完結
 忘れたい記憶があれば、忘れたくない思い出もある。
 プロヒーローになって一ヶ月とちょっと経ったその日のことは、出来ることなら一生忘れることなく鮮明な思い出となって残っていてくれと俺はいつも願っていた。


 隣町のビルで立てこもり事件が起きているという連絡を受けて早速現場へと向かえば、運よく近くをパトロールしていたらしいヒーローたちが既に立てこもり犯を捉えるべくビルへと突入した後だったらしい。
 大通りに面したそのビルの前では野次馬がスマホを熱心にビルに向けていて、俺に気付いて現場状況を説明してくれる。有り難い世の中のようで、そうでないような。危ないからもう少し離れてと周りに聞こえるよう言いながら状況を確認していると、突然聞こえたのが「こちらです!」という凛とした声。

「もう安心してください」

 脇道の、非常口から出てきたらしい一人の女の子が手を挙げ、後に続く人を導く姿を見つける。

「救急車がすぐ来ます。具合が悪い方や怪我をされた方はまずそちらへ、他の方は警察の方が到着次第そちらでお話を。気持ちが落ち着かなくて少し不安な方は、この後到着するうちの事務所のヒーローが対応しますので少々お待ちください」

 よく通る声がそう言った。人を落ち着かせるような、しかし現場の緊張感を含んだその声の主は自分とそれほど年が変わらなそうな女性ヒーローのようだった。見知らぬヒーローの迅速な対応に関心していると野次馬は安心したように盛り上がって既に事件解決のムード。今回は遅かったかな、と思いながら名も知らぬヒーローへと視線を向ける。

 彼女が姿を見せた時、いつか見た世界史の教科書に載った絵画を思い出した。
 タイトルも画家の名前も覚えてはいないが、民衆を導く女性の絵が描かれた絵だったそれが先ほどの場面とリンクしたように思えたのだ。美術に明るいとはいえないのでそれが良いことなのかわからないが、とにもかくにも、彼女の姿は強烈に印象に残った。

 多分、あの時からずっと彼女は気になる存在だった。


   〇


 昔から、かっこいいものが好きだった。
 可愛いものが嫌いという訳ではなくて、かっこいいものに惹かれるのだ。かっこいいものに憧れるから、自然とヒーローになりたいと思った。

 雷に打たれたかのようにかっこいいと思ったものが今までにいくつかあって、そのうちの一つが士傑高校の冬服だった。
 男子も女子も黒くてかっこいい。何より制帽の着用が義務付けられているのが伝統校っぽくていい。そんなことを思ったのは十歳の時のこと。
 親戚のお兄ちゃんが士傑に入学し、お正月に写真をいくつか見せてもらったのがきっかけだった。一目見た瞬間かっこいいと思った。遠くにある学校だという認識はあったけれど、士傑以外の選択はその時の私にはもうなくなっていたのだ。
 そんなこんなで中学の三年間を捧げることでなんとか士傑に見事合格。憧れだった学帽を被り入学式に出席し、多くの体験を経て卒業、プロとなった。

 昔から、かっこいいものが好きだった。
 他の人に言えば驚かれるけど、私にとってかっこいいと思うヒーローはエンデヴァーさんで、士傑を卒業後はサイドキックとしてエンデヴァー事務所で働くことが出来た。
 プロとなって二年、とにかく働き続けた。憧れの職業である。文句なんてなかった。実力がありながらも大衆受けはあまりよくないエンデヴァーさんだが、ヒーローとしては一番に憧れていたし、彼の大きな背中を見るのが好きだった。彼の下で働くことは私にとって喜びで、ずっとサイドキックとして働きたいと思っていた――そう、思っていたのだ。

 残念ながら、私は多くの人を助ける前にプロを引退した。ヴィランに連れ去られた子どもを捜索中にヴィランに遭遇、足に攻撃を受けたのがきっかけだった。退院後の日常生活は何の問題もないものだったが、その怪我がきっかけで上手く走ることが出来なくなっていたのだ。
 リハビリに励むも、サポートアイテムを使うも、ダメだった。長く走ることが出来なくなった体でどうやって困っている人を助けられるだろうか。悔しかった。泣いてしまった日もあった。けれども泣いて足が良くなるわけでもない。私はエンデヴァーさんに引退することを伝えた。

「そうか」

 その日のことを、私は忘れもしない。
 エンデヴァーさんは私の足を一瞬見て、頷いた。なんの感情もない声に少しだけ胸が苦しくなるも、すぐに「ヒーローを見るのはもう嫌か」と聞かれ、首を振った。いいえ、そんなことはと言えばエンデヴァーさんは言った。

「じゃあ、事務員として働かないか」

 給料は下がる。仕事内容も変わる。けれどもリハビリ期間のうちに電話を受けたり書類仕事を手伝っていたから自分が出来ない仕事ではないと知っていた。
 ヒーローになるための勉強しかしてこなかった私にとって、その言葉は有り難い誘いでしかなかった。きっとエンデヴァーさんもそれを見越しての言葉だったのだろう。

「ぜひ、宜しくお願いいたします」

 頭を下げる。まだここにいられる。そう思うと嬉しくて仕方がなかった。
 ヒーローが好きだった。この街が好きだった。だから、まだヒーローと関わる仕事が出来ることが何よりも嬉しかった。


   〇


 気になっていた女性ヒーローがエンデヴァーさんのサイドキックだということを、地元新聞の夕刊で知った。
 エンデヴァー事務所の新入社員が研修で福岡まで来ていて、その面々の活躍が一面に掲載されていたのだ。現場で活躍した新人ヒーローの写真の下にはご丁寧にヒーロー名が書かれていて、そこで彼女の名を知った。年が同じで士傑の卒業生だということも記事に書かれていた。

 あの日から二年が過ぎたその日、偶然目にしたニュースで彼女が仕事中に怪我をしたと知る。
 ほどなくして、ヒーローを引退したことを知った。

20201117

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