お帰りなさい



名前は6時に目を覚ました。休日ということもありさすがに早かったので二度寝しようと思ったが、すっかり目が冴えてしまって眠れない。いっそのこと起きてしまおうとがばりと身体を起こしカーテンを開けると、眩しい朝日が差し込み思わず目を瞑る。

今日は王城が退院する日だ。そして、宵越歓迎会の日でもある。

ずっとずっとこの日を楽しみにしていた。ついに今日が来たのかと思うと興奮でぶるっと身体が震える。

本当は王城の迎えに上がりたいところだが、名前は調理係なので朝から仕込みで手一杯だ。先日最後のお見舞いのときに退院の日は迎えに行けないと伝えたら、ひどくショックを受けていたっけ。その様子を思い出してクスッと笑いがこみ上げる。

さあ、ちょっとばかし頑張っちゃおうか。

名前はすっかり開いた目をぱちりと瞬き、うんと大きく伸びをして支度に取り掛かった。



*



「楽しそうだな、名前」
「え、そうかな……?」
井浦と畦道に見守られながら調理をしていると、ニヤニヤ顔の井浦がからかい出す。水澄と伊達は買い出し中だ。
「何回も時計見てそわそわしてんなあ」
不純なものが何も混ざっていない笑みを浮かべる畦道にまで言われてしまうともう何も言えない。
うーん、と曖昧な返事をし、苦笑いを浮かべる。お玉でグルグルと鍋を掻き混ぜる。不必要にかき混ぜて鍋の中は大洪水を起こしている。
「その気持ちよくわかるべ……おらもデートの前はそわそわして落ち着かない気持ちになるもんだ」
畦道は照れ臭そうに鼻の下を掻く。
待て待て待て。非常に不本意な勘違いをされている気がする。そりゃあ正人の復帰を心待ちにしていたのは事実だけど、決して浮ついた気持ちでわくわくしているわけではない。
「え、いや、それは違うかな!? そういうんじゃないよ!?」
焦る名前は慌てて畦道の誤解を解こうとするも、言葉を探す暇もなく回転もしない頭はただやみくもに畦道の言葉を否定することしかできない。
「おい、危ねーぞ」
あたふたとしていたらぐるぐると掻き混ぜていたお玉をうっかり落としそうになった。井浦が咄嗟に手を伸ばし、事なきを得る。
「あ、ごめん。ありがと」
お玉を受け取りキッチンに向き直る。ふうと1つ息を吐き、お玉をお鍋に立てかけた。顔が熱い。きつと赤くなっていることだろう。からかわれて照れてしまう自分が恥ずかしくて、顔を見られないように料理を再開する。
すると、背後に立っていた井浦が不敵な笑みを浮かべて、するりと名前の髪を耳にかけた。
「耳真っ赤」
ククッと笑いながら耳元でそう呟かれ、名前の顔がカッと熱くなる。
「ちょっと、もう!」
井浦の手を払い除けたその瞬間、ガチャリと部屋の扉が開いた。

「うおお……お帰りなさい!!」
「あああ……名前!!」
畦道の叫び声と王城の声が重なる。
「ああ、遅れてごめんね相馬……」
王城は畦道にそう言葉を投げかけたかと思えば、くるりと身体を反転させて名前と井浦の方へ歩み寄る。見るからに顔が険しい。

「慶! どういうこと」
「どういうことも何もない」
「むう……名前〜会いたかったよ」
「ちょ、危ないから」
王城は井浦を押し退け名前に抱きつく。王城の角度からだと名前と井浦がキッチンでくっついていたように見えたのだろう。
「相変わらずだなあ部長は」
買い出しの袋を手に持った水澄と伊達はどこか温かい眼差しでその光景を見ている。

「ちょ、おいおいおい!」
まだ実力を認められない部長がちょっと気になるマネージャーに抱きついた。そんな光景を急に見せられた宵越はただただ狼狽えるしかない。
しかも名前はそんな王城の行為を苦笑いを浮かべながらも受け入れているのだ。水澄と伊達にも特に驚いた様子は見られない。

軽くぶつかっただけで吹っ飛ぶしなにかとふらついているし名前に抱きつくし……。とても癖の強い部員を束ねる長には見えない。宵越は王城に対する疑念をより一層強くする。


「さ、みんな座って座って」
くっつき虫のような王城をくっつけたまま名前が声をかけると、みんな大人しくテーブルを囲んだ。宵越も王城を睨むように凝視しながら大人しく従う。

「それじゃあ宵越くん歓迎会と正人の退院を祝って、」
「「カンパーイ!」」
カンとグラスを合わせ、各々が料理に手を伸ばす。名前はその様子を笑顔を湛えて見つめていた。

「名前の手料理は久しぶりだな」
「名前サンの料理ほんとうまいんすよね!」
「味だけではなくたんぱく質を中心にバランスの取れた食事……完璧だ」
「さすが一級スポーツトレーナーっすね!」
「そんなんじゃないよ。ただ昔からスポーツに関わる機会が多かっただけで」
「うめぇ……」
宵越は名前の料理を口に含み、一度感動の言葉を漏らしたあと、堰を切ったように料理をかきこみ始めた。もう王城のことなど忘れたかのように料理にがっつく。
「でしょでしょ? 名前の料理を食べられるなんて、世界一幸せ者だよ。僕もいただきます」
名前の料理が褒められるのを見て自分のことのように喜ぶ王城も料理を口に運んだ。王城の言い回しは少々大袈裟だがいつものことなのでスルーする。みんなの楽しそうな様子を見て名前は顔をほころばせる。
「いっぱい食べてね〜」
名前が言うまでもなく、大食いの宵越は皿を空にする勢いで食べている。
「名前の料理がなくなりそうだよ! 僕もたくさん食べないと……!」
「そこ、張り合わんでよろしい」
名前はピシと王城の頭にチョップを繰り出す。むうと頬を膨らました王城に気づくことはなく、たくさん食べる宵越のためにおかわりを注ぐため席を立った。


「最近名前が冷たい……。具体的には入院してから……」
「ハハッ怪我のこと怒ってんじゃねーのか」
「やっぱりそうなのかなぁ……」
王城はチョップされた場所を両手で押さえながら口を尖らせる。高校に入ったあたりから昔のように気軽には接してくれなくなったが、入院してからは素っ気ない態度にさらに拍車がかかったように感じる。王城は自分に責任を感じてはいるものの、それが息苦しくなるほど寂しかった。

「まあ、今日お前が来るまでの間、そわそわして落ち着かない様子だったけどな」
名前なりの照れ隠しなんだろう。そう思う井浦は、お皿におかわりを盛り付ける名前の背中を見ながらククッと笑う。
素直すぎる王城と素直になれない名前。
傍から見ればそのやり取りも見せつけられているとしか思えないほど仲睦まじいものである。

「正人が復帰するの、楽しみにしてたぞ」
「そっか……そうだよね!」
井浦の話を聞いた王城はゆっくりと目に光を取り戻す。

ぶるっと身体を震わせたかと思うとすっくと席を立ち名前に飛びついた。
「うわ!」
「名前、大丈夫だよ。もう心配かけるようなことはしないから」
「は、何!?」
「名前の気持ちはわかってるよ」
「だから何のこと!?」
王城のことを引き剥がそうとしているけれど、名前の顔は隠しようもないくらい真っ赤に染まっていた。





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