空を思い出す(3)



 結局、他にいい場所が思いつかず、セドリックは図書館に入り込み、視線から逃れるように奥へと進んだ。


 歴史に関連する本がたくさんある一角にきて、ほうと息を吐き出す。ここは滅多に人が寄り付かない。適当な本を読んでいるふりをして、セドリックは時間が経つのを待った。



 しばらくして、セドリックはふと目を開けた。いつの間にか、床に座り込んで寝ていたらしかった。辺りでは物音一つしない。時計を見ると、もう十時近かった。


 セドリックは立ち上がって本を棚に戻し、司書のマダム・ピンス以外は誰もいなくなった図書館を出て、寮へ帰った。



 談話室には誰もいなかった……いや、一匹だけいた。部屋の中央の椅子の上に小さな猿がいる。セドリックはこの猿に見覚えがあった。今年入学してきた日本人 ――― リン・ヨシノが飼っている猿だ。


「やあ」


 軽く挨拶をすると、小猿はセドリックを見上げて、細く長い尻尾を静かに揺らした。これが犬だったら、喜んでいるのかなと思うところだが、猿の場合は、どういった感情を表しているのか、セドリックには分からなかった。


 だが、とりあえず威嚇されているわけではないと判断して、もう少し話しかけることにした。傍〔はた〕から見たらイタい人だろうが、気にしなかった。何かしていないと落ち着かなかった。


「君はリン・ヨシノの……友達、だよね?」


 ペットと言ってしまっていいのか分からなくて、セドリックはそう言った。小猿は、セドリックをじっと見つめたまま ――― なんと、頷いた。


 目を見開き、セドリックは相手を見つめ返す。視線を受けて猿は小さく首を傾げた。人間みたいだ……ぼんやりと思いながら、セドリックは口を開いた。


「君は……なんて名前なんだい?」


 小猿は、ただセドリックを見つめている。さすがに言葉は話さないか、とセドリックが笑ったときだった。


「スイ」


 離れたところから声が返ってきた。驚いて勢いよく顔を向けると、女子寮への入口のところに、女の子が立っていて、こっちを見ている。


 さっきまでセドリックと話していた小猿が、椅子から飛び降りて彼女に駆け寄り、スルスルとローブを伝って、あっという間に彼女の肩に乗った。


「……、話してたの?」


 小猿を撫でながら、リン・ヨシノが質問した。それが自分に向けられたものだと一瞬遅れて気づき、セドリックは慌てて頷いた。ふぅん、とリンが相槌を打つ。


 しばらく無言が続いた。リンは何も言わず、静かにスイを撫でている。セドリックは少しいたたまれなく感じたが、どうしてか自分から彼女の側を離れたくはなくて、ただリンを見つめた。こんなに近くで彼女を見るのは初めてだった。


 見れば見るほど綺麗な子だ。東洋人特有の艶のある漆黒の髪は、真っ直ぐ綺麗に切り揃えられている。髪と同じく黒い睫毛は長く、女の子だと実感する。それらの黒に対比して、肌は雪のように白い。西洋人とは違って顔立ちに凹凸はあまりないが、顔のパーツがコンパクトにまとまっていて、かつ、とても均整がとれている。文句なしの美少女だ。


 首や手首も白く細い。きっとローブの下の肢体も細くしなやかなんだろうな、と思ったところで、セドリックはハッと意識を現実に戻した。何を考えているんだと自分を叱責し、急いで思考を中断して、改めてリンへ視線を戻す。


 ようやくリンが、かなり名残惜しそうに、スイを撫でていた手を止めた。


 待っていたとばかりにスイが彼女の肩から飛び降りる。セドリックの方を一瞬だけ振り向いたあと、スイは女子寮へと入っていった。


→ (2)


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