ムーディの授業はクールで最高だと、学校中で持ち切りだった。

 そのため、噂好きに定評があるハッフルパフ生は、彼の最初の授業が待ち遠しくて仕方がないようだ。その証拠に、始業のベルが鳴る前に教室の前で列をつくって待っていた。

「スネイプの授業だったら、こんな情熱は発揮しないだろうに」

「そりゃあ、まあ、スネイプはね」

 呟いたリンに、アーニーが空笑いで返した。二人の横では、相変わらずベティとジャスティンがくだらない舌戦を繰り広げ、スーザンとハンナが宥めている。

「ベティ、ジャスティン、授業だよ」

 半ばうんざりと声をかけ、リンはさっさと開放された教室へと足を踏み入れた。空いている席に座り、教科書と羊皮紙、羽根ペンを机の上に置く。ハンナがリンの隣に滑り込むように着席した。

 まもなく、コツッ、コツッ、と音を立て、ムーディが現れた。いつも通り不気味で恐ろしげで、ハンナが身を縮こまらせる。

「そんなもの、しまってしまえ」

 教師用の机に向かいながら、ムーディが唸った。そんなものとは何かと、生徒が首を傾げる。リンは、全員が共通で出しているものは教科書と期待くらいだと思った。……いや、期待はリンが持っていないか。

「教科書だ。そんなものは必要ない」

 指示が出ると、みんなが教科書を鞄に戻した。「また実践かな」という囁きが、ちょこちょこ聞こえてくる。ムーディは無視した。

「まず出席を取る。呼ばれたら返事をしろ ――― ハンナ・アボット」

「は、はいっ」

 ハンナの身体が飛び上がった。声も震えて上擦っている。対照的に、次に呼ばれたスーザンは落ち着き払っていた。リンは頬杖をつき、こっそり溜め息をついた。

 出席となると、リンはいつも最後に呼ばれる。イニシャルが Y だからだ。この学年でリンより後に呼ばれる生徒は、ただ一人。スリザリンのブレーズ・ザビニだ。しかし、スリザリンと一緒になる授業はほとんどない。

「 ――― リン・ヨシノ」

「はい」

 ムーディの青い「魔法の目」がリンを捉える。同時にムーディ自身も顔を上げてリンを見た。数秒、目が合う。リンはさすがにまずいかと、ついたままの頬杖を外した。

「……よし、それでは」

 さらに数秒して、ムーディが話し始めた。

「おまえたちは、闇の怪物と対決するための基本をかなり満遍なく学んだようだな……ルーピン先生から手紙をもらっている。しかし、おまえたちは遅れている。非常に遅れている ――― 呪いの扱い方についてだ」

 ムーディの「魔法の目」は、話している間もグルグルと回転していた。その目と何度も目が合い、リンは眉を寄せた。

「呪いとは、力も形もさまざまだ。さて、魔法省によれば、わしが教えるべきは反対呪文であり、実際の闇の呪文は六年生になるまで教えちゃいかんことになっている。しかし、わしに言わせれば、戦うべき相手を知るのは早ければ早いほどよい」

 つまり、いまからでも実際に見せる、とでも言い出すのだろうか……。「魔法の目」との視線衝突を繰り返しながら、リンは思った。

「見たこともないものから、どうやって身を守るというのだ? いましも違法な呪文をかけようという魔法使いが、面と向かって親切に礼儀正しく、これからこういう呪文をかけますなどと、前置きして闇の呪文をかけてくれたりはせん」

 うんうんとアーニーが頷くのが、視界の端に映った。「魔法の目」がアーニーの方を向き、また回転して、教室中を監視し出す。

「おまえたちの方に備えがなければならん。緊張し、警戒していなければならんのだ。いいか、ほかの授業の宿題をやるなら、ここではなく図書館にでも行け、スミス!」

 ザカリアス・スミスが飛び上がった。机の影で、膝の上を使って「変身術」のレポートを書いていたところだった。ザカリアスを見据えている「魔法の目」は、どうやら透視能力を持っているらしい。

 ザカリアスは真っ赤な顔で謝罪し、羊皮紙を片づける。ベティがひっそりと大喜びをした。横目でザカリアスを見ていたジャスティンも、口角が上がっている。

 みんなして、どうしてそこまで嫌うかなぁ……と、リンは思った。

「さて……魔法法律により、もっとも厳しく罰せられる呪文が何か、知っている者は?」

 何人かが中途半端に手を挙げた。アーニーがその中にいたので、ジャスティンが目を丸くしていた。ムーディはアーニーを指名した。「魔法の目」は、まだザカリアスに向けられている。

「えっと……たしか……『服従の呪文』かと。家族が、ずっと前に話しているのを、たまたま聞いて」

 アーニーはなぜか自信がなさげだった。どうして家族がそんな話をしていたのか問い詰められるのを不安に思っているようだった。ムーディはその点には触れなかった。

「その通りだ。おまえたちの親くらいの世代なら知っていてもおかしくはない……暗黒の時代に頻繁に使われ、大きく話題になった」

 話しながら、ムーディは立ち上がり、机の引き出しを開けてガラス瓶を取り出した。黒い大グモが三匹、中でゴソゴソ這い回っていた。昆虫嫌いのベティが頬を引き攣らせた。

 ムーディはクモを一匹だけ取り出し、手の平に乗せて、みんなに見えるようにする。彼が杖をクモに向けるのを見て、ハンナが不安そうな表情を浮かべた。

インペリオ!

 クモが突然、ムーディの手から飛び降りた。手から垂らした糸を利用して、空中ブランコのように前後に揺れ出す。それから後ろ宙返りをして、糸を切って机の上に着地した。かと思えば、今度は二本の後ろ脚で立ち上がり、タップダンスを始める。

 みんなが笑った。無表情に冷めた目でクモを眺めるリンと、せわしなく杖と「魔法の目」を動かすムーディを除いて、みんなが。

「おもしろいと思うのか?」

 ムーディが低く唸る。「魔法の目」が、またもやリンに焦点を定めた。

「おまえたちを相手に、わしが同じようなことをしたら、おまえたちは喜ぶのか?」

 笑い声が一瞬にして消えた。ずるっと、誰かの肘が机から滑り落ちたような音がした。

「完全な支配だ。わしはこいつを思いのままにできる。その気になれば、こいつを使っておまえたちを攻撃できる……わしがやったという証拠も残さずにな」

 コロコロ、杖の動きに合わせてクモが転がり出す。ムーディはとんでもないことをひどく無造作に言ってのけた。ハンナやアーニーが息を呑む。

「『服従の呪文』と戦うことは可能だ。これからそのやり方を教えていこう。しかし、これには個人の持つ真の力が必要だ……誰にでもできるわけではない。呪文をかけられぬようにする方がよい。油断大敵!

 突然の大声に、みんな飛び上がった。ハンナに至っては小さな悲鳴つきだった。ムーディは生徒の反応を気に留めず、クモを瓶に戻した。


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