小さな手が宙へと伸びた。その手を大きな手がそっと包む。緩んだ頬で赤ん坊を見下ろして、黒髪の青年が嬉しそうに目を細めた。

『……かわいいな』

『怖いの間違いだろ』

『は?!! 怖い?!! おまえ恐怖なんて感情あっ……すまん俺が悪かったから落ち着け暴力は良くない』

 ギラリと不穏に光った金色に、青年が後ずさる。が、それでも赤ん坊の手は離さない。黒に戻った目でゆりかごを見やって、女性が眉を寄せた。

『……触ったら壊れそうだ』

『ふつうに触るぶんには壊れねぇよ……』

 ため息をついて、青年が赤ん坊を抱き上げた。その光景を無表情ながらに見つめて、女性が『……おい』と声をかけた。青年が『あ?』と顔を向けて、ぱちくり瞬いたあと『また未来の話かよ』と半眼になった。

『一年後のハロウィーンに誰かに嵌められて投獄されるんだろ? もう耳タコだっつの。自力で回避するから心配すんな』

『おまえじゃ回避できないと思うが』

『いいから、おまえは俺よりこいつを守れよ。ほら、抱っこ交代』

『………』

『おいこら浮遊させてゆりかごに戻すな!』

『下手に触って怪我させるより安全だろ』



『ヨシノの力を手に入れるには、子どもを攫って死喰い人に育て上げるのが確実だと、闇の帝王はお考えです。できれば、イギリスの純血一族の血を引く者をと』

 すやすや眠る赤ん坊を抱っこして、黒髪の青年が言った。黒髪の女性は『人種と血筋か、くだらない』と一蹴した。青年も『ですね』と賛同を示す。

『とにかく「予言の子」を殺すのと同じ日に攫う手筈という話です。詳細は、僕がそれほど信頼されてないためか、聞けませんでしたが……』

『……本心が露呈したか』

『そんな事態だったらとっくに殺されてます。あなたの魔法で「開心術」対策はできてますから、安心してください。ただ……あなたに少し近すぎるので、警戒されているんでしょうね。一応あちら側にはスパイで通してますけど、みんな腹の中では誰も信じてませんし』

『大半は恐怖で支配されてるからな』

『もしくは闇の帝王以外を信じてないか……そういえば、メイガがヨシノ出身らしきこと、報告しなくていいんですか?』

『どうせ私からの、しかもこの手の情報には耳を貸さないだろう。一族そろってイギリスから撤退して不干渉の姿勢を取ってるんだから』

『一族の人間が関与してるって知ったらさすがに関心をもつ気もしますけどね……』

『知るか。結局は気づかないやつらが馬鹿なんだ』

 バッサリ切る女性に苦笑を漏らして、青年はふと首をかしげた。

『ところで、さっきからドールハウスを覗き込んで何やってるんですか?』

『人形の生活の様子を見てる』

『すみません言葉が足りませんでした。そもそもその人形は何に使うんですか?』

『……そいつの乳母にするんだ』

 青年の腕のなかで眠っている赤ん坊を、女性が指差した。青年はぱちくり瞬いて『乳母?』と呟いた。女性が『赤ん坊の世話をして育てる係』と返す。『いや言葉の意味は知ってますよ』と青年が困惑する。

『人形に育てさせるんですか?』

『ドールハウスから外に出れば人間と同じサイズになる。ちゃんと自律思考と学習能力を持たせてあるし、本物の人間の乳母のところに通わせて学ばせてる』

『その熱意と本気度を別方向に向けませんか?』

 青年がツッコミに近い疑問を口にした。なぜ人形をそこまでハイスペックにするのか分からないと言わんばかりだ。

『せっかくの娘なんだからご自分で育てればいいのに』

『私にそんな根気もとい寛容さがあると思うか? 草花相手ですら発育が予定通りでないと“つい”燃やしてしまうような人格の持ち主だぞ』

『……いや……さすがに娘相手なら……』

『夜泣きをされて“つい”鎌鼬を飛ばした前科がある』

『すんでで自制したんですよねもちろん?』

 真顔で恐ろしいことをカミングアウトした女性に、青年がキツめの口調で問う。女性は真顔のまま赤ん坊を見やった。

『そいつの周りには結界が張ってある。七歳の誕生日がくるまでは、仮に私が死んだとしても、そいつが寿命で死なない限りは持続する。鎌鼬もなんとか無効化できてた』

 青年が無言で赤ん坊を抱く腕の力を強くした。その様子を見て、女性が苦虫を噛み潰したような顔で、視線を赤ん坊から逸らす。

『……だから、母親なんてできないと言っただろう。子育てに必要なスキルと情緒を適切に設定した人形に育てられたほうが、そいつにとっても最善……、何がおかしい』

 無音で笑い出した青年へと、女性が睨みを向けた。青年は赤ん坊を抱え直して『すみません』と眉を下げる。しかし、口元には笑みが浮かんだままだ。

『預けるって選択肢はないんだなって思って。あの人たちから申し出あったのに断ったって聞きましたよ』

『あの家の色に染められるのが気に食わないだけだ。それに、上から目線で押しつけがましく指図されるのも気に食わ……、今度はなんだ』

 クスクス笑う青年へと、女性が再び睨みを向ける。青年は片手のジェスチャーだけで謝罪しつつ、やはり笑いは抑えられないようだ。とりあえずといった風に赤ん坊を揺りかごに戻してから、咳払いをして、笑顔のまま女性へと視線を戻した。

『育児できないって言うわりに誰かに渡さないのも、傷つけないように配慮するのも、わざわざ世話係を用意するのも、ちゃんとこの子を大事に思ってるからですよね。そう思ったら、なんだか暖かい気持ちになって』

 言い終えるや否や、青年は再びクスクス笑いをはじめる。彼に向ける目つきをキツくして、女性は『馬鹿か』と呟いた。
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