その記憶は

「その受難は」
前篇後篇の直後のお話です。



今回は回想や、『長靴をはいた猫』に関する独自解釈等を含み、多少重いお話となっております。




Cast:
みそ様宅 フックさん
シャトー







「ずいぶん遅かったじゃねぇか」
テーブル席を離れていつものカウンターに腰掛けると、左隣の女性が声をかけてきた。
心なしか不機嫌なように見える。やはり、先ほどの態度のせいだろうか。
「……すまなかったな、他人行儀な態度をとってしまって」
返事がすぐに帰ってこない。テンポの良いやり取りにすっかり慣れてしまって、一瞬の間さえちくりと胸が痛くなる。
「んー、……まぁ、いいけどよ。オマエにも理由があるんだろ」
そう言われ、答えようとして、はたと首をひねる。理由―――
「理由……か。……思い当る節がない」
「あ!?」
「ああ、いや、……そうだな、もしかしたら、一人の人と仲良くするのが苦手なのかもしれない。八方美人というか……いや違う、そうではなくて、……」
だめだ。口を開けば開くほど、悪い方向へ転がり落ちていく。第一、他人の前で―――なかんずくこの人の前で、そんなことをいってどうする。焦れば焦るほど、思考は纏まらなくなってくる。
まずい、と思った瞬間、フックが盛大に吹き出した。
「なぁにオマエ、そんなに焦ってんだよ!おっもしれぇ奴」
シャトーはその様子を見て一瞬ぽかんとしたが、すぐに小さく笑みを浮かべた。
心がすっと落ち着き、同時に暖かな何かが広がっていくのがわかる。
本当にこの女性は懐が広い。
「……君を傷つけるつもりはなかった」
「あ?別にかまわねぇよ。面白いもん見られたから、許してやる」
笑いすぎてこぼれた涙を、彼女の左手が救うのを、何とはなしに見やる。
一息つき、こんがらがった頭の中を整理した。
「……何だろうな。大勢の前で自分の思いや考えを出すのが、うまくないのだろう。誰かに向けて言うのならまだしも、複数だと焦点がぼやけてしまう」
「普段あんだけぺらぺらしゃべっているっていうのに、なんだそりゃ」
「……あれは、覚えた物語を話しているだけだ。俺自身の言葉ではない」
若干の自虐を込めて、シャトーはぽつりと言い放った。ちり、と胸が痛くなる。ふぅん、と一言の返事が、逆にありがたくさえ感じる。
「まあ、いいさ。―――そういやさっき名前で呼ばれているの聞いて、ふと思ったんだけどよ。猫坊も名前って、自分で付けたのか?」
突然の不思議な発言。シャトーは俯きかけていた顔を上げ、目をしばたたかせた。
「自分で付けた、とは」
「いや、俺は何も覚えちゃいなかったって言っただろ?だから名前も、自分で付けたんだ」
「ふむ」
初めて聞く話だ。目線で続きを流し、耳を傾ける。それと同時に、ゆっくりと自分のことへも思いを巡らせる。
「この街には鉤(フック)の義手をつけている奴なんていないだろうから、わかりやすいし、これでいいかって思ってな」
フックの話を聞きながら、視線は彼女の右手に落ちていく。
「前から少々気になってはいたのだが、……この名前は、君の、元の名では」
そう言いながら、フックの右手に手を伸ばす。触れるか触れないかの位置で、ふと我に返り、手をひっこめた。
「その、……ジェンナ・アリソンという名だが。聞き覚えはないのか?」
義手に刻まれた名前。それを見つめながら、努めて冷静に問う。
……なぜ心臓が、こんなにもうるさく鳴っているのだろう?
フックはひょいと腕を上げて、文字をまじまじと見つめていた。そちらにうまく目を向けられず、どうしたものかと視線をさまよわせる。
「いや、これは義手を作った奴のサインじゃねぇか?ジェンナなんて名前、女っぽくて俺らしくねぇ。むしろ、ジョーイとかのほうが近いだろ」
興味を失ったように平然と答えるフックに、思わず顔を向けた。
「職人はそんなに堂々と署名しないと思うのだが……。それに君にはジェンナという名も似合っていると思うが」
ついつい口調が早くなってしまう。聞こえたかどうかはわからないが、フックはまた刻印に目を遣る。
「まあ、俺はデザインか何かだと思っているし、フックのほうに慣れちまったから、こっちの名前はどうでもいいさ。それよりオマエはどうなんだ。……何だっけ、猫坊のフルネーム」
「シャトロバドゥール・ド・レボットだ」
「それだそれ。その長いの、自分でつけたのか?」

「いや、これはご主人様、に、……」

一瞬の静寂が、二人の周囲を支配した。
相手は目を丸くしている。多分、自分も同じような顔をしているのだろう。
「……今、変なことを言っただろうか」
「ああ、言っていたな」
己の口から、無意識に出てきた単語。頭の中をひっかきまわしても、そんな言葉が出てくる素地は全くと言ってよいほどなかった。
「……とにかく、この名前だけは、ここに来た時から覚えていた」
「覚えていた、ってことは、やっぱりオマエも何か忘れているんだな。今の聞くと、誰かに仕えてたんじゃねぇのか?その口調とか、物腰とかさ」
「ふむ、……そうなのかもしれないな」
肘をつきながら、そう答える。
記憶がないのは重々承知だ。ただ、それ以外に何か引っかかっている。記憶とは別の何か。頭の中で考えていても要領を得ず、ぽつりと口に出した。
「ただ、忘れている、とは少し違う類の物も、また別に存在しているような気がする。何といえば良いか、……鍵をかけてしまい込んでしまったような……」



―――かんじょう なんて  もつな



脳裏をよぎった“何か”に、息がつまった。
緑色の瞳が小さく揺れる。
心の中の波が、急速に静まっていくのがわかった。
……今のは、何だ。
「おい?」
フックの声に、引き戻される。
「ああ、なんでもない」
そう言って笑みを作り、ウィスキーをあおった。鼻を抜ける香りも、喉に感じる熱や味も、何も伝わってこない。
「猫坊、今日、変じゃないか?」
眉根を寄せ、顔を覗き込んでくるフックの紅い瞳から、ついと視線をそらした。先ほど視線を逸らしたときとは、全く違う。
「ふむ……どうやら、疲れているみたいだ」
無理やり、声と顔を作る。
「何かあったのか?」
そう問われ、受難続きだった今日一日のあらすじを話して聞かせる。いつも通りの表情、いつも通りの声で。
「そりゃあ災難だったな、猫坊!」
「笑いごとではない、こっちは大変だったんだぞ」
かんらからと腹を抱えて笑うフック。
その表情を見にしたとき、ここ最近いつも、なにがしかの―――名前の付けようのない感情が湧いてきていた。
けれど、今は、さざ波すら立たない。
「……そろそろ、お開きにしようか」
「ああ、もうそんな時間か」
ほぼ同時に席を立つ。勘定をして、酒場の外へと出た。今日は星が少ない。
帽子もマントも身に着けるのが面倒で、そのまま腕に抱えた。
「じゃあな。しっかりねんねしろよ、猫坊」
手をひらひらと振りながら、赤いコートが夜の闇へと消えていく。
一瞬その背を追いたい衝動に駆られ、すんでのところで抑え込んだ。再び心の中に静かな―――もとい、虚ろな空間が広がる。
一度ぎゅっと目を閉じて背を向けると、酒場の階上にある宿屋への外階段を上って行った。
今日はなぜか、特に疲れた。ウィスキーを一気にあおったせいか、酔いも回ったようだ。
机の上にマントと帽子を放り投げた。ベストを脱ぎ、乱雑に椅子の背にかける。普段ならきちんとあるべき所にかけるようにはしているのだが、それさえも億劫に感じてしまう。
どさりと音を立てて、ベッドに腰掛けた。ほとんど使っていないベッドは、メイキングがされたままになっている。備え付けのライティングデスクで新しい物語を読んだり、考え事にふけったりしながらうたた寝をするのがここのところ常になっていたからだ。
ただ今は、横になりたかった。深い眠りに、沈んでしまいたい。
なぜかブーツだけは乱雑に扱うことができなくて、きちんと揃えてベッドの横に置く。
首元や袖のボタンを緩めつつ、ベッドに横たわる。
よほど疲れがたまっていたのか、布団にもぐりこむこともせず、眠りの世界へと引きずり込まれていった。
猫のように体を丸めて。



* * * * * * * * * * * * * * * * *



おかーさん、猫が長靴を履いて歩いているよ!
―――見ちゃいけません、あなたも呪われるわよ

猫が口を利くなんて

ああ、あんな猫に脅されて言うことを聞くとは、末代までの恥だ!

そんなチビに何ができる

おお、これが贈り物か。素晴らしい兎だ。ん?お前はもう下がってよいぞ



――─ヒトの言葉は聞き流せ
   聞き入れれば そこに“感情”が生まれる
   それは絶対に良くないことだ

   ただ ご主人様の言葉だけ 耳に入れておけ



くやしいのです どうしてごしゅじんさまが このように わらわれなくてはならないのですか

どうして みちゆくひとは ゆびをさしてくるのだろう

おおきい まもの しっぱいしたら いのちはない  こわい

ごしゅじんさま よろこんでいただけて わたしもしあわせです



―――自分の感情なんて捨てろ
   感情を持てば そこに“自我”が生まれる
   主人に仕えるものには必要ない





おまえの感 はわかりや いな
ほら、 尾に出てい ぞ
だから そんな固 顔をしな で
これからは もっと  ―――



* * * * * * * * * * * * * * * * *



鎧戸を開けたままの窓から差し込む朝日で、目が覚めた。
いつもより、長い夢を見ていた気がする。久しぶりに横になって寝たからだろうか。
起き上がると同時に、夢の記憶が自分から流れ出ていくように感じられた。
目覚めた後の、不思議な空虚さ。
そして、その中にぽつんと佇む一つの信念。
「感情を持つな、……か」
くしゃりと前髪を掻きあげ、小さく独り言ちる。
自分が今まで、どこで、何をしていたのかは全く覚えていない。
その中でも揺るがないもの。
ずっとそうやって生きてきたのならば、自分にとってはそれが真理なのかもしれない。
ふと脳裏に、女性の姿がよぎる。金色の髪とルビーのような瞳、そして笑顔。
”猫坊”
突き刺すような痛みに、硬く目を閉じる。
―――考えるな。
頭を一振りし、ベッドから起き上がった。
シャワーを浴びて、すべて流し去ってしまおう。
何はともあれ、新しい一日が始まったのだ。
今日も広場に立つとしよう。
いつも通りの笑みを浮かべて。







(自分で自分を律しようと 必死に取り繕ってきたけれど
だれも彼に そんなことは 求めていないのです) 

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