唯「ゾンビの平沢」

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★7

私は大きな浴場で、一人湯船に浸かりながら考えていた。
あの時和ちゃんが言った言葉を……。

和『私は強くなんかないわ……出来る事をしているだけなの』

人は何故失敗をするのか。
出来ない事をしようとするから失敗する。
以前、和ちゃんはそう言っていた。

今になって分かる。
私はいつも、自分に出来ない事をしようとしていた。

私は皆を守ろうとした。だから皆を失ったのだと。

和ちゃんは、私を守る為なら純ちゃんを殺すと言い切った。
あの時、私は和ちゃんを心の中で非難した。
何故、友人を殺すなどと簡単に言えるのかと。

でも、それは間違いだったのだ。

和ちゃんには覚悟があったのだ。
何があっても私を守るという覚悟が。
私以外の全てを犠牲にしてでも守り抜くという覚悟が。

誰かを守るという事は、つまりそういう事なのだ。
それ位の覚悟が無ければ、一人の人間を守る事など出来はしないのだ。


私が今生きているのは、皆がその命を賭して私を守ってくれたからだ。
私にも、皆の為に命を張る覚悟があった。
この身を犠牲にしてでも守りたいと思っていた。

しかし、大切な誰かを守る為に、仲間の命すら奪うという覚悟は私に無かった。

私にとって、一番大切な人は憂だった。
でも、憂とあずにゃんのどちらかしか助けられない状況になったら……。

咄嗟の判断であれば、私は反射的に憂に救いの手を差し伸べてしまうだろう。
でも、そこにもし考える時間があったとしたら……。

私にはあずにゃんを見殺しにする事が出来ないだろう。
誰か一人を絶対に守り抜くという「覚悟」が私には足りないからだ。

結果、どちらも助ける事が出来ず、二人を失うのだ。

優柔不断、中途半端……。
だから肝心な選択肢を見誤る。

でも、私はもう迷いはしない。
今、私は「覚悟」を決めた。

『私はムギちゃんを守る』

私はムギちゃんを守る為なら、他のあらゆるモノの犠牲を厭わない。
何を犠牲にしてでも、ムギちゃんを守り抜く。

私のみんなに対する贖罪は、今ここで終わりを告げた。

ごめんねみんな。みんなの事を考えていると、ムギちゃんを守れないんだ。

和ちゃん、色々大切な事を教えてくれてありがとう。
りっちゃん、いつも私に元気を分けてくれたね。
澪ちゃん、貴女のお陰で私は強くなれたんだよ。
あずにゃん、初めての私の後輩が貴女で良かった。
純ちゃん、陰でいつも皆に気を遣ってた事、私は知ってるよ。
いちごちゃん、しずかちゃん、短い間だったけど二人と仲良くなれて良かったよ。

そして憂、何もしてあげられなくてごめんね。今までありがとう。

浴場から出て脱衣所に行くと、私の為の服が用意されていた。
汚れた方の服は斉藤さんが持っていった様だ。

私は用意された服を来て、ムギちゃんのいる医務室へと急いだ。


医務室に行くと、斉藤さんと見た事の無い男性がいた。
この人がムギちゃんのお父さんの様だ。

医師「あ、平沢さん……」

唯「ムギちゃんの具合はどうですか?」

医師「大丈夫、眠っているだけだよ。
怪我よりも疲労の方が心配だね。
だけど、点滴も打ってるし、明日には元気になるよ。
だから、今日は静かにゆっくりと眠らせてあげてね」

私達は医務室を後にした。

斉藤「平沢様、少しお時間を頂いて宜しいでしょうか?」

私に対する口調が敬語になっていた。
私は二人の後を付いていった。

そこは特権階級の居住区、初めて来る場所だ。
私達の居住区とは全く異なり、照明も扉も全てが艶やかだった。

私はその一室に招かれた。
部屋は広く豪勢な家具で飾られ、大きなガラス戸から外を眺める事も出来た。

私は久しぶりに空を見た。
東京で見る空とは違い、星がとても綺麗に輝いていた。

私が用意された椅子に座ると、斉藤さんはお茶の準備を始めた。
私達に紅茶を差し出すと、自らも席に着いた。
暫く沈黙が続いたが、紬父が話を切り出した。

紬父「君にはこちらの居住区に住んで貰いたい」

紬父「紬があそこに居るのは、君と一緒に居たいからなのだろう?
君がここに来れば、あの子もこっちに戻ってくる。
あそこは汚いし危険だ。碌でもない人間も多い。
君もあんな所より、こちらの方がいいだろう?」

唯「……」

紬父「もう働く必要は無いし、君にも優雅な生活を約束しよう。
君は紬と仲良くしてくれれば、それで良い。
君の欲しいものは全てこちらで用意しよう」

唯「……」

紬父「君が喧嘩した相手、彼等は他にも色々トラブルを起こしてるみたいでね、
ここから出て行ってもらう事にしたよ。紬もこれで安心するだろう

私の娘を脅すとは、本当に愚かな連中だ」

唯「……やっぱり」

紬父「ん?」

唯「貴方は自分の娘の事が全く分かっていないんですね」

紬父「……それはどういう意味だね?」

唯「……言葉通りの意味です。
お願いですから、これ以上紬さんを傷付けないで下さい」

紬父は不快感を顕にした。

紬父「君の言っている事がよく理解できないのだが……。
詳しく説明して貰えるかね?」

唯「……紬さんがどの様に脅されていたか知っていますか?」

紬父「いや、詳しくは聞いていない」

唯「誰かに言ったら、私に危害を加えると脅したんです」

紬父「ほう、それで?」

唯「何故その事を貴方や斉藤さんに言わなかったか分かりますか?」

紬父「それは君に危害が加えられる事を恐れたからだろう?」

唯「……。そんなワケないでしょ……」

紬父「……?」

唯「貴方や斉藤さんなら、私一人を守る事なんて簡単に出来た。
例えば、私をこちらの居住区に匿えば、彼女達は手を出せませんよね?」

紬父「確かに、一般人は許可なくこちらの居住区には入って来れないからな。
では、何故、紬は私達に何も言わなかったと?」

唯「私はその時、こちらの居住区に来れない理由があったんです」

紬父「その理由も気になる所だが……。
しかし、君がこちらの居住区に来れないとしても、君を守る方法などいくらでもある。
そもそも、私の娘を脅した連中など、即外に放り出してやる。
この施設から追い出せば、君にも紬にも手は出せまい」

唯「……だから言わなかったんですよ」

紬父「? ……どういう事だ……?」

唯「……まだ分かりませんか?
紬さんは彼女達を施設の外に出したくなかったんです」

紬父「言っている意味が分からん。何故だ?
紬は何故あいつらを施設の外に出したくないのだ?」

唯「施設の外は危険だからです」

紬父「外が危険だから……?」

唯「紬さんはとても優しいんです。
例えどんなに傷付いても、どんなに傷付けられても……、
誰かを傷付ける事なんてしたくないんです。
貴方や斉藤さんに彼女達の事を言えば、貴方達は彼女達を傷付けるでしょう?
さっき貴方が言った様に、あの地獄へ彼女達を放り出すと……。
だから彼女は誰にもこの事を言わなかった。
彼女達を守る為に。
紬さんは、自らを傷付けた相手を、必死に守っていたんです」

紬父「そ、そんな……馬鹿な……」

唯「でも、私は彼女の様に優しくはなれなかった。
私は怒りに身を任せ、彼女達を傷つけました。
彼女達が私をこれ以上苦しめないように。
私は自分が傷付きたくないから、彼女達を傷付けたんです」

唯「私は紬さんの思いを裏切りました。
でも、後悔なんてしてません。
私はもう決めたんです。
何があっても彼女を守るって。
だから、貴方もこれ以上彼女を傷付けないで下さい」

紬父「……」

唯「貴方はさっき、私がここに来れない理由が気になると言いましたよね。
その理由は、紬さんが私と一緒にいる理由と同じなんです」

紬父「……」

唯「……贖罪。」

紬父「……贖罪?」

唯「私達が、紬さんの姿をあんな風にしてしまった原因なんです」

紬父「……君は……軽音部の部員なんだね……」

唯「……私が軽音部で生き残った最後の一人です」

そうか、と小さく呟き、紬父は天井を見詰めた。

紬父「私は、紬が軽音部の仲間達をあんなに愛しているとは思わなかった……。
高校を卒業した後はドイツに留学する事になっていたし、軽音部など、ただの暇潰しに過ぎないものだと思っていたのだ。
友人などまた新しく作ればいい、暫くすれば、紬も高校の友人の事など忘れてしまうだろうと思っていた……。
だから私は、少しでも早く忘れられるよう友人と連絡を取る事さえ禁止した」

紬父「だが、私の考えは間違っていた。
いつまで経っても紬は君達の事を忘れられず、拒食症を患い、今の様な姿になってしまったのだ。
紬をあんな姿にしてしまったのは私だ。
そして君達にも謝らなければ……すまなかった」

唯「私達は貴方を恨んだりしていません。
親友である彼女が安全な所にいられればそれで良かったんです」

紬父の目からは涙が流れていた。

唯「私はここで紬さんに会って、無事を確認出来て嬉しかった……。
でも、紬さんの今の姿を見て悲しかった……。
だから、これからは紬さんの傍にいてあげたい……。
悲しみも苦しみも、もう一人で背負って欲しくないんです。
私の事を命懸けで守ってくれた妹や友人達の様に、今度は私が紬さんを守ってあげたいんです……」

紬父と斉藤さんは、私に全面的に協力してくれると言った。

私は部屋を後にし、再び医務室に戻った。
そこにはもうムギちゃんの姿は無かった。

彼女は特権階級の人達が利用する医療施設に移動させられていた。
そこは私がいた医務室とは全く様子が違っていた。
広く綺麗で、何やら凄そうな医療機器まで配備されていた。

そこの医師にお願いし、特別にムギちゃんの傍に居させて貰える事になった。
ムギちゃんは広くて綺麗な個室のベッドの上に横になっていた。
私は部屋にあった椅子をベッドの横に移動させそこに座った。

ムギちゃんは天使の様に優しい寝顔をしていた。
私はムギちゃんの髪を優しく撫でた。

唯(何があっても絶対にムギちゃんを守るからね……)

私はムギちゃんの手を握り締めた。
細く硬くなってしまった彼女の手……。
でも、とても暖かかった。

彼女の手を握ったまま、私は眠りに落ちていた。


翌日、私の方が先に目を覚ました。

小さな寝息が聞こえる。ムギちゃんはまだ寝ていた。
私達の手はまだしっかりと握り合っていた。

私が立ち上がろうとしたその時、ムギちゃんは目を覚ました。

紬「……唯……ちゃん……」

唯「私はここにいるよ、ムギちゃん」

紬「私……まだ生きているのね……」

唯「そうだよ。私達は生きているんだよ……」

ムギちゃんの目からは涙が溢れていた。

紬「どうして……私はまだ生きてるの……?
唯ちゃん……私はもう生きるのが辛いの……。
私も……早くみんなの所に……逝きたいわ……」

唯「ムギちゃん……?」

紬「もうみんな死んでしまったのでしょう……?」

唯「……いつから気付いてたの?」

紬「最初に唯ちゃんの姿を見た時から分かってたの……」

やっぱりムギちゃんを騙す事なんて出来なかったんだ。
ムギちゃんは私が気を遣って嘘を付いている事を見抜いてた。
私の為に、ムギちゃんは騙された振りをしていたんだね……。

唯「ごめんねムギちゃん……。私、嘘を付いてたの……」

紬「ううん、いいの唯ちゃん……。
私も唯ちゃんに嘘を付いてたの……。
唯ちゃんに謝らなくちゃいけないの……」

唯「もういいんだよ、全部終わったから……」

紬「あの人達は大丈夫かな……?」

ムギちゃんは自分を傷付けた人間達の心配をしていた。
どうして彼女はこんなにも優しくいられるのだろう。

私とムギちゃんは一体何が違うのだろう。

私は彼女に、全てを伝えた。
私があの女達を傷付けた事、紬父と話した事、そして、ムギちゃんが桜ヶ丘高校からいなくなった後の事を。


紬「そんなに辛い事があったのね……」

唯「私はムギちゃんの姿を見て、どうしても本当の事が言えなかったの……。
これ以上ムギちゃんを傷付けたくなかったから……。
でも、私はもうムギちゃんに嘘や隠し事をしたくないの。
だから、ムギちゃんも私にそういう事はもうしないで。
私達は一人じゃない、二人なんだよ。
悲しい事も辛い事も、楽しい事も嬉しい事も、全部二人で分かち合いたいの」

紬「うん……。もう唯ちゃんに嘘も隠し事もしないと誓うわ」

唯「私は今まで過去ばかり見てたの……。
命懸けで守ってくれたみんなに、ずっと申し訳ないと思っていたの……。
でも、私はもう過去に縛られない。
それは過去を、みんなを忘れるって事じゃない。
過去と向き合って、未来の為に生きるの」

紬「唯ちゃんは強いのね……」

唯「私は全然強くなんか無いの……。
私は、今、私に出来る事をしているだけなんだよ、ムギちゃん……」

紬「私は……私には無理だわ……。私は唯ちゃんみたいに出来ない……」

唯「それでいいんだよ、ムギちゃん。
私とムギちゃんは違う人間なんだもの。
無理に同じ事をしようとする必要は全然無いんだよ。
ムギちゃんに出来て、私に出来ない事もいっぱいあるの。
ムギちゃんは、ムギちゃんに出来る事を精一杯すればいいんだよ。
足りない部分は二人で補えばいいんだよ」

唯「ムギちゃんには過去を割り切る事が難しいかもしれない。
それはムギちゃんが優しいからなんだよ。
だから、無理に変えようとする必要なんて無い。
少しずつでもいい。たまには立ち止まったっていい。
それでも私は、必ずムギちゃんの隣にいるから。絶対にいるから。
私と一緒に未来へ行こう、ムギちゃん」

紬「唯ちゃん……」

唯「まずはここでゆっくり休んで、元気になろう?
それが今、ムギちゃんに出来る事だよ……」

紬「分かったわ、唯ちゃん……」

唯「ムギちゃんが退院するまで、この部屋で一緒に寝ていいかな?」

紬「もちろん、是非そうして欲しいわ」

その時ドアが開き、紬父と斉藤さんが部屋に入って来た。

唯「あ、あとムギちゃんに見せたい物があるの。
それと、部屋も引っ越す事になったから、私ちょっと行って来るね」

紬「分かったわ」

私は二人に頭を下げ、部屋を出た。


私が彼女に見せたい物……。
それは、放課後ティータイムの演奏DVD。

これを見たら、彼女は懐かしさと共に苦しみをも得るかもしれない。
それは私も同じだ。
でも、私達は今、このDVDを見なければならないと思った

過去が消える事は無い。
楽しかった事、嬉しかった事、苦しかった事、悲しかった事……。
その全てが、今の自分を構成している要素なのだ。

だから目を背けてはならない。
私はもう目を背けない。

全てを受け入れ、私は前に進むんだ。

大好きなムギちゃんと一緒に。

部屋の前に着くと、数人の男達が部屋の家具を運び出していた。
ムギちゃんが来た時に持ち込まれた物達だ。

私は男達に軽く頭を下げ、部屋の中に入った。

私の私有物は、まだ部屋に置かれたままになっていた。
制服、ギター、ポーチ。私の全財産。

私はポーチの中を確認した。
そこには、スタンガンが2つと小さなナイフが1つ、皆と一緒に写っている沢山の写真達、そして5枚のDVDが入っていた

私はそれらを持ってムギちゃんの待つ病室に向かった。


ムギちゃんの個室のドアを開けると、芳ばしい香りが漂ってきた。

部屋に置いてある台の上には、豪勢な食事が一人分だけ用意されていた。

紬「まだ食事を取ってないでしょう?
斉藤が唯ちゃんの朝食を用意してくれたの。
遠慮しないでいっぱい食べてね。
食後のデザートも用意してあるのよ」

笑顔でそういうと、ベッドの横に置いてあるバスケットを指差した。

唯「……ありがとうムギちゃん。
ムギちゃんは……食べないの?」

紬「私は食欲が無いから……。
でも大丈夫よ。サプリメントを飲んでるし、点滴もしているから」

やっぱり、ムギちゃんはまだ食べられないんだ……。

私は席に着き、用意された食事を食べ始めた。
あれだけ良い香りがしていたのに、口に入るとそれはまるで無機物の様だった。
美しい料理達も、今の私にとっては何の魅力も価値も無かった。

しかし、私はそれらを全て胃に収めた。
何度も逆流しそうになる無機物を、私は強引に押し戻した。

ムギちゃんを守る為に、私は身も心も強くならなければならない。
食事は私の肉体を強化する儀式なのだ。
砂であろうが泥水であろうが、必要であるならば全て飲み込んでやる。

台に置かれた料理達は、跡形も無くその姿を消した。

唯「ごちそうさまでした、もう食べられないよ〜」

紬「あ、唯ちゃん、アイスもあるのよ?」

ムギちゃんは冷蔵庫を指差して言った。

唯「流石に今は無理だよ〜。後で一緒に食べようよ」

紬「……そうね、そうしましょう」

唯「お腹一杯になったら、なんだか眠くなっちゃったよ……」

紬「唯ちゃん、こっちに来て」

そう言って、ムギちゃんは私に手招きをした。
私はその言葉の意味を理解し、ムギちゃんのベッドに潜り込んだ。

セミダブルサイズのベッドだけれど、二人でも全然窮屈ではなかった。

紬「おやすみ、唯ちゃん」

ムギちゃんは優しく私の頭を撫でてくれた。
それはとても心地よく、私の眠気は一気に増した。

少しだけでいいから、今は私を眠らせて……。

私はムギちゃんの細い体に寄り添い、目を閉じた。
ムギちゃんの優しい匂いに包まれ、私は眠りに就いた。


1時間程寝ていたらしい。

目を覚まし隣を見ると、ムギちゃんは布団から上半身を出し、 背もたれに寄り掛かり、静かに本を読んでいた。

部屋を見渡すと、台の上の食器は全て綺麗に片付けられていた。
その代わりに、色鮮やかな果物とお菓子が用意されている。

ムギちゃんは私が目覚めた事に気付くと、本を閉じてそれを脇に置いた。

紬「おはよう、唯ちゃん」

唯「寝ちゃってごめんね、ムギちゃん」

紬「ううん、全然構わないわ。唯ちゃんの可愛い寝顔も見れたもの」

そう言って、私に明るい笑顔を見せてくれた。

唯「そうだ、私、ムギちゃんに見せたい物があったんだ」

私はベッドから出て、ポーチからDVDを取り出し、ムギちゃんに見せた。

紬「それは何?」

唯「放課後ティータイムの演奏DVDだよ」

唯「ホントはね、すぐにでもムギちゃんにこれを見せてあげたかったの。
でもね、私はみんなの事を思い出すと悲しくて、辛くて、苦しくて……。
どうしてもこれを見る事が出来なかった……。
だから、このDVDの事をムギちゃんに言えなかったの……。
ごめんね、ムギちゃん……」

ムギちゃんは、優しい顔でゆっくり首を横に振った。

唯「でもね、今ならこのDVDを見れると思う。
ううん、観なきゃいけないと思うの。
そうしないと、私は前に進めない気がするから……。
だから、ムギちゃんと一緒にこのDVDを見たいの」

ムギちゃんは首を縦に振った。

紬「一緒に観ましょう、唯ちゃん」

唯「ありがとう、ムギちゃん」

部屋の隅には大きな薄型テレビが置かれ、DVDプレイヤーも備えてあった。
しかし、ベッドから観るには少し距離が離れている為、私はテレビの横にあったノートパソコンで観る事にした。

ベッド用の食事台を設置し、その上にパソコンを置いた。
画面が見やすくなるように、ベッドの角度も調整した。

私はムギちゃんの隣に座り、パソコンの電源を入れた。

唯「これは1年の学際ライブ、これは2年の新歓ライブ、こっちが2年の学際ライブ、これが3年の新歓迎ライブで、これが……あれ? これは何だろう……?」

一枚、表面に何も書かれていない、私の知らないDVDが入っていた。
とりあえず、私は3年の新歓ライブのDVDをパソコンにセットした。

唯「これは3年になった私達の、新歓ライブの映像だよ」

和『次は、軽音楽部の演奏です』

唯『皆さん、入学おめでとうございます。
私達軽音楽部は、5人と部としては少ない人数ですが、お茶したり、お喋りしたり、毎日楽しく過ごしています。
あ、練習もたまにします!』

律『たまにかよっ!』

新入生『あははははっ!』

唯『私が軽音部に入った当時は、何の楽器も出来ませんでした。
そんな私でも、優しい仲間達のお陰で、今ではギターが弾けるようになりました。
ですから、初心者でも音楽を楽しみたいという方は、是非来てください。
勿論、経験者でも大歓迎です! 誰でも大歓迎します!』

唯『続いて、メンバー紹介!
私はギター&ボーカルの平沢唯です!』チャラリーラリチャラリラリラー

澪『何でチャルメラ!』

新入生『あははははっ!』

唯『ツッコミ担当ベースの澪ちゃん!』

澪『何だその紹介はっ!』ベベンベンベンベーン

唯『我等が部長、ドラムのりっちゃん!』

律『いえーい!』ドゴドゴドゴドゴジャーン

唯『愛しの後輩、可愛いあずにゃん!』

梓『唯先輩、恥ずかしいです!』ジャンジャンジャンジャラーン

唯『そして、皆を陰から支えてくれた、キーボードのムギちゃん!
家の都合で転校してしまいましたが、ムギちゃんはいつまでも私達の大切なメンバーです。
今日は新入生の皆さんと、ムギちゃんの為に演奏したいと思います』

唯『それでは、聴いて下さい! ふわふわ時間!』

律『ワン、ツー!』カチカチ

ムギちゃんは食い入るように画面をじっと見詰めていた。
その目からは涙が零れ落ちていた。
ムギちゃんは手で涙を拭う事をしなかった。
真っ直ぐに画面を見詰め、一瞬でも視線を逸らす事は無かった。

映像が終わると、ムギちゃんは小さな声で呟いた。

紬「どうして……私はみんなを裏切ったのに……一人で逃げたのに……」

唯「私達は、本当にムギちゃんの事をそんな風に思ってないんだよ……。
みんなムギちゃんの事が大好きなんだよ。
その気持ちは絶対に本当だから。
ステージの上のキーボードがその証拠だよ。
ムギちゃんは、永遠に放課後ティータイムの仲間だから……」

紬「唯ちゃん……」

私はムギちゃんを抱き寄せ、頭を優しく撫でた。
ムギちゃんは大声で泣いた。
私は、ムギちゃんが泣き止むまで頭を撫で続けた。

思いっ切り泣いて、全てを吐き出して。
悲しみも苦しみも、一人で抱え込まないで。
ムギちゃんはもう一人じゃないのだから。
今までムギちゃんが皆を支えていたように、今度は私がムギちゃんを支えるから。

その為に私はここにいるのだから。


紬「ごめんね、唯ちゃん。取り乱しちゃって……」

唯「いいんだよ、ムギちゃん。もう、泣きたい時には我慢しないでいいの。
好きなだけ泣いて。私がムギちゃんの涙を全部受け止めるから」

紬「ありがとう、唯ちゃん……」

唯「次はこのDVD……タイトルも書いてなくて、何だか分からないけど……」

私はDVDを入れ替えた。
この中には何が入っているのだろう?
もしかしたら、何も入っていないかもしれない。
だが、それもすぐに分かる事だ。

映像が流れ始めた。
映し出されたのは誰もいない部室。

いや、カメラに人が写っていないだけだ。
何を話しているかは聞き取れないけれど、微かに話し声がする。

2人?3人?いや、もっといる。
皆聞き覚えのある声だ。

一体これは何だ……。

日付は……2010年……今年の7月3日?

澪『それじゃあ、準備はいいか?』

純『バッチシです、澪先輩』

いちご『……問題ない。』

律『んじゃ、行くぞ!』

律澪梓和純いちごしずか『いえ〜い!』

律澪和『唯、ムギ、見てるか〜?』

梓純『唯先輩、ムギ先輩、ゾンビのアズジュンでーす!』

梓『って、何これ〜! やっぱりもっと普通に行こうよ!』

純『いいじゃん、梓〜。こっちの方が絶対面白いってば!』

しずか『ムギちゃん、私達、軽音部の新メンバーです』

いちご『ムギ、元気にしてる? あと唯も。』

律『いちごとしずかもムギと仲良かったのか? 渾名で呼んでるし』

しずか『私は一年生の時に同じクラスで、少し話した事があったから』

いちご『私は話した事が無いけれど、みんながそう呼んでたから。』

律『話した事も無いのに渾名で呼んだのかいっ!』

いちご『別にいいでしょ。軽音部のメンバーだし。』

律『だったら私の事をりっちゃんって呼んでみて!』

いちご『やだ。』

梓『もう、いい加減にして下さいよ、律先輩!』

澪『……』ゴツン

律『ってぇ……。なんであたしだけ……』

いちご『自業自得。』

和『とりあえず、話進めるわよ』

純『ですね』

しずか『これを企画したのはりっちゃんなの』

澪『新生放課後ティータイムを映像で残して置きたいっていうのと、もしかしたら、今後唯がムギと会うかもしれないし、そしたらムギに私達の事を見て欲しかったんだ』

梓『ムギ先輩に言いたい事もありますしね』

律『まぁ、唯がムギと会えたらの話なんだけどな』

梓『絶対会えます!』

和『まぁ、唯って物凄く運が良い子だからね』

律『確かに、憂ちゃんの姉って時点でかなりの強運の持ち主だよな』

純『あ、それ分かります』

しずか『憂ちゃんって、すっごくいい子だもんね』

律『あたしも憂ちゃんみたいな妹欲しかったな〜』

澪『お前には聡がいるだろ』

律『いらねーよあんなの』バッサリ

いちご『ちなみに、唯は憂と一緒に帰宅。』

律『唯がいたら、サプライズ映像じゃなくなっちまうからな』

純『それは私のアイデアです』フンス

律『そうそう、鈴木さんのアイデアだぞ』

純『鈴木さんじゃありませんっ! ってアレ?』

律『ん?』

純『やっと覚えてくれたんですね、律先輩!』

律『そりゃあ同じ軽音部のメンバーだからな、佐藤さん!』

純『って、間違ってるし! てか、ずっとワザと間違えてましたよねっ!』

律『てへっ、バレちゃった?』

澪『……』ゴツン

律『だから何であたしだけ……』

和『それより律、澪、梓、あんた達はムギに言いたい事があるんでしょう?』

律『あ、そうだった。え〜おほん! あー、ムギさん? えーっとですね……』

いちご『……。』ゴツン

律『いってぇーな澪! ……って思ったらいちごかよ!』

いちご『……一度殴ってみたかった。』

律『っておい! なんだそりゃ! 理不尽だ! なんて可哀相なりっちゃん!』

澪『……』ゴツン

律『……本当に理不尽だ。ぅぅ……』

純『本当に話進みませんねこれ……』

しずか『あ、あはっ……あはは……』

律『まぁ、こんな感じなんだよ、ムギ』

梓『私達はムギ先輩の事、怒ったりしてませんからね』

澪『ムギは優しいから、私達の事を気にしてるんじゃないかなって思ったんだ。
一人だけ遠くに行ってしまった事に、負い目を感じてるんじゃないかって……。
でも、そんな事気にする必要は全くないぞ?
何があっても、例えどんなに離れてても、私達は仲間だ。
ムギは永遠に放課後ティータイムのキーボードだからな』

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