第6話・開示








男の声は掠れているのか声量を抑えているのか、隙間風が自我に目覚めたような声色だった。ひどく良く通る。しかし一定の強さを揺るぎなく保ち、ノーマンに有無も二の句も継がせぬ気骨を感じさせた。

メットのシールド越しに男を睨み返した。
喪服の男は微笑を浮かべた。
怒気を持て余す軍曹の呼吸1つまでも愉快でたまらない、とでも言いたげだった。
ノーマンもその笑顔に思わず納得を誘われる。すぐに多少なりとも慌てた自分に腹が立ってきた。己を鼓舞するつもりでの応対がこの男の悪戯心に燃料を注いでしまったのだ。パスワードを記した紙片すら今になって渾身の力のもと破り捨てたくなったが、全ては後の祭りである。

「…そりゃ結構。研究所はそういったケチな小細工かますネタにゃあ、困らねえんだろうな」

室内の静謐はノーマンの歯ぎしりでコップがひび割れそうなほどに、しんしんと部屋を押し固めた。耐えかねてメット端末を脱ぎ去ったが、内部のクッションと刈り込んだ髪のこすれ合う武骨な物音も霧消した。後には引き続き電源をオンにした端末と、ノーマン自身の息吐く様子がよく響く。
喪服の男は絶えず、対峙する一介の軍人の危機的本能を刺激した。
さぞ自分は酷い顔をしていたに違いない。それはノーマン本人も自覚していたが、後々彼はこの喪服に白手袋というふざけた男に散々、その時分の面構えをからかわれる事となった。

「お会いできて光栄だよ、軍曹」

喪服男の容貌はどう見積もっても検死にかけられた死体とうり二つである。寒気がするほどよく似ていた。画像の顔自体は若干の損傷が見られたものの。ノーマンは不覚にも気分が悪くなった。
死体とうり二つ。黒髪の強いくせも乱れも、頬のこけ具合も陰影も、血色さえ。
死体同然の青い血色すら生き写し。生きて写した物が今ここに座っている。

「弾倉で6人の御同僚が待ちかねているようだ」

男の薄い唇が開いて閉じた。
あの唇の真下にも<緑暗色の血液>が通っているのだろうか?見る限りは薄赤い血の気がほの暗い電灯のもと照っているように思える。男の風貌は総括すれば、年齢を感じさせる反面人形のようだったが、唇にだけは抑制された人為が見て取れた。
ノーマンは段々と胃にせりあがるものを感じ、えづきそうになるのを抑える。
戦場で味方の銃創を抉っても嘔吐しなかったというのに、男が口を開くほどに悪心が募った。

男はふんふんとノーマンのぶれるこうべを眺め、「今気づいた」とでも言いたかったのか、手をひらひら泳がせて喪服のポケットを示した。
薄明りで判然とはしなかったが、ポケットはするりと控えめに盛り上がった。ように見えた。勿体ぶった手つきでポケットを丸ごと裏返す。1粒のホーローポイント弾が手指からあぶれるように床へと落ちた。
ノーマンのえづきはいよいよ酷くなった。男は満足げに微笑んだ。

「おや」

黒一色の両腕が掲げられる。手術を始める外科医のようなストイックなモーションを彷彿とさせた。インクに塗れた用紙のようなムラが袖に表出したかと思うと、ごつく不似合いなカフスがぶつっと奇怪な音を立ててまた重力に任せて落ちて行った。
2発分のホーローポイントだ。

いよいよノーマンは口を押える間もなく机に胃の中をぶち撒けた。
胃の中におさまるにしてはあまりに硬質な異物だった。
異物。遺物かもしれない。非常に古臭くきな臭い味がする。
机に叩きつけられたのは3つの弾丸であった。ノーマンはひたすらに目を剥いて男と鉄のピースを見比べた。
嘔吐感と口の中の異様な味に自分は吐血したのかと早合点したが、血はおろか液状の内容物ですらそこに見えず、

「くそったれ!」


弾丸3発を、机の下へと叩き落とした。

今日は空砲のみと仰せつかっていたのは忘れておりました、と少佐には申し立てをするつもりで愛銃に装填した<御同僚>だ。間違いはない。弾込めした時の感触まで覚えている。
喪服の男はいよいよおかしくてたまらなくなったのか、上品に口元を真っ白なナイロンの手で覆うと肩を揺らした。

「かわいげのないトミノがタマを吐いた。君の地獄はすぐそこなのだろうね」
「言ってろ!いざって時ゃてめえも道連れだ!」

メット端末がごーっと排気音を立てて再起動を繰り返す。ノーマンが自身の荒い語気諸々にかき消えて気付かぬ内に、端末は1行ずつテロップを宙に送り出し不気味な挙動をやめようとしない。

『軍人胸中いつもざわざわ、右手に火種、左手こぶし、今日とて討つは吾子の仇(あだ)』

かろうじて読めた中空のテロップ。教科書にも載っている古い軍歌だった。ノーマンはメットを鷲掴む。あらん限りの力を籠め男に向かって投げつけた。
喪服の男がにわかにそのアーモンド・アイをぐっと見開き、それに応えた。
それは決して驚きからの挙動ではなかった。ノーマンははっきりと男の恣意的な胸中を読み取った。
こいつは楽しくて仕方ないのだ。

「くそったれ!」

ノーマンは胸中に火種を宿し怒気を荒げた。メットは男の鼻先でふわりと静止し、フロートする。ついっと男がなぞる。メットは飼い主を見つけた猫のようにくるくるとその場で回転を始めた。

「もらっていっても良いかい」

瞬く間に端末の乱れたシールド画面は整い、楽しげに検死結果と付随した目録をゆらゆら投影した。

「てめえの死体の写真なんて何に使うんだこの変態」
「より良い生き方に追求の余念が挟まれないのと同じく、より良き死にざまの考察には飽き足る事がない。無論ただでもらっていくとは言わないさ。この場で君を代表として軍の所望は聞かせてもらおう」
「研究所の閉鎖」

ノーマンは男の至言めいた鼻歌に反吐が出そうだった。
それをスラムで転がってるジャンキーに向かって言ってみろ。6発どころじゃねえ弾丸が雨あられと飛び交うぞ。
生きてるか死んでるかも自覚のないジャンキーに向かって同じ事言ってみやがれ。
この俺だってジャンキーだ。戦地と街との行き来に依存したジャンキーなのだ。血まみれの手を洗っては愛娘の成績表をたぐる男なのだ。

喪服の<unknown>はため息を吐く。その呼気はそよ風のように楽しく震えてノーマンの癇に障った。

「よろしい。君を研究所に迎えてからの算段といこう。うちはコーヒーだけは美味しいんだ、一緒にどうだい」
「嫌だね。あいにくと高層ビルの真ん中で今日、コーヒー1年分ほど飲み切ったばっかで…」

思わずはっとした。メット端末に先ほどから何度も浮かび上がるロゴやテロップは次第に見慣れた物を混ぜ始めた。
今さっき、イワンの静音ベルに投影されていた寄宿舎のロゴ。
アンジュの通う初等学校の正式名称。
成績優秀として表彰された上級生たちの名前。新聞にも掲載された子供たち。
考え過ぎだろうか。しかし相手はこのサイコパスを生み出した連中だ。最近奨学金制度を利用してより秀でた子供たちを各地から招き、慈善事業と称してコソコソ動き回る連中。
研究所の、もとい良家の奴らは高質な紙製諸本と漆黒の黒インキでその子供たちをどうとでもできる。政府の預かり知らぬ場所に死ぬまで幽閉する事も容易いだろう。文字通り赤子の手をひねるように彼らはやってのける。
ノーマンは昼間に受信したニュースを電脳に呼び出した。研究所に多くの難病人や食いあぶれた貧民が買われていった、というゴシップが政府の意向もあって大々的に報じられていたではないか。


沈黙を了承と受け取ったらしく、男はおもむろに立ち上がり、深々とノーマンに一礼を向けた。
まるで舞台挨拶のように沈鬱で一糸乱れぬ挙動だった。
そこへカーテンコールのように一陣のフラッシュが舞い込む。スタンドライトが操作もされていないのに強烈な光を発したのだ。

「待て、」

咄嗟にあり得ない程重厚な音を立ててメット端末が床に落下する。ノーマンは虚をつかれ立ち止まった。
ハイビームに負けぬ強い光が今度はメットから溢れる。シールドがいつの間にかアウトプット・モードに切り替わって床面にポップな字体を投影していた。

<Welcome! Junkie!>
<Welcome! Junkie!>

「…ようこそ、クズ野郎」

吐き捨てるようにルームにはめ込まれた小窓の外を一瞥する。
それが「次こそはそのまんま言いかえしてやる」とノーマンが決意を固めた合図であった。



その場で駆け付けた巡回兵へと早急に報告と処理要請を敷いたが、正式な対応が為されたのは翌日のなってからであった。少佐に直に報告が叶った頃には日が傾きかけていた、とノーマンは記憶している。

執務室にて煙草の吸殻を灰皿からボロボロこぼした。それでも気は晴れない。掃除用務ロボットがひっきりなしに彼の足元でファンを回す。
それを見てひょっこり現れた少佐はカラカラと笑った。

「Muddy Mad(泥んこ怒りんぼ)が片無しだな?」
「俺は認めませんよ、自分が餌だったなんざ」

すっかり短く燃え尽きた煙草を噛み砕く勢いでノーマンは吠えた。
餌。男に襲撃された直後、まず彼と連絡を取った少佐の嬉しそうな第一声は忘れない。

<でかしたぞ、遂に釣り上げたか!>

ずんぐりと筋肉をつけた砂塵一族の壮年はむぐむぐと、満面の笑いを楽し気に租借してどっかりとチェアに腰を下ろす。
嫌な予感はしていた。しかしそれならそうと早く言ってほしいものだ。

研究所にとっても痛手に繋がりそうなデリケート極まりない情報に一介の軍人がアクセスしたと、そのような『予感』を少佐を始めとした上層がばらまいていたと言うのだ。いつものように研究所に直接『これは何ぞ』と問い詰めても埒が明かないのは誰もが承知している。
『全ては回収した、我々の不徳とするところであるが、ただし深追いするならば軍需工場への技術支援はストップする』
或いは
『そんなものはハナから存在しない』
と、研究所が帝国をも凌駕するテクノロジーで何もかも事なきに伏す結末は明らか。しかし帝国も近年負けてはおらず、軍の設備も急ピッチで研究所に対し巻き返しを図っていたところである。
両者の覇権はまさに拮抗状態にあった。
だからこそ軍が秘密裏に動いている様をちらつかせたのだ。研究所が腹の内を見せる足がかりを作るために。これでじきに政府は正式な査察を申し込もうと踏み出すのだろう。

「何だ、随分歓迎されたって聞いたぞ」
「歓迎されたっていうんですか、あれで。あんなんで」
「まあまあ、そうだ、冷え込んできたことだし1杯飲むか?…こっちが用意したあからさまな餌を『では乗った』って感じでな、奴らはぐいっと食って表に出てくる意向を示したんだ。あの深海魚のような親方様連中がな…お前の証言や抽出記憶からすると随分テーブルマナーのお上品な男だったらしいが、あれが所長だって言うんだから相当だよ」

ノーマンはギョロ目を零れんばかりに見開いた。所長。あの死体袋の中で緑色の血液を垂れ流していたあの男が。死体の正体をそこまで突き止めていたというのに上層は自分を泳がせていたというのだから、それこそ飲まずにはやっていられない。注がれた上等なウイスキーをぐいっと煽って胃の腑に拳のようなきつい酒精を浴びせた。

「言っただろう、餌だって」
「危うく食われるところでありましたよ」
「違いない」

おどけているつもりらしいが、次第に少佐の顔は沈鬱に深刻に引き締まっていく。
本番はこれからだと言いたいらしい。前線から引き入れたノーマンを今度こそ研究所という名の前線に据えるつもりなのだ。

執務机の上に横たわる質の良い封筒からざっと書類が溢れた。マップ、ターゲットのプロフィール写真、帳簿、びっしりと細かく書き込まれたあれは株価変動計算書だろうか。
ノーマンは獰猛な性根を隠そうともしなかった。
囮の次は猟犬になれという。
願ってもいない指令だ。

「今度のはまだ正体がつかめてないだぞ。追跡を頼めるか」
「今現在把握されている根本的情報を全て開示していただけるならね」



[第5話][第7話][novel top][TOP]

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -