ひたすらに続く沈黙。それは、イヴァンにとっては気まずいものであったが、恐らくノエルにとってはそうではないのだろう。
沈黙を作っている原因は、彼に他ならないのだから。
どこか遠くを見ているかのようなノエルは、イヴァンがいくら話しかけようとも空返事しか返さなくなってしまった。緩やかな地面とはいえ、そのうち何かに躓くのではないかとはらはらしながら様子を見ているイヴァンだが、器用なことに小石などは避けている。
ノエルも旅をしていたのだから、その感覚が体に染み付いているのかもしれない。
かといって転ばないという確証は無く、いざという時に支えられるように見守ってはいるのだが。
「……なぁ」
無言だったノエルが、唐突に口を開く。真っ黒な瞳が、ようやくイヴァンを映している事にどこか安堵を覚えた。
目を離してしまえば、どこかに消えてしまうような、そんな気がしたのだ。
「あの商人──ラノフの事だけど」
「ん?」
「その……やっぱ、いいや」
曖昧な言葉を残したまま、ノエルは再び口を閉ざした。一時だけイヴァンを映していた黒は、再び虚空へ戻っていく。
そういえば、ノエルの様子がおかしくなったのはラノフに出会ってからだったと、イヴァンは思案する。いつの間にやらいたラノフは、どうもノエルを知っているように見えた。しかし、かといってノエルの方がラノフを知っていたかといえば、そうは見えない。
一方的に知られていたから、ここまで思い悩んでいるのか。イヴァンが出した結論は否だ。
ノエルは勇者であったはずだし、一方的に知られているからといっていちいち気にしていてはきりが無いはずなのだから。
だから、それとは別の何か。それが確実にあるはずなのだが、よくよく考えればイヴァンはノエルの事を殆どと言っていいほど知らない。勇者であったはずなのに妙に魔法が好きで体力が無く、そう、初対面の時にも思ったが、“らしくない”のだ。
他に挙げるとすれば、憶測ではあるが食べることが好き、ということだ。旅の間イヴァンが作る料理を、それはもう美味しそうに、そして体力の無さからは考えられないくらいの量も食べる。
それくらい、であろうか。イヴァンが知っている事というのは。
イヴァンにはファルセと、他少数しか知り合いというものは居らず、更に家族というべき父親や兄弟達は魔王として歴代の勇者達に倒され、既にこの世にはいない。
では、ノエルの家族は?知り合いは?
旅に出た時から、イヴァンはそれが気がかりだった。
ふと、思ったのだ。何故、全力でなければ自分でさえ入ることが難しいあの寂しい小屋に一人で住んでいたのか。
まるで、他者との関わりを拒むように。
「ノエル……」
名前を呼ぶも、上の空なノエルは気が付かない。遠くを映し、イヴァンのことは蚊帳の外だ。それを、どうしてだか悲しく思った。ノエルの事を、殆ど知らないという事実にも。
話がしたい。もっと知りたい。同時に、知ってほしい。
しかし、あの様子では今は不可能だ。
だから、落ち着いた時にちゃんと話をしよう。丁度、これからイヴァンの少ない知り合いの内の一人と会いに行くのだ。昔話をするのにはちょうどいい。
決意を胸に、イヴァンは少しだけノエルとの距離を縮めた。
憂う風が、二人の間を通り抜けていった。