| 十二月になった。夕食の前に図書館を訪れて本を物色していたリンは、窓の外の天気を見てふうと息をついた。今日も曇天だ。しかも風が強い。
ボーバトンやダームストラングは大変だろうなと思う。とくにダームストラング生の滞在スペースは湖に浮かんでいる船だ。風に揺れているのをよく見かける。クラムが頻繁に図書館を訪れるのはそのせいかもしれない……単純に本が好きなだけかもしれないが。
黙々と本棚の間をうろつくクラムを見て、スイが尻尾を振った。そのとき、近くの本棚の影からハーマイオニーが早足で現れた。
「こんばんは、ハーマイオニー」
「まあ、リン」
声をかけると、ハーマイオニーは足を止めた。その腕に抱えられている数冊の本を見て、スイは相変わらず勉強熱心な子だと思った。
「急いでるけど、何かあるの?」
「べつに急いではないわ。ただ、あの人がいるから早く出て行こうと思って」
「……クラムのこと?」
ハーマイオニーの視線を追って、リンが首を傾げた。何かされたのだろうか……それなら適当に報復をしておくが。そう伝えると、ハーマイオニーはぎょっとして慌てて訂正した。
「あの人は悪くないのよ。ただ、彼がいると、彼のファンたちが来ていろいろ喋って、私の気が散るの」
「いまはまだ誰も来てないけど」
「そのうち来るわよ。ああ、もう……どうして船で読書しないのかしら?」
「風で揺れて居心地が悪いからじゃない?」
「先生に頼めばいいのに……お気に入りだから、すぐ叶えてもらえるはずよ」
プンプン怒るハーマイオニーに、スイは頬を掻いた。彼の目当てはハーマイオニーだと言ったら、彼女はどう反応するだろうか……今度、それとなくリンに言ってみよう。
スイが考えている間に、ハーマイオニーは去っていた。クラムが少しずつ寄ってきたからである。ああああ、クラム惜しいいい、と心の中で叫ぶ。ハーマイオニー、戻ってきてあげて、クラムかわいそう! そんな思いは、残念ながら伝わらなかった。
悲劇的な身振りで顔を覆い身体を震わせるスイを見やり、リンが眉を寄せる。いったいどうしたのか……なんだか気味が悪い。放置することにして、リンは身体の向きを変え、そして、はたと動きを止めて瞬いた。
ビクトール・クラムが、リンのすぐ後ろに立っていた。むっつりした表情で、静かにリンを見下ろしている。スイが固まる気配を、リンは感じた。
「……なにか?」
「少し、君と話をしたい」
パチクリ瞬いて、リンは了承した。彼のファンに邪魔されたら面倒なので、軽い結界を張る。クラムは辺りを見渡したが、結界に気づいたわけではなく、誰かが聞いていないか確認したかったらしい。確認を終えると、リンとの距離を詰めた。
「君のことヴぁ、ヴァールドカップのときに見かけた気がする」
「あ、はい、貴賓席にいました」
すごい記憶力だと驚きつつ、リンは礼儀として自分の名前を教えた。クラムはちょっと眉を寄せた。
「ヨシノ……ジン・ヨシノと同じ苗字か?」
「従兄妹です」
リンが簡単に説明すると、クラムは納得したようだった。それから、少し落ち着かない様子でリンを見た。スイがなにやら身構える。
「さっき一緒にいた女の子ヴぁ、誰だ?」
「……栗色の髪の子ですか?」
さっきというと、ハーマイオニーか……。一応確認すると、クラムはむっつりと頷いた。
「ハーマイオニー・グレンジャーです」
「……ハーミィニ……?」
「いや、ハー‐マイ‐オ‐ニー」
「ハーミィ‐ オン?」
「……名前はいいとして。彼女がどうかしたんですか?」
発音の指導を丸投げして、リンが話を進めた。スイは半眼でリンを見つめた。こういうときだけ話の進行に協力的なんだから……。
「彼女ヴぁ、ヴぉくがここに来ることを、嫌がっているのか?」
そわそわとクラムが聞いた。リンはきょとんと彼を見上げた。どうしてそんなことを聞くのだろうか……よく分からない。だが彼にとっては、これは大問題らしい。真剣な目でリンを見てくる。
「いえ、あなたというより、あなたのファンが来るのを嫌がってますよ。クスクスこそこそして、気が散るんだそうです」
「……彼女たちヴぁ、ヴぉくも好きではない」
「離れてくれと言ったらどうです? 一人で静かに読書をしたいとか……いっそ、静かで控えめな女の子が好みだと流せばよいのでは?」
ぎゅうと眉を寄せたクラムだったが、リンが提案すると、眉間の皺が消えた。「そんなことで離れるのか?」と首を傾げ、「離れるんじゃないですか?」とリンから首を傾げ返され、瞬きをする。
「……でヴぁ、今度やってみる」
ふむふむと一人頷いたあと、クラムが呟いた。それからまたじっとリンを見る。
「ヴぉく一人なら、ハーミィ‐オンは、逃げずに話を聞いてくれると思うか?」
「……まぁ、静かな環境だったら、出ていくことはないと思いますよ」
たぶん、という言葉は飲み込んだ。ハーマイオニーがクラムに持っている心象はすでにマイナスだ……しかし、誠実な態度で接するならば、邪険に対応されることもないだろう。
「礼儀正しく紳士的に話をすれば、耳を傾けてくれるはずです」
「……そうか」
むっつりした顔で、クラムは「礼儀正しく、紳士的に……」とブツブツ復唱した。そのあと、少し気が晴れたような顔になって、リンの目を見た。
「ありがとう。参考になった」
「いえ、お役に立てて光栄です」
「またヴぉくと話をしてくれるか?」
スイがずり落ちかけた。手を伸ばして支えてやりながら、リンはしげしげとクラムを見つめた。また相談に乗ってほしいということだろうか。リンが尋ねる前に、クラムがつけ足した。
「ヴぉくは、ひとと話すのが苦手だ。だが、ジンや君とヴぁ話しやすい。だから、話し相手になってほしい」
「はぁ、分かりました」
要するに、気軽に話せるような友達がいないのか……。クラムの言葉を聞いて、スイは切なくなった。そういえばクラムは無口かつ無愛想な孤高の存在で通っている。
「ボク、全力でクラムを応援する」
クラムが去ったあとしみじみ呟いたスイに、リンが首を傾げる。
「ダームストラングを応援するの?」
「対抗試合の話じゃないよ、リン。君ったら、ほんとに何も分かってないんだから」
やれやれと肩を竦められて、リンは不可解そうな顔をした。
4-39. ビクトール・クラム
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