唯「ゾンビの平沢」

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★5

目を覚ますと、涙目の憂が私の顔を覗き込んでいた。
憂の横には、消毒液と包帯が転がっていた。

唯「憂……」

憂「お姉ちゃん! お姉ちゃん!!」

私は憂の頭を撫でた。

唯「憂、泣かないで。私は大丈夫だよ……」

梓「唯先輩、大丈夫ですか?」ウル

唯「私はへっちゃらだよ〜」グッ

和「近くで鍵の付いた車を拾ってきたの。
早速だけど、その車でこの街から出ましょう。
唯、動ける?」

唯「うん、平気!」

和「じゃあ早速行きま……」

純「や……ヤバ……ヤバイ……ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ……」

梓「純……?」

純「きた……ヤバイ位きた……私……無理……」

その言葉が何を意味するのか、私達は知っていた。
純ちゃんの体は激しくガタガタと震えていた。

純「は、早く行って……ち、血が……」

私は頭から出血していた。
その血の匂いが、純ちゃんを蝕んだのだ。

純「わ、私は人間だ……人間なんだ……ニンゲンニンゲンニンゲン……」

梓「皆さん、先に行ってて下さい! 私が残りますから!! 」

憂「梓ちゃん!」

梓「憂、和先輩……。唯先輩を……お願いします!」

和「……分かったわ。」

唯「そ、そんな……」

梓「唯先輩、ごめんなさい……。ここでお別れです。
でも、大丈夫です。唯先輩には憂と和先輩が付いてますから」

純「わ、私の事はいいから……梓も行って……」

梓「純を一人で置いてけるわけ無いじゃん……親友なんだからさ……。
あんた一人じゃ……私が付いてなきゃ、全然駄目な奴だしさ」

純「寂しがり屋の梓に……言われたくないっての……」

憂「純ちゃん……」

純「憂……お姉ちゃんを一人にしちゃ駄目だからね……。
和先輩、和先輩の凄さを改めて知りました……もっと仲良くしたかったです……。
唯先輩、唯先輩の笑顔は素敵でした……だからいつでも笑顔でいてください……」

唯「うん……分かったよ純ちゃん……」

私は泣きながら、目一杯の笑顔を見せた。
純ちゃんは優しい顔で笑ってくれた。

私達は二人を置いて車に向かった。


外に出て、表の道路に止めてあるという車に向かう。
しかし、私達はその車に乗る事は出来なかった。

和ちゃんが手に入れたという車の周りには、凶暴化したゾンビ……「崩壊者」達が集まってきていて、とても近付けるような状態ではなかった。

そのうちの一人が私達に気付いた。
無機質な魚の様な目で私達を凝視している。
その様子に別の崩壊者も気付き、私達の方に顔を向けた。

皆、同じ目をしている。
その大きく開かれた黒い瞳からは、人間としての感情を読み取る事は出来ない。

小さな唸り声を上げ、私達を威嚇している。
一人、二人、私達の方にじりじりと近づいて来た。
それに合わせ、私達も後退りをする。

次の瞬間、崩壊者達が一斉に私達の方に駆け寄ってきた。

和「唯! 走って!」

和ちゃんの声を聞いて、私は只管走った。
後方からは、凄まじい雄叫びと金切り声が聞こえてくる。
振り返ってはいけないと思いつつも、私は憂と和ちゃんが気になって後方に目を向けた。

二人は私の後を追いながら、襲い掛かってくる崩壊者達に応戦していた。


どれ位走っただろうか。

私達は市街地を抜け、郊外まで来ていた。
道路の両脇には青々と茂った木々が立ち並び、延々と先まで続いている。
振り向くと、遥か後方で憂と和ちゃんが崩壊者達と交戦していた。
いつの間にか、二人とかなりの距離が開いていた。

また、私だけが逃げている……。
仲間を犠牲にして、私だけが安全な所で……。
本当は戻って二人に加勢したかった。
しかし、運動神経の悪い私が行った所で、足手纏いになるのは明白だ。

昨日とは打って変わり、雲一つ無い晴天が広がっている。
夏の日差しが容赦なく私に降りかかる。

背中のギターケースが一段と重く感じられた。
滝の様に流れる汗が止まらない。

また意識が朦朧としてきた。
でも、ここで倒れるわけにはいかない。
倒れたらまた迷惑を掛ける事になる。

今、私に出来る事は、歩を前に進める事だけなのだ。

私は無力な存在だ。
みんなに守られて、みんなを傷付けて、みんなを苦しめて……。

そんな私が最後まで生き残るなんて、世の中は間違っている。
何故神様は、私にこんなに素晴らしい友人達を与え、その友人達に惨い仕打ちを加えるのか。
本来その仕打ちを受けるべきは、私の筈なのに。

私の様な無力の人間が生き残って何になるというのだ。
他人に迷惑を掛けるだけじゃないか。
憂や和ちゃんみたいに、他人を救える人間にはなれないんだ。

誰でもいい、あの二人を助けて下さい。
その為なら、どんな代償も払うから。
無力な私の代わりに、あの二人をどうか……。

視界がかなりぼやけてきた。そんな時だった。
幻覚かもしれない。
私の視界の先に、装甲車のような物が映っていた。


「君は人間か?」

装甲車の横の人影が、スピーカーのような物で話し掛けて来た。
この人達は「人間」だ。

唯「たすけて……助けて……! 助けてーーーーーー!!!!」

私は残る力の全てを込めて叫んだ。叫び続けた。
人影が装甲車に乗り込むと、私に向かって動き出した。

装甲車は私の近くまで来て止まった。

兵1「君、大丈夫か?」

唯「たすけて……たすけてください……おねがいします……」

私はその場に倒れ込みながらも、後方を指差しながら声を絞り出した。

兵2「もう大丈夫だからね、安心しなさい」

兵1「こちら第三捜索部隊、要救助者を確保、十代女性、感染無し。」

兵3「先方よりレベル5感染者接近、数10、来ます!!」

兵1「迎撃体制、これより、レベル5感染者を殲滅する!」

兵士達が感染者に向けて一斉に銃を向けた。


唯「まってください……あのなかには……まだ……」

兵1「てえええぇぇぇぇぇっっっーーー!!」

私の言葉は、銃声に掻き消された。
乾いた音が辺りに鳴り響いた。

唯「やめて……やめてよおおおぉぉぉぉぉぉぉっっっーーー!!!」

私の言葉は彼等には届かなかった。
彼等は暫くの間、感染者達に向けて銃を撃ち続けた。

兵1「撃ち方止め!!!」

兵1「殲滅完了、帰還する」

そこには、もう立っている感染者は一人もいなかった。
皆地面に伏せて、ぴくりとも動かなかった。

憂と和ちゃんも……。

唯「あああ……ぁぁぁぁぁぁぁ…………」

私の意識は、海溝の闇に引き込まれるかの様だった。
兵士達が私の体を揺すり、何か話し掛けている。
私は目を瞑った。

そして全ての情報は遮断された……。





気が付くと、私は白い部屋のベッドに寝かされていた。
汗を掻いてベトベトだった筈の体は、妙にすっきりしていた。
誰かが私の体をタオルか何かで拭いてくれたのだろう。

私は病衣を着ていて、腕には点滴をされていた。
ベッドの横には、着ていた筈の制服が綺麗に畳まれて置かれ、近くには私のポーチとギターケースもあった。

看護師「あら、目が覚めたみたいね」

優しそうな女性看護師が、笑顔で私に話し掛けた。

看護師「あなたは丸3日間寝ていたのよ」

私は3日も寝ていたんだ……。

看護師「今まで大変だったでしょう?
もう大丈夫よ、今先生を呼んでくるから待っててね」

暫くして、その看護師は医師を連れて戻ってきた。


医師「お名前は?」

唯「……」

医師「年は?」

唯「……」

医師「君は何処から来たのかな?」

唯「……」

医師と看護師は顔を見合わせた。
極度のストレスと疲労の所為だろう、医師はそんな風な事を看護師に話していた。

私は最早言葉を発する気力すら失っていた。
暫くの間、私はこの病室で安静にする事となった。



その後、この場所についての様々な話を聞かされた。

今、ここにはおよそ5000人の「人間」が住んでいて、その人達が数年暮らせる程の物資が蓄えられているらしい。

皆各自役割を持っていて、ここでの共同生活を営んでいる。

私も元気になったら役割を与えられ働く事になる。

私を助けたのは、この施設の所有者の私兵団。
元自衛隊員や、元警察官が主体らしい。

ここは元々、どこかのお金持ちが作らせた、私設の核シェルターらしい。
今は噛み付き病からの避難施設として使われている。

国、企業、個人が作ったこういう施設は、日本各地にあるという。
戦争、災害等に備えて、私達一般人が知らない間に、事は着々と進められていた。

救われる人間と救われない人間の「選別」も。


それから一週間、私はこの病室で過ごした。
食事が出されても殆んど喉を通らず、私はみるみるうちにやせ細っていった。

医師からは、まだ暫く休むようにと言われた。
でも、私はそれを断り、皆と同じよう働く事を志願した。

何もしないで生かされる事が苦痛だった。

「受け付けカウンター(受付)」と書かれた所で、必要な衣類とこの施設の地図、白いIDカードを渡された。

このIDカードは様々な役割を果たしていて、ドアの鍵にもなっているという。
無くすと大変だからと、大切に管理するよう念を押された。
私の仕事は明日からと言われ、明日の朝食後にまた受付に来るようにと言われた。

白く無機質な長い廊下を歩き、私は自分に与えられた部屋に向かった。

一般人の居住区は男女分かれていて、数人ずつの相部屋になっているという。
しかし、私は病気を理由に、特別に小さな個室が与えられた。
相部屋だとストレスが溜まり、私の病状を悪化させる可能性があるとの事だった。

私の荷物は、制服とポーチとギターだけ。
その狭い部屋は、私にとっては十分過ぎた。

私は部屋の中央にあった台を横にずらし、用意されていた布団を敷き、そのままそこに倒れ込んだ。
何も考えたくなかった。目を瞑り、必死に眠りに就こうとした。

起床は6時半で就寝は23時。

朝食は7時から8時、昼食は12時から13時、夕食は19時から20時。
その間に食堂に行き食べなければ、食事は無しとなる。

朝食後は受付に行き、その日一日の仕事の指示を受ける。
20時から23時は自由時間で、その間に入浴を済ませなければならない。

規律を著しく乱す者には罰則があり、最悪の場合ここから強制退去させられるらしい。

自由に過ごしてきた人からすれば、監獄のような生活と思われるかもしれない。
しかし、ここでは安全と食事と住居が保障されているのだ。

あの地獄を体験した人なら、それだけでここの暮らしがいかに幸せかを理解出来るだろう。

私は部屋の隅に置いてあるギターに目をやった。
私が大事に抱えここまで持ってきたギー太。
でも、もう弾く事の無い物。無用の長物……。

いっその事、壊してしまおうか。
私はギー太を取り出した。

重い。

今の私には、ギターを壊す力も残っていなかった。

私はギー太をケースに仕舞い、部屋を出た。


私は朝食に殆んど手を付けず、そのまま受付に向かった。
これからは食事の量をもっと少なくしてもらおうと思った。

まだ受付は混雑しておらず、すぐに私の番がきた。

受付をしていたのは、まだ若くて優しそうなお姉さんだった。
私はそのお姉さんにIDカードを差出した。

受付嬢「平沢さんですね。あなたはAブロックの公衆トイレの清掃をお願いします。
あちらの更衣室に作業着が準備されていますので、自分に合ったサイズの服を選んで着替えて下さい。
初めてという事なので、分からない事は聞いて下さいね。
そこの掃除が全て終わったら、またここに来て下さい」

唯「はい……」

今まで家事は全部憂がしていて、私は殆んど何もしていなかった。
家事だけではない。思えば、私は一人で何かをした事など無かった。
そんな私がここで出来る事は、トイレの掃除位なものだ。

私は作業着に着替え、指定された場所に向かった。


トイレットペーパーと石鹸液の補充、ゴミ箱の片付け、手拭きの交換……。
それが終わったら、汚れた便器と床をブラシで綺麗にする。
女性トイレが終わったら、次は男性の方だ。

男性トイレに入ると、鼻を突く異臭がした。
男性用便器は尿が飛び散り、周りが酷く汚れていた。

しかし、私はそんな事を気にせず、黙々と清掃作業を続けた。

私は、私に出来る事をするだけだ。
掃除だって、やろうと思えばちゃんと出来るんだよ、憂。

憂『凄いね、お姉ちゃん』
和『唯はやれば凄いから』
律『唯のキャラじゃないな』
澪『唯もやれば出来るじゃないか』
梓『流石です、唯先輩』
純『私、唯先輩を見直しました』
いちご『……悪くない。』
しずか『凄いよ、唯ちゃん』

みんなが応援してくれている気がした。

どんなに私が醜く弱い人間でも、みんなは私の味方で在り続ける。
今までもそうだし、これからも変わらないだろう。

私が生き続ける限り、その優しさが私の心を抉り続ける。

私の目からは、いつの間にか涙が溢れていた。

大切だった仲間達を全て失ってしまった私には、もう生きる気力など残っていなかった。
いっその事、死んでしまえればいいと思った。
そうすれば、この苦しみから解放される。

しかし、私が死ぬ事は許されない。

もし、ここで死んでしまえば、私を守る為にしてくれたみんなの行為が無駄になる。
だから、何があっても私は生きなければならない。
どんなに苦しくても、辛くても、「死」に逃げる事は絶対に許されない。

この苦痛は、私に与えられた罰なのだ。
私一人が生き残った罪。
みんなの痛みに気付かず、苦しみに気付かず生活していた罪。
自分の親友達を殺した罪。

私はなんて罪深いのだろう。

私はこの苦しみの中で生きる事により、その罪を償える。
私にとって生きる事が罰であり、贖罪なのだ。


私が実際に死を目にしたのは、憂と和ちゃんだけだ。
でも、澪ちゃんと純ちゃんは「崩壊」する直前だった。
彼女達が「崩壊」すれば、りっちゃんやあずにゃんも壊れてしまうだろう。

いちごちゃんとしずかちゃんの安否は分からない。
しかし、学校があんなになってしまったら、もう縋るモノは何も無い。
そんな状態で、彼女達の精神が長く持つ筈が無い。

私が軽音部最後の生き残り。
最も役立たずの私が、最後まで生き残ってしまった。


Aブロック最後の公衆トイレの清掃が終わる頃、時間は既に12時を過ぎていた。

食堂に行くと、既に多くの人達が作業着のまま昼食を取っていた。
私はお盆を持ち、食事の配給を待つ列に並んだ。

今日の昼食はカレーライスだった。

今度はちゃんと量を少なめにしてもらった。

配給係りの人に、そんなに少なくて大丈夫かと気遣われたが、
大丈夫ですと答え、早々にそこから立ち去った。

私は一番端の隅っこの席に座った。
一人ぼっちの食事。優しい誰かが隣に居る食事はもう二度と無い。
私はカレーを口に運んだ。

砂の味がした。

私は味覚を失っていた。
昔はあんなに楽しかった食事の時間。
けれど、今の私にとっては、何よりも苦痛な時間だった。


唯「……Aブロックの公衆トイレの掃除、終わりました……」

受付嬢「お疲れ様でした、彼女とは仲良く出来ましたか?」
平沢さんは今回が初めてと言う事で、彼女に同じ所へ行くようにしておきました」

唯「え……? あ、はい……」

私はずっと一人だった。
受付嬢の言う「彼女」なんて、私は知らない。

受付嬢「次はBブロックの公衆トイレをお願いします。
彼女が先に行っていると思うので、また一緒に清掃して下さい」

唯「……分かりました」

「彼女」とは誰の事だろう。
もしかして、受付嬢が何か勘違いしてるのではないだろうか。
あるいは、仕事の指定場所を間違えたか……。

そんな事を考えながら、私はBブロックの公衆トイレに来ていた。
やはりそこには誰もいなかった。

とりあえず、私はここから清掃する事にした。
彼女が同じブロックの公衆トイレを掃除しているのなら、そのうちどこかで彼女と遭遇する筈だ。


結局その日、彼女に会う事は無かった。
他のトイレが清掃されている様子もなかった。
ゴミ箱に溢れる程物が入っていた事がそれを証明していた。

しかし、私にとってそんな事はどうでもよかった。
他人の行動などには全く興味が無い。
誰が何をしようが、私は私のすべき事をするだけ。
むしろ一人になれて良かったとさえ思った。

私はもう誰とも関わり合いたくないのだ。

夕食後、私はすぐに浴場へと向かった。
人が来る前に入浴を済ませたかった。

案の定、この時間の浴場はまだ閑散としていた。
私はさっさと体を洗い、早々に浴場を後にした。

部屋に戻り、布団に倒れ込む。
まだ20時半、就寝時間までまだ時間がある。
しかし、起きていてもやる事など何も無い。
ふと、部屋の隅に置いてあるギターが目に入った。
でも、今の私にギターを弾く資格など無い。その必要も無い。
放課後のティータイムはもう終わったのだ。永遠に。

私は毛布に包まり、眠りに就いた。


それから一ヶ月が過ぎた。
夏休みも終わり、二学期が始まる頃だ。

ここは地下で、外の様子は全く分からない。
太陽の光が無いここの生活にも慣れた。
もう地図が無くても困る事は無い。

私はいつも通りに仕事を熟し、一人で夕食を取っていた。

本当は食事などしたくはなかった。
しかし、死なない程度に栄養を摂取しなければならない。

私は味の無い食べ物を無理やり胃袋に押し込んだ。
元々僅かな量しかない。
私の食事はすぐに終わる。

私は一層窶れ、地上にいた頃の面影など欠片も残っていなかった。

私は食器を返そうと席を立った。
その時、私は一人の女性に声を掛けられた。
私より2つか3つ位年上だろうか。

「あんたが平沢でしょ?」

その女性との面識は無かった。
何故私の名前を知っている?

その疑問は、すぐに解決した。

女「あたしは女。あんたと一緒に仕事してる事になってるんだけどさ」

私が仕事を始めた時から、彼女は私と一緒に仕事をしている事になっていた。
もちろん、それは表向きの事だ。
私が彼女にあったのは今日が初めてだし、私の清掃場所が、他の誰かに掃除されている形跡など一度も無かった。

受付嬢がたまに彼女の存在を仄めかす様な事を言っていた。
私はそれに適当な相槌を打って済ませた。

私にとって、この女の事などどうでもよかったのだ。
むしろ、一人で作業出来る事の方が私にとっては好都合だった。
それは、彼女にとっても願っても無い事の筈だ。
仕事をサボっても誰にもバレずにいられるのだから。

女「ちょっと顔貸しなよ」

食器を片した後、彼女は有無を言わせず私の腕を掴み歩き出した。


どうせ私の口止めでもする気なのだろう。
こんな事をしなくても、私は告げ口などしないのに。

私は貴女の事など、本当にどうでもいいのだ。
だから、私の事は放っておいて下さい。

私は心の中でそう何度も呟いていた。

私は彼女の部屋に連れて来られていた。
10畳程の部屋には、彼女のルームメイトらしき3人の女性が居た。
皆若く、歳は私と同じか少し上に見えた。

女2「うわ、なにそいつ」
女3「ちょーキモイんですけど」
女4「ウケルーw」

女「こいつが平沢だよ」

私は状況が掴めず困惑した。

自分が何故ここに連れて来られたのか分からない。
口止めをさせる為ではないという事だけは感じ取れた。

彼女は私に、私が想像した事以上に酷い事をさせようとしていた。


何が何だか分からずにいる私に、女は嘲笑いながら言った。

女「これからあたし達の仕事を、全部あんたにやって貰うから」

私はその時全てを理解した。
この人は最初から、私が告げ口などしない事を分かっていたのだ。
それを利用して、私にこの人達の仕事まで押し付ける気だったのか。

私が想像していたより、遥かに悪党ではないか。
彼女は私の髪を鷲掴みし、耳元で囁いた。

女「この事を誰かに言ったら、ただじゃおかないから」

唯「……。」

女「それじゃあまた明日、平沢さん」

私は部屋から追い出された。
私は明日から彼女達の仕事もする事になる。

好都合だった。

私は女に感謝した。


次の日、朝食を済ませ、受付で指示をされた後、私は彼女達との待ち合わせ場所に向かった。

そこで私は彼女達の仕事を聞き、その仕事もする。
彼女達も、私と同じ清掃係りの様だ。

女「じゃあよろしくね、平沢さん」
女2「ありがとう平沢さん」
女3「大好きだよ、平沢さん」
女4「またね〜」

彼女達は私に仕事を押し付け去っていった。

私の仕事は4倍の量になった。
物理的には不可能な仕事の量だが、適度に手を抜き、私はそれらの仕事を上手く遣って退けた。

いつの間にか、私は要領良く仕事を熟す術を身に付けていた。

人間やれば出来るものだ。
私はそれから一週間、毎日そつなく仕事をやり遂げた。

そんな私に、新たな仕事が加わった。
彼女達の「ストレス解消」だ。


私は毎日夕食後、彼女達の部屋に呼び出され暴行を受けた。
体中痣だらけになったが、顔だけは無事だった。

この事実が表沙汰になれば、彼女達もただでは済まない。
露出する部分に彼女達は手を出さなかった。
私は入浴を、終了時間ギリギリの人がいない時に済ませる様になった。

仕事の激務と暴行によって、私の体はボロボロになっていた。
私が動く度、体が悲鳴を上げていた。

その痛みが、今の私にとっては心地良かった。

私が生きる理由、それは「贖罪」だ。
私にとって生きる事とは、「贖罪」なのだ。
痛み苦しみが増える程、それは満たされるのだ。

しかし、まだまだだ。
この程度の痛みや苦しみで許される筈などない。
皆が受けた傷と痛みはこんなものではない。
あの痛がりの澪ちゃんが自分の腕に付けた傷に比べれば。

いっその事、私に死をも齎す苦痛を与えよ。


彼女達に関わってから一ヶ月が過ぎようとしていた。
何をされても反応しない私に、彼女達は興味を失い始めていた。

ある日、私はいつもとは違う場所に呼び出された。
男性の居住区の一室に私は呼ばれたのだ。
そこにはいつもの女達と、柄の悪そうな5人の男達がいた。

男達は私に侮蔑の眼差しを向け、大声で笑い出した。

どうやら私の容姿を嘲笑する為に呼び出したようだ。

私はそのまま、何もされず帰らされた。

下種な男達に厭らしい行為を強要されるのではないかと思ったが、今の私には、男達の性欲を掻き立てる色香など皆無であった。


他人を傷付ける事によって、愉悦、充足感を得る。
俗悪、蔑視に値する者達。人間の屑。

でも、私は貴方達を許し、受け容れよう。

彼女達もあの男達も、思えば哀れでちっぽけな人間だ。
彼女達には、私達の様な人間関係を築く事は永遠に出来ないだろう。
この世で一番大切なモノを、彼女達は知らない、得られない。

私を傷付ける事で心が満たされると言うのなら、好きなだけ嬲るがいい。
それで私も救われるのだ。

互いにとって悪くない話だろう?


いつの間にか、私は彼女達から「ゾンビ」と呼ばれるようになっていた。
無気力、窶れて隈の出来た顔、伸びたぼさぼさの髪、今の私に相応しい渾名だ。

「人間」と「ゾンビ」の違いは何か?
私が思うに、それは「心」が有るか無いかだ。

私の「心」は、もう既に死んでいる。
贖罪意識が私の体を動かしているに過ぎない。
「平沢唯」はもうこの世に存在しないのだ。

私の妹と友人達はゾンビだった。
でも、みんなには「心」があった。
強く優しい「心」を彼女達は持っていた。
最後の最後まで「人間」で在る事を貫き通した。

それに比べ、私はどうだっただろう。
私は人間である事を悲観し、自らゾンビになろうとさえしていた。

私の人としての「心」はその時点で死んでいたのではないか?

「ゾンビ」だったのは私の方だ。
私こそが「ゾンビ」だったのだ。


私は今まで、ゾンビ達の中で暮らす唯一の人間だった。
そして今、人間達の中で暮らしている、ただ一人の「ゾンビ」なのだ。

周りの人達がゾンビになったから、私の生活は変わってしまったのだと思っていた。
しかしそうではない。周りなど関係無かったのだ。

私の生活が変わってしまったのは、私自身が「ゾンビ」になっていたからなのだ。

私は自分がずっと人間であると思っていた。
その事に何の疑問も持たずにいた。
だから気付けなかった。
自分が「ゾンビ」になっている事に。

私は既に「ゾンビの平沢」だったのだ。



もう何も考えたくない。思い出したくもない。

私は思考を停止させた。
痛みや苦しみさえも、今の私は感じる事が出来なくなっていた。

そんな私に、女達は完全に興味を失った様だ。
彼女達が私を呼び出す事は無くなっていた。

清掃場所はいつも同じ所をローテーションしている。
彼女達に会わなくても、どこに行けばいいのか分かっていた。

私が彼女達と会う事は無くなっていた。

私は日々をただ生きる屍と化した。
思えばそれは今に始まった事ではないのかもしれない。
それも最早どうでもよい事だ。

ただ生き、ただ死ぬ。
これこそ私に相応しい人生ではないか。

私は一日の仕事を終え、自分の部屋へと向かっていた。

「唯ちゃん……?」

私の背後から、聞き覚えのある声がした。

その声は、私に今までに無い衝撃を与えた。
心臓が激しく脈打ち、脳に電流が迸った。
私の脳裏に過去の映像が鮮明に甦る。

この声はムギちゃんだ。

私の脳内では、ムギちゃんとの思い出が高速で再生されていた。
最初に会ったその日から、最後に会ったあの日まで。

唯「……ムギ……ちゃん……?」

私は振り向いた。

そして同時に言葉を失った。



そこに立っていた少女、琴吹紬である筈の少女……。

その姿は、私の記憶の「琴吹紬」からは掛け離れていた。
髪は荒れ、目には酷い隈ができ、頬は痩せこけ、体は骨と皮になっていた。
美しい髪の膨よかな少女は、あまりにも変わり果てていた。

紬「やっぱり唯ちゃんだったのね!」

ムギちゃんは私に抱き付いた。
以前私がムギちゃんに抱き付いた時とは、似ても似付かぬ感触だった。

紬「唯ちゃん……無事で良かった……」

ムギちゃんは涙を流していた。
私の目からも涙が溢れていた。

でも、私が泣いたのはムギちゃんとの再会が感動的だったからではない。
あまりにも変わり果てた親友の姿に涙したのだ。

涙など、疾うに枯れ果てたと思っていた。
痩せ細った私の体のどこにこれ程の水分が残っていたのだろうか。

私の涙は止め処なく流れ続けた。

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