淡い陽光がホグワーツを照らす季節が、再び巡ってきた。

 ジャスティン・フィンチ‐フレッチリーと「ほとんど首無しニック」、スイの事件以来、誰も襲われていなかったので、城のなかには僅かに明るいムードが漂い始めていた。

 そんな折、マンドレイクが情緒不安定で隠し事をするようになったと、マダム・ポンフリーが嬉しそうに報告した。急速に思春期に入るところだというわけだ。

「フィルチさんにも言ったのですけどね、マンドレイクが成熟するまで、もうそんなに時間はかかりません。スイはもうすぐ戻ってきますよ」

 マダム・ポンフリーが、たまたま廊下ですれ違ったリンに優しい声音で言ってくれた。リンは何も言えずに、ただ曖昧に笑い返して、足早にその場を離れた。

 みんな気遣ってくれている……リンは肌で感じていた。

 マダム・ポンフリーだけではない。ジンも、たまにしか会えないが、会ったときは励ましてくれる。ハグリッドやスプラウト、フリットウィックやマクゴナガルまでもが、リンを見かけると声をかけてくれる。いい人たちだと思う。

 だけど誰も ――― ジン以外、リンの心の奥底を分かってはいない。リンが本当に心配し、恐れていることが何か知らない。

 そう考えると、リンはいつも、心に穴でも開いた気持ちになる。そして母と、顔も名前も知らない父に会いたくなるのだった。


 リンとは正反対に、ロックハートは陽気なものだった。どうも、自分が襲撃事件をやめさせたと考えているらしい。

 ハッフルパフ生が変身術の教室から列になって出ていく最中に(外では、グリフィンドール生が教室が空くのを待っていた)ロックハートがマクゴナガルにそう言っているのを、リンたちは小耳に挟んだ。

「ミネルバ、もう厄介なことはないと思いますよ」

 ロックハートは訳知り顔で、トントンと自分の鼻を叩き、ウインクした。リンの横で、ベティが吐く真似をした。

 マクゴナガルを見ると、ロックハートこそがいま一番の厄介事だという表情をしていた。その顔の前でつらつら話を続けるロックハートは馬鹿だと、リンは思った。

「……そう、いま学校に必要なのは、気分を盛り上げることですよ。先学期の嫌な思い出を一掃しましょう! いまはこれ以上申し上げませんが、私には、まさにこれだという考えがあるんですよ」

 もう一度鼻を叩いて、ロックハートはスタスタ歩き去る。その姿がまだ見えているのに、マクゴナガルがフンと大きく鼻を鳴らしたので、リンは少し驚いた。

 同僚への嫌悪感などは完璧に隠す人だと思っていたのだが、そうも言っていられないらしい。

 心のなかでマクゴナガルへの労わりを述べているリンの横で、ハンナが、ロックハートの後ろ姿を見つめたまま、首を傾げた。

「ロックハート先生、いったい何をするおつもりなのかしら?」

「さあ……ろくでもないことじゃなければいいけど」

「そりゃあ、盛大に期待しておいた方がいいでしょうね」

 そわそわと不安そうなアーニーに、ベティがイライラと言った。リンは、次の授業に遅れるからと四人を急かした。


**


 ロックハートの言う「気分盛り上げ」がいったい何なのか、二月十四日の朝食時に明らかになった。

 低血圧で寝起きのよろしくないベティを叩き起こして、五人一緒に大広間に入ったリンは、一瞬、部屋を間違えたと思った。でなければ、まだ寝ぼけているか、幻覚を見ているか、どちらかだ。

 壁という壁がけばけばしいピンクの大きな花で覆われ、おまけに、淡いブルーの天井からはハート型の紙吹雪が舞っていた。

 大広間にいる男子生徒はみんな無表情もしくは吐き気を催しそうな顔をしていて、一部の女子生徒がクスクス笑いをしている。

「……なに、これ?」

「趣味、最悪」

 ハンナが呆然と呟き、ベティが呻いた。さすがのアーニーとスーザンも固まっている。リンが真っ先に原因に気づいた。

「……ロックハートだ」

 うんざりした顔で、リンは教員テーブルを指差した。そこには、部屋の飾りにマッチしたけばけばしいピンク色のローブを着たロックハートがいて、機嫌良く笑顔を振り撒いていた。

 他の教員たちはみんな「石化呪文」でもかけられたかのように、無表情のまま動かない。

「アタシ気分が悪くなったから医務室行くわ」

 ベティが即行で踵〔きびす〕を返したが、スーザンとアーニーが彼女のローブを掴んで引き止めた。

「落ち着くんだ、ベティ。いまここを出ていったら、君に対する心象が悪くなる!」

「アイツからの心象よりアタシの心の平安のほうが大事よ!」

「落ち着いて! 朝食を抜かしたら後が辛いわ!」

「いいから離して! 関わり合いたくない!」

「見て、ハンナ。あのフリットウィックが無表情だ。これは滅多に見られるものじゃないよ」

「そんなことより、リン、ベティを止めて」

 一人変なところに感心しているリンに、珍しくハンナが真顔で言った。

 パチパチ瞬いたあと、リンは、この場から消えたいとわめいているベティを見、ふうと溜め息をついた。

「あのさ、ベティ。君の気持ちは痛いほど、痛みのあまり失神しそうなほどよく分かるけど、ここは平静を装って我慢してここにいたほうがいいと思う」

「なんでよ」

 アーニーとスーザンに取り押さえられている状態で、ベティが短気に突っかかった。リンは顔を彼女に近づけて、真剣な表情で言った。

「医務室になんか行ってみろ……『せっかくのバレンタインデーに病気とは、なんてアンラッキーな人でしょう! ここは私が励ましてあげなければ!』……とか云々言って、奴が直々に見舞いに来るぞ」

「残るわ」

 ベティが即行で判断を下した。そこまで嫌なのか……というツッコミが扉付近の席に座っている生徒たちの間で囁かれたが、彼らは知る由もない。

 とにかくそうと決まったら朝食だと、リンたちは(いつもは前のほうに座るのだが、今日は遠慮して)扉付近の席に着いた。

 ちょうどそこで、ロックハートが「バレンタインおめでとう!」と叫んだ。ベティはソーセージ目掛けて思い切りフォークを振りかぶった。

「いままでのところ、四十六人の皆さんが私にカードをくださいました。ありがとう!」

 ベティがフォークを刺しそこなった。ソーセージが飛び上がって、アーニーのオレンジジュースの中に突っ込む。

 プカプカ、黄色い液体のなかに脂の塊が浮いている……なんとも悲惨なドリンクが出来上がってしまった。

 スーザンがベティをたしなめつつ宥め、硬直したアーニーをハンナが気遣う声を聞きながら、リンは無言で紅茶を飲んだ。

 そのとき、玄関ホールに続くドアから、無愛想な顔をした小人が十二人、ぞろぞろ入ってきた。それもただの小人ではない。ロックハートが、全員に金色の翼をつけハープを持たせていた。

「なにあれ……なんだか不気味だわ」

「ロックハートって、いいセンスしてるよね」

「ええ、まさに天才的すぎて、アタシらには理解できないわ」

 ハンナが頬を引き攣らせる。アップルジュースを新しくアーニーに用意してやりながら、リンが無表情に言った。

 力強く賛同したベティは、コーンフレークの皿に勢いよく牛乳を注ぎ込み、その飛沫でテーブルに水玉模様をつけた。


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