学年末試験が迫ってきた。図書館の一角でハナハッカの効用についてレポートを書きながら、リンは溜め息をついた。

 ここのところ、先生方は次々と山のように宿題を出している。そんなに難しくはないが、何しろ量が多いので処理するのに時間がかかってしまうのだ。

 隣にいるハンナとベティは、今にも泣きそうな様子で変身術の教科書をめくっていた。

「こんな広い範囲、一日に何時間あったって終わるわけがないわ」

 魔法史の教科書でテスト範囲のページを確認して、スーザンがウンザリしたように唸った。あまりにも彼女が心底嫌そうな顔をするので、リンは小さく苦笑した。

 それからレポートに向き直ろうとして、不意にリンは一人の生徒に気づいた。

 ネビル・ロングボトムだ。端っこの席に座って、うつむいて黙々と宿題に取り組んでいる。惨めそうに見えるのは、彼の成績が芳〔かんば〕しくないという理由だけではないだろう。

「あら、リン? どこにいくの?」

「……参考資料を探しに」

 リンが静かに立ち上がると、スーザンが反応した。リンは適当に理由をつけて彼女たちから離れ、ネビルのほうに近寄っていった。

「こんにちは、ネビル」

「え……あ、リンッ、………」

 そばに立って挨拶をすると、ネビルは嬉しそうにリンの名前を呼んだが、すぐに表情を曇らせ、俯いてボソボソと何かを言った。しかし、周りにいた何人かの生徒が聞こえよがしにネビルに悪態をついたので、ネビルの声はかき消されてしまった。

「……ごめん、ネビル。聞こえなかったから、もう一回言ってくれる?」

 リンが苦笑して頼むと、ネビルは恐々と周りの生徒たちを見たが、リンが体をずらして彼の視界を遮った。

「いいよ、言って?」

「……あんまり僕に話しかけないで。僕と関わっても、全然いいことないから。僕なんて、何かとんでもないことして、みんなに迷惑かけちゃうことしかできないもの」

 どんよりと沈んだ顔で言うネビルに、リンは眉をひそめた。

 つい先日、かの有名なハリー・ポッターが何人かの生徒と一緒に「何か」やらかして、一晩で一五〇点も寮から減点されてしまった。そのおかげで、グリフィンドールは寮対抗のリードを完全に失い、代わりにスリザリンが首位に立つ羽目になった。

 ハリー・ポッターは今、学校一の嫌われ者だった。そして、その「何か」に関係していた二人の生徒も学校のみんなに無視され、ひどいと大っぴらに悪口を言われている。ネビルはその関係者の一人だった。

「……あのさ、ネビル」

「 ――― あれ、ヨシノ?」

 リンが何かを言おうとしたとき、後ろから声がかけられた。何だと振り返れば、三人の男子生徒がいた。彼らには見覚えがある……レイブンクローの同級生だ。たしか名前は、アンソニー・ゴールドスタイン、マイケル・コーナー、テリー・ブートだったかと、リンは記憶を手繰った。

 一緒の教室で授業を受けたことはあるが、レイブンクロー生はハッフルパフ生から距離を取る傾向があるため、ろくに話したことがない。こんなところで声をかけられるなど、まったく意外だ。不思議に思うリンを、マイケルが品定めでもするかのように見てきた。

「君も試験勉強をしにきたのか?」

「……そうだけど」

「ふーん」

 じろじろっとリンを眺め渡しながら、マイケルが素っ気なく言った。失礼な奴だとリンは思ったが、ここで口論になるのも面倒なので、とりあえず彼らの用件を聞くことにした。

「それで、何か私に用でも?」

「ああ、うん。たいしたことじゃないんだけど……」

 だったら声かけてくるな。表情を取り繕っている(ように見える)アンソニーに、リンは内心で毒づく。しかし相手は気づかない。ただ、その横のテリーはちょっとだけ肩を跳ねさせたが。

「僕らも試験勉強をしにきたんだ。談話室でやってもいいんだけど、生憎と生徒でいっぱいで、あまりいい環境とは言えなくてさ」

「ああ、それは大変だね」

「まあ、当然のことだけど。レイブンクロー生はみんな意識高いから」

「そうらしいね」

「あ、いや、僕ら、ほかの寮をバカにしてるわけじゃないんだ。ただ、」

「ぬるま湯に浸ってはいないってこと」

「へえ、すごいね」

 のらくらと世間話じみたことを話すアンソニーとマイケルに内心ウンザリしつつ、リンは適当に相槌を打つ。

 早く用件を言ってほしい……。リンが苛立ち始めたころ、マイケルがチラリとネビルに視線を投げかけた。ひんやりと冷たい目だった。

「勉強は、同じレベルの人間と切磋琢磨しながらするものだ」

「そうかな。私は違うと思うけど」

 マイケルが何を言いたいのか分かったリンは、彼が続きを言う前にピシャリと撥ねつけた。マイケルが眉を寄せ、アンソニーが「おや」という顔をする。テリーはパチパチ瞬いていた。

「勉強を一緒にするのに、学力が同じレベルである必要があるとは思わない」

「バカと勉強して、何の得があるってわけ? 邪魔されて損するだけじゃないか」

「マイケル、ちょっと落ち着けよ」

「特にこんな ――― ロングボトムとだなんて」

 テリーが宥めようと声をかけたが、マイケルは無視して、ネビルを顎でしゃくった。ネビルが「ひっ」と息を呑む。眉を寄せるリンに、マイケルも眉を寄せていた。

「こいつが何をしたか知らないのか? 一度で五十点も失わせたんだぞ ――― まあ、もともと失点ばかり食らってるけど。一点でも点を稼いだこと、あるかい?」

 失笑を受けて、ネビルは一瞬で耳まで赤くなって俯いた。彼をマイケルの視線から庇うように身体の位置をずらして、リンはマイケルを見据えた。

「ネビルが加点されたか減点されたか、そんなことは私にとってはどうでもいいことだよ。そんなもので、私は友達を選びはしないから」

「へえ、そうか。残念だよ。せっかく忠告してあげたのに」

「残念なのは君のほうだよ。点数とか成績とか、客観的ではっきりと目に見えるものでしか人を判断しないなんて」

 淡々とした口調でリンが言うと、マイケルはギュッと顔をしかめた。彼が反論する前にと、リンはさっさと ――― しかし落ち着いた調子で、言いたいことを並べる。

「そういうのって結局、他人が出した評価でしょう? もっと突き詰めれば、先生方の価値観。君は、他人の評価を考えもせずにそのまま受け取って、それで他人を判断してるんだよ。主体性の欠片もない。それでいいの? 人間関係は、もっと主観的に築くものじゃないの?」

「…………」

「もう一つ、ついでに言うけど、世の中も知性だけがすべてというわけではないでしょう? どんなに頭が良くとも、嫌な奴だ最低な奴だと思われる人はいるし、逆もある。人間には、知性以外にもたくさんの構成要素があるでしょう」

 黙って聞いていたアンソニーが「ふむ……」と感じ入る素振りを見せた。テリーも「たしかに」と頷く。ネビルはポカンと口を開けてリンを見つめている。マイケルは無表情だ。

 周囲の反応はあまり気に留めないことにして、リンは話を続ける。何が言いたいのかだんだん分からなくなってきているが、どうせ相手は頭でっかちだ。論証ならともかく、自分の意見を述べるだけの行為に、素直に納得されてくれるとは思えない。ということでリンは、特に気にせず、思いつくまま口に出す。

「他人〔ひと〕の価値観を否定するつもりはないけどさ、一つだけを指標にするのって危ういなとは思うよ。たった一つがすべてになっちゃうと、それが崩れたりなくなったりしたときに、立ち直れなくなっちゃうもの」

 レイブンクロー生が持っている価値観は、ある種、プライドといったものに似ているかもしれない。リンはそう思っている。

 そして、知性を何よりも重視している彼らは、ひっくり返して見ると、知性という判断基準に縛られている。それを高々と掲げながら、それに必死にしがみついているようにも見えるのだ。まぁそれはレイブンクロー生に限ったことではないのだが(たとえば、スリザリン生の純血主義とか)。

 客観的に見ると、何らかのプライドを持っている者たちは、ある意味必死なのだ。ともすれば同情してしまう。まったく今の状況に関係ないが、リンはしみじみ思った。

「……ってことで、ネビル、行こうか」

「え?」

 不意打ちを食らって、ネビルの反応が遅れた。それに構わず、リンは杖を振り、彼の荷物を簡単にまとめる。それらを宙に浮かせつつ、ネビルの腕を取って立ち上がらせる。それから、レイブンクロー生三人を振り返った。

「じゃあ、試験勉強頑張って。私はネビルとやるから。ほらネビル、邪魔しちゃ悪いし、移動しよう」

 当惑している三人を放置し、未だに困惑しているネビルを連れて、リンは図書館の奥へと歩いていった。

「……あー、疲れたー」

 レイブンクロー生が見えなくなったところで、リンは天井をあおいで息をついた。

 なんだかんだいろいろと頭を使った気がする。ただでさえ試験勉強で疲れているのに、何ということだろうか。溜め息をつくリンに、ネビルがそろそろと声をかけた。

「……あの、リン? 大丈夫なの? 今の、レイブンクローの子たちだよね? あんなこと言って……今度授業で一緒になったときとか、気まずくない?」

「平気だよ。私たいていハンナたちといるから、彼らとはそんなに関わらないし」

 クスクスと笑い、リンはネビルへと向けた目を細めた。

「それより、さっきの続きだけど、私は、一緒にいるといいことがあるとかないとか、そういう理由で友達を作ってるわけじゃないよ」

「……でも、できれば迷惑をかけない子が友達の方がいいでしょう?」

 沈んだ声で言うネビルに、リンは溜め息をついた。だからどうしてそう、悪い方向に考えるのだろうか。

「じゃあ、ネビル、さっきの私を見たでしょう? 同級生にあんな嫌な態度をとる私と友達でいるのは、もう嫌?」

「そんなことない! 僕、リンと友達ですごく嬉しいよ!」

「うん、私も」

 リンが笑うと、ネビルも少ししてから、ぎこちなく笑った。それを見て、リンは緩やかに目を細める。

「……ねぇ、ネビル、誰にも迷惑をかけない人なんて絶対どこにもいないよ。どんなに努力をしたって、みんなどこかで失敗してしまうものだから。ネビルが迷惑をかけないようにって一生懸命頑張ってるの、私、ちゃんと知ってるよ。それに、ネビルが気づいてないだけで、ネビルのいいところなんてたくさんあるしね」

「本当?」

「うん。そうだなぁ……まず優しい。さっき私に『話しかけないで』って言ったのは、私まで悪く言われるのを防ぐためでしょう?」

 ニッコリ笑うリンに、ネビルが顔を真っ赤にする。リンは目を柔らかく細めて続ける。

「勇気もあるかな。あんな言いづらいことを言ったんだから。あと、粘り強いところもあるかも。トレバーがどれだけ逃げても、いつもちゃんと探し出すから」

 ほら、たくさんあるでしょう? と微笑むリンの言葉を、ゆっくり時間をかけて理解したあと、ネビルは頬をピンク色に染めてはにかんだ。

1-12. 彼との友情論
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