唯「ゾンビの平沢」

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★13

ボ「今日は時間もタップリあるし、後で薬も使って楽しもうか」

唯「そう……ですね……」

ボ「でも、唯ちゃんが僕と二人きりで会ってくれて、本当に嬉しいよ」

唯「……はい。」

ボ「どうしたの? 元気無いみたいだけど、大丈夫?」

唯「……。」

どうせ気分が悪いと言ったって、ここから帰す気なんて無いんでしょ?
こいつは私に屈辱感を与えて遊んでいるのだ。
追い詰めて逃げ場の無い獲物を、甚振って楽しんでいるのだ。

ボ「それじゃあ、乾杯!」

私は俯きながら彼とグラスを合わせた。
私と彼は、グラスを一気に傾け、中の液体を体内へと送り込んだ。

刹那、私は口内に手を突っ込み咽頭を刺激した。
散々行ったこの行為が、こんな形で役に立つなんてね。

私は飲み込んだ許りの液体を全て、汚物と共に吐き出した。
その様子を、彼は唖然とした表情で見詰めている。

程無くして、彼の手からグラスが滑り落ちた。

ボ「っっっ!?」

彼は自分の身に何が起こったのか、まだ理解出来ていない様だ。
慌てふためきながら、焦燥した顔付きで私を見詰める。

唯「くくく……」

彼の無様な姿を見て、私の口からは自然と笑声が洩れていた。

唯「くっくっく……」

漸く彼も気付いた様だ。

唯「どうかな? 他人に薬を盛られた気分は……」

ボ「どう……して……」

唯「薬がグラスだけに入っていると思ったら大間違いだよ?」

ボ「っ!?」

唯「ボトルの中の泡、取るの大変だったんだよ? こうやってティッシュを細く丸めてね……」

ボ「ボト……ル……?」

彼は蹌踉けながら、部屋の出口まで行こうと必死になっていた。

唯「何処に行くの? これからがお楽しみなんだよ? 時間はタップリあるんだよ……」

私は部屋から逃げ出そうとする彼の手を掴み、思いっ切り後ろに引っ張った。
彼は体勢を崩し、後方に倒れ込んだ。
私は俯せに倒れている彼の肩を掴み、仰向けにさせ、その上に馬乗りに跨った。

上から見る眺めっていいなぁ。
これが優越感ってやつなのかな。
前回とは立場が逆だね。
今度は私のターンだ。

バスローブの開いた胸部分から手を入れ、彼の腹を下から上へと触ってみる。
男の人の胸って、こんなにも硬いんだ。
私や憂のそれとは全く違う感覚、不思議。

私は指の爪先で、更に上へ上へとなぞって行く。
彼の呼吸が荒くなる。
気持ちが良いのだろう。
男性のこんなにも艶めかしい姿を見るのは初めてだ。

私はこの男の事など全く好きではなかった。
しかし、私の女の本能が、動物的な本能が、この男に執着する。
それは今までに感じた事の無い、性欲の衝動。
私の体を滾らせ、脳にその欲求を突き付ける。

この男を征服したいと。

私は本能のままに、彼の首筋をゆっくりと舐めた。
味覚を失った筈の私に伝わる、汗のしょっぱさ。
何故だろう、この男の「味」が私には分かる。

こ の 男 を 食 べ た い 。

でも駄目。舌で味わうだけで我慢しよう。
ゆっくりと這う様に、舌で体液を絡め取る。
私は、彼の首に滴る汗を全て舐め尽した。

私のお尻に硬い物体が当たる。
彼の上から降り、盛り上がった部分のバスローブを肌蹴させる。
そこには、はち切れん許りに膨張した男の象徴がそそり立っていた。

私はふと、その物体に触れてみた。
彼が小さな喘ぎ声を洩らす。

熱い。

それは人間の体温とは思えぬ程の熱を帯びていた。

指の先で軽くなぞってみる。
彼は大きく喘ぎ、体を捩らせる。
今、私は、彼の体を完全に制圧したのだ。
あの時、彼が私の体を征服した様に、私は彼の体を征服したのだ。

私は異様な高揚感に包まれていた。

僅かに触れるだけで、面白い程に大きな反応をする。
私は彼の敏感な部分をさらに刺激した。

次の瞬間、男の巨大な塔の先から白濁とした液体が、私の顔を目掛けて勢い良く飛び出してきた。
彼が私の体内に注入しようとした物質。
彼の性器は激しく脈打ち、大量の精液を撒き散らした。

私は顔に付いた白濁液を指で拭った。
それを鼻の先に持って行き、匂いを嗅いでみる。
塩素系漂白剤の様な臭いがした。

無意識の内に、私はそれを舐めていた。
自分でも何故そんな事をしたのか分からない。
苦味の中に感じる、ほんの僅かな甘味。

男のDNAが詰まった生命の源。
何千万、何億もの「命」がこれには含まれている。
そう、この液体は生きているのだ。
男の分身とも言えるこの生きた液体を、私は食しているのだ。
やがてこの生命の種達は、私の胃酸によって皆殺しにされるだろう。

私はその様を想像し、興奮した。

射精し終えた男は、悦楽の表情を浮かべていた。
私の肉体と心から急速に熱が失われ、怪物が動き出す。
私は台の上の薬の入ったワインボトルを掴み、再び男に馬乗りになる。

本当のお楽しみはこれからなんだよ。

唯「ねえ、まだワインが残ってるよ? 勿体無いでしょ。ちゃんと全部飲もうよ」

私は男の口にワインボトルを無理矢理突っ込んだ。

唯「ほらっ! ちゃんと飲みなよ!」

私は残りのワインを一気に彼の口に流し込み、零れぬよう口唇を手で塞いだ。
最初は抵抗していた彼も、その行為が無駄であると悟った様だ。
ボトルの液体は全て彼の体内に消えていった。
彼は小さな呻き声を上げていたが、次第にぐったりし、動かなくなった。

しかし、まだ彼の心臓は動いている。

私はね、最初から薬だけでお前を殺す気なんて無かったんだよ。
だって、それだけじゃ確実に死ぬかどうか分からないでしょ?

薬はお前を無抵抗にする為の物。
暴力を使わずに相手を束縛する手段。

お前を殺す事なんて、いつでも出来たんだよ。
でもね、外傷が在ったら殺人ってバレちゃうでしょ?
そうなったら、色々面倒な事が起こるでしょ?
だからね、無傷で死んで欲しいんだ。

ここに警察はいない。
死因の詳細なんて調べる人はいないんだよ。

私はゆっくりと自分の口に手を伸ばす。
先程の様に口内に手を突っ込み、咽頭を刺激した。

私はね、自分の意思で自由に嘔吐する事が出来る様になったんだよ。
この時の為に、今日はいっぱいご飯を食べてきたからね。

今まで「吐く」という行為は、私にとって辛いモノであった。
しかし、今回のその行為は、私に至福的な感情を誘発させた。
汚らわしい彼の種を吐き出す、という理由もあるのかもしれない。

私は、意識を完全に失った彼の口を抉じ開け、そこに自分の口を重ね合わせた。
彼の顎を少し上げ、吐瀉物が奥まで行くようにする。

最後に気持ちいい思いが出来て良かったね。
貴方に権力が無ければ、私に滅多刺しにされ、苦痛しか味わう事が出来なかったんだよ。
地獄でたっぷりお父さんに感謝してね。

私は大量の汚物を彼の口内に流し込んだ。


どれ程時間が経っただろうか。
彼は「完全に」動かなくなった。
口からは吐瀉物が溢れ出している。
尤も、それは彼の物ではないけれど。

私はバスタオルを持ち、再び彼の部屋でシャワーを浴びた。

私に「薬」を教えた男。
私の裸体を見た初めての男。
私に性的快楽を与えた初めての男。
私の秘部に侵入した初めての男。

そして、私が自らの意思で殺した初めての男。

この最低な男は、私に様々な「初めて」を与え、奪った。
こんな男の事でも、私は感傷に浸れるのか……。
壊れてしまった私の心の中にも、まだ「人間」な部分が残っているというの?
何故今、私の瞳から涙が溢れているのだろう。

浴室から出て体を拭き、ワインに濡れた服を着る。
私はその冷たさを全く感じなかった。

部屋にあった袋に、私が持って来た物や、私が出したゴミを詰め込む。
私はこの部屋から自分がいた痕跡を消した。

唯「さよなら……」

私は彼の部屋を後にした。



次の日、私はいつも通りの時間に目覚めた。
隣では、まだムギちゃんが気持ち良さそうに眠っている。
私はそっとベッドを抜け出し、シャワーを浴びる為、浴室に向かった。

彼の存在が消えた事は、私にとって喜ばしい事だ。
しかし、ムギちゃんにとってはそうではない。
ムギちゃんに、彼の事をどう伝えれば良いのだろうか。

私はどうすればいいの?教えて、和ちゃん……。

脱衣所から出て、ムギちゃんの寝顔を眺める。
小さな寝息を立てている、純真無垢な天使の寝顔。

私はそっと彼女の髪を撫でた。

今の私は、彼女に触れる資格があるのだろうか。

私は部屋に書き置きを残し、朝食を取る為、食堂に向かった。

もう、3人分の食事を用意する必要は無い。
しかし、私は無意識の内に彼の分まで作っていた。

唯(なんで私は……)

二人には多い朝食を茫然と眺めていると、向こうから斉藤さんがやってくるのが見えた。

斉藤さんは私の姿を見つけると、そのまま真っ直ぐこちらに向かって来た。

斉藤「お早うございます、唯様」

唯「おはようございます。朝食、食べました?」

斉藤「いえ」

唯「良かったら、ご一緒にどうですか? 今日は作り過ぎちゃって……」

斉藤「……頂きます」

私は食堂で斉藤さんと一緒に食事を取る事になった。
考えてみると、こうして斉藤さんと食事をするのは初めてだった。

斉藤「紬お嬢様は?」

唯「ムギちゃんはまだ寝ています。ゆっくり寝ていて欲しかったので、私一人で……」

斉藤「そうですか……」

唯「ところで、今日は私に何か?」

斉藤「……はい。」

斉藤「ボーカル様が亡くなりました」

唯「……そうですか」

思ったより早く死体に気付かれた。

斉藤「テーブルの上には酒と麻薬らしき物が入っていた袋が置かれていました。
状況を察するに、アルコールと薬物を併用し嘔吐。
その後、昏睡状態に陥ったものと思われます」

斉藤「外傷も無く、死因は吐瀉物による窒息。事故死かと……」

唯「そう……ですか……」

斉藤「唯様……」

斉藤さんは私を、憂愁な表情で私を見詰めた。
その瞳には、悲しみと優しさが溢れていた。

何故彼はそんな顔を私に見せるのだろう……?

斉藤「唯様、申し訳ございません……」

謝罪を口にする彼の言葉からは、後悔と悲痛の念が感じられた。

唯「えっ……? どうして斉藤さんが私に謝るんですか?」

斉藤「……」

斉藤さんは頭を下げたまま、何も言わなかった。
結局、その答えを彼の口からは聞けなかった。

ご馳走様でした、そう言って彼はこの場を去って行った。

私は、どうして彼が私に謝ったのか、理解する事が出来なかった。


私はムギちゃんの分の食事を部屋に持ち帰った。

彼女はまだ寝ている。
今日はまだ色々する事があるんだ。
ごめんね、ムギちゃん。また後でね……。

私は女と会う為、彼女の仕事場に向かった。
彼女は、男達と付き合い出してからも、ただ一人真面目に清掃を行っていた。

唯「まだ掃除してるんだ……」

女「……何か用かよ。もうあたし達に関わらない約束だろ……」

唯「もうこんな仕事しなくても平気な筈でしょ」

女「……別にいいだろ。」

彼女はそういうと、私の存在を無視し、自らの仕事を再開した。

唯「女ちゃんってさ、美容師になりたかったの?」

嘘の中にも真実が含まれる事がある。
私は彼女の嘘の話の中に、美容専門学校の話があったのを覚えていた。

女「……」

彼女は黙って小さく頷いた。

唯「私の知り合いに、プロの美容師さんがいるの。
彼女に貴女の事を話したら、アシスタントとして採用してもいいって」

女「なんで……」

唯「さあ……ね……。後は女ちゃん次第だから、その気があるなら受付嬢さんに言って」

唯「あ、あと女4ちゃんに伝言をお願い。今回は見逃してあげるってね。
でも、もう余計な事は言わないように伝えて。他の子達にもね」

女「……わかった」

唯「それじゃあね。さようなら」

私はその場を後にした。
本当は女4に直接会うつもりだったけれど、今更どうでも良い事だ。

もう彼女達に会う事も無いだろう。
また私とムギちゃんの、二人だけの静かな生活に戻れるのだから。


部屋に戻ると、丁度ムギちゃんがベッドから起き上がる所だった。

唯「おはよう、ムギちゃん」

私は彼女に優しい笑顔を向けた。
作り物の笑顔ではない……と思う。

私は今、笑いたかったのだ。
ムギちゃんの為に、心から。

紬「おはよう、唯ちゃん。ごめんなさい、私寝坊しちゃったわ……」

唯「そんな事、気にしなくていいよ。ご飯作ったから、食べて食べて」

紬「うん、ありがとう、唯ちゃん。ところで……」

彼は来た?ムギちゃんが私に問い掛ける。
私の胸の鼓動が早くなる。

ムギちゃん、彼はもう来ないんだよ。
私がこの手で殺したのだから。

唯「今日の朝、彼が来て……これからすぐに別の施設に行く事になったって。
ムギちゃんに会うと別れがもっと辛くなるから……。
だから、ムギちゃんに何も言わずに行く事を許して下さいって……」

そう、彼女は小さく呟き、少し上を向き遠くを見詰めている。
彼女の瞳には、薄っすらと涙が浮かんでいた。

ごめんね、ムギちゃん……。
私は心の中で、何度も何度も呟いた。

紬「それじゃあ私、点滴に行くわね」

唯「あ、今日は私もムギちゃんと一緒にいるよ」

紬「えっ?」

唯「ムギちゃんと一緒にいたいから……」

紬「嬉しいわ、唯ちゃん……」

私は彼女を一人にしたくなかった。
もうムギちゃんに寂しい思いをさせたくない。

私はムギちゃんを守る為、様々な訓練をしてきた。
それが彼女を守る最善の方法だと信じて疑わなかった。

でも、それだけじゃ駄目なんだ。
私は寂しさからも彼女を守らなくてはならないのだから。

私はムギちゃんの傍にいる。
ムギちゃんが私を必要とする限り。
彼女が寂しさや不安を感じぬ様に。

しかし、その思いはいとも簡単に打ち砕かれた。

紬「斉藤から電話が来ないわ……」

斉藤さんは、ムギちゃんが点滴をする時間になると必ず電話を掛けてくる。
忙しくて中々ムギちゃんに会う機会の無い彼の、優しい心遣いだった。

それが無いなんて、在り得ない事だ。
ムギちゃんも心配そうに携帯を見詰めている。

紬「ちょっと彼に電話をしてみるわ」

ムギちゃんは斉藤さんに電話を掛けた。
出ない。コール音だけが静かな医務室に響いた。

斉藤さんにとって、最も大事なのはムギちゃんの事の筈。
紬父にとっても、そうである事に間違いはない。

彼女の事は最優先事項になっている筈なんだ。

だからこそ、彼女の電話に出ないという事は在り得ないのだ。
電話に出られない状況……。彼は由々しき事態に巻き込まれているのでは……?
私には思い当たる節がある。

ボーカルの事……。

ムギちゃんの表情が不安で陰る。
私の心がざわめき出す。

彼女の不安を取り除かなければ……。

唯「私、斉藤さんを探してくるよ」

紬「えっ、でも……」

唯「大丈夫、ムギちゃんはここで待ってて。
斉藤さんから連絡があったら、私に電話してちょうだい。
私も、何かあったらムギちゃんにすぐ連絡するからね」

紬「……分かったわ」

私は医務室から出て、VIP専用の応接間に向かった。
何か重大な案件がある時にはそこで話し合いをすると、以前斉藤さんが言っていた。

私は確信していた。彼はそこにいると。

斉藤さん、貴方は駄目だ。
貴方はいつでもムギちゃんの事を一番に考え、彼女の為に行動しなくちゃいけないんだ。

それが貴方に与えられた、最も重要な役目なのだから。


応接間の扉の前まで来ると、中からヒステリックな女の声が聞こえてきた。
その激しい剣幕から、尋常ではない事態である事は明白だった。

私などが入っていく場面でない事は重々承知の上だ。
しかし、私はノックもせずに扉を開け、そこへ足を踏み入れた。

テーブルを挟み、50代後半位の熟年夫婦と、紬父が向かい合って座っている。
紬父の両脇には、二人の紳士が座っている。

その者達は、紬父に勝るとも劣らない雰囲気、オーラを醸し出していた。
3人が座るソファーの横には斉藤さんが立っていて、沈痛な面持ちで俯いていた。

紬父達と斉藤さんは、私の存在に気付いた様だ。
しかし、熟年夫婦は私の事など眼中に無く、ただただ激しく怒鳴り散らしていた。

熟婦「だから、私の息子が死んだのはおたくらの責任でしょうがっ!
ここは最新の医療設備が整っているのだから、手遅れなんかになる筈ないでしょ!」

紳士1「最善を尽くしたのですが……」

熟婦「死んだら最善も何も無いでしょ! 私の息子は実際に死んでいるんだから!
この責任、誰がどう取ってくれるのかしら!? 何とか言いなさいよっ!!」

紬父「○○さんの息子さんの事は大変な不幸でした。
ただ、彼は酒に麻薬という非常に危険な行為を自ら行っていたワケでして……」

熟婦「はあ!? それが何だって言うのよっ!だから死んでも当たり前って言うの!?」

紳士2「いえ、そうではなく……」

熟婦「大体、あんたらSPがだらしないからこんな事になったんでしょ?」

斉藤「申し訳ございません…」

熟婦「謝って済む問題じゃないでしょ!? 私達を守る事があんたらの仕事でしょうが!」

斉藤さんは謝罪の言葉を口にして、深々と頭を下げていた。
彼にはこれ以上の事など出来る筈もない。
しかし、熟婦の怒りは治まる事を知らなかった。

熟婦「あんたらの命と私達の命を一緒にするな! 重さが違うんだ、重さが!」

彼女は立ち上がり、鬼の形相で斉藤さんを睨んだ。
そして、テーブルの上に置いてあった分厚いガラスの灰皿を、斉藤さん目掛けて投げ付けた。
それは斉藤さんの額を直撃し、そこから真っ赤な鮮血が流れ出した。

ムギちゃんの斉藤さんが傷付けられた……。
私の中の怪物が、新鮮な血の臭いを嗅ぎ付けてやってきた。

唯「あの……すみません……」

皆の視線が集中する。
熟年夫婦も、ようやく私の存在に気が付いた様だ。

熟婦「誰よあんた」

唯「ボーカルさんとお付き合いさせて頂いた、平沢唯と申します……」


熟婦「ああ、息子の女の一人ね」

唯「お聞きしたい事があるのですが、宜しいでしょうか……?」

熟婦「はっ? 何よ?」

唯「ボーカルさんが麻薬をしていた事はご存じでしたか?」

熟婦「若いんだから、それくらい普通でしょ」

唯「薬を使って、女の子に乱暴していた事は?」

熟婦「女の方がうちの息子にちょっかい出してきたんでしょ。あんただってそうなんでしょうが」

この母親にしてあの息子あり……か。
良かった。分かり易い屑で。

熟婦「大体、あんたは何なの? 息子の遊び相手如きが出しゃばるんじゃないわよ!」

熟夫「ここは君の様な子が来る場所じゃないんだ。弁えたまえ」

斉藤さんが私に近付き、退室を促す。
私は肩に掛かった斉藤さんの手を振り払い、熟婦に近付いた。

唯「私が彼を殺しました」


室内の空気が凍り付いた。

場にいる人間は、私が何を言っているのか、まだ理解出来ていない様だ。
皆、口を開け茫然とした間抜けな表情で私を見ている。

唯「私が彼に麻薬入りのワインを飲ませて殺しました」

唯「彼の口に入っていた汚物、あれ、私が吐いた物なんです。気付かなかったでしょ?」

唯「汚物に塗れて死ぬなんて、凄く彼らしい死に方ですよねぇ?」クスクス

私は厭らしい笑みを浮かべて皆を見た。

漸く皆、今の状況と私の言動を理解した様だ。
彼等の顔は引き攣っている。

熟婦「あ、あんたが私の息子を殺したの……?」

唯「馬鹿な人だなぁ。さっきからそう言ってるじゃない……」

熟婦は人とは思えぬ奇声を上げ、私に飛び掛ってきた。
このキンキンした声、頭の中に響いて嫌いだ。

唯「……うるさい。」

私は近付いて来た彼女の脇腹にナイフを突き刺した。

唯「 だ ま れ よ 」

熟婦は悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。

突然の出来事に困惑し、その場にいた人間達は誰も動けなかった。
彼等は、痛みで悶え苦しむ熟婦を唖然とした表情で見詰めていた。

唯「その痛みは罰だ。人の痛みを知らない貴女への罰なんだ」

唯「これで少しは分かったかな? 傷付けられると痛いって事がさ」

唯「でもね、貴女の罪はそれだけじゃないんだ。
息子をあんな風な腐った人間にしてしまった罪。
彼自身にも問題があるのだろうけどさ、貴女にも責任があるよね」

私はしゃがみ込んでいる女の首筋にナイフを突き立てた。
ナイフを引き抜くと、赤い液体が勢い良く噴き出してきた。

生暖かい熟婦の鮮血のシャワーが、私を真紅に染め上げる。
彼女は絶命し、その場に倒れ伏した。

その様子を見て、やっと紳士達が動き出した。
でもね、遅過ぎるんだよ。

私は彼等が立ち上がるより先に、素早く熟夫の背後に回り込み、その首筋にナイフを突き付けた。

唯「全員、動かないでくれるかな。動いたらこの人を殺すからね」

動かなくても殺すけどさ。

熟夫「お、お前の目的は一体なんだ?」

唯「目的……? そんなの決まってるよ。貴方達が私の邪魔をするから、排除しに来たんだよ」

熟夫「わ、私がいつお前の邪魔をしたっ!?」

唯「……。」

私は熟夫の右太腿にナイフを突き刺した。
熟夫は悲鳴を上げ、苦しんでいる。
それが、私をさらに苛立たせた。

唯「それ位の事で騒ぐなっ! 澪ちゃんは……澪ちゃんはもっと痛かった筈なんだ!」

熟夫「み、澪ちゃん……? わ、私はそんな奴の事は知らんっ!」

今度は左太腿にナイフを突き立てる。
熟夫はさらに大きな悲鳴を上げた。

唯「……だから騒ぐなと言っているだろう。今度騒いだらお前の首にナイフを刺してやる 」

熟夫は静かになった。
そうだ、最初からそうやって大人しくしていれば良かったのだ。

お前の生き死には私の意思次第……。
どうだ、自分の命の決定権を他者に握られた気分は。
お前の命なんて、特別でも何でもないんだよ。

お前が私の命を何とも思わない様に、私もお前の命など何とも思っていないのだ。

熟夫「た、たすけてくれ……」

熟夫は涙を浮かべ私に哀願した。
私はそれを、高圧的な態度で見下ろしていた。

唯「他人の命には興味なんて全然無いくせに、自分達の命はそんなに大事なの?」

唯「そんな人間の命乞いってさ……」

唯「 す っ ご く 見 苦 し い よ ね 」

私は顔をゆっくりと近付け、熟夫の瞳を覗き込んだ。

彼の瞳に映る私の姿、私の目……。
以前に見た事がある。
黒く澱み、人としての感情を一切読み取れないあの目。

そこには「ゾンビ」と化した平沢唯がいた。

紳士1「き、きみっ! もうやめたまえ!」

紳士2「落ち着いて話し合おうじゃないか!」

紬父「平沢君、そのナイフをこっちに渡しなさい」

斉藤「唯様、どうぞ落ち着いて下さい……」

皆口々に私を静めようとする。

だから私は彼等に問い掛けた。

唯「どうして皆さん私を止めようとするの……?」

紳士1「人を殺めるのは良くない事なんだ!」

紳士2「他者を傷付けるって事は、自分をも傷付ける事なんだよ!?」

紬父「君の罪は問わない、だからもう止めるんだ」

斉藤「これ以上、唯様の傷付く姿を見たくはないのです」

今の私にとって、それらの言葉は逆効果だった。
彼等の言葉の一つ一つが、私の苛立ちを増幅させる。

今更、そんな奇麗事を並べてさ……。

そんなの通用するワケないでしょ。

唯「偽善者共が……」

私の一言に、場が静まり返る。
暫くの間、部屋には重い沈黙が流れた。

唯「外ではね、多くの人達が死んでいるんだよ……」

唯「貴方達がここでのうのうと暮らしてる間にさ、多くの人達が死んでいるんだよ……」

唯「それなのに、今更一人や二人が死ぬくらい、なんだって言うのさ……」

唯「私は人殺しをした最低の人間だよ……。でもね、それは貴方達も同じでしょ?」

唯「外の地獄も知らないで、自分達だけさっさと安全な場所に引き篭もってさあ……」

唯「お金や権力が有るってだけで救われて……。それだけでこんな屑達が救われるなんて……」

唯「とっても優しくて温かい私の妹や親友達はみんな死んでいったっていうのに……」

唯「 そ ん な の 納 得 出 来 る 訳 無 い よ ! 」

それは私の悲痛に満ちた、渾身の叫びだった。
静かな室内に、私の悲鳴にも似た声が響いた。

私はナイフを振り上げ、熟夫の首元にそれを深々と突き刺した。
熟夫は悲鳴を上げる間もなく、物言わぬ肉の塊と化した。

座っていたソファーから彼が転げ落ちる。
私はその姿を、笑みを浮かべて眺めていた。

唯「私ね、気付いたんだ……」

唯「この人はボーカルの父であり、その後ろ盾だった。じゃあ、この人の後ろ盾は誰なの?」

唯「そう、後ろ盾に後ろ盾はいないんだよ。だったら、殺すのも簡単だよね」

皆、茫然とした表情で私を見ていた。

唯「何でそんな顔してるのさ……。人の死がそんなに珍しいの?」

唯「お外を見てごらんよ。いっぱいいっぱい人が死んでいるからさ」

私は斉藤さんに近付いた。

唯「斉藤さん、おでこの傷は大丈夫?」

斉藤「は、はい。大した事はありません」

唯「そう……。」

私は斉藤さんの顔側面を思いっ切り平手打ちした。

唯「なんで今日ムギちゃんに電話しなかったの?」

斉藤「それは……」

唯「言い訳はいらないよ。貴方にとって一番大切な事は何? ムギちゃんを守る事じゃないの?」

唯「ムギちゃんはね、貴方からの連絡が無くて凄く心配していたんだよ?
こんな下らない話し合いの所為で電話が出来なかったなんてさぁ!」

斉藤「申し訳……ございません……」

唯「ちゃんと順番を付けてよね。大切なモノに順番をさ。そして、それをきちんと守ってよ」

唯「それとね、私の傷付く姿が見たくないとかさ、そういうの、やめてよね」

唯「貴方にとって大事なのは『ムギちゃんの友達の平沢唯』でしょ。
ただの『平沢唯』には、何の興味も関心も無いクセにさぁ……」
  
唯「そういう偽善な態度をされるとさ、私、物凄く腹が立つんだよ」

斉藤さんは無言で、頭を深々と下げた。

私は手に持っていた血塗れのナイフを投げ捨て、ソファーの男達を見た。

唯「貴方達は私を非難するの? 文句があるならかかっておいでよ。私は今、丸腰だよ?」

その場から動こうとする者は誰もいなかった。
そうだ、動ける筈が無いのだ。

自分の罪をちゃんと自覚出来る人間ならね。

唯「それじゃあ、私、帰りますから。斉藤さん、電話、ちゃんとして下さいね」

斉藤「唯様、少々お待ちを。その格好では目立ち過ぎます。
私の部屋が近くにありますので、そこでシャワーを浴びていかれては……」

唯「……そうですね。そうします」

斉藤さんはソファーの3人に一礼をすると、私の方へ振り返った。

斉藤「こちらへ……」

私は斉藤さんの後に続き部屋を出た。

幸い、彼の部屋に着くまで誰とも会う事は無かった。
扉を開き中に入ると、ボーカルの部屋とは違う男性の匂いがした。
脱衣所で服を脱いでいると、斉藤さんの声がした。

斉藤「服をお持ちしますので、それまで少々お待ち下さい」

彼はそう言い残し、早々と部屋から出て行った。

浴室の鏡を見ると、そこには返り血に塗れた平沢唯がいた。

私は顔に付いた血を指で拭い、口に運ぶ。
口の中に鉄の味が広がる。
しかし、それは味の無かった料理よりも遥かに美味しかった。

もし、全ての料理の味を感じる事が出来なかったら、私はこの血の味に溺れていたかもしれない。


暫くして、ドアの開く音がした。

「失礼します」

その声は見知らぬ女性のモノだった。

「斉藤様の指示で、平沢様の服をお持ちしました」

唯「ありがとうございます」

「脱衣所に置いておきますね」

唯「はい。あの、斉藤さんは?」

「斉藤様は、紬お嬢様のお見舞いに医務室へ行かれました」

唯「そうですか……」

「私はこれで失礼致します」

そう言うと、女性は部屋から出て行った。

ムギちゃんを気遣って、電話でなく直接会いに行ったんだ。
そう、それでいいんだよ。
本当に彼女を守る事が出来るのは貴方なのだから。

私は女性が持って来た衣服に身を包んだ。
真紅に染まった私の衣服は、彼女が全部持っていった様だ。

私はムギちゃんに電話を掛けた。

紬「もしもし、唯ちゃん?」

唯「うん。斉藤さんと連絡は取れた?」

紬「……ええ、今彼はここにいるわ」

唯「そう。私、ちょっとドジして服を汚しちゃってさ。
着替えて行くから、そっちに着くのが少し遅くなるかも」

紬「……そう、分かったわ」

唯「うん、それじゃあね」

私は電話を切った。

電話越しのムギちゃんは、少し元気が無かった。
でも、斉藤さんと一緒だから心配は要らないだろう。

久々に会えたのだから、私は少し二人だけの時間をあげようと思った。

私は部屋にあった椅子に腰を掛けた。
柔らかく、とても座り心地がいい。
私には手が届かない位、高価な物なのだろう。

私は全身の力を抜き、椅子に沈みながら、目を瞑った。

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