最終日までのカウントダウンが始まる十日の夜。由佳の突発的な提案による花火大会が開催されていた。
花火大会、とはいえ角名と由佳にできるのは手持ち花火くらいのものだ。市販の打ち上げ花火もできないことはないが、「それの点灯係俺だろ」と角名が面倒くさがったために虚しくも却下となった。
「うわー!!」
「なんで一発目からネズミ花火に着火したの、アホでしょ」
「追いかけてくる!」
「逃げるコースが悪いんだよ」
近所のマンションの駐車場で行う、他に参加者もいない二人だけの花火。てっきりもっと静かに楽しむものだと思っていたが、全くそうはいかないのがこの二人である。
最初はおとなしそうな印象だったのに、親しくなればなるほど角名の中の由佳の印象が変わっていく。それでも決して気に触るうるささではないし、騒がしく楽しむところと静かに過ごす時間とをうまく使い分けているから角名も何も気になることはなく、むしろいい方向へと認識はさらに変わっていった。
「あ、もう一個ある」
「それはもう置いとけばいいじゃん」
「……つけちゃった」
「あっち投げろあっち!」
「角名くんの大きい声久々〜」
由佳が遠くに飛ばし、地面についた途端ものすごいスピードで回転し始め、ネズミのように辺りを這いずり回り勢いよく火花を散らす。
少し怯えるようにしながらも楽しむ由佳とは反対に、角名は始めてまだ数分にもかかわらずどこか疲れたような顔をしていた。
「これなんだろう」
「蛇花火でしょ」
「これも激しいやつ?」
「あー……さっきのよりもやばいから、試しにやってみなよ。俺は着火したくないけど」
「そんなに!?でもそう言われたらどんなものなのか見てみたくなるな」
「なんでいっつもそういう好奇心無駄に旺盛なの」
角名くん、離れてて!と言って、由佳が緊張の面持ちで花火に火をつける。しっかりと着火したのを確認して、由佳は慌てて花火から数メートル距離をとった角名の後ろに隠れるように走って逃げた。
「俺を盾にすんな」
「守って!」
もくもくと激しく煙を出しているそれは未だ動き出す気配がない。ゆっくりうねうねとその場でなにやら伸びてはいるが、角名の言う先程のネズミ花火よりも激しいという瞬間が訪れることはない。
時間が経過するほどに、もしかしたら最後の一撃がすごいのかもしれないと由佳の緊張感は少しずつ増していく。募る不安から角名のTシャツの裾をそっと掴んだ。
シューと煙に塗れながら、炭のように黒いそれは長さをどんどん伸ばしていき、そして、そのまま止まった。
「……不発?」
「そうかもね。もう一個あるからやってみれば?」
「……そうする」
先ほどと同じように少し離れた場所で着火をして、そしてまた同じように角名のところへ素早く逃げ帰る。
花火もまた先程のように激しい煙を纏いながら、その場でゆっくりゆっくりと蛇のようにうねうねと長さを伸ばしていく。そして再び由佳の緊張感が最高潮に達するとともに、それは静かに動きを止めた。
「また止まった!」
「…………」
「ハズレだったのかなぁ」
「……ふっ」
一生懸命に我慢していた笑いをついに溢し、静かに吹き出し肩を震わせた角名は、「ビビりすぎでしょ」とあからさまに馬鹿にしたように言う。一体何のことだかわからないとでもいうような、未だ角名のシャツの裾を摘んだままの由佳が見せる不満げな表情に、今度はついに声を上げて笑い出した。
「蛇花火はこういうものだよ」
「えっ!!でもネズミ花火よりやばいんじゃないの?」
「それは嘘。花火の中で一番地味なんじゃない。そうだったでしょ?」
「えー……本当にこれがこの花火の正解なの?」
「残念ながらそうだよ。これは業火で焼かれた蛇が息も絶え絶えに逃げ出そうと這いずるように伸びてく様をただ見守るだけの無駄時間を過ごさせられる存在意義を問いたい花火」
「何その全力の蛇花火に対する悪口」
「本気で知らなかった?」
「うん。友達と花火してもこの二つはやったことなかった」
「確かにネズミはともかく蛇は本当にやる必要ないしね」
「角名くんのその蛇花火への当たりの強さ何?」
もー怖がって損した!と大きく笑った由佳は、笑いながら手持ち花火を数本手に取り、そして角名にもそれを手渡す。やっとのことで通常の花火っぽい雰囲気となってきた。
「ねぇ角名くん、スローの動画撮って」
「じゃあそっち立って」
行くよー!と由佳が言うのと同時に角名がカメラを構える。由佳はシュンシュンと音を発し、勢いよく吹き出す花火でハートを描くように動かし続けた。
スローシャッターのアプリで記録した写真を確認すると、綺麗に花火でハートを描いている由佳の姿が映し出される。角名のスマホを覗き込んでそれを確認した由佳は、満足そうに微笑んで「角名くんもやりなよ」と声をかけた。
「やらないよ」
「なんで」
「じゃあ俺の分までもう一回守月さんがやってきて」
「でももう完璧なハート描けちゃった。だから、この残りは全部一緒にやろ」
両手に持った花火に二人同時に火をつける。お互いの手元を彩るそれを二人で消えるまで眺めた。角名の黒髪が淡く花火の色を映し柔らかく燃える。それが由佳の瞳にも映った。
他愛もない話をしながら、二人は線香花火の残りの一本が静かに落ちるまでこの時間を楽しみ尽くした。
「神戸でも花火大会があるんだよ」
「へえ」
「一緒に行きたいなー。でも、角名くんのところからだと夜の時間は厳しいかなぁ。というか部活で来られないか」
「日によっては今年は無理だろうね」
ゆっくりと家までの道を歩きながら、そんな話を二人でする。この季節の夜は行動するのに一番ちょうど良い気温になる。暑くはなく、涼しすぎず、家の中に入るのがもったいないとも思える程に。
昼間、太陽の光をしっかりと浴びた草木が、夜風に歌うようにサワサワと静かな音を奏で、僅かに土の香りを運んでくる。
「夏が始まったらまた花火しようよ」
「……また今年の夏が来るのか」
「ほんと不思議だよねー。角名くんが部活でも、私がそっちに行けば夜でも少しは動けるよね」
「夜にこっち来んなって」
「でも、角名くんに会うには部活終わりじゃないとダメでしょ?そもそも花火は夜にやるものだし」
「帰り何時になると思ってんの。俺寮だし泊められないんだよ」
「…………」
「そんな顔してもダメだって」
「角名くんとまた花火したいのにー」
「夏休みならどっかで必ずオフの日はあるし、午前だけの練習日とかも少しはあると思う」
「うん」
「その時に俺がこっちにまた来れば、できるんじゃない」
「っ本当!?来てくれるの!?」
楽しみだと全身でその感情を表すように軽やかなスキップをする。そんな由佳を見て、クツクツと喉を鳴らし角名が笑った。
どうやら由佳は、再び来る、今は終わってしまった今年の夏もまた角名と共に過ごす予定らしい。当たり前のように語られていくそれらに、角名はもう一度由佳にはバレないように小さく笑った。
「遊びのことばっか考えてないで、受験勉強もちゃんとしなよ」
「角名くんもね!!」
「俺に会ってたせいで落ちたとか泣かれても困るし」
「そんなこと言わないよ。むしろ会えない方が落ち込んじゃって失敗すると思う」
「なにそれ、脅し?」
「そう。だからまた会いにきてね」
空に佇む三日月が、二人のシルエットを淡く浮かび上がらせる。今年は夏の次に秋が来て、秋が深まる前にもう一度夏が来る。
二回目の夏が始まるまでの日数は、あと十日とすぐ近くまで迫っていた。