りが多いということは、ヴィランを招きやすい場所になるともいえる。それでも過去うちの事務所で事件が起きていないのは、強く逞しいヒーローが事務所にいると街の人がわかっているからだ。


 ツリーを見上げて写真を撮る。
 ワインレッドのリボンとゴールドのオーナメントボールは上品で、トップスターが飾られるところは動画で事務所のSNSに上げられるらしい。

「もうクリスマスなのね、ついこの間ハロウィン終わったばっかなのに」

 受付のお姉さんに用があってロビーまで降りてきたのに、ツリーに目を奪われていたら当の本人に声を掛けられてしまった。
 目的だった書類を渡しながら「クリスマスが終わったらもう年越しですもんねぇ」と肩をすくめれば、お姉さんも同意するように「ねぇ」とため息を吐く。
 あっという間だった一年の中でも、この十二月は実りのある一ヶ月にしたいなぁと思いながらホークスのことを考える。十二月に入るも連絡は未だにない。きっと、忙しいのだろう。

 エンデヴァーさんがこちらに帰ってきて、怪我も治り既にバリバリ働いているのだからホークスも忙しなく空を飛んで街の安全を守っているだろうことを想像する。
 元気になったのならそれが一番だと、心から思っている――けど、時間の流れの早さを感じる瞬間、どうしたものかと考える自分がいることに最近気付いた。
 クリスマスが終わったら、ホークスとの関係も終わる。きっとクリスマスが終わったら、私たちを繋ぐ関係はなくなってしまう。連絡を取る理由がなくて、会う理由がなくて――私はヒーローのホークスを好きなただの一般人になる。
 そんなことを考えると、人生で初めてクリスマスが来なければいいのに、なんて思ってしまった。

   〇

 お昼休憩になったので事務所に一番近いコンビニに入って、お目当ての物を探す。
 数多ある商品の中で、今日が発売日のそれを見つけることはそれほど難しくはなかった。

「あった!」

 見てすぐに野菜ジュースとわかる紙パックがそこにずらりと並んでいて、棚の一列を占領している。パッケージはカラフルで、人参やリンゴ、オレンジなどのイラストの他、なんとエンデヴァーさんのイラストが描かれているのだ。
 野菜ジュースとヒーローのコラボ商品が期間限定で発売されると知った時から気になっていたけれど、デフォルトイラスト化されたエンデヴァーさんはなかなかに可愛い。紙パックを手に取り、まじまじとイラストを見て、自然と口角が上がる。

「ふふっ」

 元々、かっこいいものが好きだった。
 かっこいいものに惹かれるからヒーローになりたくて、エンデヴァーさんに憧れた。それなのに、自分が可愛いものにも心動かされるようになったことに気付いたのは最近のこと。

 ヒーローがコラボ商品を出すことは珍しいことではないけれど、エンデヴァーさんが可愛いイラストになって野菜ジュースとコラボする日が来るとは思わなかった。
 種類ごとにコラボしたヒーローが異なるようで、スムージーはホークスとのコラボのようだ。エンデヴァーさんの隣に並べられたパッケージにはこれまた可愛いホークスが描かれている。
 先日ホークスに貰った福岡土産にあったイラストともまた違った系統のデフォルトイラストを見て、可愛いなぁと心の中で呟く。自然とホークスのジュースにも手が伸びた。
 お昼休憩の買い物であろうとも、見つけたからには買うしかあるまいと紙パックをどんどんカゴに入れていくと「あら、やっぱり名字さんだ」と楽しそうな声が聞こえた。

 声を掛けてきたのは昨日一緒にクリスマスツリーを見た受付のお姉さんだった。
 お姉さんも丁度お昼休憩の時間のようで、陳列棚を眺めて「あっ、あった!」と声を上げる。
 これこれ、とお姉さんが手に取ったのはこれまた可愛らしいベストジーニストのイラストが描かれたブルーベリーのジュースだった。

「ベストジーニストのファンなんですか?」
「ふふ、そう。助けてもらったことがあって、それから応援しているの」
「知らなかったです」

 そう言えば、悪戯っぽい顔で「一応事務所の中ではね、言わないようにしてるから」と笑った。
 当たり前だけれど、事務所にはいろんな人がいる。エンデヴァーさんを一番に尊敬している人だけが働いているわけではなく、様々なヒーローのファンが一緒に働いている。
 これはうちの事務所に限ったことなのか、それとも案外他の事務所でも同じなのかはわからないけれど、エンデヴァーさんのことは尊敬しているけれど、一番好きなヒーローではないと言う人が結構いて、エンデヴァーさんも、真面目に働きさえすれば問題ないというスタンスなのでお姉さんの言葉を聞いてもそれほど驚きはしなかった。

 この世界には、ヒーローに助けてもらった経験のある人は山ほどいて、事件や災害での救助だけでなく、ヒーローの言葉に精神的に救われる人も多いといわれている。
 ヒーローの名言集なんてものも定期的に本屋で見かけるのだから、その存在の大きさは計り知れない。

 ヒーローは世間の人に望まれ、憧れられる存在である。
 事務所で働く私たちにとっても、それは同じだ。
 ヒーローがただの人間だということを一般の人より理解しているからこそ、その存在に救われ、尊敬し、焦がれることすらあることを私はよく知っている。

「――けど、私も知らなかったわ。名字さん、ホークスのことも好きなのね」

 ずっと私が手に持っていたジュースに視線を落としたお姉さんがにこりと笑う。
 落とさないようにと手にしていたジュースはホークスのイラストが描かれているもので、いつの間にかエンデヴァーさんと同等の数をカゴの中に入れていたようだった。

「キラキラした目でジュース見てる名字さん、とっても可愛かったわ」


 コンビニでの買い物を終えて自分のデスクに戻るとペン立てにある緋色のボールペンに目がいき、自然とため息を吐いてしまった。
 一週間前に届いたそれは、ホークスと文房具会社がコラボして今年の秋頃に発売されたボールペンである。ターゲットを社会人に設定したのか、普段使っているものよりずっとお高めのボールペンは値段の通りデザインと書き具合が良いものだった。
 クリップの部分が金色で、ボディー部分の緋色に映えているそれはここ最近のお気に入りだ。使いやすくて、なんだか字も上手くなったような気がする。本当にほんの少しだけ、気のせいだと思うけれど。

 ジュース一本を除いてビニール袋ごと事務職員専用の冷蔵庫に入れ、エンデヴァーさんの野菜ジュースを机の上に置くと、先ほどお姉さんに言われた「ホークスのことも好きなのね」という言葉を思い出した。
 ポケットからスマホを取り出しながら、お姉さんの言葉に変な返しはしなかっただろうかと振り返る。普通のファンのような態度は取れていただろうか。お姉さんに、変に思われなかっただろうか。

 考えれば考えるほど、自分がホークスのことを好きになっていることに気付かされる。
 ホークスのグッズは一つもなかったデスクに緋色のボールペンはよく目立って、同僚には仕事で使い始めればすぐにバレてしまった。「どうしてホークス?」と首を傾げた同僚に、私は何と言ったんだっけ。

 エンデヴァーさんのイラストが描かれた野菜ジュースの写真を撮ってからストローを指す。ジュースを飲んで午後も頑張ろうとストローを口にすれば、再び受付のお姉さんの言葉を思い出した。

「――助けてもらったことがあって、それから」

 ベストジーニストのファンだと言ったお姉さんの言葉に、今更ながらわかるなぁと納得をする。世界が変わる瞬間を、ついこの間体験したからだ。
 重力に逆らう瞬間を体験したあの時から、私にとってホークスは明確に特別な存在になった。だから、クリスマスが終わって恋人ごっこが終わっても、ホークスはずっと特別な人とし生きていくことになるのだろう。


 オレンジの味が強いジュースは甘くてすっぱくて、昼食後の眠気がどこかへいった。
 午後の仕事も頑張るかと伸びをすれば、隣の席の同僚に「名字ちゃん、グッズがダブったんだけど、いる? ホークスのなんだけど」と声を掛けられた。

「……いいの?」
「あはは、うん。いいよいいよ〜今回はね、エンデヴァーさんが全然出なくてさぁ〜」

 同僚が差し出したのは名刺サイズのカードだった。
 カードの表面にはホークスが空を飛ぶ様子が、裏面にはヒーロー情報がプリントされている。お菓子のおまけらしく「お菓子もまだ結構あるから、もし食べたかったら言ってね〜」と言って同僚は楽しそうにしてポテトチップスをつまんだ。

   〇

 ホークスから、久しぶりにメッセージが届いた。
 朝、起きると「おはよう」というメッセージが届いていたのだ。今週中に会えるかも、という文章を読んで勢いよくベッドから起き上がってしまうほどに、今、胸がドキドキとうるさい。
 勢いのままに「おはよう」「ホークスは元気?」と連続でメッセージを送る。嬉しい、会いたいという言葉は胸に秘めてカレンダーを確認すれば、今週は特に予定もなかった。いつホークスが来ても平気だとわかれば少し安心するような気持ちになる。
 ホークスからの「元気だよ」というメッセージに安心していると、すぐに「名前ちゃんに会えるのが楽しみ」というメッセージが送られてきた。その言葉に口がにやける。だらしなくなってしまっているだろうにやけ顔のことを考えれば、家の中で良かったと心から思いながら「私も、楽しみ」とメッセージを送った。


 ホークスに会えるとわかっただけで気分が上がり、嬉しくなる。貴重な時間を割いてくれることが嬉しくて、自分はなんて幸せ者なんだろうと思った。
 世の中の思う恋人というものが本当にこういうものなのなら、いいなと思う。悪くないと思う。けど、今の私にとって、そう思うのは相手がホークスだからだ。ホークスではない誰かだったら、会えるとわかっただけでこんなに嬉しくはならない。
 恋人のフリをするのが他の誰かだったら、こんな気持ちにはならない。それを考えると、自分の恋がちゃんと本物であるような気がして、なんだか少し嬉しくなった。

20210201

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