『La vita』 secondo movimento - Fortuna




森の奥の大樹に、星が落ちてきたらしい。
どうしてだろう。
早く、早く、‘会いに’行かなくちゃ。



「……ゼッペ、ジュゼッペ!起きなさい!」
早朝の静寂を破る高いノックの音と、精一杯張り上げられた良く通る声。部屋の主は重い瞼を開け、半身を起こした。
「…………ううん、何だい、クレー……」
「良いから!支度して、玄関まで来て頂戴!」
「……何かあったのかい?」
扉越しに聞こえる同居人の声。その強い響きに、わずかに思考が覚醒する。昨日の晩も戸締りはきちんとしたはず、と良からぬ方向へ思考が傾き始める。その考えも、すぐに打ち破られた。
「お客さんよ!ヴィンフリート!貴方に用があるんですって」


「やあ、ごめんね。こんなに朝早くから」
クレーが熾してくれたらしい暖炉が、ぱちぱちと勢いを増し始めている。その前で暖を取っていたヴィンフリートが、柔らかな笑顔を向けた。急いできたのか、寒さのせいか、頬がほんわりと赤く染まっている。
「ううん、構わないさ!それで、どうしたんだい?」
シャツの袖ボタンを止めながら問いかけると、どこから話せば良いかなあ、と穏やかな返事が返ってくる。
「実はね、明け方から森がちょっとした騒ぎになっていて。君なら興味を持つかなあって思ったんだ」
「騒ぎ?」
ジュゼッペは小さく首を傾げ、自分よりわずかに背の高い相手に目を向けた。全てを懐深く受け入れる森では、「騒ぎ」などここ最近耳にしていない。
「森の奥に、大きな樹があるのは知っているかい?」
「えーと……レオリオズワルドの図書館じゃなくて?」
「ううん、確かに彼の家も大きいけれどね。同じくらいの大きさで、もっと奥さ」
その返答に、腕を組んで本格的に考え込む。どの樹だろう。仕事柄、あるいは息抜きに、森にも良く足を運んではいるものの、そのような樹は思い当たらない。レオリオズワルドの図書館ほどの大樹、となると数本しかないはずだが。
そう思いを巡らせているうちに、ふと、とある樹が脳裏をよぎった。
森の奥深くに堂々と佇み、冬でも豊かに葉を茂らせる、一本の不思議な大樹。
なぜ思い浮かんだのか、自分でもわからない。遠い昔に見た記憶なのか、はたまた。
「うん、多分わかったよ。…………久しぶりに、行ってみたいな」
ぽつり、と、唇から言葉が零れた。その言葉に、我ながら軽く驚く。
「本当かい?じゃあ、良かったら一緒に見に行こうか。詳しくは、歩きながら説明するよ」
友人の穏やかな目許が綻ぶ。その優しげな顔に、ふわりと淡い光が近づいた。
「あたしも行くわ。何だか面白そうじゃない」
いつの間に身支度を終えたのか、暖かそうなコートを抱えたクレーが、準備万端といった表情で頷く。
「……うん!じゃあ僕、コートを取ってくるよ!」
くるりと踵を返し、ジュゼッペは自室に向かって走り出した。


――どうしてだろう、わくわくする。
――何か素敵なことが起こりそうな、そんな予感だ。


「星が?」
森への道すがら、ヴィンフリートから発せられた言葉に、クレーが不思議そうな声を上げた。
「うん。俺はその光を見ていないけれど、飛び起きるくらい眩しかったらしいよ」
「で、その大樹の枝が折れていたから、星が落ちてきたってわけね。ふぅん、なかなかロマンティックじゃない」
さくりさくり、と二人の足が、枯草や小枝を踏みしめる。その斜め前を、クレーが歩調に合わせて飛ぶ。雪の残る静寂の森を、一行は奥へ奥へと進む。正面の空が、朝焼けを背に、薄紫に染まっていた。
「これがまた、大きな枝でね。太さは、両の手のひらに余るくらいなんだ。それでね、不思議なことには、……ああ、見えてきたね」
木々を抜けた瞬間、目の前に開けた空間が広がった。
どくん、と心臓が一度大きく跳ねる。
正面に聳え立つのは、腕を精一杯伸ばしても足りないような太さの、立派な大樹。朝焼けを正面から受け止めて、白みがかった青を背景に、燃えるように輝いている。
その前に、今は小さな人だかりができていた。
「やあ、なんだか賑やかになってきたなあ」
3人が近づくと、ふと輪の外にいた女性が振り返った。地面に着きそうな長い金の髪が、顔の動きに合わせて揺れ動く。
三歩ほど離れたところには、一人の青年が身じろぎもせず立っていた。
「あれ……チャオ、アンゼ!マンタイムも、久しぶり!」
「あら、ジュゼッペ様。皆様お揃いですのね」
「おはようございます」
この二人が一緒にいるとは、とジュゼッペが首をかしげていると、それに気づいたのかアンゼが口を開いた。
「昨晩、急に眩しい光が見えまして。わたくし一人では心細かったものですから、失礼を承知で、マンタイム様に着いて来ていただきましたの」
「いえ、私も教会の軒先を借りている身。一宿一飯の恩義を返したまでです」
頬に手を当てて、やや困ったような笑顔を浮かべるアンゼに、マンタイムがかっちりとした口調で返す。
「わたくしたち二人では手に余るので、トゥルーム様やラルウェル様にもお声掛けしたのですが、気づけばこれほどの方が来てくださって……」
少し離れたところでは、クレーとヴィンフリートが小さな少年や獣人の少年と話しているようだった。
「それで、おれが一人で見に来て、しるびおに教えて、それからびんふりーとに教えたんだ!ちっとも怖くなんてなかったんだからな!」
「そうだね、正直ハンス君が呼びに来てくれたから、俺もこのことを知ることができたんだ」
「あら、なかなかやるじゃない」
「うう、僕はすっごく怖かったよ……」
ぐるりと見回すと、見た事のある人影、初めて見かける人影、たくさんの顔が見える。その表情はみな、ほんの少しの不安や驚きと、それを覆うほどの好奇心、あるいは興味で輝いている。
――早く。
――早く、‘会いたい’。
人ごみをするりとすり抜け、ジュゼッペは中心を覗き込んだ。
「……これ、が?」
人々の視線を集めていたのは、優に人の背丈の倍はありそうな、一本の枝。
その直径は、掌を広げても尚余りある。細木の幹と言っても差支えないほどだ。
「おう、ピーノ。……しっかしまあ、でかい枝だよな。これ、全部薪にすりゃ、一冬は越せそうだぞ。…………おーい?どうした?」
隣に立つアルディオの声が、どこか遠く聞こえた。目も心も吸い寄せられたかのような、不思議な感覚。
耳元で鼓動が大きく聞こえた。
ふらり、と一歩を踏み込む。そう、まるで呼び寄せられたかのような。 
「パパ!しっかり起きて歩きなさい!」
「だって、眠いよぉ……先生は……?」
「パパが準備している間に教会に行った!パパはマリアと歩くの!」
たっぷり数分は経っただろうか、泉の方角から近づいてくる声に、やっと意識が引き戻された。目を向けると、今にも立ったまま寝そうなラルウェルと、その肩に乗って叱咤するアマーリアの姿が見える。
「んー……アンゼさん、持ってきたよ」
目を擦りながら、ラルウェルが大きな鋸を掲げる。
「……え?この枝、伐っちゃうのかい!?」
思わず、大きな声を上げていた。アンゼが言いにくそうに口を開く。
「ここは開けていますし、日当たりも良いので、たまに子供たちを遊ばせますの。この枝があると、少々危険が伴うと思いまして……」
「なら、何かに使うってわけでもないんだよね?」
「うん、薪にしようと思っているんだけど……」
あくび混じりの、ラルウェルの声が届いた。それを聞いて、ジュゼッペは数度瞬きを繰り返した。澄んだ森の空気を、ゆっくり、深く吸い込む。
「…………この枝、僕が貰っても良いかい?」
場がしんと静まり返った。皆の耳目が集まる。それを受け止める大きな茶の瞳には、深い決意の色が宿っていた。珍しく見せる、強く真っ直ぐで、真剣な表情。それは職人としての意志なのか、あるいは。
「お願い。僕に任せてほしいんだ」
「…………ええ、ジュゼッペ様さえ宜しければ」
ややあってから、アンゼがおずおずと切り出した。
「活用していただけるのならば、その、是非に」
「本当かい?ありがとう!」
ジュゼッペの瞳がひときわ輝いた。大輪の花のような笑顔を咲かせた後、へにゃりと相好を崩す。普段の雰囲気が戻ってきた。
「……この枝で、人形を作るつもりなの?」
クレーがふわりと近づき、首を傾げる。
「うん。これだけ太さがあってしっかりしていれば、一体作れそうだなって」
「ふぅん……」
それ以上は何も言わず、クレーが枝に近寄った。ジュゼッペも地面に膝を突き、枝の様子を確かめる。
つい数時間前に折れたばかりで、生木であるはずの枝は、不思議と断面が乾いている。乾燥の時間を待たずに、すぐにでも彫り出せそうだ。それでいてどこか暖かみもある。
そっと指先を伸ばすと、触れた部分にきらりと光が走ったように見えた。
「…………こんにちは」
ぽつりと言葉が零れた。
「……ジュゼッペ?」
「あ、ううん!何でもないよ!」
膝をついたまま顔を上げると、森の住人達が三々五々散っていくのが見えた。その中を、二人の男性の影が近づいてくる。
「ジュゼッペ君、この枝全部だと、ちょっと運ぶのが大変じゃない?切るなら手伝うよ」
ラルウェルが隣にしゃがみ込み、枝を見つめる。それを聞いて、ジュゼッペも枝の全体を見渡した。自分の背丈を優に超すこの枝は、街中の工房で加工するには少々大きすぎる。
「うーん、確かに。……そうだな、このくらいあれば十分かな」
両手を目いっぱい広げ、その長さを示す。それを後ろから覗き込み、ヴィンフリートが声を上げる。
「俺も手伝うよ。力仕事は任せて」
「本当かい?二人とも、ありがとう!」
ぱぁっと顔をほころばせ、ジュゼッペは二人を交互に見やった。
「じゃあ、準備をするから、ちょっと待っててね」
「俺は何か手伝えるかな?」
友人二人の会話を聞きながら、立ち上がり膝を払ったところで、射抜かれるような視線を背中から感じた。思わず振り返ると、わずかに離れたところに立つのは旧知の女性。金の瞳が、真っ直ぐこちらを見つめていた。
「坊や。……触れても、何も起きなかったのね」
「え?う、うん」
挨拶もそこそこに、鋭い質問が飛んできた。トゥルームの言葉の真意がつかめず、ジュゼッペは首を傾げる。それを受けてか、彼女の小さなため息が聞こえた。
「そう。…………貴方なら、うまくやれるかもしれないわね」
「……うまく?何のことだい?」
「何でもないわ。気にしないで頂戴」
言い終えてすぐ、トゥルームがふいと視線をそらす。おそらくそれ以上の会話を求めていないのだろうと察し、ジュゼッペは小さく頷いた。
「うん、わかったよ……」
魔法を生業とするトゥルームが反応を見せるとは。やはり、何か不思議な力が宿っているのだろうか。クレーも口に出さないだけで、何かを感じ取っているのだろうか。
宙を舞いながら無言で見守る同居人の姿を見やりながら、ジュゼッペはぼんやりと考えを回した。
「あれ、どの辺りに刃を入れれば良いんだっけ?」
「あ、ごめん!えーとね……」
くるりと踵を返し、ジュゼッペは枝へと駆け寄った。


さあ、何から始めよう。


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