完結
 二十歳を過ぎればもう立派な大人――だなんて思っていた時期が私にもありました。
 昨日二十歳の誕生日を迎えたわけではなくて、むしろそれはもう年単位で前の話で、なのに私はまだ子どもなのかなぁと思ってしまう時がある。大抵の場合、それは家族と一緒に過ごしたり会話をする時だった。
 現在一人暮らしのため、心配性の親から定期的に連絡だったり荷物が届く。そこにはちゃんと食べてるのか、風邪はひいていないか、元気にしているのかと心配する文章が決まり事のように書かれていた。

 娘のことを心配する親の気持ちがわからないわけではない。けれども文章で読めば特に気にならないことが、電話で同じことを繰り返し話されると途端にうるさいなぁと思ってしまう。申し訳ないとは思っているけれど、宿題をやろうとしている時に限って「宿題はやったの」と小言を言われた小学生の時のような気持ちになるのだ。

『ねえ、良い人いないの?』

 最近の母の一番の心配は、それである。
 高校の友人にはそんな気配は少しもないけれど、今年に入って地元の友人の結婚が続いているのを知った母は恋人を紹介する気配のない娘が心配で仕方がないようなのだ。
 今年は何度この言葉を聞いてため息を吐いただろう。電話口で気付かれないように今回も小さく息を吐く。
 そもそも、中学から受験勉強に励み、異性交遊禁止の士傑に入学してプロヒーローになった私に交際経験などなかった。好きになった人は何人かいたが、付き合ったことがない。デートなんてしたことないし、キスなんて勿論のこと。親がそれを知っているのかどうかは知らないけれど、縁がないのだから仕方がないと言えば子どもの頃に戻ったように怒られてしまった。


「彼氏のふりしてくれる人いないかな……」

 家族に紹介でもしたら、少しは母親の心配も落ち着くんじゃないだろうか。
 昨晩の親からの電話を思い返して無意識にそんなことを呟いてしまった。事務所のロビーにある自動販売機でお茶を買いながら、なんてことを言っているんだと一人恥ずかしくなっていると、突然背後から「じゃあ、俺が相手になりましょうか?」と、声を掛けられる。
 独り言を聞かれているなんて思ってもなく、驚いて振り返るとホークスが立っていた。見間違えるはずのない人が、テレビでよく見かけるへらりとした笑みを浮かべて立っている。

「何でホークスがここに!?」

 そんなに驚かなくても、というように肩をすくめてわざとらしくポーズを取るホークスはひとまず放っておいて、エンデヴァーさんの今日の予定を頭の中で確認してみるもホークスとの予定はない。今日だけでなく、今後一週間そんな予定はなかった。突然予定が入ったのかなと一瞬考えるも、エンデヴァーさんは朝から出張に出ている。

「いや、本当になんでホークスが……?」
「ヒーロー公安委員会に冬のインターンの話をしに、ね。エンデヴァーさんにもちょーっと聞きたいことがあったんだけど、出張だって受付のお姉さんに聞いたから帰ろうかなーって」
「はあ……」
「で、どう?」

 いい考えでしょ、と目を細めるホークスの言葉を振り返る。「じゃあ、俺が相手になりましょうか?」と言われたけれど、相手って……

「えっ? 相手!?」
「そう。恋人の」
「恋人!?」

 意味がわからなくて返す声がどんどん大きくなっていくことに気付きながらも動揺は隠せない。
 どうして、何故。何が目的で……!? そう思っていると、ホークスはなんでもない顔をして「いやぁ、近所のおばちゃんからのお見合い写真が後を絶たなくてさぁ」と困った顔を作る。

「あなたも、似たようなものなんでしょ? 恋人役が欲しいんでしょ? ならいい案だと思うんだけど、お互いに」
「ホークスと付き合ってるって言っても冗談だと思われると思うのですが」
「そうでもないと思うけど」

 そうは言っても、ホークスは老若男女知られているヒーローである。
 あと数週間もすれば発表されるヒーロービルボードチャートJPでも、順位を落とすことはないだろう。オールマイトが引退した今、No.1はエンデヴァーさんでNo.2は彼だと殆どの人が確信しているようだし、私もそう思っているうちの一人である。
 そんなホークスが彼氏だなんて、冗談にもほどがある。例え私がヒーロー事務所で働いているといえども、今までそんな素振りのなかった女が急にホークスと恋人になったと言っても親が信じるわけがない。

「周りを信じさせる方法ならいろいろあるでしょ。例えばほら、マスコミを上手く使ったり……」
「うわー」

 平気でそんなことを言うホークスに思わず顔をしかめる。
 何でそこまで乗る気なんだろうと思わなくもないけれど、街の見回りをする度にいろいろ言われるのかもしれないとふと考える。随分と前、テレビでホークスが街をパトロールする映像を見たことがあるからだ。彼は街の人々に愛され、可愛がられて尊敬されていた。エンデヴァーさんが街の人たちと接する時とは全く違ったそれを見て親密さが窺えたし、何よりこんなヒーローがいるんだと知って驚いた。けど、その親密さ故に彼は可愛がってくれる人たちにはっきり断ることが出来ないんじゃないか、なんて思ってしまったのだ。
 そういうこともあり得るかもと勝手に想像して、勝手に可哀想だなんて思ってしまった。
 ホークスは「そんな顔しなくてもいいでしょ」と眉を下げて「じゃあ、本音を言うんで聞いてくれます?」と肩をすくめる。それがさっきとは打って変わって真面目な顔だったので、頷いて人通りの少ない場所へとホークスを案内することにした。

「実はちょっと調べたいことがあって、年末くらいまで頻繁にこっちに来ることになりそうなんですよ。で、俺はその情報を逃したくない訳。恋人がこっちにいるって知れ渡ったら、変に思う人は減るでしょ」

 まあ、おばちゃんたちのお見合い写真も本当に断りづらくなっているのもあるんだけど、と遠い目をしながら言うホークスになるほどと頷く。
 私以外にも適任がいるでしょうと思うものの、それを言えばホークスは「でも、困ってるんでしょ?」と言いそうだなと察する。私があの時「彼氏のふり」をしてくれる人を望まなければこんなことにならなかったんだろうかと考えながらも、互いにとって良いことであるならばホークスの提案に乗るのもいいのかなと諦めの気持ちが出てきた。

「クリスマスまで恋人のフリをしましょうよ。クリスマスが終わったらあっさり別れちゃうカップルって世間ではごまんと聞くしおかしくはないでしょ。期限を決めておけば、あなたも気持ちが楽になるだろうし」

 ホークスは笑って言った。十一月中旬である今日からクリスマスまで、約一ヶ月の恋人ごっこをしようという話に小さく頷けば、ホークスも頷く。

「嫌なことはしない。あなたの気持ちを一番に尊重する……危険が及ぶことのないよう注意もする」

 必要な時に連絡をして、必要な時に互いを頼って、クリスマスにバイバイしようと言ってホークスは困ったような顔をしながらも笑みを浮かべた。
 人気のない場所でこうして話すこと自体不思議なことなのに、フリだとしてもホークスが恋人になる日がくるなんて今まで考えたこともなかった。
 具体的な話をするホークスに何度も頷いて「それでいいです」と言えば、最後にホークスは「断られると思ってたんだけどなー」と、ぼそりと呟いた。

   〇

『ホークスと付き合ってるってどういうこと!?』

 運が良いのか悪いのか、帰宅してお風呂に入っている間に家族から連絡が届いていたのでホークスと付き合うことになったと簡潔にメッセージを送ればすぐに電話が掛かってきた。
 興奮と困惑でいっぱいの母親の声に「私もよくわからない」と本音を返せば『それ、ホークスのフリをしたヴィランとかなんじゃないの』と言われてしまう。まあ、そう考えるのも納得ではある。

「偶然事務所に来て、ちょっと話しているうちに話が盛り上がって……まあ、そういう感じに」

 事実と嘘を混ぜながらホークスと打ち合わせした通りそれとなく説明すれば母親は黙る。そりゃそうだろう。No.3のヒーローと会って話したら付き合うだなんて、普通じゃありえない。
 いくつもの質問に答えていけば、母親も漸く納得したように『名前が良いと思った相手なら良いことだね。おめでとう』と言ってくれた。その言葉を聞いて漸く緊張が解けたように大きく息を吐くことが出来た。ずっと肩に力が入っていて心臓がバクバクしていたのだ。
 親に嘘を吐くのが良いこととは言えないのはわかってはいるけれど、これで少しでも安心してもらえたらいい。一時であったとしても、これがお互いにとっていいことであればいい。そう思いながら別れの言葉を言って電話を切る。こんなに緊張して電話をしたのはいつぶりだろう。

 髪を乾かさないうちに長電話をしてしまったので早く乾かそうと立ち上がるもすぐにまた着信画面が表示される。母から話を聞いた親戚とかだろうか、なんて思いつつあまり気にせず電話に出れば「あ、出た」と男の人の声。

「ぎゃっ」
『えっ!?』

 聞き慣れない声に驚いて思わず耳元から画面を離す。誰、と画面を見ればホークスと名が表示されていた。

「あー……ホークスか」
『嘘、信じられん』

 彼氏なんですけど、とホークスは不機嫌そうな声を出した。私が声で認識出来なかったことにホークスはショックを受けたらしい。
 謝ってから「画面ちゃんと確認しなくて、突然だったから……でも、ホークスだって声だけじゃ私を認識できないでしょ」と軽い調子で言えば『出来るよ』と即答されてしまった。

『出来るよ、彼女の声忘れるわけないでしょ』

 そう、鼻で笑われる。
 顔も、声も、忘れないよ。そう言ったホークスがどんな顔をしているのか、私にはわからない。なんでそんなことをホークスが言うのかわからなくて、勘違いしそうになる優しい声に心臓は忙しく動く。
 どうしようと、困ってしまう。聞き慣れない甘さのある声に顔に熱が集まっていく。ホークスは「彼女」とか関係なく、職業柄人の顔や声を覚えるのが得意なんだろうと思うことにして、動揺が伝わらないよう小さく息を吐いた。

 テレビで見るホークスは、はっきり言ってよくわからないヒーローだった。すごいことは伝わってくるけれど、彼の本質がなかなか見えないのだ。真面目に世の中を救おうとしているようで、けれどもへらへら笑った顔をよく見た。冗談を言ったりちょっと煽るような態度を取ったり、生意気だと言われているのを見たこともある。
 だから、彼の言葉がわからない。彼の言葉が本心なのかどうかわからないと思うのに、耐性がない心は無駄に反応してしまう。

「そ、それにしても何の御用で」
『言い忘れたことがあったのを思い出して』
「言い忘れたこと?」
『そう。明日、そういう流れになったら、言うよ。付き合ってる子がいるって』

 耳元でそんな言葉を聞いて、思わず息を飲む。心臓が耳元で鳴っているようにうるさくて、慣れない言葉に動揺して思わず体育座りをした。誰にも見られていないのに隠れるように体を縮こませる。

『一般人だから詳しくは言えないけれどって言うつもりだけど、それでいい?』
「はい」

 顔を埋め、籠ったような私の声を聞いただろうホークスは、小さく「わかった」と言って少しの間黙る。

『……あんま連絡せん方がいい?』
「えっ?」
『恋人のフリって言ってもさ、俺は名前ちゃんと信頼し合える関係を築けたらいいなって思ってるけど、嫌なら最低限の連絡しかしないから先に教えてほしい』

 呼ばれ慣れていない「名前ちゃん」という言葉にむず痒い気持ちになりながらも、ホークスの言葉に私は「嫌、とかじゃなくて……」と即答する。
 ホークスは、小さくうんと呟いた。

「慣れてないからどうすればいいのかわからないだけで、嫌じゃないよ」

 そう返せば、ホークスはふうんと言うだけだった。
 いろいろあって恋人を作る機会に恵まれなかっただけで、憧れがなかったわけではない。恋愛ドラマを見てきゅんと胸をときめかせたり制服デートをしているカップルを見ていいなぁと思ったことも何度かある。

『嫌じゃなかったら、いいけど』

 少しだけ拗ねたような、けれどもホッとしたようでもあるホークスの声を聞いていると、不思議な気持ちになった。


 連絡先を交換する時に、ホークスに名前を聞かれた。
 呼び慣れるようにするためなのか、彼は何度も私の名を口にして「名前ちゃん、がいいな」と笑った。彼の本名を知る機会はなかったけれど、本当の彼女でもないのだから当たり前だし、ホークスにとってはある意味仕事なのだからこれからも彼のことは「ホークス」と呼べばいいと思っている。
 同じ年だし恋人ってことなんだから敬語じゃなくてもいいよなんて言われて、恋人との距離の縮め方を知らない私は、実際もこんな感じなのかなぁとよくわからないまま頷いた。

 ホークスのことが、よくわからない。何が本音で何が冗談なのか、今の私にはよくわからない。
 エンデヴァーさんのようにわかりやすかったらいいのに、と正直思ってしまう。
 クリスマスにお別れする頃には、少しはホークスのことがわかるようになるのだろうか。一ヶ月先に別れを告げてくるホークスを思い浮かべてみるも、表情だけはどうやっても想像出来なかった。

20201117

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