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ただいま、という声が聞こえるとともにナマエは玄関先へと向かった。パッと笑顔を咲かせるナマエに、角名がもう一度「ただいま」と告げる。


「お帰りなさい!」

「すげー嬉しそう」

「倫太郎がここに帰ってくるの感動する」

「俺ん家だからね」


三日が経っても全く慣れないというように、新鮮な反応を見せ続けるナマエのことを角名が茶化すように笑う。が、そんなことを言いつつも、帰宅をするとナマエがいることに、角名も毎回内心舞い上がっていることは決して口には出さない。

片付け途中だった荷物を端に寄せ、テキパキと食事の用意を進めるナマエに「ずいぶん段取りいいな」と角名も感心する。


「今は張り切ってるけど、多分一ヶ月もしないうちに適当になっていきます」

「なにその宣言」

「ちゃんと言っておこうと思って。私一人の時適当だったからさ」

「俺もだよ。いいじゃんそっちの方がお互い気張らなくて」

「そうなんだけどね、最初くらいはちゃんとしたいなって思うのですよ」

「で、一ヶ月なんだ」

「うん。一ヶ月どころか二週間持たなかったらごめんね」

「もうすでに三日持ってるから十分」


こうして二人で食卓を囲むことはもちろん過去にもあった。角名がナマエの家に行った時、ナマエが角名のところに行った時。しかし、お互いの帰る場所が同じ場所で、そこでこうして二人で過ごせすとなると、やはり話は別なのである。どうしようもなく心が躍る毎日。そんな日常を送れることが何よりも嬉しい。


「そういえばさぁ」


食後の飲み物でも淹れようか、とナマエが席を立とうとしたところで、角名がふと思い出したように話を切り出した。

いつもと同じ声のトーン。表情だって普段と同じく、感情の表現度は他人より低いままだ。そこに何か特別なものは感じなかった。なのに、どこか空気が変わったような気がして、ナマエは再び腰を下ろした。


「代表追加招集されることになった」


それだけで、なんの話かわからない、なんて事にはならないくらいには、ナマエも長年バレーボールに携わる角名の隣にいる。未だ細かいことに詳しくは無いにせよ、それでも角名の言うそれが、何を意味するのかはしっかりと把握出来ていた。


「おめでとう!」


パァっと花火のように満開の笑顔を咲かせるナマエの笑い方は、学生の頃から変わっていない。確実にステップアップし続ける姿を隣で見られることがどれだけ嬉しいか、そう思っていることがありありとその笑顔から伝わってくる。角名はそんなナマエを見て、満足げに目を細め、わずかな弧を描いた。

日本代表ともなれば、長期の合宿や、海外への遠征も確実に入って来るだろう。唯一のオフシーズンと言われるそこが全て代表関係のスケジュールで埋まることになる。つまりそれこそ一年を通してシーズン期間となるために休む暇はなくなってしまう。

せっかく同棲を開始したっていうのに、また離れ離れの生活が続いちゃうねぇと言いながらも、ナマエはとても嬉しそうに微笑んでいた。そこに寂しさや皮肉なんて隠されてもいないようだった。心の底から角名の活躍を喜んでいる。

プロとしてコートに立っている以上、そこを目指すことを角名も忘れてはいなかった。同じチームの古森は学生時からユースにも招集されるほどの選手で、同期として同じチームに加入した直後からとっくに声がかかっていた。稲荷崎高校の同じチームであった同級生の侑や、一学年先輩である尾白も、みんな同じ赤いユニフォームに身を包んでいる。

今年の国際大会に出場する代表が発表された日、角名の名前はそこにはなかった。しかし、毎年追加で召集される選手がちらほらと出てくる。そこに名前が上がった。ついにここまで来れたかと、流石の角名もこれにははっきりとした喜びが沸いた。ニコニコと表情筋が緩むのが抑えきれていないナマエを見ながら、自分の口角も緩ませる。

たった一握りしかプロにはなれない。そして、そこからさらに一握りしかこのユニフォームを身に纏うことは許されない。その権利を手にしたのだ。

まるで自分のことのように喜びを表現するナマエの手を引っ張り、立ち上がらせる。そのままソファへと移動して、思い切り抱きしめながら勢いよく腰を下ろした。されるがままのナマエは突然の角名の行動に驚きつつも、先程のようにパッと笑って応えるように両腕を角名の背中へと回す。

この道を選んだのは自分だ。努力を続けてきたのも、間違いなく自分自身だ。だけど、こんな風に何にぶち当たることもなく、心を乱されることもなく目指し続けるのは、自分一人だけでは難しかったと思う。結果は変わらないとしても、それでもここに至るまでにきっともっと葛藤があっただろう。困難にぶつかり、悩んで耐える時間もあったかもしれない。

プロの道へと進む時のように、今日もナマエはさも当たり前のような反応をしてみせた。

おめでとうと笑い、すごいと褒める。しかしナマエは驚いているわけではなくて、いずれ自分がそこにいくことを予想していたとでもいうような、やっと周囲の人にわかってもらえたかというような、そんな喜び方だった。自分がこうして当たり前に上を目指し続けることができているのは彼女のおかげだと、もう何年も感じてきたがより一層強く思える。

角名の抱擁の強さにナマエが大袈裟に痛いと笑って、仕返しだと言わんばかりの勢いで抱きしめ返す。

また長期間会うことが出来なくなる日々が来てしまうだろうが、それでもこうして電話越しではなく顔を見て直接報告できたこと、合宿や遠征で離れてしまったとしても帰ればすぐに会うことができることを思うと、こうしてこのタイミングで一緒に暮らす選択を取ったことは二人にとってとても良かったと改めて思うことができた。

令和へと完全に時代は移り終え、心地の良い春も深まり、新緑が目に眩しい。窓の外ではあたたかな強い風が、二人の背中を押すようにこれからの未来に向かってまっすぐに吹いていた。
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