Day 4


Day 4



名前の願いは天には届かなかった。目が覚めてすぐに感じた重い頭と身体に絶望する。
のそりのそりと起き上がると、ぼとりと額から落ちた物体にビクリと身体が跳ねる。
それは濡らしたタオルだった。頭が重かったのは熱のせいだけじゃなかったのだ。
しかし名前は昨日、タオルなんて頭に乗せていない。最原が帰ったあとすっかり眠ってしまい、今朝まで一度も目を覚まさなかったはずだ。おかげで昨日は遅い朝食しか胃に入れていない。

名前は額から落ちたタオルを拾いもせずにじっと見つめる。人肌に温められぬるくなったタオルは、まだしっかりと濡れていた。濡れ具合から、そう遠くない時間に誰かが名前の頭にタオルを乗せたとしか考えられない。
ハッと時計を見ると、午前9時前だった。真夜中あるいは早朝に誰かがタオルを乗せてくれたのか。
きっとそうだ。不用心だが最原が帰ったあと鍵を閉めた記憶もない。
一瞬気味が悪いなんて思ってごめんなさい親切な誰かさん。

最原とその親切な誰かさんにもお礼を言わなければならないとタオルを拾って立ち上がる。もしかして看病してくれたのも最原かと思い当たるがその考えを打ち消すように首を振った。都合のいいように考えすぎだ。

身体は相変わらずダルいが汗を流すためお風呂に入り、部屋を出たのは10時半を過ぎた頃だった。



「名字さん出歩いて大丈夫なんすか!?」
「天海くん」
寄宿舎を出ると、寄宿舎前のベンチに座っていたのであろう天海が名前を見つけて駆け寄ってきた。普段の落ち着いた彼からはあまり想像できない慌てぶりだ。
「やっぱり噂になってるんだね。まだ身体がダルいけど大丈夫だよ」
「そうなんすか……。昨夜食堂で最原くんから話を聞いて心配してたんすよ……。みんなも心配してたっすよ」
天海はそっと名前の両手を包み込み、目を丸くして戸惑う名前の顔を覗き込む。
「何かあったら俺に言ってくださいね。これでも俺、面倒見いい方なんで」
柔らかく微笑む天海にきゅんと心臓を鷲掴みにされる。弱ったところを突くようにそんな優しい顔をするのは反則だ。
「ありがとう」
危ない危ない、彼のイケメン具合にコロリと落とされてしまうところだった。

「名字さん、よかったら俺も詳しく話を聞いていいすか? 俺も名字さんの力になりたいっす」
「天海くん……」
最原だけではなく天海にまで迷惑をかけるわけにはいかないと思ったが、彼の真剣な顔を見るとそれを跳ね除けることはできなかった。こくりと首を縦に振った名前の反応を見て、天海はにこりと満足げな笑みを浮かべる。


食堂で天海と並んで軽くご飯を食べながら、たどたどしい説明をする。自分で話していて、人に言うほどでもないただの体調不良じゃないかと思い始めたが彼はそんな態度をおくびにも出さず真剣に話を聞いてくれた。
「そうなんすね……。原因がわからないのは怖いっすね」
さらに彼は名前の要領を得ない説明を理解してくれて、不安を解すように頭まで撫でてくれる。優しさの塊だ。

「というか、鍵もかけずに不用心っすね」
「最原くんは一応忠告してくれたんだけど私がすぐに寝ちゃって」
「……最原くんが一度部屋に入ったってことっすか?」
「え? うん。あまりにも酷かったんだと思う。部屋の中まで連れて行ってもらったんだ」
「へえ。それもそれで不用心っすよ名字さん」
「あう」
ツンと額を指で突かれ、両手で前髪を押さえる。
「まあここにいる人たちはそういうことはしないと思うっすけど……」
名前の顔を覗き込む天海の顔には煩慮の思いが滲み出ている。今にもため息をつきそうな天海になぜか申し訳なくなり名前は小さく謝った。

「別に謝る必要はないっす。俺が単に心配なだけなんで」
眉をハの字にして笑った天海に名前も緩く笑みを返した。
「それで、タオルの件も最原くんだと思ったんすね」
「うん。本当に最原くんなのか確認したいし、もしそうならお礼を言いたい」
それは隣の天海に語りかけたものではなく、自分がしたい、すべきことが口から溢れたような口調だった。
天海の口元が緩んだのを見て、名前は徐に立ち上がる。
「話聞いてくれてありがとう。最原くんを探してくるね」
「待ってください名字さん」
しかし、予想に反して天海の声が名前を引き止めた。天海の反応から、タオルの件に関して意見が一致したと思ったのだが違ったか。なぜ天海が引き止めたのかがわからず、名前は軽く首を傾げる。

「もうすぐ11時半っす。そろそろみんな食堂に集まる頃じゃないすかね」
ハッとして時計を見ると、彼の言うとおり長針が5を指している。食堂に入ってから1時間近く経っていたのかと僅かに目を見開いた。
「名字さんもあまり動き回らない方がいいっすから、ここで待ってましょう」
椅子を引いて立ち上がったままの名前の手にそっと掌を重ねられたのを合図に、名前はストンと腰を下ろした。
「そうします……」
「はい」
天海は名前の手から掌を離し、再びぽんぽんと頭を撫でる。体調不良で頭の回転が鈍くなっているのを抜きにしても情けなくて恥ずかしい。考えなしか。妹か娘を慈しむかのような行為を甘受し、黙って彼に従うしかなかった。


暫くして東条が昼食の準備をしに食堂に現れた。名前の体調について軽く聞き出したかと思うと、名前用の昼食を別途用意してくれると言う。超高校級の方々は器量だけではなく度量も大きいのだろう。厨房に入っていく東条と隣で笑んでいる天海にひれ伏す心地で頭を下げた。

厨房から出汁のいい香りが漂ってきた頃、食堂にチラホラと人が集まり始める。茶柱に過剰なほど心配され、アンジーに謎の儀式をされそうになり、人が半分ほど集まった頃、ようやくお目当ての人物が姿を現す。

「最原くん」
名前がすかさず声を上げると、意外だったのかちらりと視線が集まった気がした。しかしそれも一瞬のことで、最原が名前の名を呼び歩み寄ると各々談笑に戻り始める。
「もう大丈夫なの?」
心配げに眉尻を下げる彼の期待に反する答えを出さねばならないことに申し訳なさを感じ、名前は静かに頭を横に振るに留める。
「そっか……」
案の定名前の反応に残念そうな声を出す最原は、重い口を無理矢理開く。
「昨日図書室でいろいろ調べてみたんだけど、結局何もわからなくて……。ごめん」
「いやいや! ほんとにもう、そこまでしてもらう義理もないし、大丈夫だよ! そうやって調べてくれたことが嬉しいし、何もわからないことがわかったし! 本当にありがとう。神様仏様最原様」
ここまでしてもらうと、不甲斐なさと申し訳なさで自分が消えてしまいそうなので勘弁してほしい。
最原のお人好し具合に頭が上がらない思いでとりあえず彼に向かって合掌しておく。ありがたや。
苦笑する彼が向かい側の席についた時、ツンと腕を突かれ首を回す。人差し指を名前の腕にくっつけたままの天海がこちらを向いており、じっと視線が絡み合う。どうしたのかと、優しげに垂れた目尻が特徴的な彼の双眸をそのまま見つめる。
「名字さん、本来の目的は?」
「?」
はて、本来の目的とは……?
名前はまた首を傾げようとしたところで、ハッと目を見開く。名前の反応を見た天海は満足げに頷き、指を腕から離した。

危ない危ない。最原の顔を見て満足してしまっていた。
「最原くん」
視線を天海から最原に戻し再び彼の名を呼ぶと、初めから名前と天海のやり取りを見ていたらしい最原はこてんと首を傾げ話を促した。
昨日鍵をかけずに寝てしまったこと、朝起きたら濡れタオルが額に乗せられていたことを手短に説明する。
「それで、最原くんがタオルを持ってきてくれたのかなって……」
伺うような言葉で締め、静かに名前の話に耳を傾けていた最原を見やる。しかしその反応は予想していたものとは違い、彼の顔は怪訝そうに歪められていた。

「それ、僕じゃないよ……」
ふるふると首が緩く左右に振られる。
「え……」
思わず漏れた声が最原と名前の間に落ちる。名前たちの周りは相変わらず賑やかなのに、温度が3度下がったような寒気を覚えた。


じゃあ誰が……?


天海の話によると、体調不良の話は昨日の夜に食堂を利用していた者に行き渡っているとみていいだろう。それはおそらく今ここにいるメンツ。東条がちょうど昼食を作り終わる頃に人が集まったところを見て、時間を決めてご飯を食べようということになったのかもしれない。
名前は食堂をぐるりと見渡す。春川、入間、星、真宮寺、王馬を除くメンバーが揃っている。それに加え、王馬と入間は事情を知っているためほぼ全員が把握しているということだ。該当者を絞り込むのは難しいらしい。
しかし、心配した誰かが様子を見に来たのだとしても、無断で部屋に入るほどの関係の人は多くはない。同性は別としても。

「誰か名字さんの事情を聞いた女の子じゃないっすかね」
言葉も出せずにいると、隣から天海のゆったりとした声が名前の意識を浮上させる。困惑する名前を落ち着かせるためなのか、いつもより柔らかい声音に名前はふうと一つ細い息を吐く。
「そう、なのかな……」
確かに最原ではないなら親切な女の子の誰かだとは思うが、どうもしっくりと来ない。
もしそうならここで顔を合わせた時に一言あっても良さそうなものだ。何しろ親切とはいえ無断で他人の部屋に入ったのだから。

首を捻る名前を見て、しっくりきていないらしいと悟った天海が苦笑を漏らした時、いい香りを漂わせる料理を持って東条が厨房から現れる。各々が席を立ち料理を運ぶ中、ステイをくらった名前の前に簡素なおじやが運ばれる。
「出汁のいい香り……!」
「無理はせずに、食べられる分だけ食べてちょうだい」
「はい! ありがとうございます!」
思わず敬語になってしまうほどの感動だった。どうしてこの人たちはこんなに優しくしてくれるのだろうか。

そのおじやは、嫌なことを全部忘れさせてくれるくらい優しい味がした。





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