第9話・御膳、完了







青年を軸にホールは急にサイズを変え、開口部の方向を床面と平行にシフトした。
ノーマンが瞬きした直後にはマシャラの姿は影も形もなかった。青年の姿は上半身のみ投影したホログラムのように、まっすぐ宙に生えていた。
ノーマンは歯を剥き出して唸った。獣のように眉間に深く皺をよせ、青年を威嚇する。アレクが乱射を懸念したのか軍曹の肩を掴むが、青年はどこ吹く風だった。

「中々良い子だったろ?カーライル軍曹」

アレクはそっとグロック18のバレルを掴み、ノーマンに銃を下ろすよう促した。既にアレクの相棒は、額に稲妻のような青筋を走らせて爆発寸前だ。人間の目から見てもすこぶるまずい。
青年はそれでもにっこりと、このような状況下でなければとても人好きのする笑いを浮かべた。ほのかに上品な香水の匂いすら漂う。ブルジョワが闊歩するあの百貨店通りで茶を嗜んでいてもおかしくない体だ。

「動かないでもらえると有難いな。じゃないと寺でお仕事してる人間爆弾達をカウントしなくちゃいけなくなる。ルントーさんにはあれほど寺に入れるなって伝えたんだけどね、今の騒ぎで野次馬がちょっぴり入り込んだみたいで…あ、1度に2人ずつ起爆なんてどう?」
「この前てめえにそっくりなエセ紳士に会ったばっかりだよ、皆で揃ってお稚児趣味か?自分たちが何やらかしてんのか自覚ないほど、年端もいかねえ子供にベタ惚れか?」

ホールが徐々にその向きを変え、床面と平行を保ったかと思うと徐々に下降を始めた。青年の全身がゆっくり現れ、増援になだれ込んだ人員が迅速に彼を囲む。
しかし、ノーマンもアレクも確保は無理だと悟った。
青年は緩く撫で付けた艶の良い髪からつま先まで、余す事無く姿を隠さない。だが肝心のものが、影法師が一かけらも見当たらず、その体もわずかに浮遊していた。

「そっちこそ、子供たちをこんなに怯えさせた代価はそれなりだと思うなあ」

青年の朗らかで透き通るような声は良く通った。その青年が陽光差し込む明るい学童部屋に浮いている。青年を通して「何か」が天啓をもたらそうというような、不思議な光景だった。
ノーマンはアレクの手を振り払おうともがいた。しかしそこは流石ロボットである。銃身を覆った手は頑として彼に引き金を引かせない。

『アレク!このあほんだら!』
『味方に当たってしまう。恐らく今ここにいる彼はホログラムだ』
『出力装置もないのにどうやって幻像を展開させてるんだ?』
『この部屋全体にその手の装置が設置されている。本来なら子供達の授業で使うための機器だ』

ノーマンは大きな舌打ちをした。青年は肩をすくめた。

「先生のお話、面白かったでしょ?あの人はエセなんかじゃない、生粋の紳士だもの」
「ゲロ吐くくらいには抱腹絶倒だったぜこの野郎」

電脳内でマシャラに関する情報をあらん限りの速度で開いては閉じる。研究所に引き取られた彼の経歴、年齢、身長体重、街頭で隠し撮りした画像…ノーマンの心のどこかで引っかかっていた情報が次々と、ニューロンが発展するかのように繋ぎ直され整列する。
マシャラの写真、背後に映った前髪の異様に長い男。この前髪を撫で付ければこの青年が出来上がるのだろう。この男も『良家』だと軍で特定が成された筈。
名前は、確か。

「ライゼナウ」

青年の顔から初めて笑みが消えた。表情という表情が消えた。全くの無は彼を覆い隠す。
アレクは咄嗟にノーマンを背に隠そうと動いたが、ノーマンの筋肉で隆起した頑強な肉体がそれを許さない。
当たりを撃ち抜いたようだ。
ほんの一瞬だったが2人は見逃さなかった。青年の、ライゼナウの顔に憎悪か嫌悪か、醜悪な負の感情が過る様子を。

青年は高らかに笑った。

「流石軍曹、大正解だ。そうと来たら話はもっと早い方が良い。僕達が、僕のマシャラも含めて研究所の面々が正規に生体パーツを扱っている現状も含めて、研究所、…いや、研究所を有する公国がどのような計画を進めているのか、お話させてもらいます。先生もお待ちかねだし。正式にアヴェリン次期外交省長官においで願おう」
「再三のご招待ってわけか?お前らを出合い頭に殴り飛ばせるなら考えてやっても良いぞ」

そして憎悪は顕現する。ライゼナウの見開かれた目と三日月のようにたわむ唇は、ノーマンと一線を隔す凶悪を孕んでいた。

「貴方みたいな生粋の軍人と手合わせ、ぞくぞくしちゃいますね」

冗談を言っている風には聞こえなかった。
涼やかな青年は胸ポケットから上等な名刺を取り出す。ホログラムは徐々に薄れ、最後には名刺を携えた腕だけが残り、やがて名刺だけがはらりと床に落ちた。


アレクが綿密に解析したのち名刺は鑑識の手に渡り、駆け付けた警官達も寺の周辺で人払いや入念なガサ入れに走り回った。
ノーマンとアレクも軍と警察双方からガンガンと通信を受け取った。大半は早急な帰還命令とお叱りの怒号。お互いのデータ送受信をある程度同期していた為、アレクはともかく人間であるノーマンはみるみるうちに「網膜酔い」を起こす。

「これだから電脳の施術は最後まで断ってたんだよ…くっそグロッキーだ」
「軍曹」
「あんだよ」
「見事な手際だった」

けが人はゼロだった、とアレクはわずかに表情を緩めた。ロボットなのだから、表情筋の微妙な操作もある程度意識的に行うわけで、その穏やかさにきっと嘘はない。
そっと、大柄なヒューマノイドは屈んでノーマンに目線を合わせる。
捜査陣に追い出されるように帰還命令に従った彼らは寺の外で腰を下ろした。
アレクは米神をぐりぐりマッサージしていたノーマンの冷や汗を、質感の良いハンカチが拭い去る。しかし合金の装甲を覆うスキンは見た目よりゴワゴワしていて、ノーマンは思わず吹き出した。警官らしいと言えば警官らしいゴツさだ。

「そりゃお前の感想か?機械に言われたって嬉しかねえし。俺は無駄撃ちしただけで、大体は向こうの手の上で踊り狂って終わったぞ」

死傷者ゼロとはいえ、学童の預かり所として機能していた寺は見るも無残に荒れ果ててしまった。立て続けに入る通信と周囲の喧噪から察するに、ここは本当にただの寺院として信仰と教育の場を提供する施設だったらしい。事実その痕跡しか見つからず、ドラッグや銃火器など露ほども見つからなかったのだ。

「…良家の連中だろうな、ゴロツキを全部追い出して、ついでに賄賂も握らせて寺を拠点にしちまったんだ」
「そして中身は刷新し、表向きは慈善活動の一環という風だったと?」
「ああ、まー、海尊街のストリートチルドレンやら貧しい親と働くチビどもが急に減った、って統計は出てたしな…なあ、アレク」
「何だ、軍曹」
「ノーマンとかでも良いぞ」
「ノーマン」
「おうよ、…待て、もうちょっと間が欲しい」
「ノーマン」
「おうよ、…お前はオウムか」

アレクは始終真面目にノーマンの言葉に耳を傾けていたが、明らかに嬉しそうだった。
2人並んでみるとアレクの方がやたら足が長く、機械の癖に置き場を持て余しているように見える。対して鍛えに鍛えたノーマンの両足は歴戦を踏みしめてきただけあって丸太のようだ。日焼けもしている。
ここまで対照的な2人が捜査をそれっぽく終わらせた今日は奇跡と言えるだろう。

「アレク、お前、街角のおまわりさん続けてても良い線行ってたんじゃねえか?」
「そうも言っていられなかったんだ。ロボットとして高度な捜査や捕物を可能にするには、初号機体群の1人である私が先陣を切ってサーティーン・コードの実績を積む必要があった」

ふーん、とイエスかノーか分からない音がノーマンの喉から抜ける。まだ学生だった頃にサーティーン・コードに関する記事は読んだ気がする。創始者の名前もその時見た筈だが中々思い出せない。
アレクとノーマンの頭脳はまだ同期状態にあった。アレクがノーマンの検索する様子から察したのか、

「サーティーン・コード設計者のフランクリン博士は私の父親のようなものだ」
「…あー、うちの娘がてめえのオヤジの大ファンだ、思い出したぞ」
「飼い犬のイヌモドキ君も連れて一度遊びに来ては」
「何でイワンの事まで知ってんだよ、つくづく嫌な奴」

ノーマンは懐から煙草を取り出す。やけに傷つき汚れたジッポが妙に、アレクの記憶に印象深く足跡を遺していった。




軍で1回、警察本部で1回。2人はキチンとお叱りを受けて始末書も書き、それでも任務そのものは継続して従事すべし、と命令を受けてその日に備える事となった。
その日。アヴェリン書記官の護衛として、『良家』の治める公国へ出向く日だ。それまでは、と言っても1週間程度であったが、調査報告や形式にのっとった合同訓練でノーマンとアレク、および周辺関係者は忙しない。
それにしても。アヴェリンが次期外交省長官から大統領の座を目指しているとはいえ、公国の関係者が直々に指名したとあっては帝国政府も彼の背を押す他はない。

俺が胃袋に弾丸詰められたあの夜はノーカンかよ、とノーマンは政府からの通達を何通も受け取っては毒づく。無論、あの喪服男が軍を、青年ライゼナウが政府を動かしたと考えればこの状況に差し支えはない。この国での軍の発言権は周辺諸国に比べ馬鹿に出来ないからだ。
帝国は大戦後ジヌス大陸と呼ばれる地盤の旧い大陸に建国された。今やこのジヌス大陸や海に座する国家を先導して強大な国家に成長したが、海向こうの大陸オルビスを制する共和国とは中々そりが合わず、火種を抱えて久しい。
その為、ジヌス側の防護を支える帝国軍が相応の力を持っていなければ、あっという間に共和国に清浄な土地が占領されてしまう。だからこそ、ほぼ中立を保ってきた公国との国交がどれだけ物を言うことか、帝国に住む者であれば重々承知していた。

世界のパワーバランスを左右する程の「情報」とは、それを内包するブラックボックスとは如何ばかりのものか。ただ自分たちは備えるしかないのだ。



そしてここ数日は警察での打ち合わせ、および模擬演習で予定は詰め放題。ということでノーマンは暇さえあれば、アレクとカフェでささやかに休憩を取った。

「まあ日常会話は流石だな。尋問なんかも任されてるだけある」
「尋問も勿論だが、実は街中で巡回をしたり、特に迷子を保護したりといった時の方が会話の訓練ははかどるんだ」

ノーマンはカフェの新製品だと言うウインナーコーヒーをテーブルに置き、アレクを覗き込んだ。アレクはロボット用のメニュー、いわば潤滑油に近いゲルをゼリーのようにスプーンで食べている。

「…やっぱりおまわりやってる方が良いんじゃね?アレク」
「それは君もだろう。出来れば前線に出て欲しくはないと、ここ数日演習に付き合ってもらいながらずっと考えていた」
「巡回ロボと一緒に門番やってろって?いっぺん前線で良い思いしちまうと難しいな」

未だ考えの甘いこのロボットを張り倒してやりたいところだが、この前の合同訓練中に一発殴ったら軽く拳が痣まみれになったのを思い出し踏みとどまった。

「そんなものなのか」

この後も演習は控えている。アレクは指の細かなジョイントにゲルが行き渡るよう、軽い手遊びを始めた。

「まあ、機械がダウングレードとかアップグレードするみてえにいかねーんだよ。人間の脳みそは学習したり慣れるもんじゃない。度を越したら速攻で依存しちまう仕組みでな」

言っておくが、自分のように戦争が天職だと思ってる奴はわりかしヤバイのだ。
ノーマンは笑いながら付け加えた。アレクはそこに何を考えたのか、しきりに不思議な光沢を放つ目をくるくる収縮させていた。



なんだかんだ言って、一貫してノーマンは素手でアレクを殴り飛ばす。
初日からそれは譲らない。それでもって無駄な傷や痣を滅多に作らない手腕は警察関係者を驚かせた。軍の威信を示す目的もあっての合同訓練であったが、直に軍曹はそのまま「鬼軍曹」の名を欲しいままにした。

握りこめば鋼のような一発がアレクのジョイントを的確に叩く。あまり突きこむと幾ら合金のボディといえど痛むので、体勢を崩す程度に留める。その加減もノーマンはあっという間に把握してしまった。
そこにアレクも負けず劣らず、ノーマンの手管をその場で文字通り叩き込まれて成長していく。ロボットなりの独特な訓練法というものは一応あるのだが、人間相手に作られたヒューマノイドが人間を師とするならば。
アレクの事を知る同僚達も興味津々だ。

関節を叩かれて体勢を崩され、そこへ瞬時に持ち直す。
そして長身に似合わぬ素早いアレクの手刀は、銃弾が掠めるような音を立て空気を引き裂く。
それを引き付け、傍から見れば当たったようにしか見えない距離でノーマンはかわす。時に振り払い、薙ぎ、落とす。
白兵戦の猛者は言葉のあやに留まらない。

ややあって、双方のかもす空気がガラリと変わった。
軽く3桁台の重量級が、歩く鉄壁が床を踏みしめる。
腹に響く勝鬨。
身長も2メートル近いこの男の一撃は確かに本物だ。これ以上ないSP仕様の巡査ロボットは本物だ。

リーチの長い蹴りは槍のような鋭さを伴い繰り出される。この威力を腕に絡め止めようと思えば、出来ない事はないが相当な痛撃を食らう事になる。
ノーマンは懐に飛び込もうとその衝撃に身を沿わせ、前へと飛んだ。前へ、前へ。
しかしその手も午前中の演習で披露済みである。
アレクは大きな合金製の拳を床に突き出した。流れるようにその身を格納。

流石。

ノーマンは眼下から覗き込む顔面に肘を振り下ろそうとした。ロボットとて人間風の設計であれば目は弱点となる。そしてこいつが自分の肘を難なく避けるのも大体、予想が付く。

ノーマンも勢いに乗って低く低く屈みこんだ。大きな懐がこちらを覆い尽そうとしたがそれは叶わず空振りに終わった。
海中から飛び出すクジラのように鋼の体躯が天を高く突く。とんでもない迫力だ。
こちらは低く、奴は高くそびえ、双方が狙いやすいポジションで対峙する。
思わずノーマンは低く笑い、手ごたえに身震いした。
強さと対峙する手ごたえと、成長をこの手に感じる手ごたえ。
驚いた事にアレクも微笑んでいた。敵意や攻めの姿勢にはあまりに不釣り合いな笑いで、まだこの男は本当の戦いを知らない事を暗に示していた。
だが、だからこそ、こいつは守りに徹すれば鉄壁である事を相棒に示した。

鍛えぬいた己の拳がアレクの膝頭を直撃する。
直感と慣れと筋力はこの日も、防護の権化のようなヒューマノイドを打倒したのである。
演習を行った道場は自然、しめやかな拍手に染まった。

一通りの訓練をその目で確かめたアヴェリン書記官、もとい2人の護衛対象は漸く納得したようである。
公国に指名された時点では凄まじく怯えていたが、官僚としてはまあ手腕を認められた男である。
相応の手札を握ればやはり戦力。数多の護衛と部下を率いて視察団は出発した。



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