空を思い出す(4)



 二人だけとなった談話室に、静かな空気が流れた。二人とも何も話さない。しばらくして、リンがやっとセドリックを見た。


「……明日」


 小さな呟きで、内容もたった一つの単語だけだったが、周りで一切音がしないので難なく聞き取れたし、込められた意味も十分汲み取ることができた。


「……うん、明日、試合なんだ」


 いつものように笑ったセドリックに、リンは少し眉をひそめた。


「……疲れたときは」


「え?」


「緊張とか、プレッシャーとか……不安とか……いろいろごちゃまぜになって疲れちゃったときは、何か考えるのをやめて、寝ちゃうといいよ。それで、朝一番に ――― みんなより早く起きて、ご飯を食べる前に、箒に乗って飛んでみたらいいと思う。何も考えないで、ただ、空に近づいてみて。そうしたら、きっと空を思い出せるから」


 セドリックが呆然と聞いていると、リンは「それだけ」と言って踵を返し、女子寮へと消えていったが、思い出したように入口から顔だけ出す。


「おやすみなさい、ディゴリー」


「え……ああ……おやすみ」


 何も考えちゃだめだよ、と最後に念を押して、今度こそリンは引っ込んだ。残されたセドリックは、しばらく呆然と突っ立っていたが、ふと我に返って、ベッドへと向かった。


 ルームメイトたちは、とっくに寝ていた。ベッドの中で、セドリックは、ぼんやりと天井を見上げた。リンは僕を心配して言ってくれたんだろうか?


 いろいろ思うことはあったけれど、リンが最後に残した言葉を思い出すや否や、セドリックは、不思議とすぐに眠りに落ちた…………。



 翌朝、セドリックは、いつもより早く目を覚ました。時計を見ると、朝食までたっぷり時間がある。セドリックはベッドから起き上がって、クィディッチ用のローブに着替えた。昨日リンが言ったことをやるのだ。


 昨日初めて話したような子に言われたことをわざわざやるなんて、馬鹿正直にも程があるかもしれない。だけど、やった方がいいような ――― いや、やらないと後悔してしまうような、そんな気がしたのだ。


 占い師に言われたことを、半信半疑にやってみる ――― そんな感じだ。半信半疑というより、今の自分は、彼女を八割くらい信じて、二割くらい疑っている心境だが。


 朝からこんなことを考えるなんて、と小さく笑って、セドリックは着替えを終えた。まだ寒いかと思い、ユニフォームの上にマントを羽織って、セドリックは箒を肩に部屋を出た。


 まだ誰も起きてきていないようで、談話室はひっそりと静まり返っていた。


 いい気分だった。誰の視線も感じない。自然と足取りが軽くなるのを自覚しながら、セドリックは、何かに突き動かされるように歩を進めた。


 外に出ると、冷たい朝の空気が肺の中に入ってきた。からりとした良い天気だ。ますます気分が高揚して、セドリックは競技場へ早足で向かった。


 誰もいない競技場の中央で箒に跨り、強く芝生を蹴る。


 とてもいい気持ちだった。


 練習用のボールもない。誰も見ていない。おかげで本当に何も考えず、のびのびと快く飛ぶことができた。こんなに穏やかな気持ちで空を飛ぶのは久しぶりだ。


 セドリックはどんどん高度を上げた。もっと空に近づきたかった。地面よりずっとずっと高く。競技場がとても小さく見えた。


 ゆっくりと辺りを見渡して、セドリックは、自然と微笑んでいるのが分かった。


 ――― 僕はいま、やっと空を思い出したのだ。



 その日、見事ハッフルパフが勝利を収めたのを見て、スイは感極まってリンの首に抱きついて泣いた。


 スイの頭を撫でながら、リンは微笑んだ。


「……おめでとう」


 視線の先で、セドリック・ディゴリーが、仲間に囲まれ、晴れやかに笑っていた。


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