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学年が上がるとともに、また去年とは状況が変わっていく。さらなる専科への進学も視野に入れていたナマエだったが、実践に移しながらしっかりと学ばせてもらえ、実力があれば新人時代から活躍できるような企業に就職することを決めた。
決めた、と言っても就職活動というのはそんなにトントン拍子にうまくはいかないものだ。ナマエが志望するような会社はもちろん人気が高い。同じことを考える志の高いライバルたちの中で、確実な差を見せつけなければならない。
今までの忙しない生活の中で感じていた肉体的な疲労とは全く違う種類の、精神的な疲労が蓄積していることをナマエも感じていた。
「ごめん倫太郎、ありがとう」
「忙しいところにお邪魔してるのは俺だし、これくらい当たり前でしょ」
「助かる。一人だとまたぐるぐる考えちゃいそうだし、倫太郎がいるだけで安心する」
ベッドの淵にもたれかかるようにして脱力するナマエを横目で見て、食器を洗い終え全ての支度を終わらせた角名がその横に座った。
甘えるようにコテンと首を角名の方に預けたナマエがゆっくりと目を閉じる。角名は、風呂上がりでシャンプーの香りを濃く放つナマエの髪の毛を指先で撫でるように梳いた。
「倫太郎は今週末は合宿だっけ?」
「うん。関西で」
「強豪だとやっぱ全国の学校と練習したり合宿したりすごいんだねー」
「毎回荷物まとめるの面倒で嫌すぎ」
「でも強いとことバレーするのは嫌ではないってことだ?」
「そういう聞き方ずるくない?」
クスクスと笑うナマエを角名が軽く小突いた。ナマエはわざとらしく痛がりながら、頭突きをするように頭を押し付けるが、角名はそのままその頭を抱えてナマエを膝の上へと転がせた。
「硬い」
「それは仕方ない」
口を尖らせ文句を言いながらも楽しそうなナマエは、そのまま静かに目を瞑る。そんなナマエを労るように角名が額を撫でた。その心地よさにナマエの全身の力が徐々に抜けていく。
明日は午後から面接がある。対策はバッチリと行ったので、今更焦るつもりはないが、それでも無意識のうちに緊張をしているらしく体は常に強張っている。気負うなという方が無理な話だが、気負いすぎてもうまくはいかない。角名もそれはわかっているのだろう。むしろ角名の方が何倍もの勝負を経験しているのだ。角名の性格上緊張という緊張には支配されないようにも見えるが、こういう時の対処法はナマエよりもうんと慣れているに違いない。
優しい角名の手つきにナマエの意識がだんだんと薄れていく。この場で寝たら角名にも迷惑をかけてしまうし、せっかく泊まりに来てくれているのだ。夜更かしはできないとはいえ、もう少しくらいは起きていたい。そうは思うが目が開けられない。
「りんたろー……」
「寝ていいよ」
「ありがと」
このままここで寝落ちてしまったとしても、角名がベッドまで運んでくれるだろうことはナマエもわかっていた。とてもありがたい話だが、先ほどナマエが言ったありがとうという言葉はそれに対しての感謝ではない。
将来はデザイナーになりたい。できれば世界で活躍できるような。誰かが自分の服を着て笑ってくれたら嬉しいと思う。誰かを輝かせる服が作りたい。そう思いながら日々学び、努力をし、進むべき道を探している。角名はいつでもそれを見てくれていて、手助けをしてくれる。それが何よりも心強かった。
「なんかそれ小さくなった?」
ナマエが角名の服を見ながらそう言ったが、すぐに「違うか、倫太郎が大きくなったんだ」と一人納得するように頷いた。
「まだ着れるよ」
「でももっと筋肉ついたらさすがに腕通らないんじゃない?」
「それは思う。これかなり気に入ってるから困るな」
「また今度作り直してあげるね」
角名が身に纏っているシャツは、高校時代にナマエが角名のために作ったものだ。特別奇抜ではないが、個性的なデザインは量産されたものとは違うことが一目でわかる。その年のトレンドにも左右されずに着こなすことができるのもあって、角名はこの時期になると毎年好んで着ていた。薄手とはいえ真夏の昼間に着るのはさすがに暑いが、盛りを迎える少し前のこの時期にはもってこいだ。
それにしてもとナマエは思う。当時、どんどん筋肉はついていくだろうし、まだまだ背も伸びるだろうとしっかり予想していた。なのでなるべく長い期間着れるようにと、サイズには結構な余裕を持って作ったものだ。それなのにもうこうしてピッタリとした大きさになってしまった。このままいけば再来年、いや、来年にはもうこれは着られないかもしれない。
今でも角名はそこまで筋肉質であるという印象はない。しかしそれは角名の元々の線が細いだけで、筋肉が付いていないなんてことはないのだ。高校を卒業し、成人を迎えようとする今が一番の成長期である。日々立派に育っていく角名の体格は、高校生の頃の姿を思い浮かべるとまるで別人のようになっている。ずっと一緒にいるナマエは意識しないと気がつけないかもしれないが、きっと当時の同級生たちが今の角名に会ったりしたら驚いてしまうだろう。着実にバレーの選手として相応しい体つきになっていることを、ナマエは密かに嬉しく思った。
「他にも何着か作ってるけど、それ一番気に入ってくれてるよね」
「うん。俺好みっていうのもあるけど」
「けど?」
「やっぱ初めてもらったものって印象深いし、大事にしたいじゃん」
角名の表情は相変わらずの無表情に近い。発された声も特別な優しさは含んでおらず、ただ思ったことを素直に口にしただけという感じだった。しかしそれが逆にナマエにとっては効果的で、心臓を鷲掴まれるような感覚にさせる。甘い痛みに支配される左胸の存在を意識しながら、ナマエは「倫太郎もそういうこと考えてくれるんだ?意外〜」なんて、わざと茶化すように笑ってみせた。
「照れんなって」
「……照れてないよ」
「じゃあこっち向けよ」
角名がナマエの方を向きニヤリと口角を上げるが、ナマエとの視線はなかなか合わない。角名から逃れるように視線を外していたナマエは、話を逸らそうと「そういえばさ」なんて口にしてみるが、角名がそれを許すことはもちろんなく、頬をむぎゅっと掴まれ無理やり視線を合わせられた。
「耳真っ赤」
「…………」
「もっと褒めようか?」
「大丈夫、大丈夫」
何も言ってこないようでいて、角名は意外にもしっかりと本心を口にする。良いも悪いも同じように言うので、たまにとても冷たくも聞こえてしまうが。角名は基本的に相手に気を遣って褒めたり、取り繕うように世辞を言ったりはしない。だからこそ角名がたまに口に出す褒め言葉にナマエは弱かった。
好きだと言われるのと同じくらいに嬉しい。誰でも自分の行いやあげたものに対して肯定的な意見を言われると嬉しくなるだろう。その中でも特に、自分の製作した服に対して言ってもらえることはナマエにとっては何よりもの喜びなのだ。
「今の倫太郎のサイズで作ってもさ」
少し照れ臭そうな声でナマエが言う。
「来年になったら絶対また今よりも大きくなってると思うから、来年の倫太郎のサイズでもう一回作り直すね」
未来の約束を取り付けることに躊躇いはない。
「そうして。楽しみ」
そしてそれを受け入れる角名も、この先の自分たちに不安など一切感じてはいなかった。