唯「ゾンビの平沢」

[list]



★4

唯3年 7月17日

またあの日の夢を見た。
あの日から二ヶ月近くも経っているのに、まるで昨日の事の様に鮮明に頭の中に残っている。

時計を見ると、目覚ましが鳴る10分前だった。
寝汗を掻いてしまったので、シャワーでも浴びよう。

シャワーの後、いつもの様に身嗜みを整え、朝食とお弁当を準備、起きてきた憂と朝食を食べ、家を出る。

玄関を出ると、いつものように和ちゃんがいて、互いに挨拶をする。
今日も昨日と変わらない、いつも通りの一日が始まる、この時の私はそう思っていた。

ふと空を見上げると、今にも雨が降り出しそうな程、黒く厚い雲に覆われていた。

和「午後から激しい雨が降るそうよ」

大丈夫、私はギターに掛ける防水カバーと、傘を2つ持ってきていた。


教室に入り席に座る。
窓から空を眺めると、雨がしとしとと降り始めていた。
外はまるで夜の様に暗く、それを見ていると私の心まで暗くなる。

早く音楽室に行きたい……。

私はさわちゃん先生が来るのをひたすら待っていた。

さわちゃん先生は、大体8時40分頃に私達の教室に来る。
しかし、今日は遅い。時計は既に9時を回っていた。

心臓の鼓動が早く、激しくなった。
あまりにも遅すぎる。
教室がざめき立ち始めた。

さわちゃん先生は、この学校の最後の教師だった。
そういう意味で、軽音部以外の生徒達にとっても彼女は特別な存在だった。

この場所が今でも「学校」であり続けられるのは、彼女の存在があったからこそだと思う。
その彼女がいなくなってしまったら……。

私の体は震えていた。
私はどうにかしてそれを止めようとした。
しかし、私の体は荒波に漂う筏の如く、自分の意思ではどうにも出来ない状態だった。


突如、停電が起き、教室も街も光を失った。
その時私達は、この停電が一過性のものだと思っていた。

しかし、失われた光が戻る事は無かった。
その理由はすぐに想像できた。
ライフラインを管理する「ゾンビ」達に異変が起きたのだと。

現代の人間は、電気に依存し過ぎている。
それを失えば、私達の生活は根底から崩壊する。

それは人間の精神を破壊するのに十分過ぎる出来事だった。

外からあの声が聞こえてきた。
まるで地獄の釜の蓋が開いたように。
私の脳裏には、あの日の映像がフラッシュバックされていた。

実際、あの日の再現がこの教室で起こりつつあった。

「世界は終わったんだ!」
「私達はもう終わりだ!」
「こんなのもう嫌!!」

教室から一斉に悲観と絶望に満ちた叫びが響いた。

和「……ここから出ましょう」

和ちゃんの一声で、私達は教室から出る事にした。
私はギターケースを背負い、席を立った。

「待ちなよ」

一人の生徒が私達の前に立ちはだかった。

「なんでお前だけ『人間』なんだよ……」

その子は私を睨み付けた。
その一言にクラス中の視線が集まった。

彼女のその言葉に含まれた意味を、皆即座に理解した。

『一人だけ人間のままなんて許せない』

『お前もゾンビにしてやる』

律「そこを退けよ……」

律「退けって言ってんだよ!!」

りっちゃんが立ちはだかっていた子を突き飛ばした。
それが乱闘のきっかけになった。
軽音部とクラスの子達の総力戦となった。

りっちゃん達は服の内側に隠し持っていた武器を取り出した。

軽音部の皆はこういう時の為に武器を携帯していた様だ。
そんな事、私は全然知らなかった。

和「近づくな!!」

和ちゃんが叫んだ。初めて聞く怒声だった。
先頭にりっちゃんと和ちゃんが立ち、サバイバルナイフを振り回した。
躊躇している余裕など全く無かった。
二人のナイフがクラスメイト達を切り裂いた。

いちごちゃんとしずかちゃんと澪ちゃんは、私を取り囲み、近付いてくる子達に容赦なく一撃を浴びせていた。
いちごちゃんは、アイスピックの様な物で相手の顔を狙い突き刺した。
澪ちゃんとしずかちゃんは、果物ナイフのような物を振り翳していた。

それらの一連の動きに、一切の無駄は無かった。
恐らく、私が知らない間にあらゆる事態を想定して、行動の打ち合わせをしていたのだろう。

この中で私だけが無力だった。
「おねえちゃん!」

入り口の方から、憂の叫ぶ声が聞こえた。
その手には、大きな出刃包丁が握られていた。
それで憂は近づく者を薙ぎ払い、いつの間にか私のすぐ横に来ていた。

梓「唯先輩!!」

扉付近にあずにゃんと純ちゃんが見えた。
二人はスタンガンの様な物を持っていた。

クラスメイト達は、あずにゃんと純ちゃんが私達の仲間である事を知っていた。
二人が教室に入ろうとするや、彼女達に数人の子が襲い掛かった。
咄嗟にスタンガンを押し付けたが、ゾンビの勢いに圧倒され、二人は押し倒された。

律「梓ぁぁぁぁぁー!!」

その時、アカネちゃん、三花ちゃん、ちかちゃんの3人が、あずにゃん達に襲い掛かってる子達を引き離した。
そして、そのままその子達と取っ組み合いを始めた。

やっぱり3人は私達の味方だった。

和「憂、唯を安全な所へ連れて行って! 早く!!」

憂「わかった、和ちゃん!」

憂は私の手を引っ張り走り出した。
あずにゃん、純ちゃん、澪ちゃんが私達に付いてきた。

和ちゃんとりっちゃんは、まだ教室内で戦っていた。
いちごちゃんとしずかちゃんは、アカネちゃん達に加勢していた。

奇声、悲鳴、怒号、それらが混じり合い、学校を覆い尽くした。
それに呼応するかの様に、1年生、2年生が次々と凶暴化し、私達の前に立ちはだかった。

先頭に憂が立ち、行く手を阻む者達を容赦なく皆殺しにした。
ある者には側面から首に包丁を突き刺し、ある者には心臓に包丁を突き立てた。

憂が一刺しすれば、刺された者は瞬く間に崩れ落ち、動かなくなった。

私達は音楽室に向かった。
憂は前方の敵を全て排除し終えると、
今度は素早く後方に移り、追ってくる者達に刃を振るった。

私達は音楽室の前まで辿り着いた。
階段の下には、私達を追ってきたゾンビ達もいる。

あずにゃんと純ちゃんは、スタンガンを私に手渡し、入り口に置いてあったバットを手に取った。

梓「唯先輩と澪先輩は中に! 私達はあいつらを食い止めます!」

そう言うと、私を音楽室に押し込め、ドアを閉めた。
澪ちゃんは即座にドアの鍵を閉めた。

梓「私達が言うまで絶対にドアを開けないで下さい!」

純「梓、来る!!」

梓「澪先輩、唯先輩をお願いします!」

そう告げた後、階段を下りて行く音が聞こえた。
ドアの向こうからは、金切り声が絶え間なく響いてきた。

澪ちゃんはソファーに座って震えていた。
怖がりの澪ちゃんにとって、今の状況は耐え難いものの筈だ。
澪ちゃんが私を守るんじゃない。私が澪ちゃんを守るんだ。

私は両手にスタンガンを持ち、音楽室の入り口を見据えた。

澪「唯……ごめん……」

澪ちゃんが突然小さな声で私を呼んだ。

唯「何? 澪ちゃん?」

澪「唯……ごめんな……」

唯「澪ちゃん……どうして謝るの?」

澪「私は……もう駄目だ……もう耐えられそうにない……。
私もあいつらと……同じになる……」

唯「澪ちゃん……」

私は、ソファーに座っている澪ちゃんの正面に移動した。
澪ちゃんは震えながら、制服の袖を捲り上げ、自らの右腕にナイフを突き刺していた。

唯「澪ちゃん! 何してるの!?」

澪「もう駄目だ……痛みでも抑えられないんだ……」

澪ちゃんの右腕の肉は削げ落ち、白い骨が見えていた。

私はその傷を見て、全てを理解した。
何故澪ちゃんがベースを弾かなくなったのか。

弾けなかったんだ。

あの様子では、右腕の神経は完全に切断されている。

澪「私は弱い人間なんだ……律みたいに強くなれないんだ……。
唯の事が大好きだったから、唯を傷付けない様に頑張った……。
私がもっと唯を好きだったら……もっと頑張れたかもしれない……。
ごめん唯……ごめんな唯……」

澪ちゃんは俯き、呻き声を上げた。

私の目から涙が溢れた。

あの痛がりの澪ちゃんが、血を見るのが怖い澪ちゃんが、骨が見えるまで自分の腕を傷付けていたんだ……。
私を傷付けない為に、自分をこんなに傷付けていたんだ。
それなのに……それなのに澪ちゃんは私に謝るなんて……。

澪ちゃんはこんなに頑張ってくれた。私なんかの為に。

彼女が私に謝る事なんか何一つ無い。
むしろ私が謝らなければならないのに。

私は澪ちゃんを抱きしめた。
ごめん、ごめんね澪ちゃん……。
澪ちゃんの腕がこんなになっても気付かないでいてごめんね。

嗚咽しながら、私は澪ちゃんに謝罪を繰り返した。

恐らく、他の皆も同じだろう。
私が考えている以上に、皆の病状は進行している。
そして、衝動を抑える為に自らを傷付けているのだ。

痛みで自我を保っていたんだ。

だから、夏なのに冬物を着ていたんだ。

自らの傷を隠す為に……私に悟られない様に。

思えば、私は憂の腕の肌すらずっと見ていない。
憂はいつからか、家でも常に長袖の服を着ていた。

そんな妹の変化にも気付かなかったなんて。

皆、自分を犠牲にして私を守っていたんだ。
私はそんな事も露知らず、自分の事ばかり考えていた。

私はなんて罪深いのだろう。

その時、ドアを叩く音がした。

律「澪、唯、私だ! 駐車場に行くぞ! 和達が車で待機してる!」

私はドアまで走り、鍵を開けた。
ドアを開けると、りっちゃんとあずにゃんと純ちゃんが立っていた。

唯「りっちゃん……澪ちゃんが……澪ちゃんが……」

律「澪がどうした? 澪?」

ソファーに座ったまま、澪ちゃんは立とうとしない。

律「何してる澪、行くぞ!」

澪「私は行けない……律、唯を任せたぞ……」

律「何言ってんだよ澪! お前も来い!」

澪ちゃんは静かに立ち上がり、こちらを見た。
右手からは血が滴り落ちている。
それを見て、りっちゃんも理解した。

律「澪……」

りっちゃんは澪ちゃんに近寄り、力強く抱き締めた。

律「唯、行ってくれ。梓、純ちゃん、唯を頼む」

梓「……分かりました。」

あずにゃんが私の手を引っ張った。

私はそれに抵抗する事も、何か言葉を発する事も出来ずにいた。
ただただ、私は引き摺られる様に歩いた。

澪「何で……律が……まだここにいるんだ……?」

律「お前を残して行けるわけないだろ……」

澪「律は強いな……私達よりずっと前に感染しているのに……」

律「私が居なくなったら、澪は一人じゃ何もできないだろ……」

澪「律には……食肉衝動が無いのか……?」

律「……。」

澪「あるんだな……。いつからだ……? どうして今まで……何も言わなかったんだ?」

律「……それを言ったら、お前が怖がるだろ……」

澪「律なら……怖くない……。何があっても……お前なら怖くなんてない……。
ゾンビになっても……私はお前にずっと傍に……いて……欲しかったんだ……」

律「そっか……。私はお前の傍にいていいんだな……?」

澪「当たり前だろ……馬鹿律……」

律「なら、私はずっと澪と一緒にいるよ……」

澪「ありがとう、律……」

律「……馬鹿。」

澪「律……」

律「何だ、澪?」

澪「律……私を……殺して……くれないか……?」



外は激しい雨になっていた。

駐車場に着くと、憂が私達を見つけて手招きをしている。
その近くの車から、エンジンを掛ける音が聞こえた。
運転席には和ちゃんが乗っているのが見える。
あの日に死んだ教師のスポーツワゴンだ。
和ちゃん達は、事前に車のキーを確保していたらしい。
いざという時に、車で逃れる為に。

和「いちごとしずかは来ないわ。早く乗って!」

二人は怪我をしたアカネちゃん達を残して行けなかったらしい。

ゾンビ達……崩壊者達がすぐ後ろに迫ってきていた。
憂は助手席に、私達3人は後部座席に乗り込んだ。

和「しっかり掴まってなさい!!」

和ちゃんは勢いよくアクセルを踏み込んだ。
私達は、その衝撃で座席に体を打ち付けた。
和ちゃんは、立ち阻む者達を勢いよく跳ね飛ばした。
フロントガラスにはヒビが入ったが、そんな事はお構いなしだった。

純「和先輩って運転出来たんですね」

和「操作の仕方はネットで調べたわ」

梓「この辺はもう駄目ですね……」

和「そうね。それじゃあ、梓の家に行くわね」


私達はあずにゃんの家に来た。
家の広さ、構造から、何かあった時はここに避難する予定だったという。
窓やドアは頑丈に補強されていて、食料や日用品、武器等が貯めてある部屋もあった。
ここに立て篭もれるよう、少しずつ皆で集めていたらしい。

またしても、私の知らない所で物事が進んでいた。
こういう計画は、主に和ちゃんとりっちゃんが立てていたらしい。

私達はあずにゃんの部屋に集まった。

梓「電気とガスは駄目です。水道はまだ平気みたいですね」

和「ここに来るまでの街の様子からみて、この街はもう終わりね……」

憂「……」

純「……これからどうします?」

和「街を出るしかないわね……」

梓「行く当てはあります?」

皆の家族は既にいなくなっていた。
携帯の連絡がつかない事から、死亡しているか、崩壊者になっている可能性が高かった。
私の両親もずっと音信不通だ。
和「都市部なら物資は豊富だろうけれど、その分、危険かもしれないわ。
地方の方が、人が少ないから安全性は高いと思う。
それに、場所を選べば自給自足だって可能よ」

純「サバイバル……ですか?」

和「問題無いわ」

梓「和先輩がそう言うと、何か安心できますね」

憂「和ちゃんは何でもできるんだよ〜」ニコ

和「フフフ、ありがとう」

和ちゃんは小さい頃から何でも出来た。
和ちゃんが問題無いと言うのなら、その通りなのだろう。

それに比べて私は……。

唯「ちょっとお手洗いに行ってくるね」


私はそんなに切り替えが早く出来る人間ではなかった。
ここに居ない友人達の事を考えると、胸が苦しくなった。

何も出来ない私が、こんな事を言える立場じゃないのは分かっている。
私が一番皆の足を引っ張っていた事も自覚している。
その事を思うと、私は眩暈がし、吐き気を催した。

私はトイレで何度も嘔吐した。
暫くすると、胃から吐き出す物は何も無くなっていた。

部屋に戻ろうと扉の前まで来ると、中から会話が聞こえてきた。

純「……唯先輩をゾンビにすべきです」

私はドアノブに手を掛けようとしたが、それを止めた。


梓「純、あんた何言ってんの? そんな事出来るわけないでしょ!?」

純「じゃあ、これからずっと唯先輩を守っていけるの?
澪先輩だってああなっちゃったんだよ?
もしかしたら、私達が唯先輩を殺しちゃうかもしれないじゃん!」

憂「……。」

和「梓も純も落ち着いて……」

純「私達だって、いつ凶暴になるか分かんないでしょ?
みんな痛みで症状を紛らわせて隠してるだけじゃん!
唯先輩がゾンビになれば、少なくとも襲われる事は無いんだよ?
他の奴らにも、私達にも! 私の言ってる事、間違ってる?」

梓「そ、それは……」

和「純……。私も憂も、唯をゾンビにする気は無いわ。
私達は、何があっても唯を守り続けるから」

純「和先輩達はいいですよ。
和先輩は唯先輩の幼馴染だし、憂は妹だし。
唯先輩に対する想いが強いから、自我を保てるでしょうね。
でも、私と梓は違うんですよ。
この中で凶暴化するとしたら、まず私で、次に梓でしょう?
そうしたら、和先輩はどうしますか?」

和「私は……貴女達が凶暴化したら、躊躇無く貴女達を殺すわ」

純「でしょうね。貴女にとって大切なのは唯先輩と憂ですもんね。
私と梓なんて、邪魔になったらいつでも切れるんでしょ?
貴女にとって、私達はその程度の存在なんですよね。
私だって、貴女が梓を殺そうとするなら、貴女を殺す事に躊躇しませんから。
ぶっちゃけ、私達と和先輩の人間関係なんてそんなもんですから、ねえ?」

憂「純ちゃん……」ポロポロ

梓「そんな事言うのやめてよ純……」ポロポロ

純「私は梓の為に言ってるんだよ。
梓が唯先輩を大好きなのは分かってる。
でも、和先輩や憂に比べたら、その気持ちは敵う筈が無い。
だとしたら、そのうち梓も唯先輩を傷付けるかもしれないんだよ?
大好きな唯先輩を傷付ける事になってもいいの?」

梓「それでも、私は唯先輩にゾンビになんかなって欲しくない……。
私が凶暴化しても、憂と和先輩が唯先輩を守ってくれる……。
私は唯先輩の為なら……死んでもいいの!」

純「何で梓はそこまで……私達がゾンビになったのだって、唯先輩のせいじゃん!」

唯「それってどういう事……?」

私は純ちゃんの言葉を聞いて、無意識のうちにドアを開けていた。

梓「唯先輩……」


純「私達は憂を追い掛けて校舎に入った後、ゾンビに襲われて多目的室に隠れたって言いましたよね。
その時は私達、まだ噛まれて無かったんですよ。」

梓「純……やめて……」

純「物陰に隠れて、ゾンビ達をやり過ごそうとしてたのに……」

梓「もう……やめてよぅ……」

純「唯先輩、梓に電話したでしょ?」

梓「やめてぇぇぇぇぇぇー!!」

唯「あ……あぁ……」

純「バイブって、静かな所だと結構響くんですよ……音が」

唯「あぁ……あぁぁぁぁ……」

純「唯先輩の電話のせいで、私達ゾンビに見つかって噛まれたんですよ!!」

唯「うああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

私は目の前が真っ暗になって、その場に倒れ込んだ。

憂「お姉ちゃん!!!」

唯「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

私はそのまま意識を失った。


どの位眠っていただろうか。
目を覚ますと、私はあずにゃんのベッドの上にいた。
横を見ると、憂がベッドに寄り掛かり、居眠りをしていた。
憂にもちゃんと毛布が掛けられていた。

和「目が覚めた?」

唯「……あずにゃんと純ちゃんは?」

和「別の部屋にいるわ……」

時計の針を見ると、午後の4時を指していた。

唯「和ちゃん……もう無理だよ……」

和「大丈夫、唯は何の心配もしなくていいのよ……」

唯「嫌だ……もう嫌だ……限界だよ……」

和「大丈夫、大丈夫だから……。唯なら絶対大丈夫だから……」

唯「何で和ちゃんはそんな事言うの……?
酷いよ……。私は和ちゃんみたいに強くないから……」

和「私は強くなんかないわ……出来る事をしているだけなの」

和ちゃんの目からは涙が溢れていた。
和ちゃんは私を強く抱きしめた。

和「唯がどんなに辛いか分かってる。
唯がどんなに悲しんでいるのかも分かってる。
それでも、私は唯に人間のままでいて欲しいの。
私が唯にお願いする、最初で最後の我侭なの。
お願い唯、最後まで諦めないで。
唯が諦めてしまったら、私も諦めてしまうから。
唯が諦めなければ、私は私のままでいられるから……」

唯「ずるいよ和ちゃん……。
私は今までずっと和ちゃんに迷惑を掛けてきたから……、そんな事を言われたら……私は和ちゃんに逆らえないよ……」

和「私はずるい女なのよ……」

唯「和ちゃんの意地悪……」

和ちゃんは私の頭を優しく撫でてくれた。

唯「和ちゃん、左腕を見せて……」

和ちゃんは制服を脱ぎ、ワイシャツを捲くって腕を見せてくれた。
広範囲に包帯が巻かれ、その包帯は血で黒く染まっていた。
それはゾンビ達に因るものではない。
その傷は、和ちゃんの自傷行為に因る物だ。

唯「私は和ちゃんをこんなに傷付けていたんだね……。
和ちゃんだけじゃない、他のみんなも、私が傷付けていたんだ……。
ごめんね……ごめんね和ちゃん……」

和「唯……、これは傷なんかじゃないわ。
これはね、私がまだ人間であるという証なの。
大好きな人を守ったという勲章なのよ。
私はね、何があっても最後まで人間でいたいの。
確かに、体はウイルスに侵されてゾンビになってしまったかもしれない。
でもね、心は……心だけは、絶対にゾンビになんかなったりしないわ」

その時、ドアの向こうから啜り泣く声が聞こえてきた。
ドアが開き、あずにゃんと純ちゃんが入ってきた。

和「……聞いてたの?」

梓「ごめんなさい……」

純「ごめんなさい、和先輩……。
私、和先輩の気持ちなんて、全然考えてませんでした……。
ただ自分が苦しくて、辛くて、どうしようもなくて、
梓の為とか言って、自分の不満をぶつけていたんです……」

純「ごめんなさい、唯先輩……。
唯先輩は悪くないって分かってるんです……。
誰かの所為にしてしまいたかっただけなんです……。
ごめんなさい……ごめんなさい……」

純ちゃんは大声を出して泣き出してしまった。
和ちゃんは純ちゃんを抱きしめた。
その声で憂は目を覚ました。

憂「純ちゃん、泣かないで……」

憂も純ちゃんを抱きしめた。
私もあずにゃんも、純ちゃんを抱きしめた。

私は、軽音部の4人で抱き合って泣いた日の事を思い出していた。

その日、私達は涙が枯れるまで泣き続けた。
泣き疲れた私は、そのまま眠りに落ちてしまった。


翌日朝7時、私達は目覚ましのベルで目を覚まし、
身支度を整え、この街を出る為の準備に取り掛かった。

朝食を済ませた後、あずにゃんの家の大きなワゴン車に必要な物を詰め込んだ。

和「それじゃあ、出発しましょう」

目的地は長野の軽井沢に決まった。
以前、そこに核シェルターを作ろうという話があったのを、ネットで見た気がすると、あずにゃんは言う。

誰もそんな話を信じているワケではないけれど、どうせ行く当てもない旅だ。
もしかしたら、本当にそれがあって、そこに避難している人達がいるかもしれない。
そんな淡い夢を見ていた。

カーナビを軽井沢駅にセットして、私達は軽井沢へと向かった。

今回は安全重視の為、法定速度以下のスピードで走っていた。
その途中で、私達はこの国で起きている惨状を目の当たりにする。

荒れ果てた街並み、放置されたままの死体……。
桜ヶ丘町はそれらに比べれば断然ましだった。

途中、瓦礫や放置された車によって通行出来ない道もあった。
迂回したり、車から降りて障害物を取り除いたり……。

軽井沢駅に着く頃には、すっかり辺りは暗くなっていた。


和「ここも電気は駄目みたいね。
電気が無いと、建物の中は暗くて危険だわ。
今日は車内で寝ましょう」

和ちゃんは、車を駅の駐車場に止めた。
今日はここで一泊する事になる、誰もがそう思っていた。
そんな時、駅の方から人影が近付いて来るのが見えた。

唯「誰か近付いてくるみたい……」

皆武器を手にした。私も両手にスタンガンを握った。
けれど、昨日スタンガンを手にしたあずにゃんが、相手に押し倒されている所を思い出し、私は2つのスタンガンをポーチの中にしまい、代わりに金属バットを手にした。

私達は息を潜めて、相手の出方を伺っていた。
どうやら、こちらの存在に気付いてはいないらしい。
人影は私達の車から離れていった。

しかし、安心してはいられなかった。
駅の中から次々と人影が現れたのだ。
耳を澄ますと、奇妙な声が聞こえてくる。
私達は確信した。彼等は「人間」じゃない。

幸いにも、彼等は私達に気付いていなかった。
このまま息を潜めていればやり過ごせる、そう思っていた。

その時、荷物の中の目覚まし時計が鳴り響いた。
時計は7時を示している。
今日掛けた目覚ましを完全に止める事を忘れていた。

私達に気付いた彼等は、奇声を発しながら物凄い勢いで私達に向かって来た。

和ちゃんはエンジンを掛け、一気にアクセルを踏み込んだ。
どこに向かうのかなど、考えている余裕は全く無かった。
とにかく、この場から離れる事だけを考えていた。

道なり数百メートル進んだ所で、突然車は停止した。ガス欠だった。
後ろを見ても、彼等の姿は見えない。
しかし、彼等が発する奇声は、確実に私達に近づいて来ていた。

和「車は捨てて行きましょう!」

私はギターケースとポーチ、バットを持って車を降りた。
暗闇の中、私達はただ只管に走った。

梓「あの建物に隠れましょう!!」

そこはこの街の公民館だった。


私は入り口のガラス戸をバットで破壊した。

私達は、その公民館の最上階である3階の一室に身を潜めた。
その部屋は見晴らしが良く、私達が走ってきた道路を見渡せた。

また、バルコニーには非常階段が設置されていて、万が一の時には、素早く外に逃げる事も可能だ。
和ちゃんとあずにゃんは、そこから外の様子を伺っていた。

暫くして、二人が部屋に戻ってきた。

和「アイツ等は私達を見失ったみたいよ」

梓「明日になったら、一度荷物を車に取りに行きましょう」

和ちゃんは頷いた。

和「軽井沢って、夏なのにこんなに涼しいのね。
今日がずっと曇りだったからかもしれないけれど。
毛布か何か無いか、ちょっと探してくるわ」

梓「私も行きます」

二人は部屋から出て行った。


和ちゃんの言う通り、ここは凄く肌寒かった。

あの日以来、あまり私に寄り添う事の無くなった憂が、ぴったりとくっ付いて、うつらうつらとしていた。
その様子を、純ちゃんが部屋の隅っこで一人体育座りをして見ていた。

唯「純ちゃんもこっちにおいで……」

純ちゃんは立ち上がり、私の横に来てちょこんと座った。
純ちゃんは私の肩に頭を寄り掛からせた。

もこもこの髪の毛が私の顔に当たり、少し擽ったかった。
私は二人を優しく抱き抱えた。

唯「あったか、あったかだよ……」

純「あったかいです……」

純ちゃんは小さく呟いた。
私はそのまま眠りに落ちていた。


ふと、目が覚めた。
外は既に明るくなり始めていた。

私達は、いつの間にか毛布を掛けられ、布団の上に綺麗に寝かされていた。
右には憂と和ちゃんが、左には純ちゃんとあずにゃんが小さな寝息を立てていた。

私は彼女達を起こさぬよう、静かに布団から出た。
部屋からこっそりと抜け出し、私はお手洗いに向かった。

用を足し、手を洗っていると、廊下の方から物音が聞こえた。

唯「誰?」

私が廊下に出ると、そこには血塗れの巨漢が立っていた。
男は私を無感情な目で見詰め、次の瞬間、奇声と共に私に襲い掛かってきた。

私は反射的に悲鳴を上げた。

私の声に反応して、皆が部屋から飛び出してきた。
私は男から離れようとしたが、すぐに掴まってしまった。
男は私の首を両腕で締め上げる。

憂「お姉ちゃん!」
和「唯!」
梓純「唯先輩!!」

4人は一斉に巨漢に飛び掛り、男の腕を私から引き離そうとした。

急いで来た為か、誰も武器を持っていなかった。
腕力には圧倒的な差があり、男の手はなかなか私から離れない。
私は目の前が真っ白になり、意識が朦朧としていた。

純ちゃんが男の腕に思いっ切り噛み付き、
あずにゃんが男の目に指を突き刺した。

刹那、私は重力を失った。
私は男に投げ飛ばされ、壁に頭と体を打ち付けた。

唯「ううぅぅぅ……」

男は奇声を上げ蹌踉めき、手摺りから階下へ落下していった。
私の名前を呼ぶ声がしたけれど、頭がぼーっとしてよく分からない。

私はそのまま意識を失った。

[しおりを挟む]




















×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -