「名前ちゃんお疲れ様〜」
戸を開けると、私服のホークスが一人座っていました――なんて。
十八時に事務所を退勤すると、既に空は暗かった。月が昇り星が輝くも、街灯やビルの明かりによって大通りはまだまだ明るいそんな時間。十二月が刻々と迫っていることを考えると当たり前だけれど、今日は一段と寒くなるとニュースで言われていた通り足元がひんやりとしていた。
昨日ホークスから夕飯を誘われ、寝る前には「ここ予約した〜」と、いくつかのメッセージが送られてきた。
ホークスが予約したお店はエンデヴァー事務所の最寄り駅からさほど遠くない場所にあるお店で、行ったことはなかったものの美味しい料理が出るお店だという話は聞いていた。周辺にはエンデヴァー事務所の他、いくつものヒーロー事務所があるためか、多くの個室が用意されているヒーローでも行きやすいお店らしい。
美味しい焼き鳥が出るらしく、正直とても楽しみにしている。
お店に入れば感じの良い店員さんがすぐに対応してくれて、ホークスにいわれていた通り自分の名を伝えればすぐに個室へと案内された。
部屋に入ればホークスは寛ぐようにスマホをいじっていたものの、すぐにスマホを机に置いて「思ってたより早かったね」と笑う。
障子戸を後ろ手に閉めて、コートを脱ぎながら「ホークスも、お疲れ様」と言えば、彼は少しだけ照れくさそうに笑った。
「食べられないものとかある? 好きなものとかも教えて」
お店の人に案内された小さな個室は、オレンジ色の小さな照明によって照らされていてる。
メニューも見ていないうちから楽しそうなホークスの様子がなんだか少しおかしくてちょっと笑ってしまったものの、ふと個室の落ち着いた雰囲気の中に二人という現状に気付いて急に恥ずかしくなる。デートの経験のない私にとって、異性と二人きりで食事を取ることは初めてだった。
「あー、えっと、特に苦手なものとかはないよ」
「あ、そう? 良かった」
これとか美味いって聞いたから頼もうよ、とホークスはメニューを広げる。
私が見やすいようこちら向きでメニューを広げるホークスに気付いて、こういうことがサラっと出来るんだからきっとモテるんだろうなぁと思ってしまう。自分の恋愛レベルが低すぎて、ホークスの言動全てがモテる人がするものに見えてくる。
お店の人を呼んでいくつかの注文をすれば再び二人きりの空間になる。
メッセージのやり取りこそ毎日していたが、会うのは一週間ぶりで、二度目だ。今更ではあるけれど、何を話せばいいんだろうと少しだけ気まずいような気持ちになる。
じゃら、と音がして顔を上げればホークスがお冷を口にしていて、彼の髪の色に似た綺麗な瞳がこちらを見ていた。
耳にしたのは、ホークスの腕時計とブレスレットがぶつかった音のようだ。そういえば、仕事でこちらへ来たようなのにホークスはパーカーとジーンズというラフな格好だ。鞄も見当たらないので「どこかで着替えたの?」と聞けば、ホークスは少し驚いたような顔をして「うん」と首を縦に振る。
「今回は泊まりだから、ホテル取ってあって。そこで」
「ああ、そうなんだ。ここから近いの?」
「うん」
そっか、と言えばそうだよとホークスは返してくる。
「忙しいだろうに、声掛けてくれてありがとう」
「俺が、名前ちゃんといろいろ話してみたかったから」
「……うん」
「……エンデヴァーさんは元気?」
「エンデヴァーさん? うん、今日もいつものように街を守ってたよ」
突然のエンデヴァーさん話に疑問を持ちつつ今日のエンデヴァーさんを思い返す。
今日もメラメラと髭が燃えていたし、誰よりも一番働いていた。パトロールに向かう背中を見た時、ああやっぱりエンデヴァーさんってかっこいいなぁと思ったものだ。
「名前ちゃんはエンデヴァーさんに憧れて事務所に入ったの?」
「そうだよ。ふふふ、エンデヴァーさんのサイドキックとして働けるってなった時、すごく嬉しかったなぁ」
「いいねぇ」
「……ホークスは、エンデヴァーさんのこと好きなの?」
エンデヴァーさんの話を続けるホークスの目が優しく細められているのを見て、うずうずと聞きたくて仕方がなかったことを尋ねれば、少しの間の後、ホークスは口の端を少し上げて「まぁね」と笑った。
「オールマイトじゃなくて?」
「オールマイトじゃないんだ?」
重なった言葉を理解して、同時に吹き出す。ははっと笑えば「ホークスもよく言われた?」「名前ちゃんもやっぱり言われたんだね」と再び言葉が重なった。
一番好きなヒーローの名を出せば言われ続けた言葉を、私は初めて口にした。同じ経験があるのだろうホークスが笑いながら「オールマイトを好きって言っても『エンデヴァーじゃなくて?』とは聞かれないだろうにね」と言うので「そうだね」と心から同意する気持ちを込めて頷く。
「初めてエンデヴァーさんに会った時にね、ファンですって言ったの。そしたらすごく変な顔されたの、今でも覚えてる」
「言われ慣れてない感じがすごいね」
楽しそうにホークスが笑う。
「その時のエンデヴァーさんの顔、俺も見たかったなー」
エンデヴァーさん話によって少しずつホークスとの会話のテンポがわかってきて、照れくさくも緊張は徐々に解けていく。
店員さんが頼んでいたお酒を持ってきてくれたので二人で乾杯をすれば、カランと綺麗な音が部屋に響いた。
「話は変わるけどさ、俺と付き合ってるって言ってから、家族に何か言われた?」
ついさっきまでエンデヴァーさんの話をしていたので油断していた。
突然のホークスの言葉に飲んでいたお酒が変なところに入ってゴホゴホと咽れば、彼は「ごめん」と慌てる。体の向きを変え、咳き込みながらも平気だと伝えるように片手を挙げて見せればホークスは腰を下ろして「平気?」と心配する声を出した。頷いて平気だと声に出せばもう一度ホークスは謝る。落ち着いたところで気にしないでと言いながら「あの後は、何も。けど、まぁ、少しでも安心させられたのなら良かったのかなぁって」と言えば彼は少しだけ安心したように「そっか」と呟いた。
もしも、もしも本当にホークスと付き合っていたら――次の母親の心配は「いつ結婚するの?」になるんだろうなぁと心の中でため息を吐く。
クリスマスには別れる設定なのだから、そんな心配は必要ないのだけれど。
「ホークスは? 何か変わった?」
「お見合いさせようとすることは流石になくなったよ。彼女はどんな子なのーとか、会わせてーとか、最近はそればっかで……」
「ははは」
「笑ってるけど、名前ちゃんにも関係ある話だよ?」
ちょっと、とでも言うように少し前のめりにこちらを見るホークスにごめんごめんと謝れば、ホークスは「フリって言ってもさ、名前ちゃんには俺の味方でいてほしいんだけど、彼女なんだから」と言う。
その言葉に「うん」と返事をすれば、ホークスは満足そうに笑う。その楽しそうな顔を見て、心臓がとくとくと音をたてた。
〇
ホークスが予約してくれたお店の料理はどれも美味しかった。
デザートを食べ終えた後、お手洗いに行ってくるねと少し席を外しているうちにお会計が済まされていたことを知った時はかなり驚いた。
もう帰るか―というホークスの言葉にお財布を出したところで「奢りって言ったでしょ」と笑われた時は正直本当にホークスの言っている意味がわからなかった。「悪いよ」と言っても「俺が誘ったんだからいいんだよ」と彼は笑うだけ。
その上帰り際に「あっ、明日福岡に帰るんだけど、その前に会えない? 夕飯まで食べてる時間はないと思うけど持ってきてた福岡のお土産も渡したいし、ちょっと名前ちゃんに見せたいものがあって」とまで言ってきた。
美味しい料理をご馳走になってその誘いを断ることが出来る人っているのだろうか? わかっててやっているのだろうか……やってそうだなぁ。距離の縮め方も、会話の仕方も、明らかにモテる人のそれだ。
優しい目をこちらに向けて話すのも、落ち着いた声で話されるのも、まるで本物の彼女に向けたもののような錯覚に陥った。
人目があるからとお店を出てすぐに別れたけれど、別れる前に彼は「本当はうちまで送りたかったんだけど、ちょっとまた寄るところがあるから、ごめん」と申し訳なさそうに言った。
どうしてそこまでしようとするのかがわからなくて、けれども今まで経験したことのなかった恋人ごっこに胸が高鳴っているのも事実だ。私はこんなにもちょろいのかと思ってしまうも、全てが初めてなのだから仕方がない。
「――家着いたら必ず連絡して。心配だから」
別れ際に言われたホークスの言葉を思い返しながら電車に乗る。
また明日、と手を挙げたホークスの姿が頭から離れない。
20201218