夜行虫に呑まれる



翌日、この合宿の総まとめとしての練習試合を残すのみとなった三校は西日が長い影をつくる時刻に練習を終えた。そしていつもより早めの夕食を終える頃には、ちょうど外も暗くなり、虫の声も夜の音に変わっていた。

「俺花火すんの今年初めてだわ」
「夏の風物詩っぽくていいですね」
「足元気をつけろよ!」

ここに泊まるのは今日で最後ということで、皆で花火をすることになった。名前が顧問に提案した時は市の施設だから許可が下りるかわからないと言われたが、交渉の末、川下の方なら大丈夫だという許可を得たのだ。
名前は花火の封を切りながら楽しそうに騒ぐ部員たちを見回す。こうやって楽しそうにしている姿を見ると、提案して良かったと心から思う。

「名前さん! 一緒にヘビ花火しましょう!」
右藤の声に振り向くと、佐倉や若菜、宵越たちが手持ち花火で盛り上がっている姿が目に入った。若菜と宵越に至っては勝負をしているのか何やら言い合っているようで、手持ち花火すら勝負の火種になるのかと感心すら覚える。

「私ヘビ花火なんて買ってたっけ……?」
「いや、これは俺たちが買ってた分です。実は俺等も花火しようと思ってたんでいくつか買ってたんすよ! まあ、許可とかは全然頭になかったので名前さんがいなかったらできてなかったですけど」
ありがとうございます、と人懐っこい笑みを見せる右藤になるほどと納得する。
「私ヘビ花火したことないんだよね」
「そうなんすか? くねくね踊って楽しいすよ。やりましょう!」
笑顔の右藤に連れられるようにしてその輪に入る。右藤が名前を連れてくるのを待っていたのであろう佐倉がにこりと名前に微笑んだ。
「名字さん花火を企画してくださってありがとうございます」
佐倉の声は落ち着いているが、いつもより僅かに穏やかな笑顔が花火の灯りによって浮かび上がっている。佐倉の笑顔にはいつも癒やされている。
「楽しんでるみたいで安心した」
心から出たその言葉が、名前自身の心を温める。

「佐倉ー! 名前さーん! いきますよー!」
右藤の声に顔を向ければ、ちょうど丸く黒い物体に点火するところだった。黒い玉からみるみる煙が吹き出して、炭のようなものがうねうねと伸びてきて曲がりだす。
「なんか気持ち悪っ!」
うようよとしたそれは、若菜と手持ち花火勝負に勤しむ宵越の足元へ迫り寄る。
「うお!」
ヘビ花火を避けようと足を上げた瞬間に宵越の花火が消えてしまった。
「俺の勝ちだ!」
「はあ!? 今のは不可抗力だ!」
2人はどうやら花火の保つ長さを争っていたようだ。それは線香花火でするものだと思う、というツッコミは2人が楽しそうなので胸の内に留めておく。

「というかなんだこれ」
宵越が、負けた原因である黒く踊り続ける物体を見て顔を顰める。
「ヘビ花火だって」
「へえ……ヘビというか、でっかい芋虫みたいだな」
ああ確かに。
納得した名前はもう一度ヘビ花火へと視線を落とす。
「うん、面白いけどね」
芋虫が踊っていると思うと途端に気持ち悪さが増してしまう。火をつけた張本人の右藤は楽しそうに笑ってチャッカマンを持っている。狂気すら感じたその笑顔を見て、苦笑いをうかべた。

「名前さん!」
楽しそうな右藤を見ていたら不意に腕を引っ張られてバランスを崩す。次の瞬間にはぽすりと逞しい腕の中に収まっていた。先程自分が立っていた場所からモクモクと煙が上がっているのを見て、足元に視線を落とした。

「うわわわ! 煙たい!」
誰の腕の中か確かめる暇もなく、右藤が火を点けた10匹の芋虫……否、10個のヘビ花火がうようよと踊っているのが煙でかすれた視界に入る。
「うわー、一気にやるとこんなことになるんだ」
豪快に笑う右藤に向けたため息が頭上に溢れる。
「もう、ヒロ、やりすぎだよ」

その声で、自分は今佐倉の腕の中にいるのだと気がついた。抱きしめられている恥ずかしさよりも先に、しなやかに引き締まった筋肉に驚いた。暫くの間運動を離れていたとは思えない。
「すみません名字さん、急に引っ張ってしまって」
耳元に響いた佐倉の声により現実に引き戻される。
「全然大丈夫。むしろありがとう」
意識すると急に恥ずかしくなってきてすぐに離れた。

こんな時でも頭に思い浮かぶのは王城の姿だ。ただの幼馴染のはずなのに、後ろめたさを感じてしまう。
今の見られてないといいけど……。

そう思うも、確認するのも怖くて手持ち花火に手を伸ばす。にゅっと横から腕が伸びてきて、花火に伸ばしていた手を何者かに掴まれた。自分のものよりふた回りも大きくて男らしいけどしなやかな手。驚いて顔を上げると、そこには柔和な笑みを浮かべた八代の顔があった。
「それ、勢いがあって危ないですよ」

それ、と言われ、今まさに掴もうとしていた花火に目を落とす。それは黒と黄色の縞模様で、いかにもデンジャラスな見た目をしている。

「これやったの?」
名前が尋ねると八代は漸く手を離し、視線を後ろに投げかける。その視線の先を辿れば、未だ宵越と騒ぐ若菜の姿がある。その隣には保護者のように若菜たちを見守っている君嶋が岩場に腰掛けている。八代も君嶋と同じように端から若菜たちが騒ぐ姿を見ていたのだろう。

八代に促されるように君嶋に声をかけると、彼は薄く笑って名前の名前を呼んだ。
「すみません、私が買った花火の中に危ないモノが入ってたみたいで……」
君嶋はヒラリと手を振り岩場から降りる。
「俺は大丈夫だよ。ただあの二人が炎上しかけたけどね」

勝負だと言って二人が同時に火を点け、轟々と勢いを増して噴出する花火。あまりの勢いに慌てるも勝負を投げ出すこともできず冷や汗を流しながら花火と戦う二人の姿が目に浮かぶようだ。
一体どんな花火なのか気になるところではあるがせっかく忠告してくれたのにそれを無下にはできないだろう。爛々と目を輝かせていた名前は名残惜しそうにデンジャラス花火から視線を外す。

「ふふっ」
八代は好奇心丸出しの名前の姿に思わず笑みをこぼした。
神畑が高く評価しているというからどんなものかと色眼鏡で見ていたが、なかなかよく働く名前に感心している。この小さな身体で動き回る姿はせっせと働くリスのようだ。
この合宿中、彼女には多方面でお世話になっている。テクニカル面のサポートだけではなく、メンタル面のサポートまでできるのだ。この花火だってリフレッシュには丁度いいタイミングであることを彼女は計算しているのだろう。
彼女の笑顔には相手の心をほぐす力と、不思議な求心力がある。八代は、神畑が高く評価するのも頷けると、今では彼女の実力を認めていた。

「あなたのおかげで楽しい夏の思い出が増えました。ありがとうございます」
八代は手を胸に添え頭を下げる。その仰々しい姿は何回見ても慣れない。
「そう言って頂けるなんて、身に余る思いです」
名前まで背筋を伸ばして仰々しくなるのを見て君嶋が声を上げて笑った。


皆で花火をしたこの夜は間違いなく思い出の1ページに刻まれるだろう。
だけど欲を言うなら……。

名前はちらりと視線を投げる。関たちと楽しそうにはしゃぐ王城の姿を見て、すぐに視線を外した。
一緒に花火をしたら、より輝かしい思い出になっていたかもしれない。目に焼き付いて離れない楽しげな王城の姿が、花火の光が彩った。




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