第7話・無機の意趣








名前:マシャラ(姓名不明)
性別:男
年齢:12歳
生体ブローカーとして顔の利く『重要人物』。


添付された顔写真はとても幼くて、このような少年が裏世界を闊歩している世情が腹立たしく思える。荒れ果てた街並みを背景に撮られたスナップ写真。少年の背後に立ちはだかる黒服の男達の方がよほど怪しく見えるのだが、彼らを差し置いてピントは少年に鋭く絞られている。
ノーマンよりも濃い褐色の肌に大きなヘーゼルブラウンの目。ひよこのような金髪は短く年相応にカットされて、服装もどこにでもいそうな砂塵の少年そのものである。見るからに健康そうで、何もかも諦めたような無表情を除けばプロフィールに全くそぐわない。何てちぐはぐだ。
無論、ブローカーなど正規の就労ではないだろうし、この子も裏ではノーマンのはらわたが煮えくり返るような、理不尽な犯罪に手を染めているのだろう。
自分の怒りがこの子にヒットする前に彼からなけなしの『善』、あるいは『良心』を汲み取る事ができたなら血みどろの結末は防げるかもしれない。しかし最悪、それもノーマンの知った事ではない。
道を踏み外すまでのプロセスが本人の意思によるものでなかったとしても、この写真の少年は既に『悪』である。このご時世、正義も裁きも平等とは無縁だ。

実質、少年のプロフィールは<unknown>に埋め尽くされる事はなかった。手渡された資料に躍る字面においては余白こそ目立つものの、足掛かりとしては十分に思えた。多少なりとも手ごたえを感じる。恐らく少年のテリトリーは発展著しいいわくの海尊街、とみて間違いない。
海上にて牙城もとい巨大船舶を駆って貿易という貿易に食い込む回遊民族、海尊(ハイズン)。アジア系の祖先をルーツとしてあらゆる分野、地域に食客として入り込み、かと思えば瞬く間にその地の全てを我がものと成してしまう野趣溢れる民族である。彼らの力は留まるところを知らない。遂にこの帝国にまで居を構えたとあっては、これから益々力をつけていくに違いないし、これもまた軍ないし政府にとって頭の痛い情勢である。

あの街にこれから形成されるであろう秩序の、その奥底にこの少年が組み込まれる未来も想像には難くない。少年の、いや、研究所の覇権を今よりも更に世界へと広げた未来だ。考えたくもないが考えるほどにその現実味は深く強く主張を始める。


「随分この少年、幼くはありませんか。この肩書を背負うには無理が…」
「ああ、わしも信じたくはないが、その界隈では顔の利くやり手だ。無論、何だっけな、そうだ海尊街」
「あの新興地区の近辺でありますか」
「そうだ。その中で早速スラムを形成した地域に出入りしている。そして最近、どうやらこの少年が研究所と頻繁に交信しているらしき様子も見聞きするようになった」
「最近?これだけの取引に絡んでおいて何故発覚しなかったのですか」

ギャング、もとい海尊出身の請負人や問屋、果ては『良家』をパトロンとした怪しげな資本家達の裏帳簿がノーマンの手元に送信された。この取引自体もきな臭いが、これら全てに少年が関わっているとでも言うのか。末恐ろしい子供がいたものだ。研究所をバックに設えての悪行となれば尚の事。

「…聞きたいか」
「研究所絡みなら今のうちにお聞かせ願いたい」

少佐は葉巻をがりがりと噛むように嗜んだ。

「海尊の目撃情報によると、奴は影を伝って移動しておったという。…今更聞かなきゃ良かったなどと言うんじゃないぞ、お前の任務に変更はない」


影を追えというなら踏みつけて捕まえて、徹底的に追い詰めてやりますよ。
と、少佐の前で見栄を切った手前である。背水の陣も良いところだ。ついでにその場で先日の荒事も蒸し返され、ノーマンはそちらは全力で遮り拒んだ。

「やはり俺より他に回して頂きたい」
「まだ何も言ってないぞ」
「あのロボットと組むなら話は別であります」
「お前んとこの養子とイヌっころの安全はお前の肩に、ついでに言えばこの街の未来はお前の…」
「わーかりましたよ!!」





「おい、1つ良いか」
「何でしょうか、軍曹」
「出来れば今すぐお前ら帰れ」

厳密には大入り満員の店内で、アレクセイエフとそのメンテナンス担当を名乗る女性含め3人、囲んだコーヒーはここ数日飲み過ぎて飽きたどころの話じゃない。
場所は警察本部内に併設された古風なカフェである。洒落たBGMが高級な音響からサラサラと場の調和を深め、ちょっとした会合ならこの場で事足りるであろう重厚さをあつらえていた。
このセッティングに不満はないが、何故かアレクセイエフが先日より余計に小賢しく見えて、ノーマンの眉間はフィヨルドか火山口のような取り返しのつかないザマになっている。

「軍曹、ここは我々の勤務地ですので」
「何だって?」
「既に帰還状態にあります」

火山口から噴き出した怒気でコーヒーカップがカタカタと震えあがった。アレクセイエフは決してどこ吹く風というわけでもなく、わずかに微笑んでいるような、何かを憂えているような実に複雑な表情を湛えてノーマンと向き直った。

「アレク、と略して呼んで頂いても結構ですよ」
「苗字を略して呼ぶ奴がどこにいる?」

不意に鋭い溜息が聞こえたような気がした。メンテナンス担当の女が発言を求めるかのようにつと身体を揺らした。ノーマンは咄嗟の事に、なぜか女のくすんだ枯草のような長い金髪に目を奪われた。アレクセイエフの頭髪とよく似ている。
この場で彼女に発言させるのは何よりも得策に思えた。良く見れば目の色も緑。アレクセイエフと初めてまみえた際、心に焼き付いたあの緑だ。風貌もとても整っている割に親しみやすく、パッと見は取っつきやすい印象を場に調和させた。

「彼は親世代機としてサーティーン・コードの基板を担う為、ファーストネームを付与していません。従って彼を呼ぶ際に苗字を略すのはある程度通例となっております」
「基板?」
「お渡ししたマニュアルに記載してあった通り、彼がサーティーン・コードの始祖であり今も稼働を続けているのは彼1機。同世代の機種は全て稼働を停止しております。つまり、サーティーン・コードを一連の家系と見なすならば、彼は今もこの生産ラインの『当主』として稼働を全世代の学習基板発展に賭す『ファミリー・ネーム』、という事になります」

ノーマンはアレクセイエフを凝視した。こいつが初代。20年前に作られて、未だ現役の。
女性の言わんとする事の全てを理解しないまでも、この機械人形がそれほどまでに複雑な稼働体系を可能にしているとは知りもしなかった。とんでもない輩を背負い投げしてしまったようである。
要は始祖とは彼1人であり、ファミリーの礎、ファミリーそのものであるからファーストネームは必要ない。
ノーマンはふと、何と無しに人類サイドの始祖を思い出した。旧時代より受け継がれ今も多くの信者を有する『信教』において、聖典は昔と変わらず聖書と呼ばれており、その中に始祖は登場する。アダムとイブ。厳密にはアダムが先でイブが次点。
このロボットはヒューマノイドのアダムという事になるのだろうか。しかしアダムに苗字など無い。アダムは1人であるから、姓による区別も必要ない。

ではこの男性型ロボットは?名を与えられず、姓だけを付与された1個体の初号機。活動の1つ1つが次代、そのまた次代の『アレクセイエフ』に貢献する為の『ファミリー・ネーム』。
彼を他と区別する物は何だろう。数多く現存する『アレクセイエフ』達がファーストネームを掲げる中、姓のみを糧とする彼の存在を確立するモノとは。

何なのだろう。


「アナ、彼と2人で話がしたい。良いだろうか」

唐突に口を開いたのはアレクセイエフだった。アナと呼ばれたメンテ担当は少し驚いたようだった。アナとさり気なく目を合わせてアレクセイエフは微かに笑う。微笑みよりももっとはつらつとした、不覚にも気持ちのいい笑い方だった。しかしアナは眉をひそめてそれに応え、やがて無言で席を立った。アレクセイエフと同様、無駄のない動きであった。さっと手を上げるまでの一連の動作は皮肉でも何でもなく、機械のようだった。
BGMが止まり、コーヒーやケーキを囲んでいた客達が談笑しながら一斉に店を出るまでに10秒もかからなかったかもしれない。ノーマンは眉間の渓谷から火柱を上げる。凶悪につり上がった口元からはマグマが溢れそうだ。客達はおろか店員までもするすると店外へ引き上げていく。さざ波のように全てが過ぎ去ってから絶妙な間を置いて、アレクセイエフは微笑を潜めノーマンを見据えた。

「良い度胸だな、ミスター・ファミリー・ネーム。もういっぺんひっくり返してやろうか」
「この任務が完了してからなら何度でも立ち会わせて頂きます。まずはどうか、この指令を受けて頂きたい」

アレクセイエフの目に澱みはない。恐怖や戦慄といった感情を持ち合わせていないのか、歴戦の戦人を前にして彼の姿勢は真摯そのものである。
カフェの静寂がキンと耳に染み入った。取り残されたサイフォンから香り立つ水音だけが時折、紙媒体の書類をめくる音に彩りを添える。

「…今回の任務が結構長引く話は聞いてるか」
「ええ。マシャラという少年を捕え、研究所への査察にこぎつける、それからが本番だと。そう書記官に伺っています」
「その少年を捕えるやり方によっちゃ、研究所が口を開かなくなるかもしれない。その辺の采配でお前にも責任が生じる。そこまでは分かってるな」

アレクセイエフはゆっくりと頷いた。長引く任務の行く末を思案しようと、枯草のような金髪に覆われた人工頭脳が演算を迸らせる。その様子が目に見えるようだった。
本人は至って真面目にノーマンの許諾を引き出そうとしているのだろうが、アレクセイエフが相槌を打つたびに沸き立つものがあった。
不気味の谷。
何故だろう。初対面のあの日はロボットと気付くまでにあれほど時間を要したというのに。アンジュが件の現象を引き合いに紙の本を携え、ノーマンを生徒として講義を打ち上げていた筈だ。彼女は実に楽しそうで思い出すだにノーマンの頬は緩みそうになったが、人間と限りなく似ている、似ているほどに違和感を強めるヒューマノイド達の長き苦難の歴史は如何ほどのものであったか。初代サーティーン・コードを前に軍曹はため息が漏れた。

「いつか私もロボットを作ってみたい。話相手にもなるし、遊び相手にもなるような」

アンジュの講義は分かり易く、本人の熱意が迸る中々のものだった。早く愛娘との予定を0埋め合わせたい。今までに何度、彼女との休暇をすっぽかした事か。今一度彼女の「不気味の谷」に関する私見を聞いてみたい。あの子の大好きなココアを並々注いで、叶うならイワンとドッグランへ行って、1人と1匹に学校の話もさせよう。自分は熱いエッグノッグにたっぷりラムを垂らして芝生に座り、それに聞き入るのだ。

カタン、とカップがソーサーにかち合う音に、ノーマンは電脳へ水を流し込まれたような心持ちがした。すぐさま鼻腔を芳醇なコーヒーの香りで満たされる。目の覚める思い。
顔を上げればアレクセイエフの澄んだ瞳がこちらを映していた。その輝きからは何も読み取れない。いや、何かを考えているにせよ、人間であるノーマンに読み取らせる意思を伴わぬ電子の軌跡が、ファイバミック・アイの最奥で独特の思考を紡いでいるかのようだった。
面白い、とは思う。アレクセイエフはひたすらに真面目だ。真摯で、与えられた任務にひたすら従順だ。要求に応えるスペックも持ち合わせている。
この男と組めばアンジュへの土産話にはなるかもしれないな、と守秘義務を差し置いてノーマンは笑んだ。

「脳みそ、つうか、お前もギミックの塊なら電脳と互換性あるんだろうな」
「勿論です」
「お前と相性の良さそうなインターフェースを持ってきた。コネクタ見せろ」
「よろしいのですか」
「つべこべ言わずに早くしろ。何の為にお前のご同輩が全員この店から退場したと思ってんだ」

警察本部内に入館する際にも持ち物チェックできちんと見せた代物だった。軍であてがわれたそれは近年扱われる市販の品とあまり変わらず、旧式のロボット相手にはいささか新式過ぎるような気がした。
アレクセイエフは女性が時計を見るような仕草で、手首の内側を確認してこちらに示した。薄い被膜のような手袋をそっとめくる。何事かと眺めていると古いカメラの電源をオンにした時に似たモーションを伴って、手首にぽっかりと穴が開いた。

「ボディだけは必要に応じて更新しているのです」

アレクセイエフの挙動はにこやかで丁寧だった。彼に感情があるのかまるで掴めない今に変わりはないが、自分が任務に同意を示したと確信して安堵しているのだろうか。
ノーマンはインターフェースを手繰り、アレクセイエフの手を引き寄せようとした。だがアレクセイエフは手首を差し出すどころか、ついと身体を起こし、ノーマンの懐から距離を空ける。ノーマンは眉をひそめた。身を乗り出して機械人形をせっつこうと手を伸ばし、

気がついた時には額が書類の群れにめり込んでいた。

「がっふ!」

軍曹の肺から空気という空気が押し出される。首を支点として尋常ではないGを感じた。手足だけが激しく乖離を求めるかのように振り回される。短く切り揃えた赤毛のキワ、数年前に開通した電脳コネクタにゆっくりと何かが差し込まれ、全身に走る悪寒に恐ろしいほどの吐き気が沸き立った。
やがてぽつり、ぽつりと、柔らかい男の声が通信の乗ってノーマンの電脳に流し込まれる。

『アヴェリン書記官からの命令を実行させて頂きました。やられた事をそのままやり返せ、と』

ここまでやっちゃいないぞ、とノーマンは心の内で怒鳴り散らす。呼吸すら危ういほどの力で押さえつけられて、電脳での応答すら咄嗟には実行できなかった。
相手の間合い、懐を真っ当に把握したうえでの流れるような、目にもとまらぬスムーズなプロセスを踏んでアレクセイエフはノーマンを机に組み敷いたのである。

OK。そっちがその気なら皿まで食い散らかしてやろうじゃないか。
こいつが食らうべき毒か、そもそも毒となるか薬となるかはこの際関係ない。
とことんだ。とことん付き合ってやる。

『演習する手間が省けたって事にしといてやるぜ。お前の実力はとりあえず認めてやるから今回の案件は、特に俺の前では絶対に手を抜くな』
『了解しました』
『ついでに敬語もやめろ、聞くたび腹が立つから即刻やめろ』
『お気遣い感謝する』
『誰もてめえに気づかいの気の字も消費してねえ!!とにかく早く離せ殺す気かこのド畜生』

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