悲鳴にも似た悲痛な叫びは、広場を越え住宅街の方にまで響き渡っていそうだった。
「無理ー!!!」
「無理じゃない」
大きく左に飛ばされたボールを全速力で追いかける。なんとか追いつき、なんとか返した。ボールは角名がいる場所からはだいぶ逸れた場所に向かって行ったが、素早く反応を示した角名は落とすことなく拾い上げ、また由佳が立っている位置から少し離れた場所へとボールを高く飛ばす。
「なんでここに返してくれないの!」
「いっつも守月さんが俺にやってることと同じじゃん」
「ごめん!ごめんなさい!」
「でも追いつけんのすごいよ」
珍しく本気で感心したような声を出す。ギリギリ届かなそうで、ギリギリ届きそうな場所。その絶妙な位置を狙ってなるべく高く角名はボールを飛ばしていく。ギャイギャイと文句を言いながらもしぶとくついていく由佳は、いつだったか自分でも言っていたように本当にセンスはあるのかもしれない。
さすがに体力が尽きたのか、追いかけることを途中で諦めた由佳は、角名に向かって「もうほんとに無理」と力無く一言こぼした。転がったボールを拾って、いつものベンチにフラフラと向かっていく。
今日は朝からずっと曇っているため、気温はこれまでより落ち着いていて涼しく感じる。が、そんなことはお構いなしに由佳は今までの倍は暑そうな表情でTシャツの襟元をパタパタと仰いだ。今にも倒れ込みそうなほどにヘトヘトである。
「いじわる角名くん」
「これがそうなるなら、守月さんはずっと俺に対して意地悪してたってことになるけどいいの」
「わざとじゃないよ私は」
「あー……ごめん、下手なだけか」
「初心者にしては上手い方だと思うんだけど!?」
「だからなんでそんなに自信あんの」
「今度は角名くんのお友達も連れてきてよ。褒めてもらうから」
「下手くそに対して容赦ない性格ポンコツなやつだけどそれでも良いなら。引くほど酷いこと言われるかもしれないけど」
「なんでそんな人が友達なの」
強豪校って怖いんだね。眉を寄せ、そう真剣な声で言った由佳に角名が笑いを堪える。
「私の親友にもいつか会ってほしいけど、女の子たちの中にいる角名くんとか、親しくしてる姿ってあんまり想像できないなぁ」
「共学だよ俺の高校」
「わかってるけどさー」
「守月さんに話してないだけで仲良い女子もいるし」
「そうなの?私とその子、どっちが仲良い?」
首を傾げ真っ直ぐと角名を見つめる由佳は、純粋に問いかけているようだった。
「求めてた反応と違った」
「どんなの求めてた?」
「たぶん言ったところでその反応は守月さんからは出てこないかな」
「なにそれ」
「てか、俺と一番仲良い女子は守月さんだと思ってる?」
「割と」
「自信あんね」
「私の一番仲良い男の子は角名くんだよ」
「わかってるよ」
「わかってんだ」
どこか照れくさそうにへへっと笑った守月の頬を冷ますように、やっとほんのりと秋っぽさを帯びてきた風がふわりと触れる。
「……さっきのは嘘。俺も仲良い女子は守月さんくらいしかいないかな」
風は角名の頬にも優しく触れて、どこか遠くを目指し離れていく。それを目で追うようにお互いに視線を逸らした。
「でもどうすんの、本当の俺がチャラかったら」
「……え?」
緩んだ口元に手を添え、由佳が角名の方を向く。
「その顔は完全に馬鹿にしてるだろ」
「してないよ……!本気で想像できないだけ」
このテンションのままハーレムを築き上げる角名など想像はできない。無理やり頭の中にその様子を描いた由佳が思わずふふ、と笑い声を漏らし、それを聞いた角名が眉を寄せる。
「でも角名くんは人気そうだよね」
「全然、そんなことないよ」
「嘘。話してたら好きになっちゃう子とか絶対いる」
「だからそこまで女子と話さないんだって」
「でもさ〜、経験あるでしょ?ないわけじゃないでしょ?」
「……まあ」
「ほら!」
「女子で踏み込んだ話すんの守月さんだけだけど、実際その子には好きになられてるからな」
「…………」
「急に照れんのやめろ」
熱った顔を隠すためか、持っていたボールを顔の位置まで上げた由佳が「……絶対他にもいる」と弱々しい声で言う。
「仮にいたとして多分一人二人だよ。俺の周りになんでそんなにモテるのかわからないけどすげえモテるやつらいるし、みんなそっちしか見てないって」
「なんでそんなにモテるかわかんないの?」
「さっき言った性格ポンコツのやつ」
「なんでモテるの……?」
「だからわかんねぇって」
まあそのポンコツ部分除けば良いやつではあるし、多分、周りから見ればかなり顔が良い。そう言った角名に、由佳は性格ポンコツな良いやつってなんなんだと思いながら、「その性格が気にならなくなるほどの顔、見てみたいなあ」としみじみ言って、角名のことを笑わせた。
「ねぇ、海行こうよ、明日」
「また急だね」
「真夏のうちに行っておけば良かったなぁってこの前考えてたの。だから元に戻ったら改めて誘おうかなって思ってたんだけど、やっぱり今からでもこっちで行っておきたいなぁって」
何回も何回も、この期間が終わったその先のことを由佳は角名に伝える。まるで、この時間が終わっても離れたりはしてやらないぞ、という一種の脅しのようにも思えるくらいに。しかしそれがやはり角名にとっては心地良かった。
「でもこの時期に海入ったらクラゲに刺されるかな」
「大丈夫、動かないから」
「そうだった。角名くん知ってる?クラゲに刺されると納豆アレルギーになっちゃう可能性があるらしいよ。不思議だよね」
「どこ情報なのそれ」
「疑ってるでしょ!本当なんだよ!ネットに書いてあったの」
「なんでそれに辿り着いたのか経緯が知りたい」
手元のボールを座ったままポンポンと軽く弾ませ、「ネットサーフィンしてたらたまたま見つけた」と言った由佳から角名が素早くボールを奪う。
器用にポーンと真上に高く放り、そしてまた元の位置に落ちるそれを再度同じように飛ばす。由佳と違って手元に落ち再び離れていく瞬間にボスっと重たい音は一切しない。その動作とあまりの姿勢の綺麗さに感心しながら、由佳は角名のことをしばらく静かに眺めていた。
九月十四日。この二人だけの時間も、あと残り五日しかない。