胸に残る一番星 | ナノ

  そのスパイスは


「来ちゃった」
 
 風邪、というほどでもないが昨夜からどうにも気だるい。熱はなく、ただ鼻水や軽い咳が出る程度。幸いにも今日は仕事が夜からなので、それまでに寝とけば治るか、とカミュは布団に潜り込んだ。

 妹は昨日から友達の家に泊まりがけで遊んでいる。夜には帰るから、というメールにあまり遅くならないようにということと、体調を崩してしまったからお前も気をつけろよ、と返信してから、携帯を枕元に置く。置いてからふと思い立ってまた開き、……そっと閉じた。思い浮かんだ相手も、恐らく今日は日曜で休みなのだろうが、こんな状態で会ったところで楽しくはないだろうし、うっかり移してしまったらどうするんだ。

 理性はそう言っているのに、一度会いてえな、と思えばどんどん気持ちが膨らんでいく。体が弱っているせいか、最近顔も見られていないせいか。寂しいなどと口にすれば、優しい彼はワンコロよろしくすっ飛んできそうなので、だからこそ口が裂けても言えないのだ。


 うとうと微睡んでいたら、ふと玄関のドアをたたく音が聞こえる。インターホンなどという上等なものがないボロアパートだ。何かしらの配達か、隣人か。体を引きずりながら古臭いドアを開ければ、そこには先ほど思い浮かんだ人物が立っていた。

「イレブン……?」
「カミュ、こんにちは」

 手袋をはめた手をひらひらさせながら来ちゃった、などとかわいく言われ、カミュはドアノブに手をかけたままぽかんとしてしまった。

「マヤちゃんから風邪引いたって聞いたんだけど、大丈夫?」
「……マヤから聞いたのか?」
「うん、今朝ラインがあって……迷惑かなって思ったけど、……やっぱり気になって」

 マヤのやつ、メールでは特にこちらを心配する素振りも見せなかったというのに。友達と遊んでるときは極力連絡してくるななどと自分では言っていたくせに、イレブンにはそんな。にししと妹の笑い声が聞こえた気がした。

「えっと、カミュ。それで、大丈夫? 病院連れて行こうか?」
「……いや、ちっとだるいだけだ。たいしたもんじゃねえよ」

 強がりではなく本当にただの鼻風邪なのだが、そこでうっかりくしゃみしたせいでイレブンが慌てながら詰め寄ってくる。

「ごめんね外寒いのに! ほら、中戻ろう」
「お、おう……」

 優しく背中を押された。ついでにさり気なく一緒に入ってきたイレブンに、珍しく強引だな、と思っていたら布団まで戻らされた。重症ではないと言った手前、移ったらどうするんだとは言いづらいし、わざわざこうしてやってきてくれたことが嬉しいなあとも思ってしまっているのでやっぱり弱っているのかもしれない。

「横になっててもいいよ」
「そんなひどくないって。それよりお前、その荷物どうしたんだ?」

 彼が二つ持っているビニール袋が先ほどから気になってはいた。イレブンはにっと笑ってそれらをテーブルに置き、中身を取り出して見せる。

「お見舞い品にいろいろ買ってきたよ」
「マジか……気ぃ遣わせちまったな」
「んーん、僕が勝手にしたかっただけだから」
「悪いな……っておい、これ高いティッシュじゃないか……?」

 相変わらずに優しさにじんとしていたら、はいと渡されたものに驚く。カミュが普段使っている、スーパーの安売り商品とは明らかに違う。使ってみてよと言われ、何となく恐る恐る開けてみる。

「やわらけえ」
「でしょ! 母さんがおススメしてたんだ。これならお鼻に優しいよ!」
「……へへ、ありがとな……」

 かみすぎてそろそろ痛くなってきたのを知っていたのだろうか。他にもやはりお高めのマスクだとか冷却シートだとか清涼飲料水だとかりんごヨーグルトだとか入っていた。本当に年下とは思えないぐらいよく気遣いができる男だ。

「ねえカミュ、お昼まだだよね? 食欲はある?」
「え、ああ、まあ」
「のどは痛くない?」
「おう……」

 何だその医者みたいな質問は。カミュが有り難くもらったものを物色している間に気づけばイレブンは髪を結んでいて、もう一つのビニール袋を持ってキッチン(というほど立派なものでもない)へと向かった。まさかそれに入ってるのって。

「じゃあカレー作るね!」
「……いやいや、なんでだよ」

 もう一つの袋に入っていたのは、色がすけていたから察してはいたがニンジンやじゃがいもといった野菜だった。それを取り出してイレブンが洗い始めている。自分も妹のマヤも滅多と風邪など引かないが、少なくともこういったときの定番はカレーなどではないような気がするし、イレブンの好物はシチューの方だろうに。

「カミュ、カレー嫌いだっけ? それともマヤちゃんが?」
「オレもマヤも嫌いじゃねえけどよ……ただ、突然だな」

 この家の包丁や皮むきやフライパンなどの場所を知り尽くしているイレブンは、手際良く道具を取り出して作業を進めていく。手伝おうと立ち上がれば君は座っててよ、と言われてしまった。料理があまり得意でないマヤを見守るよりは全然安心だけれど、しかし見ているだけというのもどうにも落ち着かない。柔らかなティッシュで鼻をかみながら、楽しそうな背中を見つめる。

「急に目覚めたのか? カレーに」
「目覚めたっていうか……最近カレー作るゲームしてるから、その影響かな」
「どんなゲームだよ……」
「キャンプで仲間たちとカレー作って食べるんだよ〜。色んな種類あるんだけど全部美味しそうで、見てるといつもお腹空いちゃう」
「それで、今日がいい機会だったってことか」

 しかしそれだけなら別に自分の家で好きなときに作ればよかったのではないか。カレーなんて材料さえあればどこでだって出来るものだろう。と、そのまま疑問を投げかければ、野菜を切る音が止まった。どうやら切り終えたようだ。今度は炒める作業に入る。

「実はこの前作りました」
「作ったのかよ」
「うん。久々に食べたけど、美味しかった。残ったのをお弁当にして学校持っていって、ベロニカとセーニャにどう? って勧めたんだけど、ベロニカには断られちゃった」
「自由だな……」

 イレブンの友人であり、カミュとも顔見知りである彼女たちの反応がありありと目に浮かぶ。その言い方だと、ベロニカは呆れたろうがセーニャの方は喜んでもらったんだろうな。

「それで、今度はカミュと一緒に食べたいなって思ってたんだ」
「……オレと?」
「うん。風邪って聞いたときはびっくりしたけど、ちょうどいいやって」
「何がちょうどいいんだ……?」
「カミュ知らないの? カレーには回復効果があるんだよ」

 だからカミュのHPが全快するようなやつ作るから、待っててね!

 元気いっぱいに言われてしまった。それはゲームの話じゃないか、と突っ込むのはもう止めておいた。いつの間にか全身の気だるさはなくなっていて、ぽかぽかとあたたかい。回復効果があるというのも、あながち嘘ではないのかもしれない。……カレー自体にではなく。

 しかしもらってばかりはやはりカミュの性に合わなくて、むずむずもする。今はどうしようもない、ので、口からは自然といつかの話が出てきた。

「風邪が治ったらさ」
「うん?」
「リアルにキャンプでも行くか?」
「えっ行く!!」

 イレブンはおたまを握りしめながら、ぐるっと勢いよく振り向いてきて、予想以上の食いつきにこちらがびびってしまった。けれどカミュに向ける視線はきらきらとまるで子どものようで、思わず笑う。

「ははっ、即答だな」
「だって僕、そこまでは考えてなかったもん……そんなの行くに決まってるよ!」
「じゃあ計画立てるか」
「うん!」

 キャンプなんて一度も行ったことなどないのに、イレブンとふたり火を囲む、そんな思い浮かべてみた光景はどこか懐かしさがあって。おかしなものだな、とまた笑った。



200116

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