お返事。 Cast: いりこ様宅 ラルウェルさん お名前のみ るる様宅 アンゼさん 翡翠様宅 アイリーンさん ふんわりと 猫夢様宅 ハンストレプト君 トゥルーム あまりにも、イレギュラーが多すぎて。 そう。 ここ数日良く寝付けなくて、普段よりぼんやりしていたこと。 出向いた先、心を整えてから出会うはずの人が、戸を開けたら目の前に立っていたこと。 男性から花を貰ったこと。 その行為の意味と、花の持つ意味とに思いを馳せる間もなく、気づけばすぐ目の前に、相手がいたこと。 その紡がれた言葉に、思わず、考えも動きも止めてしまったこと。 規則正しさやルールは、自分を護るためのもの。 それが崩れると弱いことは、自分でもよく分かっている。 分かっていたのだが。 「……、……」 開かれた唇は声を為さず、短く息を吐き出して閉じられる。 普段なら深く考えずとも口をついて出る、気の利いた返しが、今は全く思い浮かばない。高熱に浮かされたかのように、直情的な単語が浮かび上がっては、手を伸ばす前に靄の中へと沈んでいく。 右手からは、相手の鼓動と温もりとが流れ込んでくる。添えられた手からはひんやりとした感覚が伝わって来て、それが余計に掌の熱を強く意識させる。 ゆるりと相手が首を傾げた気配がして、僅かに逸らしていた瞳を向けた。ほんの少し視線を上げた先には、深く澄んだ水底のような、穏やかで落ち着いた青灰色。 息が詰まって、呼吸ができない。 金の睫毛をふるりと震わせ、トゥルームは目を伏せた。 俯けば相手に表情を悟られない、というのは、どれほど救いになるだろうか。 外気は冷たく、まだ日も昇ってわずかだというのに。 この体をめぐる血潮が速く熱いのは、相手の脈動が伝わったから。 顔が熱を帯びているのは、きっと掌からの熱が、―――― 何とか理由を付けて誤魔化そうとする心を押さえ、細く長く、息を吐き出した。 自分から余裕が失われていることを、ひしひしと感じる。 この場から離れたい。一人冷静に、考える時間が欲しい。 けれどこんなに近い距離では、逃げだすこともできない。 曖昧な言葉は、緩やかに退路を断っていく。 退くことも、誤魔化すこともできない。 「――ずるいわ」 唇が音を為さずに小さく動く。それが相手の目に留まったのか否か、俯いている為にわからない。 左腕に抱えられたプリムラが、風にそよぐ。 古い言葉で、「最初」の意を持つ可憐な花。その名と姿からつけられた、花言葉の一つは。 自分が受け取っても良いのだろうか。この花のように、年若く可愛らしい乙女と結ばれた方が、彼にとって道を開くのでは。 ふとよぎる苦い考えを、今だけはかぶりを振って打ち消したくなる。風が吹き抜け、遊び髪と、すっくと背を伸ばした乙女桜を揺らした。 「……どうしたの?」 柔らかな声が耳元で聞こえた。心臓がひときわ大きく音を立てる。 何を紡ごうかとしばし逡巡し、先ほどのラルウェルの言葉に返事を返していないことに思い当たった。 “先生に恋してるんだと思うんだ” “これがきっと恋だよね?” 浅い呼吸を繰り返し、ほんの僅か気持ちを落ち着かせてから、口を開く。 「……私には、わからないわ。貴方の感情は、貴方の物ですもの。――――答えは、貴方の中に、もうあるのでしょう?」 わからないと認めること、問いに問いで返すこと。ああ、今日は本当にイレギュラーが多すぎる。 自分が発した言葉で、ふいに自分の心の隅も照らし出される。そう、自分は既に、答えを持っている。 「……ラルウェル、一度手を離して頂戴」 右手に残った熱を惜しみながら、左腕で抱えた鉢の下、若枝の籠へと手を伸ばす。蓋を開けると、中には丸められた羊皮紙が、幾本も収められていた。 教会に着いてから、アンゼやアイリーンに。道すがら出会う機会があれば、元気と威勢の良いあの少年に。午後には泉や街へ足を延ばして、方々の世話になった人々へ。 数多くの手紙から、一本を引き抜く。紫のリボンに綴ったイニシャルを見なくてもわかる。 あの月の晩に手折った花を結わえ付けた、特別なもの。 中には当たり障りのない、日ごろの感謝が綴られている。それを左手に持ち変えると、右手で籠の底を浚った。 指先に引っかかったのは、羊皮紙の切れ端。たった一文、筆の遊びに書いたものを、なぜバスケットの底に忍ばせていたのだろうか。 その羊皮紙を手紙と花に重ね合わせ、目の前の相手へと差し出す。 古い言葉で書かれたその文の、意味を尋ねられたら、どう答えれば良いだろう。 “ Tēcum simul. ” 見上げた青灰色の瞳に映る、自分の表情は。 Together with you 「同じ時を ともにあなたと」 [目次] [小説TOP] |