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ナマエの就活も無事に終えることが出来た。とてもすんなりに、とはいかなかったものの、ナマエの実力は学生にしてはかなり高いレベルにあることは事実であるし、それなりに早く動き出したおかげでしっかりと志望した企業に入ることができた。

ピークは超えたがまだ厄介な残暑は続いている。お互いに忙しかった夏を乗り越え、冷房の効いた涼しい部屋で過ごす夜。つい数時間前に浴びたシャワーは、先ほどまで行っていた行為のせいで完全に意味をなくしてしまっていた。汗に塗れた一糸纏わぬベタつく肌を、お互い気にもせずにくっつき合う。


「え、じゃあ堀北真希って交際ゼロ日で結婚したの!?」

「一応ゼロではないらしいけど、俺もよく知らない。そこまで詳しく見てないし」

「はぁー……でもそのくらいの短期間でってことだよね。すごい」

「期間なんて関係ないと思うけど、さすがに真似はできないな」

「本当だよ。私たちもう四年超えて五年目に突入してるのに」


角名に腕枕をされていたナマエが驚きながら顔をあげた。視線を合わせた角名はフッと軽く息を吐き、「その二人からしたら俺たちもう熟年夫婦の域じゃん」と笑う。ナマエはその発言を受け、「その二人と比べちゃったら、世の中のほとんどのカップルがそれに当てはまっちゃうよ」なんて言って、角名の体に回す腕に力を込めた。

ピロートークの話題としては一体どうなのだろうかといささか心配になるかもしれないが、ここまで長い年月をともに過ごしていると、お互いそこまで中身の話題も気にしなくなるものだ。

芸能人と自分たちを比べて恥ずかしがりもしなければ、自分たちを熟年夫婦に例えても新鮮に照れたりはしなくなる。それでももう慣れたことだからといって行為の後すぐに離れてしまうことはなく、こうしてお互いの気の済むまでくっつき合っている。


「私たち熟年夫婦じゃなくて熟年カップルじゃないの?」

「今更そこに突っ込む?」

「いやなんか気になって」

「どっちでもいいでしょ」


眉を顰めた角名にナマエが笑った。


「こんなに一緒にいるのにお互い全然飽きないよね」

「飽きるとかそういう域ももう超えたって感じじゃん」

「確かに。トリセツ歌わなくても倫太郎は私のことわかってくれてるし」

「あー……そのネイル綺麗」

「ありがとう。友達にやってもらったの」

「最近太った?」

「そういう余計なことには気づかなくていいって西野カナちゃんも歌ってるんだけど」

「ナマエもカナも細いから気にしなくて大丈夫」


ぽんぽんとリズムよくナマエの頭をあやすように撫でて、角名がゆっくりと起き上がる。そろそろもう一回シャワーしようかと言う角名に、ナマエは笑顔を作って頷いた。





思わず息を飲んだ。角名はファッションのことは今でも全くわからない。自分で着る服くらいには関心はあるが、専門的なことは全くだ。しかし興味がある人たちを除けば、世の中の人間のほとんどがそういうものなのだろう。

なのでどこがどう凄いのか、何が拘られているからよく見えるのか、説明なんて出来ない。けれど、角名はひしひしと自分の感覚が「これは凄いものなのだ」と訴えているのを感じ取っていた。


「ここにある中でも別格じゃない?」

「身内贔屓だよー。でも嬉しい。ありがとう」


トルソーに着せられ展示されるナマエの作品を、角名は素直に誉めていく。ここに並ぶ卒業制作の数々は、皆集大成として特別熱量や力が込められているものだろうからどれもレベルはそれなりに高いが、それでも群を抜いてナマエのものが良いと思った。

昨日はこれを着たモデルが実際に歩くショーもあったようだが、角名はバレーの用事が重なりどうしても顔を出せなかった。今日は展示のみだけれど、こうして足を運んでこの目で見ることができて良かったと思う。

ナマエはもっと上にいけると強く感じている。身内の贔屓なんかではなく。なんの知識もない自分が勝手なことは言えないとは思っているけれど、それでもナマエは他のやつとは違うんだろうというのがわかる。素人でもわかるのだから、業界の人々はもっとそれを感じるんだろう。いつか世界で活躍するデザイナーになりたいと言っているナマエの言葉は、確かな可能性を秘めていると角名は思った。

別に、どこの誰がそう言っていても決して馬鹿にしたりはしないけれど、それでも勝手に相手の実力を計り「何言ってんだ、無理だろう」と思うことは、残念ながら俺はする。

特別優しい人間でも、理想を語り夢や希望に熱くなれる性格でもない。難しいんじゃないと思いながらも、「あんたならきっと大丈夫」だとか本心ではない言葉を気を使って放つこともできない。純粋に何も思わず、損得も考えずただ他者を応援できるというそんなに出来た人柄もしていない。

それでもこうして心が動かされて、触発されるように自分自身の体の中心まで燃えるように熱くなってしまうのは、単に「無理だろう」なんて一切思わせない確かな可能性に手を伸ばし続けるナマエが凄いからだ。

思っていても素直に想いを口にすることは難しい。角名だって高校生の頃、全国制覇を掲げていた。大学生の今も目標にしている。しかしそれは、出来る可能性があることだから口に出せているだけだ。周りも誰一人として恐れることも恥ずかしがることもしていなかった。全国制覇を当たり前に掲げられる環境にあった。結局優勝はできなかったが、実際に一歩手前までは行った。後少し届かなかった。そのくらいに近い目標があれば、角名も違和感なく大きな目標を捧げられる。

だが世界と考えるとどうだろうか。角名の元チームメイトの侑は、高校を卒業した後そのままプロチームに入った。性格はあんなだが、実力は高校生の頃から間違いなく全国トップクラスだ。プロとして活躍する今も、埋もれることなく実力を見せつけている。そういう奴らが世界と口にするのと、自分とでは大きな差があるように感じているのだ。

例えば、地方大会ですら勝ち上がるのが困難な田舎の弱小校が全国制覇を謳ったところで、本気で背中を押してくれるやつらはどれほどいるのだろう。大抵は馬鹿にされて終わってしまう。口では頑張れだとか言われても、心の中では無理だと笑われているかもしれない。

しっかりと上を目指すことができても、現段階で角名は世界までは見据えられはしなかった。自分の立場や、そういうことを恐れず、近い目標ではなく遠い目標を口に出せる勇気がナマエにはある。そこをすごいと角名は思っていた。そしてそれが、決して遠くはない目標へと少しずつ近づいていることも。


「……見たいな」

「何を?」

「いつか、こうして世界中の人たちがナマエの服を見て感動してるとこ」


そう言って目を細め笑った角名に、ナマエは大きく驚いた。柔らかな声は、決して気を遣って言っているものではなく、心の底からの本心だということがハッキリとわかる。ナマエはどくんと大きな音を立てた心臓に苦しそうな顔をした。しかし辛くはない。ぎゅっと掴まれたようになるのに酷く甘くて優しく痛い、不思議な感覚だった。

世界を目指そうなんて思いは今現在の角名にはない。自分の目の前に広がる道の行方は、まだ見えるようで見えていない。ゴールではなく、今いる位置から見える少し先にある場所に着実に進んでいくタイプだ。ナマエは、まだ見ぬ道のりの更にその先を既に信じている。堅実で現実的な角名は、夢みがちで飛ばし飛ばしでも勢いよく進んでいけるナマエに引っ張られるようにして前を向けていた。

しかしナマエはナマエで角名によって前を向けている。大きすぎる夢だと、それを夢見た何人が実際に挫折してきたかわかっているのかと思われるだろう。けれど角名はこうしてナマエのことを一切馬鹿にはせず、「できる」と断言してくれる。堅実で現実的な角名の言葉だからこそ、より一層響くものがあるのだ。ナマエに引っ張られていると思っている角名だが、そのナマエの背中を押しているのもいつだって角名に違いない。

この学校を卒業して、これからどうなっていくかは進んでみなければまだわからない。それでもナマエに恐れはなかった。倫太郎がこうして支えてくれる。それを思えば、この道を真っ直ぐ駆けていくことは、決して怖いことではない。
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