世界はこうしてまあるくなる


うあー、と、どこか情けない呻き声を上げながら由佳がパタっと傍にあったベンチに倒れるように横たわった。


「詰めて、俺も座る」

「もう動けない〜」

「病み上がりのくせに無理に対抗してくるからじゃん」


由佳の頭側の余りのスペースに角名が腰を降ろす。昨日の朝まで微熱が続いていた由佳だったが、午後には回復し元気いっぱいだった。なので夕方から約束通りにバレーをしようと角名を誘ったのだが、流石に早すぎると角名が拒否し、翌日の今日、こうして二人でまたボールを持っていつもの公園にやってきていた。

ぐでっと未だベンチで溶けている由佳の髪の毛が風に揺れる。さらさらと流れるそれを目で追いながら、角名は手に持っていたボールを頭上で小さく遊ぶようにポンポンと跳ねさせた。


「角名くんってバレー小さい頃からやってるの?」

「まぁね」

「すごいなぁー、ずっと続けてて。尊敬する」


角名を見上げる由佳の瞳はいつだって濁りなく、思ったことをそのまま素直に口に出していることがありありと伝わってくる。パシッと音を立てボールを手のひらに収めた角名は、その視線から逃れるために由佳の目を手で覆い隠し、「そろそろ起きなよ、狭い」と話題を逸らすように声をかける。


「角名くんは進路どうするとか決めてる?」


話を逸らされたことを悟った由佳が次にふったのは、高校三年生という角名たちにとってはとても重要な内容だった。とはいえ二人ともそこまで危機感がなさそうにも見える。


「私は附属の大学に進学するから、内部受験だしそこまで受験モードって感じじゃないんだよね。だから他の子と比べたらまだ簡単なのかなぁ……とか言ったら世の中の受験生たちに怒られちゃうか」

「将来見据えて大学附属入って、そこでちゃんと進学できる学力身につけてんだから、これまでの道のりは簡単じゃなかったんじゃないの」

「……まぁそうなんだけど。なんか照れる」

「今のどこで?」


守月さんわかんねぇと角名が小さく笑う。由佳も口角を上げた。角名くんはどこにいくの?という由佳の言葉に角名は一瞬黙り込む。俺は、と呟いたまま何かを考える素振りを見せる角名に、由佳は何も言わず次の言葉を待ち続けた。


「大学には、推薦で行く」

「すごい、角名くんも頭いいんだ」

「違うよ、バレー」

「バレーって、バレーボール?」

「そう。その推薦」

「え!?スポーツ推薦!?角名くんそんなに強いの!?」

「一応、そうみたい」


すごい!!と今日一番の興奮を見せる由佳に、角名はどう返して良いのか分からず黙り込んだまま。手元のボールに視線を落とす。照りつける太陽の光を遮るように、ベンチのそばに立っている大きな木が二人を覆うほどの影を作り揺れている。


「……この前自己解決したって言ったきり話してなかったやつ、誰かに話さない限りうまくまとまらない気がしてきたけど、こんなのチームメイトにも誰にも言えないしさ、よかったら流してくれていいから守月さんが聞いてよ」

「うん、全部聞くよ」


角名は今まで、バレーボールに出会ってからこんなにも長い間バレーをしない日々を送ることなんてなかった。大きな怪我も病気も、辞めようと思う理由もなかったからだ。この間は、バレーが出来ないことで生まれた焦りや不安を抑え込むことができずに由佳にあんなに酷く当たってしまった。

文字通りバレー一筋に生きている侑。そこまでわかりやすく表には出さないだけで治だって同じだ。いつだって真面目で暑くてサボりなんて絶対にしない銀。

サボれそうなところがあるのなら、適当に行うわけではないが楽な方がいいとは思うし、きつい練習も嫌いではないが休みがあればそれは嬉しい。あの中で比べれば、角名は自分自身が一番あっさりしているのだと勝手に思い込んでいた。

強いことが当たり前、一生懸命追いかけることが当たり前な人達に囲まれて感覚が麻痺していたのだ。もっと簡単に、シンプルに考えれば良い。

侑のようにバレーに染まりながら自分も生きているだなんて、そんなことは一切思ってはいなかったのに。自覚がなかっただけで、角名はバレーのことを心底愛していたのだ。誰と比べるなんてことはせずに、自分自身に本心を問いかけた時、素直な角名の心は、言い訳も他の言葉も添えずに好きだとはっきり頷くはずだ。

皮肉にも、こうして強制的にバレーが出来ない日々に身を投じることでそれに気がつけた。


「愛知から家族と引っ越してきたってわけじゃなくてさ、兵庫の学校にもバレーのスカウトで一人で来たんだ」

「そうなんだ!すごい!」

「一応うち全国常連で、兵庫の代表って俺らなんだけど」

「えっ……私全然そういうの知らなくて、ごめん。私達の県の代表なの?すごすぎて、すごいしか言葉出ない」


本当にそればっかじゃん、頭良いんじゃないの?と角名が意地の悪そうな表情を向け、由佳のことを揶揄う。

スポーツでもなんでも、どこかからスカウトをもらえるほどの実力を身につけることは相当難しい。決して簡単なことではない。角名の身長で、そのポジションで特別目立つためには相当のスキルがいる。秀でたものを手にするためには、持ち前のセンスをただちょっと磨いたくらいじゃ意味がない。

愛知の強い高校に入って、成績を残して、そこで力を入れて楽しむのでも良かったのだ。愛知にだってもちろん県代表常連の強豪校はある。そこが弱いなんてことは決してない。そこに進学して、今のようにバレーに日々を費やしても良かったのだ。しかし角名は稲荷崎を選んだ。県内の選択肢は捨て、わざわざ地元と親元を離れ一人兵庫へ。県内で強い、ではなく、全国で強い場所へ。


「特になりたいものとかもないしさ、推薦で行けるならとりあえずそれで大学行って、そこでそこそこまたバレー頑張って、そのままやり切って終わろうかなって思ってたんだ」

「うん」

「でも、その考えはやめようかなって、守月さんと喧嘩した時思ったんだよね」


これまでの一ヶ月、これからの一ヶ月。合わせてたったの二ヶ月だ。でも角名にとってはこんなにも長い二ヶ月だ。

その期間バレーボールから離れることになってあんなにも不安になった。自分が自分でなくなるような感覚。角名には珍しい激しい焦燥感に襲われた。バレーボールを辞めたあとに、自分がいかにのめり込んでいたのかに気がつくのではなくて良かったと強く思う。

大学卒業後の人生は、角名も今の時点ではどうなるかなんてわかりはしない。プロになれるほどの実力が自身に備わっているのか、備えることができるのかはこれからの自分次第なのである。

どこまで行けるか、どこまでやれるかはわからないけれど、行けるところまで行ってやる。終わりにしないといけない時が来たら、もう次のステージまでは進めないところまで行ってしまったのなら、その時は仕方がない。今みたいに不安になる日や珍しく荒れる日もあるだろうけど、やり切ったのなら納得もできるはずだ。

角名は頭の中を整理するようにフゥと短く息を吐いた。そのラインまで辿り着かないうちは、自分自身が納得できていないうちは、終わりなんて定めずに突き進む。


「どこの大学に行くのかはもう決めてるの?」

「声かけてもらえてるところから選ぶつもりだけど、細かくはまだ」

「そっかー。地元の方に帰ったりするの?それともまた関西?」

「……どうかな。IHの結果とかでまたきっと変わって来ると思う」

「そうか、まだ声かかるかもしれないもんね」

「そう。今貰ってる以外で最終的にどのくらい声かけてもらえるかわかんないけど、場所はどこでもいいや。関東でも、東北でも、行ったことないけど九州でも」

「沖縄とか行きたいなー」

「それは守月さんが旅行で行きたい場所だろ」

「そう。バレた」

「本当にどこでもいいよ土地は。拘りないし」由佳に視線を合わせ、角名が僅かに口角を上げる。「選択肢の中で一番強い所に行く」

ヒュウっと音を立てて強い風が吹いた。生ぬるさの中に涼しさを含んで二人の髪をはらはらと揺らす。由佳は思わず目を細めた。僅かに残った視界の中にさっぱりとした表情の角名を映す。日陰にいるのに、きらきらと反射する水面のように輝いて見えた。


「角名くんのバレーの試合、見ていたい」

「おいでよ」

「……え、いいの?てっきりそんなの見ても面白くないよとか言われるのかと」

「守月さんの中の俺ってそんなキャラ?」

「ごめん」

「否定しろよ」

「……ごめん」

「正直すぎだろ」


ははっと笑った角名に釣られて由佳も声をあげて笑う。正直すぎる人間の側では自然と自分も正直になれるものだ。角名はそういう類の人間の横にいるのはあまり得意ではなかったが、由佳に苦手意識は感じなかった。他人を落とさない由佳の隣はなぜだか気分が良い。


「もう一回やろう」

「飽きないね」

「うん、面白いし!少しずつ上達してきたと思うし!」

「たしかに最初よりは、様にはなってきたかな」


赤みを帯びてきた太陽が西に傾く。長く伸びる二つの影の間を、一つのボールが行き来していた。




 

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