「和食が食べたい」

「唐突だな」

 読んでいた本を閉じて発言したリンに、ミニチュア・ショート‐スナウトと攻防を繰り広げていたスイが、戦いを中断してツッコミを入れた。

 隙を突いたミニチュアが吐いた炎が、スイが羽織るローブ(リンのお手製)を直撃する。焦るスイを見て、リンが手を振り、火を消して焦げた部分を元通りに直した。

「炎は危ないから吐いちゃだめ。いつも言ってるでしょう?」

 静かに注意されてミニチュアがしゅんとする。リンにだけはしおらしいやつめ……。スイがイライラと尻尾を振った。機嫌の悪いスイを、本を置いたリンが抱え上げる。

「和食が食べたい」

「さっき聞いた」

「いざ参らん厨房へ。もう夕食を振る舞ってる時間だから、キッチンは空いてるはず」

 テンションがおかしい。よほど欲求が強いらしい。スイは目を瞬かせた。知的欲求のほかは食欲や睡眠欲すら薄いのに、珍しい。何かあったのだろうか?

 そうこう考え込んでいるうちに、厨房に到着した。ハッフルパフ寮から近いので、あっという間だ。リンとスイの訪問に、屋敷しもべ妖精がわらわらと駆け寄ってきた。

「いらっしゃいませ、お嬢様!」

「リン・ヨシノ様、本日はどういったご用件でしょう?」

「ちょっとキッチンを、」

「リン・ヨシノ!」

 用件を伝えようとしたリンを遮って、しもべ妖精が一人、ほかの妖精を掻き分けて近寄ってきた。大きな緑色の目に、リンが映っている。

「……ドビー?」

「はい、リン・ヨシノ! ドビーめにございます!」

 間違いなくドビーだった。ただ、リンの記憶にある彼とは少し違っていた。汚れたベッドカバーを着ていないし、包帯も巻いていない。代わりに奇妙な出で立ちをしていた。

 帽子代わりにティーポット・カバーをかぶり、それにキラキラしたバッジをたくさん留めている。裸の上半身には馬蹄模様のネクタイを締め、子供のサッカー用パンツのようなものを履き、ちぐはぐな靴下を履いていた。片方は黒い靴下、もう一方はピンクとオレンジの縞模様だ。

 あまりのファッションセンスにスイが絶句する。リンの方はパチクリ瞬いて、一言「なんで靴下がバラバラなんだろう」とだけ思った。対になっていることを知らないのだろうか。

「ドビーはリン・ヨシノにもお会いしたく思っていました! ああ、ドビーはいま幸せです!」

「ドビー、話はあとです! リン・ヨシノ様はキッチンをお使いになるのです!」

 べつの屋敷しもべ妖精が、話し続けるドビーに注意をした。大きな丸いブルーの目がまっすぐリンを見上げる。リンは一瞬、ムーディの「魔法の目」を思い出した。

「何かおつくりになるのですか? 夕食の料理がお気に召しませんでしたか?」

「いや、君たちの料理はいつも美味しいよ。とくにかぼちゃパイは絶品 ――― あぁ、持ってこなくてもいい」

 慌てて言うと、かぼちゃパイを用意しようとしたしもべ妖精たちが動きを止めた。

「今日は和食が食べたいから、つくりにきたんだ。材料はあるかな?」

「和食でしたら、リン・ヨシノ様、モノーがおつくりいたします!」

 リンの傍にいる屋敷しもべ妖精が言った。ようやくドビーのショックから立ち直ったスイは、妖精を見て瞬いた。この妖精には見覚えがある……授業時間にハッフルパフの談話室を掃除しに来たところに、何度か遭遇した。

「……君、ずっと前、かりんとうをつくりに来たとき、私の傍で見てた子?」

 じっと妖精を見下ろしたリンが、ふと首を傾げて言った。妖精は目を輝かせてぴょんと跳ねた。

「覚えていてくださった! モノーは感激でございます!」

 調理の間ずっと視界に入っていたのだ、記憶の片隅にくらい引っかかる。リンが思っていると、モノーはつらつら語り出した。

「モノーは、リン・ヨシノ様が、捨てられるはずだった食パンの耳で美味しい食べ物をつくるのを見て、感動いたしました! 日本のもったいない精神と工夫の技術に感銘を受けたのでございます! あれからモノーは勉強し、和食をつくれるようになったのです。モノーは、リン・ヨシノ様がいいとおっしゃるのであれば、リン・ヨシノ様に和食を振る舞いたいと思っていらっしゃいます!」

「いや、べつに……、あー……じゃあ、頼もうかな」

 すがるような目で見つめられて、リンが折れた。モノーが表情を明るくして、何が食べたいかと聞いてくる。リンは少し考えた。イギリスの屋敷しもべ妖精でも知ってそうな和食……。

「うどん……?」

「かしこまりました!」

 モノーは飛ぶように去った。よかった……うどんのつくり方は知っているらしい。本当は煮物が食べたいが、我慢だ。どのみち主食の米がないのだから。

「リン・ヨシノは、お待ちになる間、紅茶をお飲みになられますか?」

「え? あぁ……じゃあ、頼もうかな。スイの分も用意してくれるとうれしい」

 ドビーの問いに答えると、すぐさま五人の妖精が走ってきた。上に掲げた盆に、ティーポット、二人分のカップ、大皿に盛ったビスケット、カットされたフルーツが乗っている。よくできたサービスだと、スイが尻尾を振った。

「それで、ドビー、ここにいるってことは無事に働き口を見つけたんだね?」

 案内されたテーブルに着き、ドビーから給仕を受けながら、リンが言った。ドビーがうれしそうに笑う。

「ほんの一週間前からここで働いています! ダンブルドア校長がわたくしたちをお雇いくださいました」

「誰かと一緒に来たの?」

「はい、ウィンキーと一緒に来たのでございます!」

「……そっか」

 そういえば彼女も解雇された身だった。人伝に聞いた情報なので、思わず忘れてしまっていた。まあ、覚えていたとしても深く触れないでおくことが最善だろう。

 紅茶を飲みながら、リンはドビーの話に耳を傾ける。その向かいで、スイが大きく口を開けて梨を頬張る。十二月だというのに季節感のかけらもない。

「ドビーは今度の週末、お給料で毛糸を買うつもりです。ハリー・ポッターへのクリスマス・プレゼントに靴下を編むのです! どんなものにするか、まだ決めていませんが……」

 自由な屋敷しもべ妖精の生活について語るドビーは楽しそうだったが、その周りからはどんどん仲間妖精が離れていく。休日や給料を受け取っているドビーに、違和感と抵抗を覚えているのだろう。非難を抱いていると言ってもいい。

 ハーマイオニーならむしろ彼らに演説を行うところだが、リンは違う。ドビーの気持ちも、ほかの屋敷しもべ妖精の価値観も、どちらにも理解と許容を示しているので、何も言わない。

 スイがブドウの一粒を丸ごと頬張ったとき、やっぱり季節感がないと見ていたリンの元へ、モノーが走り寄ってきた。掲げた盆に湯気立つものが乗っている。こぼすのではないかと、リンはひやりとした。

「きつねうどんでございます、リン・ヨシノ様!」

 ……まさか、かまぼこや揚げまで乗っているとは思わなかった。差し出されたものを見て、リンは驚いた。スイもポカンと見ている。

(……屋敷しもべ妖精、すごいな)

 ほかほかのうどんを味わいながら思う。見た目も味も、玄人並の出来栄えだった。

4-40. 新入り屋敷しもべ妖精
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