太陽の香り



王城の笑顔に井浦はハッと息を呑む。

違う……そうじゃないだろ……。

言葉が喉に詰まって、開かれた口からは掠れた息しか出ない。
「あ、慶ここにいたん、だ……」
間がいいのか悪いのか、話題の中心である名前の声が、パーテーションで区切られた小さな空間に響く。名前は井浦と一緒にいるのが王城だと気づき一瞬言葉に詰まった。

「今、大丈夫?」
遠慮がちに問いかけたのを聞いて、井浦が返事をするよりも早く王城が立ち上がる。名前は胸の前で所在なさげに組んでいた手をピクリと震わし、身体をパーテーションに寄せた。

「ありがとう、慶」
王城は一度も名前を見ることなく、その横をすり抜けた。

待て。

何に対してのありがとうなのかを聞く暇もなく、廊下の奥に消えていく王城の足音が次第に小さくなっていく。
「ごめん、邪魔したよね」
名前のあまりにも覇気のない声に思わず顔を向けた。名前は王城と同じように眉を下げて笑っている。
「いや……」
コイツらは、お互いの顔しか見えないから、同じ顔をしていることに気づけない。不器用な幼馴染たちにもどかしさを感じる。だけど、周りが茶々を入れるのには躊躇いがある。だからこそ水澄たちも本人に聞かずに俺に事情を聞いたのだろう。

「大丈夫だ」

咄嗟にかけるべき言葉が見つからなかった。
名前に頼まれた要件をこなしている間も、晩御飯を食べている時も、幼馴染の2人にかけるべき言葉を探していた。


風呂でさっぱりと一日の汗を流し、眠る前の気が緩む時間、能京の男部屋にノックの音が鳴る。各々雑談や練習報告をしているので出入口に近いところに座っていた王城と井浦しかその音に気がつかなかった。

「はーい」
王城が返事をして扉を開けるとそこに立っていたのは洗濯かごを持った名前だった。

「ごめん、洗濯物この部屋で畳んでいいかな。全部ウチのものだし」
そう言いながら名前は既に部屋に足を踏み入れる。
「俺たちは構わない。手伝うよ」
「助かる。ありがとう」

毎日洗濯をまわしても人数が多いので相当の量になる。今もかごの中の衣類は溢れんばかりで、名前の顔の半分を隠している。名前はかごを井浦の横に置き、ふうと息をついた。
井浦を挟んで隣には王城だ。こうして実際に2人に挟まれると、なんとも居心地の悪い思いである。勘弁してくれと思わなくもない。


井浦はもう迷ってはいなかった。洗剤と太陽のいい香りに包まれながら洗濯物を畳む。その間にも名前にかけるべき言葉がスラスラと脳を巡る。かごの底が見え始めた時、井浦は徐に口を開いた。
「なあ名前、この後時間あるか」
急な問いかけに名前は服を畳む手を止めた。その手に握られている宵越の練習着が名前の膝の上にゆっくりと落ちていく。
「大丈夫だけど……」
全く急すぎて想像もつかないといった名前に井浦は軽く頷くに留まる。王城は2人の会話に何の反応も示さないまま黙々と衣類を畳んでいた。


本当に、不器用な奴らだと思う。お互いがお互いを思いやりすぎて踏み込めないのだと、気がついてすらいない。

空になった洗濯かごを洗濯機の横に置き、静かに井浦の言葉を待つ名前に顔を向けた。
「名前」
名前を呼ぶと、名前は小首を傾げる。名前には井浦がどんな話をするのか全く検討もつかない。ただその顔がいつもより険しい気がして、大事な話なのだということだけは感じ取れた。

「何悩んでんだ?」
突然の問いにぽかんと口を開けるしかない。人間なんだから悩み事なんていくらでもある。最近体重が増えたとか、能京が強くなるために私はどうしたらいいかとか。ただ、そんな悩みを聞いているのではないということは、彼の改まった態度を見ればわかる。

面食らう名前の様子を見て、少し突拍子すぎたかと本題に入る。
「正人と付き合うと何か不都合でもあるのか」
「なっ……!」
目を見開いた名前の顔がみるみると赤くなる。

構わず井浦は洪水のように溢れ出る思いの丈を言葉に乗せると、自然と心がスッキリしてくるのを感じていた。話が読めた名前はあたふたと焦りを隠そうともしない。突然の井浦の発言に混乱しているのだろうけど、こんなに焦るということは図星をついたのだと確信した。
もうそれが、答えじゃないか。
井浦は名前の反応に安堵したと同時に、安堵した自分を少し嬉しく思った。

今度は間違わないようにゆっくりと、正しい方法で、けれど確実に、名前の背中を押してやる。

「名実ともに正人の隣という地位を得てしまうと、完璧なスポーツトレーナーでいられなくなるから迷ってるのか」
「な、んで……」
貫くように真っ直ぐな井浦の視線を受け止めきれず、ぐっと奥歯を噛む。

その通りだった。名前に求められているのは完璧に仕事をこなし選手をサポートする能力。それが疎かになってしまっては名前はカバディ部にはいられない。余計な気遣いをさせてはいけない。王城や井浦の夢を叶える為にも、絶対にカバディ部の足枷にはなりたくなかった。
しかし、こうして心配をかけている時点で全て意味がない。
足元から崩れ落ちる感覚に身を震わせる。

難しそうに眉をしかめるのを見て、井浦はふうと息を吐いた。俺たちの気持ちが名前に伝わっていないことに憤りすら感じる。
気づけよって、叫びたくなる。

「例え名前が動けなくなろうが、俺たちが名前を突き放したりはしない。俺たちが名前の能力しか見ていないとでも思われてるのなら心外だな」
昂ぶった気持ちを落ち着けるように、努めて冷静に言葉を発した。それは丁度いい温度になって吐き出される。
名前は声を出すこともできず、両手で口元を押さえる。そうでもしないと渦巻いた感情が内から溢れ出そうになる。

「世界組も能京も、名前という人物を必要としてるんだ。側にいてほしい仲間なんだよ」

井浦が訥々と語る間も名前は目だけが見開かれていて、驚嘆を瞳に映していた。暫くそうしていたかと思うと、一度瞬きをし、ゆっくりと顔を上げる。その目は潤んでいるように見えた。
「……かっこよすぎ」
「惚れたか」
「惚れた」
漸く言葉を発したかと思えば、へらりと笑って涙に潤んだ目をくしゃりと細めた。ぽんと名前の頭を撫でると、無防備な名前の笑顔が花を咲かせる。

「すまんな。正人じゃなくて」
「いや、むしろ慶に言われたからこそ嬉しい。慶の言葉は真っ直ぐだから」
「真っ直ぐね……」
井浦は眉を下げて苦笑する。

名前がこうなってしまうまで一人で抱え込んでしまったことを責める気はない。近くにいるからこそ話せないことだってある。
それに、名前は俺の気持ちに気づいていたのではないかと思う。明確な根拠はないし、名前の言動からなんとなくそう感じるとしか言えないが。名前は敏いヤツだから、本来なら盲目的にならなければ色々なことに気づけるのだ。全く表に出していないつもりでいたが、名前をここまで追い詰めてしまったのは自分にも原因があるかもしれないと、自嘲気味に笑う。

「部屋まで送るよ」
「ほんと? ありがとう」
来た時よりも鼻に詰まっていて、けれど明るい名前の声に背中を押されるようにして、井浦は名前の隣に並んだ。





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