先生、去る (5)



「……君に好かれてると分かって、とても嬉しいよ、リン」


 スーツケースから手を離して、ルーピンは、リンの前髪を掻き上げ、額に軽く唇を落とした。スイが愕然とする。一瞬の後、リンの頬が一気に染まった。慌ててルーピンから二歩ほど距離を取って額を片手で覆うリンに、ルーピンが笑う。


「距離を取られると寂しいんじゃなかった?」


「じ、自分から取るのは、いいんです」


「そうかい? 私は、避けられて寂しいが」


「……っ」


 ニッコリ笑うルーピンに、リンは顔を赤くしたまま閉口する。伊達に二十も年上ではない……一枚も二枚も上手〔うわて〕だ。さっきまで落ち込んでいた男とは、とても思えない。狼じゃなくて狸だと思うリンの肩の上で、スイはヒョイと尻尾を振り、彼女の背をパスパスと叩いてやった。


「……冗談はここら辺までにして」


 未だ笑いながら、ルーピンが言った。すげぇ狸っぷり、とスイは呆れた。こういうところを見ると、あの悪戯仕掛人たちとつるんでいたことを実感する。


 スイの視線には気づかず、ルーピンは手を伸ばして、再びリンの髪に触れる。ちょっとだけリンの肩が跳ねたのを、スイは感じ取った。


「リン……君と会えてよかったよ」


 サラサラ指の間を流れる黒髪の感触を楽しみつつ、ルーピンは、リンを映す目を緩やかに細めた。こういう顔が様になるとは、いい男だ。スイはそう思った。


「君には、とてもとても世話になった……いくら感謝しても、足りないくらいだ」


「……私の方こそ、たくさん教えていただいて……ありがとうございました」


「すぐ吸収してしまうから、若干おもしろくなかったけどね」


 え。固まるリンに、ルーピンは一拍置いて吹き出した。からかわれたのだと気づいたリンは、頬を(先程よりは薄く)染める。


 ひとしきり笑って満足したのか、ルーピンは表情を引き締めた。サラリ、リンの髪から名残惜しげに手を離す。


「……寂しいが、ここで一旦お別れだ」


「……お元気で」


「そんな顔をしなくてもいいよ、リン。すぐ会える」


 少なくとも、ハリーよりはずっと早くに。そう告げるルーピンに、リンとスイは首を傾げた。いったいどういう意味だろうか。


 ルーピンは、無言の質問には答える気がないらしかった。ただ意味ありげに微笑み、最後にもう一度とリンの頭を軽く撫で、それから、水槽を持ち直してスーツケースを手に取り、歩いていく。


 後ろ姿を見送りながら、リンは「見送りは玄関までじゃなくてよかったのかな……」と呟き、スイに「そこ?!」とツッコまれた。



[*back] | [go#]