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よく、どんなに仲の良い親友同士でもシェアハウスはするなだとか、どんなに好きでも結婚前に安易に同棲はするななんて言われることがある。

四六時中一緒にいるとなると、隠せていたものも隠せなくなり、自分や相手の良いところだけではなく嫌なところも見えるようになってしまう。相手の芯の部分の人間性と、互いの真の相性が問われることになってくる。

本当に細かい部分を並べ出すと、それこそいくらナマエと角名であってもポロポロと小言は出てくるだろう。本当の本当に一つも無いなんてことは、常に生活を共にする上では難しい。

しかし、だからといってそれがストレスになることはなかった。相手にも今の生活にも不満は一切感じていないからだ。上記の小言は絞り出せばやっと出てくる範囲で、特別目に余るほどに気になることは一つもなかった。ナマエと角名は、既にお互いにお互いの性格や癖もしっかりと知っているし、譲れないポイントも理解している。

ナマエのデザインを評価する声が多くなった。前々から着実に人気は出てきていたが、以前は購入者やネット等で見てくれていたいち消費者個人からの意見が多かった。しかし今では企業からも声がかかりつつある。いずれ個人でブランドを立ち上げたいとの考えに賛同を得られ、本格的な話にまで踏み込んできてもらえるようになり、今後どのようにしていくかを詰め始めている段階だ。

順風満帆な同棲生活。初めは緊張したり新鮮さにいちいち反応を示していたが、今ではそれも落ち着いてきている。角名のバレーも、ナマエの活動も、どちらもしっかりと軌道に乗り忙しくも充実した日々を過ごせていた。


「……っちょっと、何してんの」

「なにも」


肩をビクッと跳ね上げたナマエの言葉をスルーして、角名は器用に服の裾から肌をなぞるようにして長い指を侵入させる。


「してるでしょ」


そんな角名を振り解くように、ナマエは弄っていたスマホを置いて体を左右に大きく揺らした。しかし負けじとしがみつく角名が背中に体重をかけるようにして覆い被さり、ナマエの抵抗虚しく前屈みに二人してベッドへと沈む。

そしてその勢いのまま横になり、ナマエの身体を回し正面から抱きしめ直した角名は、またも器用にナマエの服をたくし上げ、そのまま胸元に顔を埋めるようにして体を引き寄せた。


「え、なに、どしたの」

「何でもないよ」


どうにも珍しいその仕草に、ナマエはそれ以上は何も言わず、角名の少し跳ねる癖のある髪の毛を撫でる。


「練習大変?」

「それなりには」

「倫太郎がこんなわかりやすく甘えてくるなんて珍しくない?」

「別に甘えてるわけじゃないよ。彼女のおっぱいに埋もれるとか男の夢だろ」

「そうなの?倫太郎も?」

「俺だって男の子」

「男の子」

「だから今は夢の時間ってわけ」


角名の髪の毛が柔く肌に触れるのが心地よく、ナマエは緩やかに口角を上げた。もぞもぞと顔を動かした角名が瞳のみで上を向き、ナマエに視線を合わせる。そしてそのまま黙ってしまったので、またナマエがふわふわと遊ぶように頭を撫でてやると、角名は気持ちよさそうに僅かに目を細めた。


「倫太郎可愛い〜」

「趣味わる」

「自分で言っちゃうんだそれ」


角名の頭を抱え込むようにしてギュッと抱きしめる。その倍の力で角名もナマエの腰に回している腕に力を込めた。


「ここ、痕つけて良い?」

「いつもそんなこといちいち聞かないのに」

「今日はナマエからちゃんと許可もらおうと思って」

「じゃあダメ」

「無理」

「許可制の意味ないじゃん」

「良い?」

「……良いけど」


ナマエがそう言ったのとほぼ同時に、角名は唇でそっと肌に触れた。柔らかなその場所の感触を楽しんでいるのか二回、三回と跳ねるように小さなキスを落としていく。そのくすぐったい感覚にナマエが身をよじろうとするのを制するように、遊ぶのをやめた角名がピリッと程良い痛みを走らせそこに赤い痕を残した。


「こっちにも付けて良い?」

「……だから、いちいち聞かなくていいって」

「良いの?ダメなの?」

「…………」

「ナマエから良いって言われないと付けられない」

「もう好きにしてってば」

「違う、ちゃんと言って」

「……良いよ」


良いとしっかりと口に出したにもかかわらず、じっとナマエのことを見つめる角名は、なぜかその姿勢のまましばらく動きを止めた。そしてゆったりとした動作で、角名はナマエと目を合わせ続けたまま、ついさっき生まれたばかりの小さな赤に再度唇を寄せ、愛でるようにキスを落とす。

その仕草になぜだか居た堪れない気持ちになって、ナマエは角名から視線を外した。ちゅ、と控えめに耳に届くリップ音がひどく艶かしく聞こえてくる。ナマエがほんのりと頬を染め横を向いたことを確認して、角名は先ほどとは反対の膨らみに今度は勢いよく吸いついてみせた。


「……っ」

「見て、すごいしっかりついた。数日は消えなさそう」

「…………」

「見ないの?」


花が咲いたであろうそこを、ツーっと角名が指で円を描くように優しくなぞる。自分で許可したくせに、静まることのない心臓の高鳴りにナマエは酷く羞恥を覚えた。そこに顔を寄せている角名には、この早鐘を打つような心音が確実にバレてしまっているだろうことが少し悔しい。そして、このような心境に陥れるためにわざとああしてわざわざ許可を取ってきたことに今更気づいて、それも悔しい。


「……っわ、ぁ、!」

「…………ふっ」


完全に視線を外したままでいたナマエに悟られないように、なんの前触れもなく角名が腕を伸ばし耳に触れた。表面を撫でるだけのその触れ方にぞわりとナマエの肌が粟立つ。色気よりも、子供のような驚きの色を多く含んだその反応に、角名は思わず我慢ならずに吹き出すように息を吐いた。


「笑わないでよ」

「……笑ってないけど?」

「どう考えても笑ってるじゃん、めっちゃ肩震えてるし」


もはや堪えようとする様が煽っているようにも思えるくらいには、どこからどう見てもしっかりと角名は笑ってしまっている。そんな姿を見て口を尖らせるナマエに、胸元に埋めていた顔を離し、体を伸ばした角名がナマエの下唇を食べるように一度キスをした。


「ナマエがあんな反応するから雰囲気台無し」

「ごめんなさいね、色気がなくて」


拗ねるように角名にしがみついたナマエの頭を、落ち着かせるようにぽんぽんと軽く叩いて、角名がもう一度笑い声をこぼす。


「古森がさ、今度ナマエに会いに家に来たいとか言ってんだよね」

「いつでも遊びに来てもらっていいよ?」

「そんな時間ないでしょ」

「昼間はね……でも忙しいのはそっちもだよね。夜ご飯とか、そういうのなら出来る?」

「いいよ無理に合わせようとしてくれなくて。ナマエも疲れるだろうし断っとく」

「一日くらいなら大丈夫だけどなぁ」

「いいって」


なぜか少し不機嫌そうにそう言った角名にナマエが首を傾げる。いつの間にやら抱きしめるというよりも、ナマエに覆い被さる形となっていた角名が、ナマエの唇の横から始まり、顎、首筋をなぞるようにキスを降らせながら鎖骨に顔を埋めた。


「あんまり古森に会わせたくない」

「え、なんで?古森さん話聞く限りでは良い人なんじゃないの?」

「いい奴だよ。すげーいい奴」

「じゃあなんで?」

「……多分、ナマエは、結構古森のタイプに当てはまる感じ」


カリッと歯を立てられ思わずナマエの肩が跳ねた。声を上げるほどの痛みではないが、少しだけヒリヒリとする。きっと僅かに赤く腫れてしまっているだろうそこを角名が優しく撫でる。先ほど胸元につけたそれよりも濃いと思われる、白い肌に咲いたその赤をじっと見つめたままの角名は、ナマエとは目を合わせないまま言葉を続けた。


「チームメイトに彼女のこと好きになられるとか最悪じゃん」

「古森さんは人の彼女好きになるとかそういうのはないんじゃない?」

「わかんないだろ」

「じゃあ倫太郎は人の彼女を好きになることとかあるの?」

「ナマエが人の彼女だったことないから無いよ」

「ふふっ」


緩んだ表情を隠そうとしないナマエは、ニヤニヤと笑みを浮かべながら角名の頭を抱き抱える。


「確かに人の彼女のこと好きになる奴じゃねえけど、俺の彼女じゃなければ好きになってたかもみたいなのもムカつかない?」

「…………あはははっ」

「なんで笑うの」

「だって、実際に古森さんが私のこと好きになる可能性の方が限りなく低いのに、勝手に決めつけて拗ねてるんだもん、面白いよ」


ケラケラと可笑しそうに笑うナマエに、角名は眉間に皺を寄せる。不機嫌そうに刻み込まれたそれをみてナマエはさらに笑い声を大きくした。

たとえ古森の好きなタイプ項目がナマエに当てはまるものが多くたって、実際に好きになるかどうかはその本人にしかわからないのだ。全く当てはまらないのに好きになってしまうこともあれば、いくら当てはまろうが好きにならない時はならない。古森がナマエを選ぶとは考えにくい。

というよりそもそも、学生の期間をとっくに終え、安定した関係性を築けている付き合って八年を迎えようとしている今、このようなことで角名が頭を悩ませるなんて思ってもみなかった。ナマエは嬉しさからくる恥ずかしさを隠すようにもう一度笑ってみせる。


「……あー、なんか笑われてたら冷静になってきた。時間差でじわじわ羞恥がきてる」

「あはは」

「さっきの会話最初から全部忘れてほしい」


やらかしたと言わんばかりの表情を見せる角名が、逃げるようにナマエの頭を抱え込む。


「無理、忘れらんない」

「忘れて」

「やだ」

「忘れろ」

「やだー」


いつも飄々としていてクールな角名のこういう一面を見せてもらえることが、角名倫太郎という人物と過ごしてきた時間の長さと関係性の深さを証明しているとナマエには思えた。


「ふふっ」

「いつまで笑ってんの」

「私ってすごい愛されてる」

「そうだよ。……あーあ、あんまりバラしたくないのに」


もうすぐやってくる夏の盛り。その暑さを先取るように熱った体温を、まだぬるい夜の空気に二人で溶かした。
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