ついに学期末試験が始まった。うだるような暑さのなか、筆記試験会場の大教室はことさらに暑かった。試験用にカンニング防止の魔法がかけられた特別な羽根ペンが配られた。

 当然ながら実技試験もあった。フリットウィックは生徒を一人ずつ教室に呼び入れ、パイナップルを机の端から端までタップダンスさせられるかどうかを試験した。マクゴナガルの試験は、ねずみを「嗅ぎタバコ入れ」に変えることだった。美しい箱は点数が高く、ひげの生えた箱は減点された。スネイプは「忘れ薬」を課題とした。

 最後の試験は魔法史だった。一時間の試験で、「鍋が勝手に中身を掻き混ぜる大鍋」を発明した風変わりな老魔法使いたちについての答案を書き終えると、すべてが終わる。

 一週間後に試験の結果発表があるが、それまでは素晴らしい自由時間が待っているわけだ。幽霊教師のビンズが「羽根ペンを置いて答案羊皮紙を巻きなさい」と言ったときには、多くの生徒が歓声を上げた。

「やっと終わったわ!」

 さんさんと陽の射す校庭にワッと繰り出した生徒の群れに加わって、ハンナが言った。久しぶりに満面の笑みを浮かべている。

「これから一週間は自由よ!」

 二人は湖まで降りていき、木陰に座り込んだ。

 グリフィンドールの双子のウィーズリーとリー・ジョーダンが、暖かな浅瀬で日向ぼっこをしている大イカの足をくすぐった。怒って三人を捕まえようとするイカから逃げ回る彼らを見て笑っていると、ベティとスーザンが歩いてきた。やはり二人もご機嫌だった。

「素敵な午後ね!」

 ベティの声は、本人の身体と同じように弾んでいた。

「待ちに待った自由よ! もうしばらくは文字を見なくてすむのよ!」

「ねえ、リン。さっきの魔法史の問十三 ――― 」

やめてよ、スーザン。テストは終わったのよ」

 リンと答え合わせをしたがるスーザンを遮って、ベティが心底ウンザリした声を出した。ハンナも眉を下げているのを見て、スーザンは肩を竦めた。

「……私、図書館に行くよ。久しぶりに本を読みたいから」

 そう言ってリンが立ち上がると、ベティが信じられないという顔をする。スーザンが笑うなか、リンは意地悪く笑ってみせた。

「……ベティ、ついてくる?」

「いいえ、そんな高尚なご趣味のお邪魔はいたしませんとも」

 つんとそっぽを向くベティに吹き出すのをこらえ、リンはその場を離れた。


**


 試験から解放されて浮かれている学生たちの喧騒を耳に入れながら廊下を歩いていたリンは、不意にクィレルを見つけた。

 この天気でもターバンをしっかり巻いている彼は、廊下の真ん中で立ち止まって、少し離れたところを見ている。彼の視線を追ってみると、ハリー・ポッターとその友人たちが、スネイプと何か話しているのが分かった。

 視線をクィレルに戻すと、彼は食い入るように彼らを見ている。今まで見たことがないくらい、真剣な目だった。

 リンが彼を見つめたまま立ち竦んでいると、不意にクィレルがこちらを向き、リンと目が合った。クィレルは目を見開いたが、それも一瞬で、すぐにいつも通りの引き攣った笑みを浮かべた。

「や、やあ、ミス・ヨシノ……い、いい天気ですね?」

「あ……はい」

 気のせいだろうか? リンには彼が少し焦っているように見える。リンが不思議に思っていると、クィレルは彼女の前まで静かに歩み寄ってきて、息を吸い込んだ。

「ま、また新しい、ほ、本があるの、ですが、よ、よければ、見に、き、きませんか」

「……本ですか……?」

「ま、魔法薬の本でして……ま、前に、君が話していた、く、薬について、詳しく載っていたので、き、きっと、気に入ると、お、思います」

 彼にしては柔らかい笑顔で、クィレルはリンを誘った。リンは二つ返事で了承した。クィレルが薦めてくる本に間違いはないと、半年近い付き合いで学んでいる。

「……で、では、い、行きましょうか」

 すぐに返事をしたリンに驚いたのか、クィレルは目を見開いたあと、ぎこちない笑みを浮かべた。そのまま彼は歩き出し、リンは彼の後ろをついていく。

 廊下を進み、階段を上り、また廊下を歩きながら、リンは目の前に晒されているクィレルの背中を見つめる。

 なんだか、妙に張りつめているように見える……何か緊張でもしているのだろうか。でも、緊張というよりは不安……いやむしろ ――― 。

「……こわがってる……?」

 ピタリ。クィレルの足が止まった。ぼんやりしていたリンは、彼の背中にまともに衝突した。

「……す、すいません……」

「……い、いえ、こちらこそ、突然立ち止まってしまって……大丈夫ですか?」

「はい……あ、着いてたんですね」

 クィレルの肩越しに彼の研究室のドアを見て、リンは表情を明るくした。

「すいません、先生の背中しか見てなくて、着いたのに気がつきませんでした」

「……、いえ……」

 何とも形容し難い顔で呟いたあと、クィレルはぎこちない動作でドアを開け、リンを促した。リンは部屋に足を踏み入れる。

 相変わらず、本が多い割に片付いている部屋だなぁ……と感想を抱いたときだった。

 骨ばった青白い手が、リンの背後から伸びてきて、彼女の視界を覆った。反応が遅れた一瞬の隙に、急激な眠気がリンを襲う。リンの身体から力が抜け、思考が奪われていく………。

 ふわりと誰かに抱き留められ、耳元で何かを囁かれたのを感じたあと、リンの意識は途切れた。

1-13. 暗転
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