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角名はインカレでも好成績を残し、一年生ながらに注目を浴びる選手となった。ナマエの学校生活も好調で、忙しい日々にも慣れてきて、最近はお互いにいくらか余裕が出てきている。

一月二十五日。すでに限界を迎えそうなほどに寒さは威力を増していた。しかしここからまだ厳しさを増すというのだから恐ろしい。

来たる春に向けて、冬が最後の足掻きを見せる二月が訪れる直前にある二人にとっての大切な行事といえば、角名の誕生日である。今日がその当日。角名とナマエは旅行へと訪れていた。


「すごい!綺麗!」


ナマエは、月の光を受けて輝く海面と同じようにキラキラとした瞳を角名の方へと向けた。


「すげー楽しそう」

「楽しい!私こんなの初めて!ずっと見てても飽きないくらい綺麗」

「なら良かった」


海の見える高層階のホテル。今までこうしてどこかに泊まりに行くことのなかった二人にとっては初めての宿泊を伴う遠出である。


「倫太郎ので写真撮っていい?」


去年買い替えたばかりの角名のiPhone6は最新モデルのためナマエのものより大分綺麗に映る。画面に映される夜景を見て「画質良い〜」と驚くように笑ったナマエは、そのまま動画に切り替え辺り一面を記録していった。

りんたろーと気の抜けるような声で名前を呼び、ひらひらと手を振りながらナマエが角名の方へとカメラを向ける。そんなナマエからスマホを奪って、角名がインカメに設定をし直す。


「最近みんなが持ってるあの自撮りする棒買うか迷ってたんだけど」

「あー、あれね」

「倫太郎がいれば必要ないね」


角名の持ち前の身長と腕の長さで、ナマエには出せない距離と角度が確保される。俺頼りじゃんなんて笑いながら角名がシャッターボタンを押した。

窓辺の肌寒さを和らげるように、角名がナマエを後ろから抱えるように抱きしめる。下にいるときには特別なんとも思わない街灯たちは、こうして上から見下ろすことで夜景という名前に化け、やけに幻想的で綺麗に映った。


「倫太郎の誕生日なのに、私の方がはしゃいでるね」

「心配しなくても俺も結構浮かれてる」

「ほんと?」

「わからない?」

「えー」


あんまりわからないよと、そう言おうとしたナマエだったが、その言葉を発することはできなかった。後ろから抱きしめたまま角名が無理矢理口付ける。その苦しい体勢をどうにかしようとナマエが体を回すように試みるが、角名の腕ががっしりと回されてしまっているためそれは叶わない。

静かな空間は少し耳を澄ませば波の音さえ響いてくる。その音をかき消すように口内を侵す角名の舌は、少し意地が悪いとも思えた。

とんとナマエの背中を角名が押して、両腕をひんやりとした窓につかせる。止まることのない角名からのキスに耐えながらも、ナマエは瞳を動かし広大な夜景を視界に入れた。


「り、倫太郎、いきなりすぎてびっくりした」

「その上がった息で窓が曇る感じ、いいね」


ナマエの言葉に返事はせずに、キスが終わり力なく前を向いたナマエにそう言った角名は愉快そうに片側の口角をあげる。決して野外ではないけれど、大きな窓の外には開放感のある景色が広がっていて、晒されているようなその感覚にゾクゾクと背筋が疼く。その表情がうっすらと窓に映るのを見て、ナマエは僅かに眉を顰めた。


「いいな、これ。定期的に来ようよこういうとこ」

「変なのに目覚めてる」

「変じゃないじゃん、失礼だな」


角名が軽く体重をかけて、ナマエが窓と角名にさらに押しつぶされるようになる。室内は暖められてはいるものの、締め切られていても窓際は若干室温が低い。外部と内部を隔てる唯一のガラスも温まり切ることはなく、ナマエの指の先をゆっくりと蝕むように冷やしていく。


「……ねぇ倫太郎、ここ、ちょっと寒い」

「うん」

「うんじゃなくて」

「うん」


先ほどから角名はナマエの言うことを聞かない。それに対してナマエはムッとした表情を作るが、それすらも無視するように角名がナマエのうなじに顔を埋めた。

くすぐるように柔く滑る角名の薄い唇が、触れた肌の表面温度を少しずつ上げていく。弱々しく肩を上げ、体をくねらせるようにナマエが抵抗を示しても、小さくやめてと伝えてみても、角名は愉しそうな笑みを浮かべさらに執拗に唇を這わせるのみで、決してナマエの要望を聞き入れない。


「もう、くすぐったいからやめ……っ倫太郎」

「なに?」

「手ッ」


一年を通して体温が低い角名の指先が、そっと服の中に侵入してナマエの肌の上をゆるくなぞっていく。ニットが持ち上げられ、布が擦れるように柔らかな音を発すると共に、角名の指先も静かに上を目指していく。


「ねぇ、ちょっと、するならベッド行こうよ」

「なんで?」

「なんでって、逆になんでなの」

「せっかく夜景綺麗なんだから、ここでしなきゃもったいないじゃん」


座ることも寝転ぶことも出来ず、ベッドではなく大きな窓に両手をつき体を預けながら、決して離そうとはしてくれない角名の方を首だけで振り向く。角名は楽しそうに喉を鳴らして、細めた瞳に窓の外の水面の光を反射させた。


「ずっと見てても飽きないんでしょ?なら、今夜はずっと見てようよ」


そう言ってもう一度無理矢理その体制のまま唇を塞いでみせた。なんだかんだ言いながらも結局本気の抵抗は見せないナマエが、少し苦しげにキスを受け入れているのが堪らなく嬉しい。

暗いはずの室内を、月明かりと夜景が淡く照らす。耳を澄ませると僅かに聞こえる波の音と、お互いの肌と肌が触れ合う音。二人きりの特別な夜を包み込む静寂が酷くうるさい。
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