*ところどころ、グロやホラーの要素が入ります。とくにハンナの番が来たときは、要注意。*



「ベティ、前へ出て!」

 ルーピンが指名した。一瞬いやそうな顔をしたあと、ベティは前に出てアーニーと交代する。アーニーが晴れやかな顔でリンたちのところへ駆けてきて、「口裂け女」がベティの方に向き直った。

 またパチンと音がして、「口裂け女」が立っていた辺りに、大きな黒い箱が置いてあった。みんなが首を傾げたとき、箱が開いて、みんながぎょっと目を剥いた。

 箱の中にはいろいろなものが入っていた。ヘビ、カエル、トカゲ、サソリ、ナメクジ、クモ、ミミズ、ムカデ、イモムシ、毛虫、蛆虫、ゴキブリ……蛾や蝿が、上空をわんさか飛んでいる。ベティが大嫌いなものの詰め合わせだ。ベティの顔が盛大に引き攣っている。

 そのまま後退したベティだったが、数歩のところでなんとか思い留まり、なるべく手を前に出さずに杖を上げた。

「リディクラス!」

 虫・爬虫類の詰め合わせボックスに、大きな袋がかぶせられ、殺虫スプレーが数本突き刺さり、ブシャーッと発射された。袋のおかげで、中の生き物たちがどうなったかは見えない。

 しかし、殺虫剤とは……リンは少し呆れた。ハンナやアーニーたち魔法族は首を傾げている。マグル出身のジャスティンは「殺虫剤で爬虫類まで始末できると思ってるのか」と蔑んでいた。

「よーし、ザカリアス!」

 ベティの対応に困惑しつつも、ルーピンが交替の合図を出した。ザカリアス・スミスが、ブロンドの髪をキラキラさせて、ベティの前に踊り出る。ベティは一瞬ザカリアスを蹴飛ばしたそうな雰囲気だったが、ルーピンの手前、無言で睨みつけるだけに留めた。

 パチン! おもちゃ箱があったところに、虚ろな目をした死体が立っていた ――― ゾンビ、いや「亡者」だ。腐敗した手をザカリアスに向かって伸ばす。

「リディクラス!」

 ザカリアスが叫ぶと、「亡者」が優雅にバレエを踊り始めた。リンが笑う。

 パチン! 「亡者」が巨大なヘビになり、周囲を威嚇し始めた。と思ったら、パチン!  今度は血走った目玉が二つ、宙に浮かんでいる。それから、パチン! 「血みどろ男爵」が現れる。

「ははっ、混乱してきたぞ!」

 ルーピンが叫んだ。リンは、隣で微動だにせず突っ立っているハンナが気になった。だいぶ表情が硬いが、大丈夫だろうか……。

「さあ、もうすぐだ! ハンナ!」

 ヒッと悲鳴を上げ、ハンナが真っ青な顔で、慌てて前に転がり出た。できれば呼ばれたくないと思っていたことは誰の目にも明らかだ。ルーピンが少し心配そうな顔になった。

 ……パチン! 「血みどろ男爵」が、血だらけの女の上半身になった。顔にベットリくっついた髪の間から、ギョロリと飛び出した目が、ハンナを見据え、腕だけでズルズル這いずってくる。ハンナが震え上がった。

 これは「テケテケ」だったか「パタパタ」だったか……まぁどちらでもいいかとリンは思った。日本の怪談や都市伝説に多い。言わずもがな、リンが話してやったものだ。アーニーといい、聞かせただけなのになぜここまで恐怖心を抱くのか。リンには理解できない。

 幸いというべきか、彼らの想像力の限界(もしくは無意識の規制)により、実物よりは迫力が欠けている。たとえば、ハンナが怖がっている「テケテケ」は、身体の断面から見える中身は真っ暗だ。実物は、内臓が引きずり出ているだの、這いまわるせいで肉が削げ落ちているだの、かなり凄惨らしい。

 リンは、つい想像しかけた思考回路を、強制的に停止させた。ハンナに意識を向け直すと、真っ青な顔で、震える手に杖を持っている。いまにも杖がこぼれ落ちそうだ。

「リ……リディ、リディクラスッ」

 なにも起こらない。「テケテケ」はニタニタ笑って、どんどんハンナに近づいていく。リンが一歩前に出た。スーザンたちも身を乗り出す。

「ハンナ、落ち着いて……もう一回やろう。大丈夫だから……」

 ルーピンの声がとても心配そうなものに変化した。ハンナが身体中を震わせる。再び呪文を唱える前に、「テケテケ」が荒々しく野太い雄叫びを上げ、高速で距離を詰めてきた。ハンナが甲高い悲鳴を上げ、杖を落として尻餅をつく。リンが慌てて駆け寄る。

「落ち着いて、ハンナ。本物じゃない」

 半ば叫ぶようにリンが言うが、効果がない。ハンナは完全にパニック状態だ。どうしようもない。ルーピンに助けを乞おうと振り返ったリンは、不意に「テケテケ」が消えるのを見た。

 呆然としていると、教室の窓のカーテンが、突然ひとりでに閉まった。部屋が暗くなり、とてつもない冷気が肌に突き刺さってくる。

 “あれ”が、来る。

 リンが息を詰めると同時に、「テケテケ」がいた場所に、黒い影が現れた。

「こっちだ!」

 焦ったような声とともに、ルーピンがリンの前に滑り込んできた。

 パチン! 影と冷気が一瞬で消え、銀白色の玉 ――― いや、満月が、ルーピンの前に浮かんでいた。ルーピンは、面倒くさそうに呪文を唱えて杖を振った。

 パチン! 満月が風船に変わり、空気が抜ける音を部屋中に木霊させながら洋箪笥の中へ飛んでいき、ルーピンがその扉を閉めた。

「みんな、よくやった!」

 杖を一振りしてカーテンを開け、ルーピンが大声を出した。

「今日はここまでにしよう! ボガートと対決したハッフルパフ生一人につき五点だ。あと、リンにも五点」

「でも先生、リンは結局対決しませんでした」

「黙んなさいよ、ザカリアス」

 ハンナを抱きしめていて何も言わないリンに代わっているつもりなのか、ベティが歯を食いしばって言った。ジャスティンも無言でザカリアスを睨みつける。ザカリアスは鼻を鳴らした。

「事実じゃないか」

「ザカリアス、リンは授業の最初に、私の質問に正しく答えてくれた」

 流れかけた不穏な空気を払うように、ルーピンは柔らかく微笑んで言った。「ほら」と得意そうに笑うベティを睨みつけ、ザカリアスはもう一度鼻を鳴らした。

 火花を散らす両者の間にさりげなく割って入って、ルーピンが声を張り上げた。

「よーし、みんな、いいクラスだった。宿題は、ボガートに関する章を読んで、まとめを提出すること。金曜日までだ」

 忘れ物に気をつけて帰るよう言って、ルーピンはハンナの様子を見に来た。

「……先生、少しは落ち着いたみたいです」

「ありがとう、リン。君は寮に戻るといい。ハンナは私が医務室に連れていくよ」

 有無を言わせない響きが、ルーピンの声にはあった。リンは大人しく従うことにして、不安げに立っているアーニーたちに声をかけ、静かに教室を出ていった。

 廊下を歩きながら、リンはハンナの安否を心配すると同時に、リンがボガートと対決するのをルーピンが止めたのはなぜだったのだろうかと、疑問に思った。

3-7. まね妖怪
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