完結
『今日さ、一日中晴れるみたいだから、夜景見ようよ』

 お昼休み、近くに誰もいないことを念入りに確認してからホークスからの電話に出れば、彼はそんなことを言った。ホークスも休憩中だったらしく『めっちゃくちゃいいトコがあってさ』と楽しそうに言う。
 食後に飛ぶのは人によって難しいから昨日は誘えなかったけど、なんて言うので最初はスルーしてしまったけれど、相槌の途中で「飛ぶ!?」と反応すれば『うん、俺の個性で』と言われてしまった。

『名前ちゃんは高所恐怖症?』
「ううん」
『じゃあ、俺と一緒に飛ぶのは平気?』
「……うん」

 夜、ホークスの羽で空を飛ぶのを想像して心臓が音を立てた。スマホを落とさないよう耳に当てて、少しだけ慎重に口を開く。

「多分、昨日と同じくらいの時間に退勤出来ると思う」
『それだったら――』

 待ち合わせ場所を決めることになった時、ホークスは『名前ちゃんに渡すお土産結構持ってきてたから、近くにコインロッカーとかある場所で待ち合わせしたいかも』と言った。空を飛ぶ時に荷物を持っていたら危ないから、会社帰りの私の荷物も含めてロッカーに預けようという考えらしい。
 ホークスが夜景を見に行きたい場所を聞いたら、エンデヴァー事務所よりも私が部屋を借りている賃貸マンションの方が近かった。
 頭の中で周辺の地図を広げてコインロッカーのある場所を思い出すも、最寄り駅の改札口にあるロッカーや駅の近くにある商業施設だとホークスが目立ってしまう未来しか想像出来ない。
 人があまりいなくて、安全で、と考えたところで「あっ、いっその事うちでもいいのかな。ホークスの荷物もうちに置いとけば――」と口にすれば、ホークスが明らかに戸惑った声を出した。

『名前ちゃんの、家?』
「うん。だって、そっちの方がお互いに良いような……」

 ホークスが仕事以外で目立つのは得策ではないはずで、荷物もわざわざ取りに戻る必要はなくなって……と、そんなことを言えば『名前ちゃんがいいならそれでいいけど』と、普段より少し固い声が返ってくる。
 ホークスの反応から、いきなりすぎたかなと悩むも、今更やっぱり止めようと言う気にはならなかった。私にとってもホークスにとってもそれが最善なものに思えたのだから仕方がない。
 待ち合わせ場所が決まれば時間もすんなり決まった。休憩が終わる前にメッセージで住所を送っておいたので、ホークスが迷うこともないだろう。


 予定していたよりも早く帰宅出来たので、荷物を部屋に置いて玄関周りを簡単に片付けておく。
 待ち合わせ時間の少し前にマンションの前で待っていると、間もなく私服のホークスが紙袋を持って現れた。

「ホークスお疲れ様」
「名前ちゃんもお疲れ様」

 疲れたね〜なんてへらりとした笑顔で言うホークスが昨日に引き続き身軽なことに気付く。

「あれ、ホークス荷物それだけ?」
「あー、名前ちゃんに預けるの考えたら申し訳なくなって宅配で送った」
「別に平気なのに」
「だって、さぁ」

 もごもごと口で呟きながら「はい、お土産」と、ホークスに大きな紙袋を渡される。

「ここで待ってるから、それ置いてきな。ご家族にもと思って俺のオススメ入れといて――ああ、あと上は寒いからマフラーとかした方がいいよ」
「あ、ありがとう。家族の分まで、申し訳ない」

 お礼を言って紙袋を受け取りながら「すぐに戻ってくるね」と言えば、承諾するようにホークスは片手を挙げる。
 寒いのか、ホークスの鼻の頭が少しだけ赤くなっていた。もしもホークスに時間があるのなら、帰りに少し寄ってもらってお茶でも出した方がいいのかな、なんて考えながら急げば心臓は忙しなく音を立てた。


「名前ちゃん、ごめん、もっとちゃんと捕まって」
「で、でもっ」

 ホークスは自分の羽を自由に操れるというから、その羽で個々に飛んでいくのかと思っていたら「じゃあ行くよ」と、何故か彼は私をお姫様抱っこした。え、と声を上げる暇もない出来事に衝撃を受けていると、ホークスはもっとちゃんと捕まれと言うように眉を寄せる。
 ホークスの腕が、背中と膝の裏に回っている。「羽で、飛ぶんじゃないの?」と思っていたことを口にするも、ホークスは「羽で吊るされて飛ぶより俺と一緒の方が安全だと思うけど」と言った。ごもっともだと思いながら意を決して首に腕を回せば、ホークスは小さく息を吐く。

「飛ぶ瞬間は、絶対口閉じててね」


 ホークスの大きくて綺麗な羽がばさりと広がって重力に反して地面から離れる瞬間のことを、私は一生忘れないだろう。

 風が吹き、頬は冷たい。けれども心臓は煩く、頬は熱い。
 静かな住宅街を見下ろしていると、ホークスが「怖い?」と心配するような声を出した。「平気だよ」と言えば、ホークスはその後しばらくの間、何も喋ることはなかった。
 ビルの照明も、駅のホームの明かりも空から見下ろすと少しだけいつもと違って見える。そんなに高く、遠くを飛んでいるわけでもないのに、自分の住む街が寂しくも美しいもののように見えてきたのだ。

「綺麗」

 キラキラと輝く明かりと、綺麗な夜空を見るとドキドキして、けれども少し泣きそうになった。
 そこから五分程経って、目指していた高層ビルの屋上に辿り着いた。
 体にずっと力が入っていたらしく、ホークスに下ろしてもらった瞬間膝の力が抜けて転びそうになった。ホークスがいなかったら冷たい床に顔を擦りつけていたかもしれない。恥ずかしく思いながらお腹周りに腕を回して支えてくれたホークスにお礼を言う。

 私は用がなかったため来たことがなかったけれど、ここはヒーロー公安委員会と関係があるビルらしい。屋上に立ち入る許可は取っているらしいけれど、どんな理由で許可が貰えたのだろう。彼なら上手いこと言いそうだ。
 転びそうになった私に心配したのか、手を差し出してきたホークスの手を取れば、こっちに来てと案内される。緊張と不安で少しだけ震える足に力を入れて手を引かれるままについていけば、息を飲む景色がそこに広がっていた。

「すごい」

 自分の生活圏内の景色を見下ろすというのは、やはり不思議な心地がする。
 いつもは下から見上げているビルや遠くに見ていた大きな広告を見下ろすと、見知った場所なのに知らない街に来てしまったかのような気分になる。

「寒くない?」
「平気、ホークスは?」
「俺は、慣れてるよ」

 慣れているのと、寒いのかどうかは意味が繋がらない。それって結局どうなのと思いながら、家を出る前に仕込んでおいたカイロをポケットから出して渡せばちょっと笑われた。

 街を見下ろして、小さく歩いている人たちを見下ろして、ホークスはいつもこんな場所から助ける人を見つけているのかなぁと思えば自然と「ホークス」と彼の名を口にしていた。
 未だに繋がれたままのホークスの手を無意識にぎゅっと握ってしまう。「どうしたの」と言うホークスの声を聞いて、彼が戸惑ったことに気付く。
 目を閉じて、ゆっくりと息を吐きながら、ホークスと空を飛ぶ瞬間のことを思い出した。


『お嬢ちゃん、助けて。どうか、どうかお願い』

 しわしわな手を胸の辺りで擦り合わせて頭を下げるおばあさんの声を思い出しながら「ホークスは、私の個性のこと、知ってる?」と聞いてみる。
 急に何を言い出すんだと思っただろうかとホークスを窺えば、今までになく真面目な顔をして私を見下ろしていて、ちょっと驚いた。

「知ってる」

 少しだけ固く、低い声がそう言った。
 そっか、と漏れた声が震える。どうしようかな、と思いながらも今更止めるのもなんだしと話を続けることにした。

 私の個性は『足跡』である。
 言葉通りではあるが、個性を使っている間、私には様々な足跡が目に見えるようになるのだ。顔がわかれば特定の足跡を見つけることが出来て、人間だけでなく動物の足跡も認識出来るので小さい時からいろんな人に頼まれて迷子探しをしていた。
 士傑で個性の強化に励んだおかげでだいぶ使える個性になって、事件や災害が起きた際は個性を使って救助者を安全な場所まで案内したり、迷子になってしまった子どもの足跡を見つけて多くの人を助けることが出来た。
 けれども、個性の条件は実はいろいろあって万能という訳でもない。私にヴィランを倒す力はないし、雨の日は足跡が上手く見えないし、川や海、プールでも私は役に立てなかった。だけど少なからず、誰かの命を救えていた瞬間があったと、私の活動にはちゃんと意味があったと、そうであったらいいと今でも思っていて。

「小学校の低学年の頃、友達が飼ってた犬が散歩中に逃げちゃって、個性を使って探したことがあるの。その犬は無事見つけだせたんだけど、そこで偶然私の個性を知ったおばあさんにお願いされたの。『家族のピィちゃんを見つけて』って」
「ピィちゃん?」

 私の長い話をずっと静かに聞いていたホークスがそこで一度声を上げた。
 首を傾げるホークスに「ピィちゃん」と頷きながら言えば、ホークスは「ピィちゃん……」と繰り返す。

「その少し前にも別の友達の家に遊びに行った時に、偶然ゲージから抜け出したハムスターを見つけたから私ちょっと調子乗ってて、何も聞かずに『任せてください』って言ったの。腰の曲がったおばあさんで、泣きそうな声で言うから可哀想だなって思って」
「うん」
「写真を見せてもらったらね、ピィちゃん、鳥だったの。青いインコだった」

 鳥に足はあるけれど、飛んでしまったら羽根を休めるまでの間に足跡はつかない。個性強化もしていない当時はどんなに頑張っても見つけられるはずがなかった。高校で個性強化に励むようになって以降も、飛ぶ生き物との相性は悪かったくらいだ。
 当時の私にはどんなに時間を掛けても無理な願いだった。

「任せてくださいって言ったのに、ダメだとわかってそれを伝えた時のおばあさんの顔、私今でも覚えてる。すごく悲しそうで、でもおばあさんは私に『ごめんなさい。お嬢ちゃんは悪くないわ』って、逆に励ますような言葉を掛けてくれたの」
「うん」

 自分の個性が万能でないことに気付いたのはその日だった。
 調子に乗っていた自分が恥ずかしかった。かっこいいからヒーローになりたいと漠然とした夢を見ていた幼い頃の私は、ヒーローになったらおばあさんのように困った人を少しでも助けられるようなヒーローになりたいと思うようになっていった。

「その日から私、空を飛んでしまう生き物が苦手で、でもそれと同時にすっごく羨ましいと思うようになった。私、ずっと、ずっと前から空を飛んでみたかった」

 ホークスが目を大きく見開いてこちらを見る。
 同じ年齢のホークスの活躍を初めて耳にした時に衝撃を受けたあの日の私は、大人になってからそのホークスとこんな風に喋ることが出来るようになるなんて考えてもいなかった。
 空が飛べて、ヒーローとしても優秀で、自分にはないものを持っている人は本当にこの世界にいくらでもいるんだなぁと、嫉妬と憧憬で胸が締め付けられたんだとホークスに言ったら、彼は驚くだろうか。

「高学年の時、図書室で偶然手に取った絵本にイカロスの話があったの」
「イカロスって……ギリシャ神話の?」
「そう」

 蝋で作った翼で自由を得たイカロスは、父親の忠告を無視して太陽を目指したが故に命を落とす――戒めを含んだその本を読んだ私が抱いた感想は「気を付けよう」ではなかった。

「父親の忠告を無視してはいけないという戒めのような意味を持つ本だったのかもしれないけれど、私はイカロスの気持ちに共感しちゃって。だって、飛べたら嬉しいしきっとどこまでも行ける気になる」

 イカロスが羨ましかった。
 美しくも綺麗で悲しいその絵本を、私はその年のクリスマスプレゼントに親に望んだ。一人暮らしをする際にも実家から持ってきていて、今住んでいる部屋の本棚にもすぐに読み返せるように仕舞ってある。

「ホークスと飛んだ時、すごくドキドキした。夢が一つ叶ったような気分」

 だからありがとうと伝えれば、ホークスは少しだけ驚いたようだった。

   〇

「ホークス、帰る時間まだ平気? もし大丈夫なら、うちでお茶してあったまっていった方が……」

 そろそろ戻るかーと伸びをしたホークスの鼻は寒さのせいかまだ赤い。もしも平気なら、という気持ちで提案すれば、彼はパチパチと瞬きを繰り返してこちらを見る。

「名前ちゃん、恋人のフリしようって言った時は警戒心あるような感じですぐ納得しなかったのに、一度ご飯奢られただけで安心しちゃうのはどうかと思います」

 俺は名前ちゃんに嫌なことはしないけど、と怒っているというより心配しているような声でホークスは言った。
 信じられないといった顔で「けど、俺が絶対嫌なことしないって思ってるから言ったの?」と、人差し指で眉間に出来た皺を伸ばしながら尋ねるホークスに「いや、あの、ホークス寒そうだし」と言えば「そっか」と、やはり納得はしていない感じだ。

 ホークスの言いたいことを察しながらも「じゃあ止める」と言うのも変なような気がして、どうしようかなと思っていたらホークスが近付いてきて再びお姫様抱っこをするために彼は屈む。「名前ちゃん、捕まって」と言うホークスの顔は目の前にあって、ドギマギしながら先ほどのように彼の首に腕を回す。言い訳のように「ホークスに少しでもお礼がしたくて」と言えば、ホークスは「そう」と静かに言った。

「他の人にはすぐ住所とか教えないし、部屋にも誘わないよ」
「何で俺はいいの?」
「彼氏なんでしょ? フリ、なんだけど」
「うん」

 フリって、結局恋人なのかどうなのかわからないねとホークスが言った。
 同じことを考えていたので私もそうだねと素直に頷く。結局私たちの関係が恋人なのかそうでないのかわからない。食事をして、夜景を見に行って、こうして顔がすぐ近くにある距離で喋っている。首に腕を巻いて、恰好は抱き合っているようなものだ。
 他のカップルがするようにデートをして、これから一ヶ月の間にホークスも私も言い訳のように「恋人」というその言葉を使うのだろうか。

 夜景を見ながら空を飛ぶ。
 ホークスの安全飛行により怖さは少しも感じない。
 名前ちゃん、とホークスは私の名を呼んだ。少しだけ切なそうな声で。

「実はさ、昼に電話した時から『部屋に上がらない?』って誘われたらどうしようって思ってたよ」
「……」

 ホークスの言葉を待つと、ホークスは一瞬だけこちらを見て、すぐに視線を戻した。

「それで、俺が今日何も言わなかったために最悪なことが起きることを想像した」

 考えすぎだよって言わないでとホークスは乞うような声を出す。

「部屋に案内されて、普通のことのようにお茶飲んで、バイバイして……俺たちは何でもないように一ヶ月恋人のフリをしてクリスマスにさよならをする。そうしていつか、名前ちゃんに気になる男が出来て、でもそいつは悪いヤツで、部屋に上がって二人きりになった途端、名前ちゃんが傷付くようなことをして……そんなことがあったら、俺は後悔をする」
「……うん」
「俺には心許してくれてるのかなって思うと嬉しいような気がして、けど……これを言うのは酷いかもしれないけど、あなたが男を知らないから、ちょっと優しくするだけで良いヤツだと認識して騙されてもしたらって思ったんだ」
「うん」
「今だって俺は、名前ちゃんをどうにだって出来るよ。俺はさ、今の今まで名前ちゃんに好かれるための言動を取ってる。あなたからそういう感情を向けられるためにやってる。仕事で、名前ちゃんっていう恋人の存在が必要だから。けど……将来名前ちゃんが本当の恋人を探す時に注意してほしい。俺みたいに近付いてきた男はきっと何かあるって」

 途中からホークスは、随分と冷たい目をして遠くを見ていた。
 ヴィランを前にしたホークスは、普段こんな顔をしているのかもしれない。


 いつの間にかマンションに戻ってきた。
 ホークスは少しだけ気まずそうな顔をして「じゃあ、福岡に帰る」と言う。寒い空の下にいたけれど、ホークスは意地でも部屋には上がらないのだと察する。

「あの、私は確かに男の人と付き合ったことがないから男の人を見る目はないのかもしれないけど、たった数年だけどヒーローだったからさ、信じられる人かどうかはちゃんと判断出来てると思ってるよ」
「……」

 飛んでいこうとしたホークスの腕を掴んで引き留めて言えば、ホークスは驚いたような目をこちらに向ける。

「今日は楽しかった。ありがとう。本当に」

 今言わなかったら、今までのように連絡を取り合うことが出来なくなる気がした。

「お昼に住所教えたのも、さっきお茶に誘ったのも、ホークスならいいと思ったらだよ」

 私がそう言って腕をゆっくり離せば、ホークスは困ったというような、呆れたというような顔で「俺のこと信用しすぎでしょ」と笑った。

20210113

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