Was ist dieses Gefühl?

レターズフェスの頃の、トゥルームのおはなし。
気づいているけれど、知らんふり。
前半は、どんな魔法を使うのか。


Cast:
お名前のみ るる様宅 アンゼさん
ふんわりと、いりこ様宅 ラルウェルさん






――やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて
     かたぶくまでの 月を見しかな     赤染衛門




ごとん、と重く鈍い音が響いた。
二人掛けのテーブルに置かれたのは、小さくも重い鉄の鍋。水滴が淡いランプの光を受け輝いている。ずしりとした光沢のある黒も鮮やかに、鍋敷きの上に鎮座するそれを横目に見やりながら、トゥルームは布巾に触れた。
「Incipiō」
始動の術式を一言唱えると、ふわりと布巾が宙に舞い上がった。洗い終わり立てかけられた食器を、一つ一つ拭きあげていく。
その横にあるまな板の上では、今しがた果物ナイフが、林檎の芯をくりぬいたところだった。続けて均等な幅に、真っ赤な林檎を輪切りにしていく。
かちゃかちゃ、とんとん、と音を立てるキッチンに背を向け、トゥルームは暖炉へと歩み寄った。熾火になった暖炉に新たな薪をくべると、たちまちのうちに火が燃え上がる。
包丁の音が止んだのを確認すると、暖炉の上に置かれた糸を手にしてまな板へと向かった。輪切りの林檎を糸に通すと暖炉へと舞い戻り、小さく出た釘にその端をかける。もう片側の端にも糸をかけると、暖炉を横切るように林檎が吊るされた。その奥では、小さな薬缶がしゅうしゅうと音を立てている。
役目を終えて、きちんと折り畳まれた布巾と、そこに縫いこまれた刺繍を一撫ですると、トゥルームはくるりと体の向きを変えた。
数歩進んで奥の壁にある左の扉を開けると、本で埋め尽くされた小さな書斎。壁と言う壁をぎっしりと本棚が埋め尽くし、ライティングビューローの上には半分隠れた明り取りの窓が、やっとの思いで顔をのぞかせている。月明かりを受けて、きらりと小さな埃が舞っているのが見える。
本が山のように載っていて長い事閉じた記憶のないビューローから、置かれた分厚い本とノート、羽ペンとインクを取り上げた。きっちりとサイズと角をそろえて詰まれた足元の本を蹴らないように注意しながら、仄かに青白く照らされた書斎を後にした。
物に執着はないが、本だけは手放せない。それゆえ、家には本が溜まる一方だ。最近では書斎に収まりきらず、ベッドルームやリビングの一部まで進出してきている。
どの本がどのあたりにあるかは把握している為、本が床に積まれていようが本棚の上まで本が重なっていようが、さほど研究に支障はない。ただ、整頓好きの人が見たらどう思うのだろう。この書斎まで人を通すことは滅多にないため、他人の反応は想像できない。一度ちらりと振り返りながら、後ろ手にドアを閉じた。
椅子に腰かけることなく、鍋の横に本を下ろすと、押し花のしおりを挟んだページを開いた。古書の香りと焼き林檎の甘い香りが入り混じる。
夕食前に見つけた一文に、再度しっかりと目を通す。何度か声に出さないままに呟くと、おもむろに鍋に片手をかけた。
「……”Iubeo”, ――――」
“命ず”。次いで、本に書かれた術式を、一息に唱え始める。流れるように唇から零れだす魔法の言葉は、周りの空気を揺らがせ、鉄鍋へと吸い込まれていく。
黒い鍋がわずかに光を帯びて、それが収まったと同時に、見慣れぬ文字が浮かび上がる。見えない羽ペンが光のインクで描き出しているかのようなそれは、魔の力に精通する者でなければ、トゥルームの片眼鏡を通さなければ見えない。
傍から見れば、ただ物に手を触れて、術式を紡いでいるように見えるのだろう。
一字一句間違えることのできない、緊密な作業。周りを巡る空気でさえ、頬をちりりと撫でていくように感じる。
最後の一単語を紡ぎ終えると、小さな部屋に静寂が広がった。鍋に刻まれた光の文字が一度光を強め、次の瞬間には吸い込まれるように消えていく。
それを見届け、無意識のうちに詰めていた息を吐き出す。鉄鍋の銅から手を離すと、その取っ手に手をかけた。
ひょい、と拍子抜けするほど軽々と、鉄の塊が持ち上がる。うまくバランスを取れば、指の上に乗せられそうなほどだ。
重さを失ったそれを目の高さまで持ち上げながら、トゥルームはその金色の瞳を不思議そうに瞬かせた。
「…………少し、軽すぎたわね」
とさりと軽い音をさせながら、張り子のようになったそれを鍋敷きに置く。再び鍋の身に手をかけて術式を解除すると、途端に戻った重みにテーブルがぎしりと音を立てた。
椅子に腰を下ろすと、こめかみに手を当てるように、肘をつく。片手は開かれた本の上へ。細い指がゆるりと文字列をなぞる。
重さを調節するためには、どの文字列を組み替えればよいのか。あるいは、これではない別の術式を探し出さないといけないのか。
一単語、一文字を精査し、時には別の本を取りに行き、時にはノートに羽ペンを躍らせながら。彼女は研究の世界へと深く深く沈んでいく。
ふと現世に引き戻されたのは、足元にひやりと冷気を感じた時だった。見れば、暖炉の火は再び熾火となっていた。視線を移せば、窓の外の月もだいぶ高さを変えている。
焼き林檎にはしっかりと火が通り、水をたっぷり入れたはずの薬缶も、大分軽くなっている。ふぅ、と小さく息を吐きながら、トゥルームは食器棚からティーポットを取り出した。小さく術式を唱えれば、棚の高い位置から、ローズマリーの茶葉が入る缶がふわりと飛び下りてきた。
術式の組み込まれた茶道具が準備をしている間に、皿を一枚手に取り、柔らかく甘い香りを放つ焼き林檎を移し載せる。シナモンと蜂蜜をかけている間に、すっと鼻を通り抜けるような香りがポットから漂ってきた。
カップにハーブティーを注ぎ、焼き林檎にフォークとナイフを添えて、夜食を準備する。
輪切りの林檎をひとかけら口に運ぶと、甘さとシナモンの香りが広がる。
眼の前に積まれた数冊の本に眼を遣りながら、ふと自由に解放された思考は、無意識へと引き込まれていく。


―――今までは、特に目的もなく、ただ遮二無二、研究に没頭していた。


自分の今の能力でできることといえば、ものを自在に動かす程度。生身の体へは干渉できず、物から命を作り出すこともできない。
ここが自身の一つの到達点だろうと見極め、精度を高めて深化させる方向へと歩み始めていた。

けれど。
最近、新しい目標が生まれ始めた。


金属を錆びさせない魔法。
重さをできるだけ感じさせないようにする魔法。
使用者の意志を的確に反映し、道具へ指示を与える魔法。
物質を通して、使用者へ暖かさを伝える魔法。


新たな目標、見つけ出したい術式が、次々と思い浮かんでくる。
それはいつも、決まって同じ瞬間。
遠くで、近くで、その相手を目にしていると、ふと。
次に自分は何の魔法を見つけ、取り組めば良いのか、脳裏をよぎっていく。


「――何故かしらね」
ぽつり、と呟いた言葉は、宙に溶ける。
金色の瞳が一度揺らぎ、静かに閉じられた。


薪がはぜる音を聞きながら簡単な夜食を済ませると、洗い物は魔法に任せ、簡単に湯あみをする。
髪は下ろしたまま身支度を整えると、ベッドルームへ。戸を開くとすぐに、壁のカレンダーが目に入った。今日は何日だったかと思いを馳せ、すぐにある週へと目が向かう。
「……ああ、もうそんな時期ね」
そういえば、街に足を運んだときも、何やら沸き立っていた気がする。アンゼも然り。春の訪れを待ちながら街中が華やかに沸き立つ、賑やかなひと時。
――今年も手紙で済ませようかしら。
ぼんやりと考えながら、ぱさりとベッドに身を横たえた。
さて、誰に送ろうか。日頃世話になっている相手を順々に思い浮かべる。
真っ先に出てきたのは、柔らかな笑みを浮かべる青年。他の知り合いに意識を移しても、合間合間に様々な表情が脳裏をよぎる。
目許に腕をそっと乗せ、小さく息をつく。
――最近、どうしたのかしら。調子が狂いっぱなしだわ。
もやもやと心の奥底で渦巻くこれは、何なのだろうか。
普段はわからないことがあれば徹底的に調べたくなる性分なのだが、敢えてそれからは、目を背けている。
直視してしまえば、もう誤魔化すことができなくなってしまいそうだから。
暫く身じろぎもしないまま、気持ちを切り替えようと努める。だが徒労に終わると気づき、重い体を起こす。
室内着のローブから普段の格好へと着替え直す。髪も結い上げようかと逡巡し、結局そのままにした。
一枚ショールを羽織って玄関を開けると、柔らかな夜風が金の髪を揺らした。
家の裏手の畑では、冬越しの葉物野菜が夜露を輝かせている。その脇を抜けながら、彼女は森の奥深くへと足を進めた。
教会よりも、泉よりも先。暫く進むと、小さな広場が見えてきた。木々がそこだけ開け、春になれば柔らかな下草と花が一面に敷き詰められる、小さな空間。昼間であれば子供たちの遊び場になるそこには、月明かりの下では動物の影さえ見当たらない。
そしてその正面には、街の広場よりも年月を重ねたであろう大樹が、どっしりと根を下ろしていた。その枝は、空の星々にまで届きそうだ。
一度その高い背を見上げると、トゥルームは大樹に背中を預けた。風が木々の間を抜け、春の香りをどこからか運んでくる。
遠くで梟が、ほう、と鳴いた。
目を上げると、先ほど見かけた時よりもなお傾いた月。金の瞳にその光を写し取りながら、何度か瞬きをする。
暫くの間ぼんやりと、澄んだ夜空を眺める。星々は真上で光り輝き、月は次第に位置を変えていく。
「……どうしようかしら、ね」
誰に言うでもなく、ぽつりと言葉を紡ぐ。そのまま視線を下ろせば、広場の一隅に色の塊が見えた。
再び目を瞬かせ、大樹から身を起こすと、その一角へと歩み寄る。紫や赤、白の小さな花が群生していた。
「……あら、……シザンサスかしら。ここにも生えているのね」
膝をついて、ランのような見た目の花に触れる。夜風に揺れるそれは、まるで踊っているかのようだ。
脳裏に、夕日が差し込む小部屋と雪の降るベランダが思い浮かぶ。瞳を閉じて、小さく息を吐いた。
「……この花もつけましょうか」
普通は、男性から女性に花を送るものだろうが、この街では深く気に留める人などいない。誰もが相手の喜ぶ顔を思い浮かべながら、思い思いにプレゼントを選んでいる。
普段は手紙を送るだけなのだが、今年は少しだけ変えてみようか。
――何故かしらね?
桃の混じった紫色の花を手折りながら、トゥルームは再び、心の内で呟いた。




シザンサス:花言葉「よきパートナー」「協調」「あなたと踊ろう」「あなたと一緒に」(参考→花言葉:シザンサス
[ 15/23 ]

[*prev] [next#]
[目次]
[小説TOP]




メリフェアTOP | ジュゼッペ | トゥルーム | 小説 | 総合TOP




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -