なんて呑気な時の試練


ゆったりとした時間が流れている。明日の予定は何もなかった。急にここにいる事になったわけだし、学校も部活も無いのだから仕方がないが、それにしたってこうも時間を持て余すとなると逆に落ち着かなくなるというものだ。由佳がいれてくれた長ったらしい横文字の名前の紅茶を口に含んで、角名はぼんやりと天井を見上げた。

二人が今いるのはリビングである。そこには由佳と角名の他に由佳の両親もいた。と言ってももちろん動いてはいないが。午後七時なら夕飯を食べている家庭も多いだろう。由佳の家もそうだったらしい。二人はダイニングテーブルに座って会話をしている最中だった。

由佳はその日は学校の自習室で勉強をしていたらしいがつい眠ってしまっていて、気がついた時にはもう外は薄暗くこのような状況にあったと言っていた。

実家のものよりも一回り大きくふかふかなソファに腰掛けながら、角名はもう一度程良い温度の紅茶へと口をつけた。

動かねぇとはいえ両親がいる空間で二人で居ていいものなのか?でも仕方ねぇよな。こうするしか方法ないし。角名がそんなことを考えているとは知らずに由佳は呑気に鼻歌を歌いスマホをいじり続ける。角名が座っているソファと同じのものがテーブルを挟んだ向かい側にもあるのだ。

リビングにこんなソファが向かい合わせに二つあるってドラマとかでしか見たことねぇよ。応接間でもないんだし。角名が心の中で関心のため息を吐いている間も、由佳は角名を見つけた時のようにいろんなワードを打ち込んではSNSで検索をかけているらしかった。しかし収穫はなかったようで、由佳はしばらくしてからスマホを置き「他には誰もいないかー」と残念そうな声を出した。


「明日とかどうしようか」

「何もする気しねぇ」

「外に出てもなぁ。何もないしなぁ」

「とりあえず疲れたし俺は明日は籠るよ」

「角名くん体力あるのか無いのかわかんないね」

「体力はそこそこあると思うけどそこまで動く気力はない」

「自身満々に言うことかなそれ。でも今日は移動とかで疲れてるはずだもんね。ゆっくり休んで。私も明日は同じようにするよ」


チラッと由佳が壁にかかった時計を確認して、あっと恥ずかしそうに慌てて視線を逸らせた。この生活になって何日経っても今何時だろうと思ったら時計を確認してしまう癖はなかなか抜け切らない。

角名も同じようなことを今でも繰り返してしまうからその行動については何も思わないが、由佳が「もうなんか外めっちゃ暗いし寝る?」と早口で誤魔化しやけに恥ずかしそうにするので、「そうだね。もう一時近いし」と適当な投稿をすることで現在時間を把握した角名はその画面を見せながらあえてニヤリと口角を上げた。


「……確かに、角名くんは思ってるよりよく笑うかも」

「でしょ」

「笑顔っていうより、楽しそうだけど意地悪な表情だけどね」


立ち上がった由佳が電気を消して、角名がリビングの扉を開く。二人で階段を登ってそれぞれの部屋の前に立ち、そして「おやすみ」と言い合った。一日の終わりに誰かとこんな風に挨拶を交わすことさえなんだか久しぶりで、こんなことにさえも感動が生まれた。

翌朝、全ての支度を終え優雅にリビングでお気に入りの小説を読み返していた由佳の元に角名が姿を見せたのは、もう朝というよりも昼に近い時間だった。おはようと由佳が声をかけると、「はよ」と低く小さな声で角名が反応する。昨夜勝手に引っ張り出した兄の部屋着は、角名にとっては少し裾が短い。


「顔拭くのに勝手にタオル出しちゃったけど良かった?」

「良いよ。好きに使って」


もうお昼近いけどご飯食べる?と聞いてくる由佳に、角名は昼と一緒でいいやと答える。まだやっと顔を合わせてから二十四時間程度だというのに、角名も由佳もすっかりある程度の心を許していた。完全には覚醒仕切っていない角名の元に由佳がコーヒーカップを差し出す。受け取った角名は素直にそれに口をつけた。

コーヒーとかわざわざ自分でいれないから久しぶりに飲んだな。これも昨日の紅茶みたいによくわかんねぇ長ったらしい高級そうな名前のやつなのか?言われても種類も味わかんないけど。そんなことを考えながらいつもより何となく美味しく感じるそれに、一気に飲むのは勿体なさを感じゆっくりと口をつけていく。

そんな角名に由佳は「両親は好きでこだわってたんだけど、それは味にあまり興味ないお兄ちゃんが帰ってきた時に飲んでるインスタントのやつなの。角名くんコーヒー好きなら、豆あるから今度はちゃんといれてみるね」と言った。その言葉に角名はインスタントなのかよ、ついゆっくり飲んじゃったじゃんと若干の恥じらいを感じながら、大きくカップを傾けて勢いよくゴクリと喉を鳴らした。

グダグダしながら二人して何をすることもなく静かな時間を過ごす。しかし、自分の家ではないからいくらだらけて過ごすと言っても角名は多少の限界を感じていた。それを僅かに感じ取ったのか、由佳は「ここにいる間は自分の家だと思ってていいからね」と声をかけ、暇だねぇとぽつりと呟た。太陽の位置からしてちょうど小学生の下校時刻くらいだろうか。いつもなら元気な子供達の笑い声が響くはずだろう住宅街。今は鳥の鳴き声も何もなく、ただ生ぬるい空気だけが外にあった。


「もう少し涼しい時間になったら外にでも出てみようかなぁ」


真上に登る太陽に目を細めながら由佳が呟く。そうだね、今はまだ暑いし。と、角名もそれに同意を示した。

完全に気を抜いているというわけではないが、同じ空間で過ごす上での気まずさや嫌な部分は無く、もうすでにお互いに少しずつ居心地の良さは感じ始めていた。




 

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