先生、去る (4)



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 閑散とした廊下を、リンと並んで歩きながら、ルーピンが口を開いた。


「君にはひどいことをしてしまったね、リン」


 リンは静かに瞬いた。はて、自分はルーピンに何をされただろうか……記憶を手繰るリンに、ルーピンが付け加える。


「変身したときに、手荒く放り投げたし、それから ――― 二度も、襲いかかった」


 声音が硬くなったのを感じ取って、リンは、隣を歩く男性を見上げた。ルーピンは、血の気の失せた顔で、唇はわなわなと震えていた。


「絶対に危害を加えたくなかった ――― だから強引に引き離した……なのに結局、君を襲ってしまった ――― それも、一度だけじゃない……二度もだ」


「どちらも、私の不注意だったんです」


 キッパリとリンが言い切った。廊下の奥の方をまっすぐ見つめている横顔が綺麗だと、スイは場違いながら思った。きっと、ルーピンもそう思っているに違いない。


「先生の責任じゃありません。変身したら、誰だって理性がなくなるんですから。私がもっと警戒して、先生から距離を取っていればよかったんです」


 もっと言えば、やはり、ルーピンが薬を飲んだかどうか、しっかり確認していればよかったのだ。バックビークのことで頭がいっぱいだったのがいけなかった。「いつもきちんと服用しているルーピンだから、今回も大丈夫だ」と、確証もなく思い込んでいたのも、大きな過失だった。


 しかし、そんなことを言っても、ルーピンは慰まれないだろう。そう思ったリンは、口には出さず、まとめて心の中にしまっておいた。


「結果として、いま、私は無事ですよ。だから気に病まないでください。先生が後悔と自責の念に囚われているのは、見ていてちょっと、つらいです」


 そう言って、リンは立ち止まった。一拍遅れてルーピンも足を止め、振り返る。リンは、暗い顔をしているルーピンを見上げた。


「私、意外とルーピン先生のこと好いてるんですよ? 悩んでるときや落ち込んでるときに、声をかけて励ましてくれる、温かい大人だって思ってます。そんな先生が塞ぎ込んで、私から距離を取ったりしたら、私、きっと、寂しく感じます」


 ルーピンが瞬きをした。その目を覗き込んで、スイはヒョイと尻尾を振る。リンは首を傾げてみせた。


「それに、私だって、電撃を放ったり、バックビークに襲わせたり、ルーピン先生にひどいことをしましたから、おあいこですよ」


 一瞬の間〔ま〕が訪れた。それから、空気が揺れる。見ると、ルーピンが頬を緩めている。いつもの穏やかな目に戻っていた。


「……君は本当に、お母さんにそっくりだ」


 いつぞやと同じ言葉を、ルーピンは繰り返した。


「苦しんでいるときに、ふっと肩の力を抜かせてくれる」


「力を抜いて一息つくの、大事ですからね」


 しみじみとした風情で、リンは頷いた。その肩の上を、スイが左から右へと移動する。ルーピンは微笑んだ。


→ (5)


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