息継ぎの仕方を教えてくれよ


この生活が終わるはずだった二十一日から二日が経過した二十三日。

リビングには降りず、あの日からいまだ降り止まない雨の音を聞きながら角名は自室にこもっていた。自室――と言っても由佳の兄の部屋だが、それでももう何日も過ごしていれば自分の部屋のような気もしてくる。

それでもやはり、飾ってあるポスターは流行りのバンドのもので、角名はクラスメイトが休み時間に話しているからそのグループ名は知っている程度のものだし、飾ってある写真には角名は写っていなければ知っている顔もひとつもない。

あと一ヶ月耐え抜けば。終わりがしっかり見えている。しかし、襲いかかる置き去り感はどうも拭えはしなかった。

こんなにも長い間バレーをしていない事に何とも言えない虚しさが募るのだ。由佳とやったバレーは、正直角名にとってはバレーをしたうちには入らない程度の触れ合いみたいなものだが、それでも角名にとって久しぶりのあの感覚がとても楽しかったのである。

バレーが楽しいなんて当たり前のことをこんなにも噛み締めることは最近あっただろうか。強豪校から引き抜かれるほどに実力をつけ、最高学年に上がる前からレギュラーの地位についていた角名にとって、バレーは当たり前に身を入れて行うものであり、生活の一部なんて言葉では表せないほどだった。

また、一ヶ月バレーができない。こんなに自分がバレーを求めていることが意外だった。前回自覚してしまったその気持ちを抑え込むように過ごしてきたが、ここにきてまた限界が迫ってきているような焦燥感に駆られる。以前よりも大きく、以前よりも深く。

涼しい部屋の中、自分の体からしたら少し小さいベッドの上でだらりと寝転んだまま。もう昼も近い。厳しい練習の日々にある、やっと訪れた休日ではない。練習もずっとなく、バレーに触れない日々を生きている。打ち付ける雨のせいで出来ないのではない。出来ない理由は、バレーができる環境に自分がいないからだ。


「――クソッ」


吐き捨てた短いその言葉は、誰に届くでもなく窓を打ち付ける雨音にかき消されていった。

コンコンと控えめなノック音が響いたのはそれからすぐ後のことだった。そっと開けられたドアから由佳が様子を伺うように顔を出す。「あ、起きてた」と笑った由佳は、ベッドの上で伸びている角名にご飯できたよと声をかけ、好きな時に来てねとまた静かにドアを閉めた。


―――――――――――――――


静かなリビング。もくもくと食べ続ける角名に由佳は少し戸惑いながら視線を向けた。昨日は至って普段通りだったが、今日は朝からとても静かだ。いつもは基本的にリビングでくつろいでいるけれど、昼食に一度降りてきたのみで、それ以外はずっと部屋に引きこもっていた。しかし、そんな日もあるよねと由佳は特別深くは考えずにいた。

誰だって一人になりたい時間もあるだろう。それに、この状況じゃあ気が付かないうちに貯まるストレスもきっと山程ある。由佳だって、無理をしているわけではないがこの日々に何も思わないなんてそんなことはない。


「今日のこれ、この前より上手く出来たと思わない?」

「美味しいよ」


角名は意外にもしっかりとこうして言葉にしてくれる。由佳は笑顔を作って、明るい声で「この期間に料理も上手くなれたし、悪いことばっかじゃなくて良かったかも」と言った。いつものように、ついこの前は焦がしてたけど、と揶揄われるかとでも思っていたら、角名は何も言わずに視線だけをこちらに向ける。最後の一口を飲み込んで箸を置いた後、かちゃかちゃと食器をまとめながら静かに立ち上がった。


「食べ終わったなら洗うから早く皿とかこっち持ってきて」

「あ、うん、ありがとう」


ジャーッと水の流れる音が静寂をかき消しているようで逆に引き立てている。一通りの皿洗いを済ませた角名が水を止めた。キュッと鳴ったそれがさらにこの空間の静けさを色濃くして、どこかハラハラと落ちつかない空気を醸し出した。

先ほど角名が由佳に向けた視線を思い浮かべる。長く細く鋭い瞳が物憂つげにゆらめいて由佳を捉えた。思わず背筋が伸びるような、そんな感覚が蘇る。

振り向いた角名が由佳の視線に気づいて若干困ったような表情を見せた隙に、由佳は素早く立ち上がって角名の手首を握った。クーラーで冷やされた室内と同じように角名の肌の表面はひんやりとしている。今が夏なことを忘れてしまうくらいに、角名の纏う空気はいつも涼しげだ。突然の行動に驚いた様子の角名は、一瞬大きく目を開くもすぐに元通りの表情に切り替え、「どうしたの」と短い声をかけた。言葉はきつくはないが、少しだけ声に棘がある。由佳は握りしめる手のひらに力を加えた。


「……ごめん」

「そんな謝られるようなことされてないけど」

「ごめん、あんなこと言って」


良かったとか言って、ごめん。そう告げた由佳に角名は黙り込む。こっちこそごめん。小さな声でそう言って、角名はすぐにリビングを出た。

雨風が強くなってきた。ゴウゴウと激しく風が家に襲いかかる。静かになった部屋。しかし決して静かではない。

心の奥底に溜めこんでいた感情がざわざわと姿を見せ始めて煩わしい。拭いたくても拭えない感情を見ないようにと抑え込むには、やはり十日間が限度だったのかもしれない。




 

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