十月に入った。日ごとに寒くジメジメした日が増え、夜はますます暗く寒くなった。おかげで、低血圧かつ冷え性であるスイの機嫌が急速に悪くなっていき、リンは辟易した。

 ある日、ブツブツ文句を言うスイをローブの下に抱えつつ、リンが談話室で魔法薬学の宿題を片づけていると、ハンナたちが近寄ってきた。みんな笑顔で、浮足立っている。

「ねえ、リン? 掲示板を見た?」

 ちゃっかりとリンの隣の椅子に座ったハンナが、弾んだ声で言った。リンは顔を上げ、掲示板の方を見る。

「なにかあるの?」

「第一回目のホグズミード週末の日程が知らされたの」

「ハロウィーンだってさ」

 スーザンとベティが答えた。もぞもぞ動いてローブから出てこようとするスイを引っ張り出してやりながら、リンは「へぇ」と興味なさげに相槌を打ち、再び課題に取り組み始める。そんなリンの様子に気づいていないのか、アーニーがソワソワと話し出した。

「すごく楽しみじゃないか? 僕、行きたいところがたくさんあるんだ……ほら、ホグワーツ特急のなかでも話しただろう? ハニーデュークスの店、ゾンコの悪戯専門店、それから『三本の箒』……『叫びの屋敷』も遠目に見てみたいな……」

「あの、リン? もしよかったら、僕と一緒にいろいろ見て回りませんか?」

 アーニーの話をろくに聞いてもいないジャスティンが、遠慮がちにリンを誘ってきた。リンは羽根ペンを動かすのを止め、静かに首を振った。

「ごめん、ジャスティン……」

「いいえ! 大丈夫です、分かってました……貴女と二人きりなんて、そんなこと、できるわけないって……あの、ではやっぱり、六人で行きましょう。それなら、」

「いや、ジャスティン、そうじゃない」

 赤面して早口でゴタゴタまくし立てるジャスティンを遮って、リンは羽根ペンを指先でクルンと回した。肩の上という定位置についたスイを空いている手で撫でつつ、言おうかどうか躊躇う。

 五、六秒ほど、羽根ペンを指先で回しながら逡巡したあと、リンは肩の力を抜いて椅子の背もたれに寄りかかり、溜め息をついた。

「……申し訳ないけど、実は行けないんだ。母さんにサインをもらえなかったから」

 スイが尻尾を強めに振り、沈黙が降りる。ベラベラとホグズミードでの予定について話し続けていたアーニーは、スーザンに小突かれて口を閉じた。ハンナとベティの顔は「嘘でしょ?」とハッキリ愕然としている。スーザンがアーニーを軽く睨んで、それからリンに優しく話しかけた。

「ねえ、リン……私たち、あの、お土産を買ってくるわ。そしたら、」

「気にしなくていいよ。私、そこまで落ち込んではいないから」

 リンは心のなかで、やっぱり黙っておくべきだったかと思った。変に気を遣わせてしまい、申し訳なくなる。しかし、彼らが嬉々として立てた計画をギリギリでぶち壊すのも、それはそれで申し訳ない。むずかしい……と、リンは溜め息をついた。

「僕も残ります」

 突然、ジャスティンが言った。どういうわけか、真剣な表情で、リンの座っている椅子まで歩み寄ってきて、恭しく膝をついてリンを見上げてくる。スイが瞬きを繰り返し、ベティが呆れた顔をする。ジャスティンは、リンの手を取って握り締めてきた。

「リンを一人取り残していくなんて、できません。僕には耐え難い苦痛です……僕も、貴女とここに残ります」

 瀕死のリンを見捨てろとでも言われ、それに抗っているかのような口振りだった。リンはわけが分からないという顔でジャスティンを見、スイは溜め息をつく。

 ジャスティン・フィンチ-フレッチリーのリンに対する態度は、最近ますます友情や憧憬から離れ、忠誠や崇拝に近いものになってきている。つい先日の「セオドール・ノット事件」の影響もあるのかもしれない。「例のあの人」にはべる死喰い人かと思うくらいだ。スイは、将来のリンがどうなっているか、少し心配になった。

「……あの、ジャス?」

 しっかりと握り締められている手を少しだけ動かして、リンはジャスティンに声をかけた。ジャスティンはすぐに反応する。

「はい。なんでしょう?」

「べつに残らなくていいよ。私としては……その、アーニーたちと一緒に行って……うん、スイと私にお土産を買ってきてくれるほうがいいかな。そっちのほうが嬉しい」

 チラチラとジャスティンの顔を窺いながら、リンは慎重に言葉を選んで言った。スイが彼女の頬を撫でたと同時に、ジャスティンが表情を明るくする。

「分かりました! リンが喜びそうなものを探してきます!」

「うん、ありがとう。でもあまり高いものは……あー、えっと、ジャス? 私、お菓子がほしいな。スーザンかアーニーと選んできてよ」

「お菓子ですか? 分かりました」

 頬を染めて頷くジャスティンの背後で「任せて」と合図するスーザンとアーニーに、リンはホッと息をつく。スイは賢明な判断だと思った。

 ジャスティンなら、リンのためという理由で、惜しげもなく高価なものを買ってきてもおかしくない(現にいままでのリンの誕生日プレゼントはすごかった)。だが、お菓子であれば、そんなに高価にはならないだろうし、常識人と一緒ならば安心だろう。

 いろいろと気を遣わなくちゃいけないなんて、愛されるって意外と大変だなーと、宿題の始末を再開したリンを見上げたスイは思った。


**


 ハロウィーンの朝、みんなの心配に反して、リンは通常運行だった。いつもと同じ時間に起床し、手早く着替えを済ませ、鉢植え植物に水をやって様子を観察し、スイを起こして、みんなと一緒に朝食を取りにいった。

 ワイワイと騒がしい大広間で朝食を終えたあと、リンはハンナたちを玄関ホールまで見送った。何度も振り返るジャスティンに苦笑混じりに手を振り、リンは踵を返す。

「居残りか、ポッター?」

 不意に声が聞こえた。リンが振り返ると、ハリーがホールに立っていた。クラッブとゴイルを従えたマルフォイが大声で彼に話しかけている。スイがイライラと尻尾を振ったので、リンは宥めるように彼女の身体を撫でた。

「吸魂鬼の傍を通るのが怖いのか?」

「それ、リンにも言ってんの?」

 マルフォイのすぐ前にいたベティが、グルンと振り向いて、ジロリと彼を睨んだ。

「リンだってホグズミードに行けないのよ」

 ハリーがこちらを振り返った。目が合ったリンは軽く肩を竦めてみせる。笑顔で駆け寄ってくるハリーの背後でマルフォイが口を噤んでいるのが見えたスイは、鼻を鳴らした。

「居残りは僕一人だけかと思ってた!」

 二人並んで大理石の階段を上りながら、ハリーが嬉しそうに言った。

「君も許可証にサインがもらえなかったの?」

「もらえなかったというか……話すタイミングを逃しまくった感じ。母さん、なにかに熱中してたり機嫌が悪かったりすると、ろくに話を聞いてくれないから」

 淡々とした調子で答えたリンに、ハリーはなんと言おうか迷ったが、結局「そっか」とだけ返して、話題を流した。

「今日なにするか、予定はある?」

「ううん、特にない。暇なら本でも読もうかと思ってたくらい」

 読書と聞いてハリーが微妙な顔をしたので、リンは笑った。

「でもそうだね、せっかく友人と一緒だし、もっと活動的なことをしようかな」

「活動的? 学校探検とか?」

 二人は顔を見合わせて沈黙した。探検なら、昨年度イヤというほどした。禁じられた森へも入っていったし、誰も知らない、伝説と言われていた「秘密の部屋」まで見つけ出した。

 たしかにホグワーツにはまだ知らない場所がありそうだが、今日それを探すのは少し遠慮したい。ただでさえ城の警備が固いというのに、フラフラほっつき歩いているのが見つかったら厄介だ。

「えーと、じゃあ、ふくろう小屋に行こうか? 僕、ヘドウィグに会いたいし」

 ハリーが提案すると、リンは表情を明るくした。

「あの綺麗な子? 私も会いたい」

 二人は並んで階段を上っていった。他愛もない会話を楽しみながら廊下をいくつか歩いていると、とある部屋から声がした。


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