完結
 朝、家を出る前に「おはよう」とメッセージが届いて、帰宅して落ち着いた頃に「お疲れ様」と労いの言葉が届く生活を、かれこれ一週間送っている。
 律儀なことに、ホークスが毎日欠かさず連絡をくれるのだ。忙しいだろうにマメだなぁと思う。
 ここ数日は挨拶と一緒にエンデヴァーさんの話をされることが多い。「エンデヴァーさん、今北海道なんだね。ニュースに出てた」とか「ヒーローのシールがおまけについてるお菓子知ってる? 買ったらエンデヴァーさんのシール出た」とか、そういうちょっとしたもの。
 ホークスから送られるそういったゆるいメッセージを読むと、速すぎる男と言われる彼も普通の男の子と変わらないところがあるんだなぁなんて思うようになった。
 ホークスは、エンデヴァーさんが好きで話題に出すのだろうか。それとも私がエンデヴァー事務所で働いているから話してくれるのだろうか。真偽はわからないけれど、友達のような感覚でメッセージのやり取りが出来るのは正直有り難かった。
 恋人のフリというものをどこまですればいいのかわからないけれど、とりとめのない今のようなやり取りであるならば、私も気兼ねなく続けられると思えるからだ。


 先日の電話の通り、ホークスの発言によってホークスに彼女が出来たという話題は瞬く間に世間へと広まった。しかしながら、その次の日に記事になった国民的アイドルの結婚報道により世の中の興味は一気にそちらへと向かった。
 一般人である私がホークスの彼女だと気付く人は勿論いなくて、偽物とはいえ、彼氏のフリをしてくれるホークスと付き合って一週間経った今現在の私の生活に特別変化はない。

 朝と晩のメッセージのやり取りにときめきはない。
 電話もあの日以降していないし、元々福岡で生活しているホークスと付き合っている意識というのも湧きにくい。けど、関りがなかった頃には存在しなかったホークスへの感情があるのも事実だった。

   〇

 エンデヴァー事務所のホームページには公式SNSのリンクが貼ってあって、そのSNSには広報の手伝いとして私も時々登場することがある。
 広報を担当する同期が士傑からの友人だという理由でよく駆り出されていて、公式グッズの宣伝のために体の一部分をモデルとして撮られることが殆どだった。けど、今回は「エンデヴァー事務所の一日」という企画で事務職員の一日をSNSにアップしたいからと、友人から正式にオファーがあった。数ヶ月前に新人サイドキックの一日をSNSにアップしたところ評価を得て、また見たいという声が多く寄せられたのだとか。

「あの企画の後に『将来職員とした働いてみたいのですが、どんな感じなのか気になります』って小中学生の声が多くてさ。高校生にならないとインターンとか出来ないでしょ。だからこの業界を知ってもらうために、ね?」

 そう言われたら、断る選択肢なんて自分から消し去るに決まっている。

 最近、エンデヴァー事務所を身近に感じてもらうためにうちの広報は頑張っているらしい。
 元々ヒーローとして事務所に所属していたため写真を撮られることには慣れているし、ヒーローを引退した今でも地域の人たちは私のことをヒーロー名で呼んでくれる。SNSに出しても問題ない事務職員として私の名が挙がったのも頷けるし、事務所のイメージアップに自分が貢献出来るのならばやるしかあるまい。


 そんな気持ちで同期の願いに了承すれば、あっという間に撮影日となってしまった。
 朝からバンバン撮影するからねと聞いていたけれど、出社して早々、まさか玄関ロビーで写真を撮られるとは思ってもいなかった。
 リアル感を出すの、と楽しそうにカメラを向ける同期に「そっちが本当にそれでいいならいいけど」と言いながら髪を軽く整える。今日は風が強かったのだけれど、大丈夫だろうか。

「載せる写真は、前もって見せてほしいなぁ」
「了解〜皆にとって良い企画にしたいから要望はどんどん言ってね」

 にこりと笑った同期に安心しながら二人で事務室へと向かう。
 シフト制で夜勤もあるヒーローが働くこの事務所では、ロビーの明かりが消えることはない。常に誰かしら働き、街を守るために生きている。今も、パトロール帰りだったり、これからパトロールへ向かうヒーローが職員と挨拶を交わしている。
 数年前まで、自分もあちら側の人間だった――最近はあまり考えることも少なくなっていたけれど、ヒーローというものに対して心の残りがないわけではない。怪我をしての引退は、どうしようもないからこそ、本当に時々、虚しいような気持ちになるのだ。
 多くのヒーローと挨拶を交わしながら事務室に到着すれば「ねぇ」と同期が囁くような声を出した。

「……ヒーロー事務所に興味がある人に向けた企画ってのは勿論そうなんだけど、私個人としてはね、名前が今も元気にエンデヴァー事務所で働いてますよって、少しでも多くの人に伝えられたらなって気持ちもあるんだよ」

 高校からの友人ではあれど、事務所で話す時は名字さんと呼ぶ同期がこっそりと、秘密を教える子どものような楽しそうな顔をさせて言った。

「名前は今でも私の大好きなヒーローのうちの一人だもん。今も街を守るヒーローの一人ですって、紹介させてよね」

 そんな同期の言葉に驚きつつも嬉しくて胸が締め付けられる。
 朝からそんなことを言われるとは思ってもいなくて、どもりながらもお礼を言えば「嬉しい? ふふふ」と笑われてしまった。

 そんなこんなで、その日は楽しくも照れくさい時間を過ごした。
 良いタイミングで撮影しにやってくる同期とのちょっとした雑談は気分転換にもなったし、高校時代を知る間柄ということもあってインタビューは恥ずかしくもありのままの今の自分を出せたような気がする。
 退勤する前に聞いた同期からの話では、数時間おきに更新される事務所のSNSは前回に引き続き好評だったようだ。私の現役の頃を知る人たちの反応もあったようで、私に宛てたメッセージを印刷した紙を何枚も渡されたことに驚いた。

「名前はさ、今でも皆のヒーローなんだよ」

 殆どが、いつか私が助けた人たちからのメッセージだった。

   〇

 帰宅後、お風呂から出たタイミングでいつかのように電話が掛かってきた。
 何だろうと画面を確かめればホークスで、なんでメッセージじゃないんだろうと思いながらもスマホの画面をタップする。
 前回は耳元でした声に驚いてしまったので、念のために通話設定をスピーカーにするも「もしもし」と聞こえた声で少しばかり心臓が騒がしくなる。もしかして、私はホークスの声が好きなんだろうか。

「も、しもし」
『今って、時間大丈夫?』
「うん」

 平気、と続ければ良かったーと安心したような声が返ってくる。

「どうしたの、突然」
『いやぁ、エンデヴァー事務所のSNS見たから』

 へらりとした調子の声で言われ、どういうことか問う前に『事務所で話題になってさー。今年入ったうちのサイドキック、前に名前ちゃんに助けてもらったことあるんだって。すごく興奮した感じで言いに来た』とホークスは笑いながら言った。その言葉に驚いて「えぇ!?」と間抜けな声を出してしまう。

『名前ちゃん、新人の時にこっちに研修来てたでしょ? その時に助けてもらったんだって』
「は、はぁ……」

 驚きすぎて上手い返事が思い浮かばない。整理するように彼の言葉を頭の中で繰り返すと、目頭が熱くなる。
 過去に助けた人が今ホークスの事務所でヒーローをやっていて、引退した私のことを今でも覚えていたなんて、ヒーローをしていた頃は考えたこともなかった。

 スマホを置いていた小さな机には退勤前に同期から貰った紙が置いてあって、夕ご飯を食べながら読んだメッセージを思い出してどんどん視界がぼやけていく。
 いくつもの優しい言葉と励ましが、ホークスの思いがけない言葉が、ヒーローを辞めた自分を慰めてくれるようだった。

「嬉しい」

 私の個性は派手なものでなく、地味なものである。
 現役当時も一般の人と比べたら少しだけ動ける程度の身体能力で、ヴィランと対峙すれば基本的にやられてしまうほど。ヴィランが登場した時の私の仕事は救助、避難誘導等でヴィランと戦うヒーローが周りを気にせず存分に戦う環境を作っていた。
 あの頃は認知度の低さを課題に挙げられていたからこそ、今すごく驚いている。

「ホークス、教えてくれてありがとう」

 今日一日だけで、私はこんなにも幸せな気持ちになった。明日からもきっと頑張れる。頬に流れる涙を拭いながら言えば、ホークスは少しの間の後『いいえ』と一言だけ呟いた。


『――そういえば、デスク周りの写真にヒーローグッズあったけど、何で俺のグッズはないの?』
「えっ?」
『エンデヴァーさんだけじゃなくて、他のヒーローのグッズも並べてあったけど……』

 その言葉の意味を考えて、戸惑ってしまう。
 どうしてそんなことを言うのか、そんなの、まるで――

「置いてほしいの?」
『……』
「なんて、そんな訳――」
『うん。まぁ……他の人がいて、俺のがないのはなんだか、ちょっと……』

 嫌だなーって。
 そうぼそりと呟いたホークスの声がちょっと拗ねたような具合で、思わずきゅんと胸が締め付けられる。

「ホークスって、思ってたよりも可愛いんだね」
『はぁ!?』

 何それ、とさっきよりもはっきりと感情を表すホークスにごめんごめんと謝りつつ「あのグッズ、全部貰い物なの。隣のデスクの子がヒーローグッズの収集にはまってて……ダブって出たやつだからって」と言えば、ふーんと納得いかないような返事が返ってくる。

「本当だよ」
『……わかってるよ』
「今度、ホークスのグッズ見つけたら買って、飾る」
『別に、買わなくていいよ』

 ふうと息を吐く音と『かっこ悪いなぁ』と後悔するような声が聞こえる。「別に、そうは思わないけど」と口にすれば『いやいや、今のはないでしょ』とホークスは続けた。

『あー、ほんと恥ずかしいな、これ。……えーっと、その、名前ちゃんさ、ここからが本当に聞きたかった話なんだけど……明日の夜予定入ってる?』
「明日……は、別に何もないよ」
『良かった。仕事でそっちに行く予定があるから、夜ご飯一緒に食べようよ。お店、個室で予約しとくから』

 勿論、俺のおごり。そう付け加えるホークスの言葉に勢いのまま「はぁ、わかった」と返してしまった。

20201218

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