葉の隙間から点々と漏れる光に、ノエルは目を細めた。風が吹くたびにそよぐ風は、木々を流れるように揺らしていく。木で覆われたこの付近では、動く木が擦れ合い、ざわざわと生き物のように音を鳴らしていた。
薄暗いものの、不気味ではなく、どこか穏やかな空気に満たされている。何も無い小屋で過ごしていたノエルは、自然の中にいるその感覚が懐かしかった。
疲れるばかりだと思っていた歩き旅も、こうしてみると少しだけ悪くはないと思えるものだ。
「ノエルノエル!」
「……んだよ」
一人感慨に耽っていたというのに、ぐいぐいと力強く袖を引かれたため不機嫌交じりにイヴァンの方へと顔を向けた。
イヴァンは、相変わらずの無邪気な顔をしたまま、ノエルの眼前に何かを突き出してきた。急に目の前に来たその何かに驚き、何度か瞬きをするうちに、その正体が浮かび上がり始める。
「ぎゃああああああああ!近づけんな馬鹿!!」
「え?」
急に大声を上げたノエルに驚いたのか、イヴァンはびくりと肩を揺らし、手に持っていた何か──小さな虫だったのだが──を手放した。ぴょん、と跳ねながら近くへと落ちてくる虫から逃げるため、ノエルは慌てて後退する。
地面へと落ち、遠くへと動いていく虫を見送った後、ようやくイヴァンを睨みつけた。
「……何するんだよ」
「その、捕まえたから見せようかと」
「子供か!いちいち見せなくていい!!」
厳しい声で言われ、イヴァンは少し落ち込んでいるようだったが、ノエルはそんなことを気にしてはいられなかった。虫の裏側、甲のような表面から出る足が蠢いている先ほどの光景が脳裏に浮かび、鳥肌が立った腕を摩った。
「あぁ気持ち悪い」
「苦手だったか?それはすまない」
「……いや苦手って訳じゃねーんだけど」
野宿を何度も経験した身から、いちいち小さな虫を気にしていることはできなかった。耳元で羽音がするのは気分が悪いが、それも慣れでなんとかなるものだ。
しかし、ノエルはどうも虫の裏側というものが苦手だった。どう繋がっているかも分からないような足が、バラバラに動いている様が気持ち悪くて仕方が無いのだ。旅の途中、手で持ちでもしない限り裏側など見る機会はなかった上、地面にひっくり返っているものはすぐに目を逸らす事ができるので、その耐性は皆無に等しい。
その苦手なものが目の前に現れたものだから、ノエルは安心するまで何度も腕を摩り続けた。
「あんなもん、久しぶりに見たな」
「大丈夫か?そこまで怯えられるとは思わなかった」
「別に、怯えてねー」
心底申し訳無さそうなイヴァンから目を逸らすと、目の前の草ががさ、と音を立てた。先の出来事から身を固くし、そこに注意を向けていると、勢いよく飛び出して来たのはウルフだ。魔物のようで、鋭い牙をむき出しにしながら、低く唸りを上げている。
「なんだ、ウルフか」
魔物が飛び出してきたというのに何故か安心しながらも、自然にイヴァンを見上げる。魔物は殆どイヴァンが片付けていたので、早くしろ、という意味も込めて背中を叩いた。
「……そろそろ、疲れたのだが」
「安心しろ、九割死んでも治せるような気がする」
「いや不可能だろう!!」
ぶちぶちと文句を言いながらも、イヴァンは剣に手を掛けた。しかし、さぁ倒そうという時になって、再びがさがさと草が音を立てる。今度は先程よりも音が途切れることなく続いている。
ウルフに向かおうとしたイヴァンを反射的に止めると、その瞬間に隠れていたウルフ達がその姿を現した。
「うわぁ……」
二十にも届きそうなその数に顔を歪める。ここまで集まってしまったのは、先程、ノエルが大声を出してしまったからか。
魔法を使って一掃してしまえばいいのだが、この数を葬れるような威力のものは精神的に疲れそうなので躊躇われた。
「て、手伝ってくれないのか……?」
動かないノエルに、イヴァンは不安そうな声を上げる。魔王だというのに、ウルフ相手に情けない事だと浮かんだが、確かにこの数を魔法なしで相手にするのは難しいだろう。
仕方が無い、と軽く溜め息を吐き、ノエルは魔法で仕舞っていた棒を取り出してウルフへと向けた。
「じゃあ、魔王がおと……前衛で俺が後衛な」
「今、囮って言いかけなかったか?」
「まさか、そんな筈無いだろ」
ははは、とわざとらしく笑い声を上げると、半ば諦め気味にイヴァンは剣を構えた。
こうして、誰かと共に戦うというのも随分久しぶりな事で。相手がお人好しとはいえ本来倒すべき魔王だとしても、それも悪くは無いなと口元を緩めた。
エルフ村前の出来事
恋愛要素全く無くてすいません